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龍女皇陛下のお婿様  作者: 俄雨
聖モリアッド修道学院編
114/318

プロローグ【エオ】

三章一話先行公開




 エオは空を見上げる。


 光輪を天に仰ぐ。降り注ぐ日光は、光輪を通して七色に輝き、エオを照らしていた。周囲に揺蕩う巨大なユグドラーシルの葉は、空の浮島であり、エオが足を付けている場所も、その一つだ。他の浮島に足を踏み入れた事はないが、そこには原初の『何かしら』が、まだそのままの形で残っているという。


 青い空を漂う七色の光に手を翳す。

 それはエオの手に触れると、煙のように形を変えて、スルリと抜けて行った。


「これ以外何にもないのだもの、ここ」


 大樹教徒にとって最大の聖地であり、最大の神であり、最大の信仰たる『ユグドラーシル』の、その上空。伐採された折、葉がそのまま宙に留まり集合して大きな土地となったこの浮島には、こんな不思議な光景『しか』ない。


 一度城下町に降りた時は、ヒトが沢山いて、物質が沢山あって、面白かったというのに、エオはあまり、ここから出しては貰えない。ポータルを潜れば直ぐ地上だというのが、余計もどかしい。


「あ、ガキじゃん。またここで寝っ転がって。日焼けしすぎで病気になるよ」

「あー、ラタトスク。またそういう事言うー」


 ぼけっと空を見上げていると、小動物のような少女が顔を出す。見た目の年は十代前半であり、半そでに短パンという、何とも健康的な出で立ちなのだが、その顔は明るさとはかけ離れており、眠そうで、面倒臭そうで、テキトウそうで、やる気の欠片も感じられない、とても十代前半の子供とは思えない、そんな不気味な少女である。


 当然と言えば当然だ。こんな見た目でも原始自然神オリジンである。ユグドラーシルが『成立』して間もなくに生まれた最古参の神であり、その神格は扱いとして最上位である。なお、個神としての信徒が存在しない為、誰にも敬われてはいない。


「これ食う?」

「いらない。苦いのだもの」

「ニンゲンの食うもんじゃないからな」

「そんなもの食べさせないでよー」

「やかましいガキだな。摘まんで地面に落としてやろうか」

「やーだ。パパに言いつけるもん」

「パパ、パパかあ。パパは駄目だな。アタイも逆らえないから」


 ラタトスクは前歯で器用に皮を剥いて、硬そうな木の実をガリガリ齧る。大樹教神話という枠組みで言うならば、その木の実は輪廻転生を待つニンゲンの魂である。実際どうかはエオも知らなかったが、別に美味しいモノでもないので興味はない。


「フレースヴェルグとヴェズルフェルニルは?」

「仲良し男子二人組は、ギンヌンガップに行ってる」

「大断層にー?」


「そ。ニーズヘグ・マレフィクスが顔出さねえかなって。暇なんだろ。そら出ねえよ。何十万年前に封印されたんだよ。馬鹿じゃねーの」


「貴女は悪口伝達役でしょう」

「昔の仕事だそりゃ。今はこうして、出来の悪い木の実齧るのが仕事だよ」

「暇そう」


「そのお話相手がガキ一人ってんだから、堪ったもんじゃあない。そうだ。お前さ、下界行かない? 下界。楽しいぞぉ」


「勝手に降りたらパパもママも怒るもん」

「ちょっとならバレないって。暇なんだよーここー」

「ラタトスク」

「あン?」

「また娘に何か、適当な事を吹き込んでいないかしら?」

「ゲッ」

「ママッ」


 ラタトスクに絡まれ、嫌そうな顔をしていたエオだったが、そこに一人の女性がやって来る。見た目は人間族であり、特級神官の衣を羽織っていた。特級……ユグドラーシルを祀る神官の最上位階級であり、大樹教教徒数億人の中で、十五人しか存在しない。


「ママ。ラタトスクがね、下界に降りようぜーって言うのー」

「何でもかんでもママに縋りやがって。おう、神官様よう。教育に良くないゾそういうの」

「まともに子供なんか育てた事ありませんでしょ、貴女」

「あ? まあ産んだら産みっぱなしだな。何せ生まれるのは神だから、手が掛からんし」

「貴女の子と一緒にしないで頂戴……ほら、エオ。浴葉宮に上がって、禊を済ませて」

「あれ冷たいから嫌ぁい」

「ワガママを言わないの。さあおいで」


 母に連れられ、大空中庭園ロストガーデンの真中に建てられた宮殿へと赴く。エオにとっては当たり前だが、一般的な宮殿と比べてしまうと、その理解不能な構造に、通常のニンゲンは混乱をきたすだろう。


