礼拝堂タクティクス3
崩れないもの。揺るがないもの。倒れないもの。堅固にして絶対にして究極たるもの。
イメージを汲み上げ、組み上げる。生きとし生ける全ての命を刈り取る竜精の粛正魔法を防ぐ術などこの世には無いのかもしれないが、それでも今『私』が死ぬわけにはいかなかった。
蔦のような樹木の幻影が、伸びて、絡まり、一本の大木となってリーアを包み込む。
「"執行"」
ユーヴィルの指が振り下ろされる。極限の圧縮された純粋魔力が、リーアへと一直線に向かって来る。
一法秒。
「くっ……――ッ」
二法秒。
「あ、あ、あッ」
三法秒。
「だ、ダメ。倒れられない。話を――」
四法秒。
「――聞いて貰わないと」
五法秒。
「――……成程。ヨージ・衣笠の抱える神は、どうも真っ当ではないらしい。これに耐えたのは、そうだな、恐らく『大神』が最後だったか」
絶対に破れないものをイメージしたつもりだったが、大砲を受け止める鉄の盾など在りはしないのと同じことだ。しかし、偶然は起こり得る。砲弾とてその威力が常時全部同じ、という訳ではなく、また盾も角度によっては大玉を弾き得る。が、衝撃は拡散しても、並大抵ではない。
そういう状態だ。もう持たない。
「驚くべきことだ。だが終わりだ。神一柱程度で、防げるものではないのだ、これは」
「これ……分霊なの……」
「――――…………は、は? はあ? あ? 分霊? い、一体どんな濃度の分霊だ」
「私本体は、別に、疲れないぐらいの」
「え、ええ……えええぇぇぇ……?」
「それより……話……」
「そ、そうだった。何用でわざわざ、竜精にまで顔を出したのか」
「マー……リク……」
「マーリク……? 竜支卿?」
「とら……われて……」
「あ、こら! 待て、待て、消えるな! いや、消したのはユーヴィルだが! いや、消えてないのが可笑しいのだが、ちょっと、ああ、くそ、こんな時に忌日なんて、ああもうッッ!!」
シュプリーアの分霊が、光の粒となって消え、核となった樹石結晶がフロアに転がる。
それを見たユーヴィルの顔といったら、無い。自分が、とんでもないものを相手にしてしまったのだという、驚愕が広がっていた。
「ぷわっふ……うわ、やっぱり痛い。いたた……」
視界を牢屋に戻す。まだうまく扱えないのだろう、フィードバックが大きすぎる。リーアの全身、至る所に痛みが走る。触れる空気すら痛みがあった。
「ぬっ。シュプリーア。どうした」
「いま……ええと、ニールちゃんの上司に、お知らせしてきた」
「ど、どうやったか知らんが、なるほど。何故痛がっている?」
「今日は、近づいちゃいけない日だったみたい。粛正魔法浴びた」
「ど、ドラゴマギクスを受けたのか? どうして生きる目がある……」
「頑張った」
「頑張って何とかなるなら、粛正を受けた神は皆何とかなっておろうが」
一度は向けられた事のある殺意だ。ビグ村のフィアレスは不発に終わったが、なるほど、あんなものを受けたら、神だろうが蒸発して当然である。
どうやら本当に制御が利かないらしい。本来ならば、誰にも会わず大人しくしている事が最良なのだろうが、今は動いて貰わねば困る。
(……顔そっくりだった)
寝息を立てるエオの頭を撫でる。何故、彼女が自分達治癒神友の会に優しくしてくれていたのか、その理由が分かってしまった。ユーヴィルは魔力の調整が利かないというから、容姿を偽る事も出来なかったのだろう。エオにそっくり……いいや、エオを大人にしたような女性であった。
娘を護る為に動いていたのだ。失踪したとされる娘を、ずっと探していたのだろう。
自分は――エオを生き返してしまった。
本当ならば終わっている話だ。彼女が生きていたと記憶する者達による語りだけが、残る筈のものだったのに、自分はそれを継続させたのである。
ヨージ以外知らない事だ。黙っていた方が良いだろう。エオは、幸運にも一命を取り留め、また新しい人生を歩み出した、そうした方が、本人も、またユーヴィルも、幸福なはずである。少なくとも、ヨージならばそう言うだろう。
「今日、辛い日らしくて……一応、マーリクの名前は出したから、調べてくれるかも」
「竜精に生理があったのが驚きだぞ」
「違うみたいだけど……取り敢えず、待とっかあ」
「ま、余もグリジアヌもエオも、極刑は有るまい。そのマーリクがぶっ飛んだ馬鹿でない限りはな。全てはヨージ師が戻るまでの辛抱と言えよう」
「頼ってばかり……」
