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龍女皇陛下のお婿様  作者: 俄雨
聖モリアッド修道学院編
146/318

礼拝堂タクティクス4



 

 その情景を何と表現したら良いだろうか。


 ヘタクソな水彩画の雲、絵の具を塗りたくっただけの書割背景、手の込んでいない照明に、シロウトが手縫いしたような衣装。そうだ。まるで子供の出し物のような世界である。


 平面で、稚拙で、何の技術も感じられないのだが、熱意だけは籠っていた。


 ひたすらに熱い。『この物語は真実なのだ』と言わんばかりの気持ちがある。

 だが、薄く、歪だ。


「おお、勇気ある者よ。我が娘を救ってくれるのか」


 顔の見えない老人が、ガタガタの王座で、曲がった王笏を床に叩いて言う。


「はい。わたくしめにお任せを」


 勝手にセリフが口から洩れる。薄い木板を銀色に塗って作ったであろう鎧をカタカタさせながら、ヨージは頷いた。


「ではこれを授ける。見事娘を救ってまいれ」


 王……らしき人物から、これまた木製の伝説の剣を賜る。伝説の剣は東部エウロマナ系の剣で、どこかの神話で見たような形をしていた。これは肝入りの小道具なのだろう、稚拙ではあれど、一生懸命作りました、という気持ちが感じられる。


 場面は移り変わり、王から姫を救う任務を授かった騎士ナイトが、白馬……ハリボテ馬に乗って進んで行く。


 ヨージの感情は一切ここには介在していない。セリフもすべて自動で吐かれる。身体が勝手に動いて役を演じさせられていた。


 西国の王制国家であるのに騎士ナイトが黒髪では困るだろうに、しかしそこは弄られていない。容姿そのものは、ヨーコのままだ。


 ヨーコのまま。つまりこの物語は今から、同性愛モノになるのである。何てことだ。

 良いのだろうか。


「そこな道行く農夫よ。わたしは王より姫をお助けする任を授かったものだ。魔王アザーゼルの城へ向かう近道などは知らないか」


 敵本拠地が分かっているのに、道を調べず進むつもりだったのだろうか、この騎士ナイトは。いや、それ以前に、王は斥候を放つべきである。いや、更に大問題として、そもそも何故騎士ナイトひとりに魔王なんてものの討伐を任せたのか。軍隊を保有していないのだろうか。それで王国とはよく言ったものである。


 設定に突っ込みながら少し考え……そうでもないか、と思いとどまる。


 そもそもヨージ……いいや、アオバコレタカなる人物がソレではなかったのか。


 女皇の命令一つで、敵軍隊だろうが、バケモノだろうが、一人でぶっ殺して来たのだ。それを考えると、この騎士ナイトなる人物は、相当の手練れであり、秘密裏に囚われの姫を救出する為に遣わされた隠密なのかもしれない。


 ……兼仲ミオーネを救った時を思い出して、憂鬱になる。


「へい。この先西にある魔獣の森を抜けるのが近道でごぜえます。しかし名前の通り、悪い獣が蔓延っており、とてもではありませんが、騎士ナイトさまとはいえひとりで通る事はできますまい。少し手前にある精霊の泉でご加護を得ると良いでごぜえましょう」


「ありがとう」


 無償で情報を提供してくれる農夫とは、なんと心優しいのか。

 絶対罠だ。


 それはともかくとして、城の近くに魔獣の森なんて危険なものがあるのに、何故放置しているのか。人民の安寧を保証する為に、軍隊を派遣して一掃すべきである。ヒトが国家に求めるのは安定した暮らしだ。それが脅かされているのならば、全力で潰すのが仕事である。


 果たしてこれはいつの時代を元にした物語なのだろうか。書き手が間抜けなのか、それとも子供向けファンタジーとして書かれたものなのか、疑念は募る。


 騎士ナイトは農夫の言葉に馬鹿正直に従い、魔獣の森の手前にある泉まで訪れた。


「精霊よ、これより魔の者を討つ我が身に、加護を授けたまえ」


 この騎士ナイトの宗派は何なのか。そも、精霊なんて下級存在に何の加護を賜るのか。名前として精霊と呼ばれているだけで、地元の神なのかもしれない。騎士ナイトの言葉を受けた泉が泡立ち……勿論書割だが……その中から美しい風の女性が出て来る。