 全体的に石造りだが、そもそもが何の鉱石で出来ているのか不明であり、角度によって透けたり、光が反射したりと忙しない。ユグドラーシルの細い枝がその構造体に絡みつき、形を支えていた。


 宮殿内の沐浴場に入ると、中では女性神官達は準備を済ませて待っている。服を脱がされ、その池のような湯舟に浸かり、身体を隅々まで洗い流される。


「どうです、娘は」

「はい。将来は、大樹教を象徴とするような、ふくよかな女性になりましょう」

「そうでしょう、そうでしょう」

「ママ、なにー?」

「エオは立派になるという事です。今日は『彼』がいらしていますから、ちゃんとご挨拶なさいね」

「はぁい」


 真っ白な子供用の儀式服を着せられ、母に手を引かれ祭事場へと向かう。祭事場は空まで吹き抜けになっており、光が神々しくも室内へ降り注いでいた。その光の中央に祭壇があり、王座が三つ並んでいる。左からヴァーベル、ミドガルズオルム、ファブニール用のものである。


 当然竜の『真体』では収まりきらない。ニンゲンとコミュニケーションを取る為に形作った分身が座るものである。


 今日は随分とヒトが多い。自分と似たような恰好の者達が沢山見受けられた。母が入室すると、全員が頭を垂れる。


「ママ。パパは?」

「パパは、おめめの病が、少し悪くなって来ているから、今日はお休み」

「パパ、大丈夫かな……」

「大丈夫よ……さ、前を向いて。皆様もそのまま。もういらっしゃいますから」


 母がそのように言うと、王座の中央に光の粒が集まり始める。それはやがてヒトの形となり、十代の少年を思わせる出で立ちとなった。神官達が低い姿勢のまま近づき、装飾の施された立派な服を着せ、王冠を被せる。


「エオ、何ともない?」

「なにが?」

「……そうよねえ」


 エオはその姿を見てもなんとも思わないが、少年の姿を認めた数人が、昏倒して地面に突っ伏した。また、自分と同じくらいの年頃の子も、前後不覚でフラフラとしている。


「ふうん。少し強めに顕現したのだけれど。その子は?」

「娘に御座います、ミドガルズオルム様」

「お前の子かあ。やあ、お嬢さん」

「こんにちは。エオだよ。もしかして、偉いヒト?」

「まあそこそこだよ。少し触れてみても良いかな」


 その言葉に、周囲の者達が動揺する。

 神官達は震え、巫女達は顔を伏せ、親族一同は驚愕の表情で完全停止していた。


「握手? はい」

「うん。柔らかい手だ。名をあげよう。"ヨトゥン"が良い」

「――!! ミドガルズオルム様!! そ、その名は!」

「そう興奮するな。しかし発育もよい娘だね。まあお前の子だ。どうするつもり?」

「……は、はい。ゆくゆくは――戦斎女レイヴスラシルとして。役目の後は、わたくしの補佐に」

「妥当かな。少し強すぎる。政治に出し過ぎては、正妻の子等が憎むだろうさ」

「はい」

「少し抑えた方が良い。それなら下界にも降りられる。友達を作ると良い」

「城下町に降りて良いのー?」

「いいよ。あまり箱入りにするなよ」

「は……か、畏まりました」


「よろしい。家族が増えるのは嬉しい事さ。大樹の輩に永久の繁栄と繁殖を。お前達もくだらない事を考えていないで、家族を増やしなさい。特権を意識して少数で閉じ籠る事に何の意味もない。広め、拡がり、増えて、笑え。大樹とはその為にある」


 表情の読み取れない顔で言って、少年は王座に腰掛ける。エオはその手に感じる熱さを不思議に思い、掌を見つめていた。なんとも言えない感覚だ。


「で、十全のお嬢様は?」

「はっ。南方侵攻にひと段落を付けた様子です。近頃は、どうやら……その」

「なんだ、ハッキリ言え」

「数万年ぶりに、恋をしたとか」


「ふっ。ぶっ、ふふっ。うん、ふふふっ。はははっ。あの子はまったく。とんだお嬢様だな。まだそんな事を繰り返しているのか。熱心な事だねえ。いやいや、その繁殖欲は賞賛に値するよ。大樹の子として最も正しいと言える。エオ」