「今、お前に出来る限りの事はしたのだろう」
「うん」
「ならば誇るが良い。どのような状態にあろうと反攻するのだという意志は示したのだ」
「そういうものかな」
「そういうものだ。命というのは大事だがな、例えその命を危険に晒してでも、示さねばならないものがある。お前や師は、恐らくこの思想は大っ嫌いであろうが、誇りに殉ずる命もあるのだ」
「それは、誰の為?」
「主に己の為。もしくは、大事なヒトの為だ。自己犠牲、嫌いだろう」
「嫌い」
「しかしお前は今、一部でも命を分けて、その威を示しに行ったのだ」
「そっか」
「この娘に対して、お前が命を削るだけの価値があると、見出しているとも言える。大事だろう」
「大事」
「うん……師はな、きっと、いつ死んでも良いと思っているぞ」
「……なんで?」
「あの男の背負うものは知らぬ。が、あの男は、自分の命を大事にする素振りを見せつつ、お前たちの為ならば、命など幾らでも投げ出そうと考えている。過去の因果がそうさせるのか、それとも、この世界に疲れてしまったのか。分からぬ。分からぬが――ふとした時、我々が窮地に立たされた時……恐らく、率先して、死にに行く」
「……」
ヨージはいつか、突然居なくなってしまうのではないかという不安を、リーアはずっと抱いて来た。それは、ナナリの目にも映っているのだろう。
リーアは勿論、彼を離すつもりなど毛頭ない。だが、本当に差し迫った状態になった時、ナナリの言う通り、彼は死を覚悟して進むだろう。件の十全が本気で彼を奪い取りに来た時、その時も、彼は様々な条件を付けて、自らを質とするだろう。
これは、リーアではどうする事も出来ないものだ。幾ら願えど、想えど、愛せど、彼にはきっと伝わらない。伝わっていたとしても、彼が彼を重んじるような選択は、しない。
いいや。出来ない、のだろう。
「可愛がっていた、弟を亡くしたんだって。アスト・ダールに殺されたんだって」
「……そうか。あの男も、アスト・ダールの犠牲者か」
「知ってる?」
「話にはな。当時我がイナンナー部族連合王国とバルバロス通商国は秘密裏に結託し、南方の扶桑軍を排除しようとしていた。それは知っておるか」
「うん」
「バルバロスは所詮商会傭兵の寄せ集め、軍隊としては弱いが、経済的には強い。特に流通に関しては、流石と言えよう。が、そんなバルバロスの中でも、特異な奴等が居た。それがアルト・ダールを首魁とした『火竜党』だ。こいつらは……まあ、狂犬だ。イナンナーにも噛みついて来た。何度小競り合いしたか分からん程にな」
「……」
「大樹教では禁忌、他の大宗教でも制限される火属性魔法使いの集団だ。奴等に焼かれた野山、畑、村に街は、数え切れん。余の一族も数名殺されたらしい。とはいえ、そんな奴等も死んだようだがな。扶桑の抱える化物に消されたと。アオバコレタカだったか?」
「……」
ナナリは、ヨージがその本人である事は知らない。イナンナーの仇敵であると知ったら、一体どんな顔をするだろうか。リーアは、口を噤む。
「殺し殺されは常だ。とはいえ、イナンナーは喧嘩っ早すぎる。余が女王になった暁には、もう少し軟化させたいものだがな」
「ナナリは」
「うん?」
「ナナリは、命を懸けた事が有るの」
「……妹がいた。五姉妹でな。上は男二人、余が長女で、下に二人だ。ああ、兄弟というのか、この場合。まあいい。次女が原因不明の熱病にかかった。医者でも治せんという。余は神樹イナンナに祈りを捧げる毎日だったが、ある日、遠方の沼地の畔に、万病に効く実を育む木があると聞いて……一人で取りに行った」
「あったの?」
「果たしてあの木の実が、そうであったのかは知らない。余は不覚にも、大型昆虫に追い回されて、窪地に落ちて、意識を失った。余を心配して、後ろをつけさせたのだろう、直ぐ陛下の近衛に助け出されたが……次の日に、妹は死んでしまった」
「頑張ったよ」
「……そう思う。皆もそう言ってくれた。だが、結果が伴わなかった。一番失敗してはいけないものに失敗したのだ。過程は尊いかもしれない。努力は無駄ではないかもしれない。だが結果として妹は死んだ。それでは、無意味だ」
「ナナリ、今日はお喋り」
「余なりに不安なのかも、しれん。余はまだ良い。だが、あの子に年の頃が近い、エオがこうして苦しんでいるかと思うと、不安でならん」
「だから、ずっと付きっ切りなんだ」