 美しい風、というのは、顔が見えないからだ。登場人物は誰も彼も顔が無い。


「ああ、勇敢なる者よ。貴方が来ることは分かっていました。その剣を天に掲げなさい」


 言われた通り剣を天に掲げる。すると、空……いや、天井からライトが降り注いだ。


「この国に伝わる伝説の剣は、愛する者の為にこそ振るわれるものなのです。これからお救いする姫君は、貴方の愛するヒトなのでしょうか」


「勿論です。我が剣は我が愛と共に振るわれる事でしょう」


 という設定らしい。かくして、勇者ヨーコは伝説の剣と精霊の加護を得て、魔獣の森へと赴く事になる。農夫の発言は別に罠でも何でもなかった。なんて善人なのだろう。


 舞台が暗転して、薄暗い森っぽい書割になり、照明も暗くなる。逼迫するようなカンジのしないまでもない音楽が流れ、その闇の中で、騎士ナイトと魔獣が殺陣を演じる。当然ヨージは動いてなどいない。勝手に身体が動く。


「手強い魔物達であった……」


 長くなると困るであろう場面は無言の演技と暗転で乗り切っていく。きっと元となる小説は、更に長ったらしい話なのだろう。ここを演出だけで誤魔化したのは英断である。


「待て。貴様、何者だ」


 そこに新たな登場人物が現れる。ローブを目深に被っている、魔法使い然とした容姿だが、剣を携えている。たぶんあまり重要な人物ではないのだろう。


「わたしは魔王アザーゼルに囚われた姫君を救いに来たものだ」


 どうして、どうして偽らない。何故馬鹿正直に話す。どうみても敵だろう。


「ならばこの先に通す訳にはいかない。覚悟しろッ」


 そうしてまた殺陣が始まる。数合斬り合った後、敵は倒れた。


「魔王様直属の配下である俺を倒すとは……なんと強い心と力を持ったものなのだ」


 どうして。どうして魔王配下がこんな森の中にいて、しかも手下を伴っていないのだ。何か制限があるのか。配下に支払う給料すら無いのか。そんな貧困とした魔王に、姫は攫われてしまったのか。王国の警備はどうなっているのだ。国家と名乗って恥ずかしくないのか。


 ともかく敵幹部を倒した騎士ナイトはそのまま森を抜ける。

 すると遠近法っぽい悪の城の書割が現れた。


「姫様。いま参ります。どうかご無事でありますよう」


 舞台が暗転し、ヨージは舞台袖に引き下がらせられる。

 演出上薄暗くなった舞台に並んでいるものは……何かがおかしい。


 どうにも気合の入った書割に、まるでプロのような照明演出、異常なまでに高価そうな服を着た姫君と、そこに男達が数人群がっている。


(……なんだ)


 子供の演劇が、突如としてプロ仕様になったのだ、その違和感は何となく、では流せない。

 男達はその手にナイフを持ち、無惨にも姫君のドレスを引き裂く。迫真の悲鳴が舞台に響き渡り……ヨージは顔を顰めた。


(くそ……あの妖魔め……)


 男達が姫君に群がる。

 姫君……エオと同じ顔をしたその姫は、文字通り、凌辱の限りを尽くされる。


「い、いや、あぶっ、助けて、助けてェェェッッ――!!」


(クソ……クソクソ……ッ)


 散々弄ばれた彼女は、捨てられるように牢屋にぶち込まれた。


 姫君の目線が、こちらと合う。ねばつく液体を舌で舐め取り、姫……いいや、あの女は笑った。


 これは、リットが用意したものだろう。エオの性知識は子供に毛が生えた程度であったから、このような場面は彼女に再現出来ない。


(……――)


 今、目の前で演じられている舞台よりも薄暗い感情が湧き上がる。ヒトの知り合いを、模倣とはいえ辱めるその精神に殺意しかない。必ず殺してやる、という気持ちはあるが、しかし、身体は動かない。


 考える。身体は勝手に演技をするのだから、舞台なぞ考慮する必要は無い。自由を奪われた身に残されたものは、思考という武器のみだ。


 奴はこちらの精神を削ごうとこのような演出を取り入れたのかもしれないが、過剰演出が逆に冷静さを取り戻させる。


 ――現状は間違いなく、あの『エオの本』の内容を短く切り詰めて再現した舞台だ。演者に抜擢された者、そして観客に選ばれた者の自由を奪い、演劇と観劇をさせる、というトンチキな魔法である。いや、道具を用いているので、分類上は魔術になるかもしれない。