「はーい?」


「沢山恋をしなさい。沢山愛を育みなさい。素敵なヒトを見つけなさい。極東の龍なんかに負けてはいけないよ。僕の送った名を伊達にしてはいけない」


「? はーい!」

「下がって良いよ。お前も娘と遊んでやりなさい」

「しかし」

「所詮定例報告だよ。お前の出番じゃあない」

「はい」


 エオ達が下がると、ミドガルズオルムの分身は神官達と話を交え始める。名前も分かるし、それがどれだけ偉大な存在であるか理解もしているが、エオに動揺はない。母はそんなエオの姿を見て、小さく溜息を吐いた。


「わたくしの子であるのだから、間違いはないと踏んでお目通りさせていただいたけれど……それにしても肝が据わり過ぎていて、恐ろしい程です、エオ」


「手があっつい」


「竜に触れて頂いたのですから、そういう事もあるでしょう。名まで頂くなんて……貴方と同い年ぐらいの子もいたでしょう。あの子ですらああなるのだから」


「偉いヒトに、へんにおびえるのも、失礼だと思ったから」


「うーん完璧……ますます正妻等の目が痛いわ……貴女には何の咎も無いのに」

「産まれは選べないって」

「子供の発言ではありません」

「本に書いてあったからー」


「しかも賢い。あげく可愛い。はー、女帝が認められる国ならばねえ……とはいえ、貴女にはしっかりとしたポジションを用意しますから、沢山勉強してくださいね」


「外に出ても良いって!」

「ええ。その為に、色々と施さなければならない事があります。さ、お部屋へ行きましょう、エオ」

「うん!」


「今日から三日間はミドガルズオルム様との会談に時間を取っていたのだけれど……もういい、とおっしゃられていたので、お休みです。何か、読んで欲しい本などはありますか?」


「部屋と図書館の本は全部読んじゃった」

「――なる、ほど? でも、とても子供に読める本ではないと、思うのだけれど」

「そうなの?」

「古代語の本も沢山あったでしょう」

「辞書を全部覚えてから読んだの」

「わあ、わたくしの娘すごーい……って、禁制歴史書も、魔導書関連も!?」

「覚えてるけどー」

「ひえ」


「『格納』したよ。頭の中をね、幾つかに分割してね、まだ要らないかなーって知識を、別個に保存しておくの。魔法って、知識だけじゃダメなんでしょー?」


「く、訓練が必要になりますからねえ……」

「あ、でも見ていて、ママ! お気に入りの魔法を、ひとつだけ、取り出しておいたの!」


 そういって宮殿を飛び出し、エオは空に向かって手を伸ばす。


「"我が腕より出でよ""大樹の如き煌めきは、数多の命の焔より齎されん""世の理は竜の言の葉""世の法は竜が望み""暗雲の中に降り注ぐ一条の光をもちて""ヒトの世に光明を""神の世に創造を"『大樹旭光ユグドラーシル一条黎明スフィアライト』」


 極大の外在魔力マナ集積が起きる。大樹を取り巻いていた外在魔力マナの輝きの幾つかが、エオの外在魔力マナとして書き換えられ、塗り替えられ、取り込まれて行く。


「放て」


 エオの手に集められた光が一直線に光線となって放たれた。浮島を保護する結界を……一部ぶち破る。結果はじけて散った結界の残留魔力が、虹のような輝きと共に降って来た。


 キラキラと舞い散る残留魔力の中を、エオが笑いながら駆け回る。


「――貴女――なんて……事を……」

「あははっ、ママ! ほら、綺麗! キラキラして、お昼なのに、夜空みたい!」

「ば、ばばば……」

「ば?」


「馬鹿みたいに凄いわウチの子ぉ……すごぉい……」

「エオ凄い?」


「凄いわ! 七歳で八項魔法ぶっ放すニンゲンなんて存在する訳ないじゃなーい! すごーい! てんさーい! 流石わたくしの子ー! やだー! パパに褒めて貰いましょうね!」