「妹と重ねている事は、否定しない。普段、余に対して口の悪いこの娘だが、それでも余には可愛く見えるのだ。この娘も、苦労して来たのだろう。やっと……治癒神友の会という、安心を得たであろうに、これは、酷だ」
神として、どう答えてあげるのが正しいだろうか。当事者として、どういう行動を取るのが、一番だろうか。ユーヴィルはリーアの行動に疑問を抱いただろう。そして名前が出されたマーリクについて、部下を使って調べ始めるだろう。
だが、彼等が調べて、答えに辿り着くまで、どれほどの時間が掛かるだろうか。マーリク側は近辺に緘口令を敷いているであろう。ドーエルも自分の為に、口を割る事はないだろう。一日か、二日か、三日か。
エオが心配だ。ナナリも精神的に参って来ている。リーアの治癒は心にも働きかけるが、だからといって病とも言えない心の動きまで制御しては、イケナイような気がしていた。きっと、それはヨージも嫌う。
「出ようか」
「面倒な事になるぞ」
「でも、エオちゃんは心配だし、ナナリも辛そう」
「寝てればよいだけだ。ことを荒げて余計不利な状況になったらどうする」
きっと最良の選択肢ではない。むしろ、間違っているとすら言える。しかしそれでも、例え立場が危うくなろうと、このままただの人の身である彼女達を、こんな薄暗い場所に閉じ込めておくのは、あまりにも忍びなかった。
「出て、グリちゃん拾って、首都を出る」
「随分な大暴れになるぞ。騎士達が黙っている筈もあるまいて」
「ニンゲンじゃ、私とグリちゃんは止められないもん」
「ま、確かに。余も騎士ごときには遅れはとらん。人質さえなければな」
では決まりだ、として、リーアは牢の鉄格子に手をかける。
その時であった。
「はぁ……ハァ……ハァ……ッ! くそ、マジかよ、クソが」
「……ドーエル」
息を荒げ、頭から血を流したドーエルが監獄に駆け込んできたのだ。
「ドーエル殿! 如何なさいましたか」
「うるせぇ! 手前等はそこで、抜剣して待機だ……――よぉ、クソガキ」
「何しにきたのー?」
「あぁ? 一体どうやって外に知らせた。おう、どうやってだ」
その意味を……少し考える。外にどうやって知らせたか。つまり、この一法刻と少しで、ユーヴィルの部下達は、マーリク配下のドーエルにまでたどり着いてしまったのか。
いや、リーアが名前を出したのはマーリクだ。では最初に詰問されるのはマーリクであり、末端のドーエルではない。しかし、ドーエルの格好はどう見ても手負いだ。鎧は傷付き、血を流しており、魔法の痕跡も見て取れる。
複数人に襲撃された、のか。どの手勢かは不明なれど、リーアの味方と考えて良いだろう。
が、生憎取り逃がしてしまったらしい。
「……ひみつー」
「クッソガキがぁ……もー出し惜しみは無しだ。腹に食らった礼もあるからよぉ……」
「ナナリ。魔法障壁」
「むっ――ッ」
ドーエルが抜剣。その野太いブロードソードを眼前に掲げる。
「"我に刻まれしは久遠の聖刻""賜りし者に大いなる力を"『剣神歌章』」
三項詠唱。監獄の張り付くような空気が迸る。下卑た笑みを浮かべたドーエルは白い光を帯び、緩慢な動きで剣を構える。
「そこの獣人如きの魔法障壁じゃあ防げねえぜ。しかも牢屋の中じゃ逃げようがねえ」
「それ、放つと後ろのヒト達も巻き込まれるけど」
「知るかぁんなもん! 手前が黙って、マーリク竜支卿に協力するって頷きゃあ全部一発で解決なんだよ!! さあ、クソガキ!! そこのニンゲン二人殺されるか! 大人しく頷くか、決めろやぁ!!」
相当に追い詰められているのだろう。マーリクの名前が出されるという事は、まだマーリクには何の捜査の手も入っていない、という事だ。やはり、ドーエルを狙ったのは、ユーヴィルの手勢ではない。
もし本当にユーヴィルの手が下っていたら、何もかも諦めている筈だ。竜精に勝てると思い込む騎士はいない。ココでリーアを頷かせ、全てはリーアの協力の下であるという大義名分を得て――状況を進めるつもりなのだろう。つまり、ドーエル自身も『敵が何者かは知らないが、リーア達を監禁しているから狙われている』という事を自覚している状態だ。
浅い。愚か。間抜け。色々言葉は浮かぶが、飲み込む。
ドーエルは本気だ。確かにリーアは無事だろうが、例え後ろに二人を隠したとしても、この剣光の一撃を受けて、無事とはとても思えない。その力は神の力だ。彼は当初、自分を神人であると漏らした。ヒトでも神でもない、別の何か。しかし扱っているのは神の気だ。