 妖魔は、ヨージをこの『舞台魔術』に引き込む時、まさに満面の笑みであった。今のところ何の影響もないが、確実にヨージへダメージを与えられる魔術であると考えるのが妥当だろう。


 幻術魔法の類似。しかし扱っている魔力の純度が高い為、ニンゲンのヨージがこれを破る為には、いささかクレバーな手法を用いねばならない。通常の魔術ならばそれで良いが、自由を奪われている為に、この魔術のウィークポイントを探る事が出来ない。


 こういった広域に影響を与える魔法というのは、必ず結節点が存在する。結界魔法である場合は、結界魔法を出力している魔法陣ないし魔道具であるが、この魔術の術者と魔道具は完全に視界外である為、考慮する意味も無い。故に探るのは結節点である。


 ものの繋ぎ目。舞台を覆う暗幕の縫い目。縫合が上手すぎる場合これを探るのは困難を極めるが――この魔術は、術者本人のモノでは無い。術者がそもそもどうして作動しているのか不明だ、と口にしたぐらいだ、絶対に妖魔すら知らない弱点が存在する。


(舞台を繋いでいるもの……となると、やはり、演者か)


 先ほどから顔の見えない、恐らく魔力で形作られた幻影の演者。これを……役割外の致死足らしめたならば、縫い目の解れは見えて来るかもしれない。


 話は進んで行く。都合五人の幹部……五人もいるのか……を倒して、やっと城の王座まで辿りついた。魔王は……顔が見える。歪な角を生やし、筋骨隆々で、青白い肌をしている。神話で語られるところの悪魔に類似点が多いので、それを参考に造られたのだろう。


「たった一人で乗り込んで来るとは……見上げた勇気だ、騎士ナイトよ」


「何故このような事をする。貴公は魔界に名高い魔王ではないのか。人間界に巣くい、人々の安らぎを危機に晒す事に、何の意味があろうか」


「魔は魔を成してこそ魔だ。そこに理由など必要ない。ヒトを食らい、女を犯し、人間の世界に不徳と病魔と死を齎す事こそが我等魔族の血肉なのだ。そこに『悪を成す側の正義』などという甘っちょろいものは介在しない。主義主張もない。自然も同じなのだ」 


「姫君を解放しろ。さもなくば、私の剣が貴公の心臓を貫こうぞ」


「貴様は何の為に戦う」

「何?」


「貴様は強い。一人で敵国の部隊を返り討ちに出来る程だ。どんなバケモノであろうと、その剣技と魔法で退ける事が出来よう」


「勿論だ。だからこそ、ここに遣わされたのだ」


「今頃、貴様の国の王は惰眠を貪っている。今頃、貴様が仲間だと思っている騎士ナイト達は、酒場で酔い潰れている。皆が思っているのだ。『アイツに任せておけばいいのだ』と」


「……――」


「この姫君とやらも、あの王がバカみたいに作った子供の一人でしかない。十五男二十四女の一人だ。この姫が一人死のうが生きようが、あの王には何の苦しみも無い。この姫が攫われた事で、国家の最大戦力である貴様を、都合良く動かせる理由が出来て、さぞ喜んだだろうよ」


「何を言っている。人間に悪事を働いた事実に何の変わりもないだろう。では打倒されて然るべきだ。そこまで口賢しく言えるのならば、何故姫など攫った」


「あの王は貴様の使い方を間違えている。貴様も、分からぬ振りをしている。愚王などその手で殺めてしまえ。自分を都合よく使うだけの奴等など、皆殺しにしてしまえ。貴様の剣が新たな国を築くだろう。我は貴様が哀れなのだ。故に、その力の使い方を、教える為に貴様を招き入れた」


「自殺と相違ないではないか」


「この身は魔界にある真体からの分け身。ここで何度殺されようと、我には痛くもかゆくもない。悪徳を成せ、勇気ある者よ。人間の生きる道は悪徳にこそある。今でこそ正義面で法と秩序を語るあの王とて、ヒトを殺して国を築いたのだから」


 ……今まで、知性をあまり感じない物語が続いていたというのに、ここに来て魔王が何やら語り始めた。他人の言う事である。他人が何かを相手に持ち掛けるその時は、当然本人に一番の利益がある。ただ、魔王の話にも一理ある。