「やったー!」

「どどどどど、どうされましたか!? 今、けけ、結界の一部が崩壊したのですが!?」

「あら、警備兵。お気になさらず。娘が天才すぎただけでしてよ、オホホ」

「え、ええ……」


 母に縋る。そのまま抱き上げられ、キスをされる。確かに、少し退屈な場所ではあるが……暖かく、柔らかく、優しい母と過ごす日々は、エオにとって幸福なものであっただろう。


「しかし、ここはその……浴葉宮でして……」

「あ、そうでしたわ。わたくしの顔が分からない」

「え、ええと……申し訳御座いませんが……」

「では、はい」


 そういって、母は警備兵に腕を見せる。

 それを見た警備兵は、そのまま地面に頭を突っ伏した。


「お許しを……」

「いいえ。お仕事ですもの。今まで通り励みますよう。あ、他言無用に」

「は、ははぁ」

「エオ。行きましょう」

「はーい! 警備さん、頑張ってね」

「も、勿論に御座います、お嬢様……」


 ここに、エオを害するものはない。そんな命知らずは存在しない。


 ここには大樹教的寛容と、大樹教的秩序のみが存在する。エオという少女は『大樹教として』ほぼ最上位であり、これを見下すものは存在しないし、許されもしない。




 故に――




「……――エオ・シャティオン。です」

「えー、どこの子ー?」

「シャティオンって家、知ってる?」

「しらなぁい」

「ママが言っていたわ。そういう子は、どこかの妾の子なんですって!」

「――……」


 あれほど憧れた外なのに。あれほど楽しみにしていた外なのに。


 聖モリアッド修道学院――

 ここには、同い年の子が沢山いるのに、エオという少女は、身分の知れない、身元の知れない、不貞の子という、不当な扱いを受ける事になった。


 名乗れるわけがないのだ。全てを名乗った瞬間に、全部が壊れてしまう。

 

 母も父も最後まで抵抗してくれた。しかし、エオという少女の持つ、あまりにも強大な背景は……正妻の子等にとって、危険極まりないものでしかない。


 苦渋の決断の結果に、今が有る。


 ここでは孤独と、本だけが友人であった。誰にも説明出来ない、誰にも理解されない天稟は、薄暗い世界で成熟して行く。擬態はしよう。偽る事もしよう。本心など明かすまい。


 だが、お前達は、貴様等は、有象無象の貴族如きの子供でしかないのだ。

 大帝国の枝葉でしかないのだ。

 気安く触れてくれるな。


「――白馬の騎士の物語」


 日々を消耗し、日々を潰して行く中で、必要になるのは知識だけだ。学術書を読み漁り、専門書を網羅して行くと、膨大な蔵書量を誇った図書館はしかし、あっという間に平らげられた。余っているものは、フィクションばかりだ。


 小説など何が面白いのか。そこに現実など在りはしないのに。


 しかし手慰みに掴み取ったその本は、エオにとって衝撃的であった。そのあとも沢山のフィクションに触れ、比較するだけの知識を身に着ける。比較すればするほどに、実に出来が悪いこの『白馬の騎士の物語』だったが、それでもエオを離す事はなかった。


 囚われたお姫様を、一人の騎士が救いに行くだけの話である。絵本にすれば数頁で終わるような物語が、何百枚もの紙に薄められて印刷されている。だがそこには、無限の可能性があるように思えたのだ。


 無駄に出て来る登場人物ひとりひとりの背景を想像して読むだけで一日が終わる。

 何よりも気に入ったのが、やはり主人公である。


 大して裏付けがある訳でもないのに、やたらに強く、やたらにヒトに好かれ、やたらと勇敢だ。そこに理由は必要無いのかもしれない。彼、という存在は、エオの中で日に日に大きくなって行く。知識も知恵もあれど、その心はやはり、まだ子供だったのだろう。


 いつしか、この囚われた姫君を救ったような騎士が、自分にも――やってくるのではないかと……そのような夢想で、日々を食い潰して行く。


「誰よりも強くて、美しくて、勇敢な男性……いないいない。そんなのいる訳ないんですよねえ。いたとしても、そんな優良物件とっくに唾付きですよねえ。はあ……」



 そんな夢想少女が、白馬には乗っていないし、死にかけだったし、多少口が五月蠅いものの、やたらと顔が良くて、やたらと強くて、やたらとモテて、やたらと勇敢な男に出会うのは、もう少し、先の話であった。



続きは少し待ってね

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