「女を牢にぶち込んだだけでは飽き足らず、反撃されないと解っていながら外から攻撃とは、おう、後ろで見ている騎士ども。帝国の騎士がこれで良いのか」
「ドーエル殿、自重されたし。これでは帝国騎士の名折れに御座る」
「左様です。ドーエル様。神とはいえ護るべきは女です。女を傷つけて誉とする騎士がいましょうか」
「うるせぇなあ……ここに居る時点で、手前等ももう同罪なんだよ……ココでこの女が、協力すると頷かなきゃあな、手前等もバラッバラにされちまうんだぞ……?」
「な、何をしでかしたのです、ドーエル殿……?」
「まだ詳細は、どこにもバレちゃあいねえ。全部全部、こいつ次第だ……ッ」
ギラ付く眼光がこちらに向く。黙り込み、頷かず、皆が死んだ後蘇生する、という手段も、自分には有る。実質的には、何の人質も取れてはいない。いないが、彼女達が無惨な姿になるところを、自分が許せるだろうか。そうなった場合、自分はきっと、ドーエルをきっとタダでは『済まさない』だろう。
ドーエルは、今後どうなろうと、終わりだ。
だが、ここでこの二人を傷つける事も、許容出来ない。
「わかった」
「は、はは……そう、そうか。最初からそうしときゃよかったんだよ。それで良い。はは……くだらねえ、くっそくだらねぇ時間かけやがって……生ぬるいんだよ、マーリク竜支卿はよ」
「……」
「手前のカレシさんはどうしたよ。助けに来てくれるんじゃあねえのか、ああ? く、くはは、くくっ……ばっかじゃねえのか……何が疑似竜を叩き斬っただ……んな事ニンゲンに出来るわきゃあねえだろ。詐欺師も良いとこだぜ」
「……」
「一番大事な時に、傍にいねえって事は、所詮そんだけの男だってこった。頭に来るぜ……そいつ、戻って来たらタダじゃおかねえからな……手前も頷いたんだったら、馬車馬みてぇに働け。そのクソカレシ、殺されたくなかったらよぉ……?」
天地がひっくり返っても、ヨージ・衣笠という男がこの三下に殺される訳もないが、それでも大切なヒトを愚弄されるのは頭に来る。来るが、黙る。この状態で刺激して、余計な事をされたらたまらない。
「こいつが何だかわかるか」
「わかんない」
「対高神格用の拘束具だ。この手錠だけ時間が固定されてるんだとよ。笑っちまうぜ、なんだそりゃ、どんなオーパーツだ。聞いた事もねえ技術だ。ああ、対神格牢獄からちょろまかして来たぜ……おい、手前等。コイツかけて、マーリク竜支卿の別邸まで移動させろ」
「し、しかし」
「やれっつってんだよ……ぶち殺すぞ……」
「……りょ、了解しました」
「――ああそうだ……」
「なに」
「治癒神友の会の弾劾裁判は、継続だぜ。イルミンスル大教会に組み込むにゃ、邪魔だからよ」
「外道」
「知らねえ知らねえ。ニンゲン二人もだ。さっさと移動させろ」
「……」
高神格用の手枷がはめられる。確かに、リーアの力ではビクともしない。しかも、魔力の流れすら断たれている。これは……良くない。
「幾ら手前が高位神に食い込むような力があろうと、そいつぁ引きちぎれねえぜ。その状態じゃあ、ただの女と変わりねえや。あ? 分かるか、クソガキ……」
「気持ち悪い」
「けはっ、まあまあ、手前の仕事が決まるまでは可愛がってやる。戻って来たカレシさんが悲しむ顔が、楽しみだなあ、ええ?」
世の中、様々なニンゲンがいて、日々色々な事を考えているのだと、学んで来た。絶対的な力を誇る者、何の力も持たない者。日々を楽しむ者、日々を悲しむ者。無欲を良しとする者、強欲に身を窶す者。誰も彼も個性的で、リーアに対しても、様々な感情を向けていた。
リーアはその容姿から、当然ながら性的にみられる事も多い。ビグ村に居た頃からそれは変わらないし、ニンゲンというのは繁殖するべきものであるという、大きな認識から、それも当たり前なのだろう、という感想を持っていた。
が、どうにも、このドーエルという人物は歪んでいる。いいや、醜い。
リーアを性的に見ている事自体は疑問には思わないが、それ以上に、相手を一切敬わないその感情が軽薄であるし、会った事もない人物……つまりヨージに対して、異様な程の敵対心を露わにしている。しかも、リーアを組み伏せる事で、それを超克し得る、とまで考えているようだ。
純粋に気持ち悪い。
ニンゲン、という者の中で、最下層だ。
(でも、現状打つ手なし……)
だが残念ながら、状況は、限りなく……悪い。