 この騎士ナイトは都合が良すぎる。どこか、アオバコレタカと似通った部分を持つ。

 しかし、最大の違いがあるのだ。


 それは自分の主上。王である。


 この騎士ナイトならば、王を打倒し成り代わる事も出来よう。魔王をぶち殺し、魔獣の森を掃討し、悪の枢軸等を諸々蹴散らして、新たな武の王として旗を上げられるだろう。


 だが、アオバコレタカは違う。


 王は。龍は、打倒など不可能である。ニンゲン如きがどれだけ足掻こうと、結局は彼女の掌の上。命じられて舞うだけの、人形でしかない。


「……確かに、貴公の話は一理あるかもしれない。王はあまり賢いとは言えない。何せ何の準備も無くたった一人、騎士ナイトを放つぐらいだ。最初からそんな事は分かっている」


「やはり分からぬ振りをしていたのか」


「だが、これは私に与えられた役目だ。騎士ナイトは王の命を受けて動く。例え死地に赴くと分かっていても、王と国の名の下、涙を堪え、脚をひっ叩いて立ち上がり、前に進むものなのだ。分かるか、魔王。それこそが秩序だ。皆が好き勝手していたら、いつまで経っても平和など訪れない。我々騎士ナイトは秩序の護り手だ。故に、王の命を受け、国家の名の下、最大戦力の個人として、悪行を成す貴公を、殺すのである」


「では貴様は、国の為だけに戦うというのだな」


「それもまた違う。私は国家の一部であるが、また個人だ。姫君に働いた狼藉を憎み、怒り、制裁を加える者である。ここに法は無い。法が無いのならば、誰かが戦わねばならない。国家と個人の一致の結果だ」


「苦しいな。が、それで良いというのならば、もう問わぬ。が、それでその剣は輝くであろうか。その剣は、秩序の為に我を殺すであろうか。いいや否だ。貴様は愛をもってして、その剣を振るわねばならない。この雑多な姫に、貴様は愛など持ちえるのか」


「雑多と言ったか」

「言ったぞ、女勇者よ」

「そうか。では覚悟しろ、悪徳の化身。地獄に叩き返してやる」

「――はは。なんだ、素直ではないか。最初から、そう言えば良いのだ!」

「行くぞッ!!」


 しかして剣は振るわれた。月の輝きを受けて煌めく剣は、流星となって魔王の心臓を貫く。

 設定上、この剣は愛する者の為に振るわれるものらしいので、たぶん主人公の騎士ナイトは姫君と懇意なのだろう。ただ、物語の中であまりその情景がクローズアップされる事はなかった。随分突然と愛の力に目覚めた女勇者となってしまっている。


 ほんの2シーンほど挟むだけで回避される唐突さなのだが、これを演出している者は少し配慮が足りない。殺陣の数を減らしてでも挿入すべきではなかったのか。


 ……いや、物語の粗を探しても意味はない。問題はこの後なのだ。


「――此度は顔合わせだ。次は我が軍勢も率いて参るぞ……努々忘れるな。弱き国は滅ぼされる……それが道理だ。生きたくば、愛すべき者を護りたくば……強き国を、作ることだ……」


 魔王は倒された。舞台の奥から……エオ顔の姫君が現れ、騎士ナイトと抱き合う。

 この姫君の役になっているのか、それとも介入しているだけなのか、どちらにせよ、この姫君こそが結節点であると疑われるものであり、妖魔が一番力を注いでいるものだろう。


「言葉も話せませんかあ……本当に強力な魔術……」

「……」


 妖魔がいやらしく笑い、耳元で囁く。

 エオに、そのような顔をさせるな。自分では動かせない手に力が入る。


「さあ、さあ、次ですよ、ヨーコさん。これは――貴女が、観客が果てるまで続く物語」

「――……」


 やはり、そういう事か。

 帳が下りる。そしてまた――不出来な書割の世界に放り込まれた。

 最初のシーンである。


(――声、声も届かないか。クレアは、エメラルダは、どうなっている……?)


 繰り返す。終わりのない演劇。舞台が一つ幕を下ろす度に、力が抜けて行く感覚がある。

 五度も演じれば、もはやただの舞台装置になり果てるか、そのまま崩れ落ちて、死ぬか。


(クレア――! エメラルダ――!)


 ヨージでそれだ。生徒達は、二回も持たないかもしれない。


 あまり、時間は残されていない。



 

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