最上位最強種なのにどうして中間管理職なんですか2
リズマン伯爵領。大帝国南東部にある領地で、大した大きさはない。初代リズマン伯は三〇〇年前、西真夜騒動で武功を上げた後、扶桑との橋渡しに尽力、これを認められて爵位を与えられた。
西真夜。つまりヨージ・衣笠の出身地に隣接しているのが、この領地である。
大きな土地ではないものの、西真夜を相手に商売をしており、その懐具合は悪くないと見える。フィアレスは西真夜産のグリーンティを啜りながら、案内された客間に目をやる。
調度品が扶桑趣味である為、かなりエキゾチックな雰囲気がある。西真夜の更に東、無主地の伝統民族の民芸品なども見て取れる。大帝国の東と西では距離があり過ぎる為、同じ国と言ってもその文化的な装いが異なる為だろう、大帝国の貴族、という空気はあまりない。
「ようこそおいでくださいました、フィアレス竜精公。リズマンに御座います……今日は、扶桑風の出で立ちでいらっしゃる」
「ええ、西真夜も近いですし。ああ、そうそう。お忙しい所、失礼しますわ」
「トンデモ御座いません。私など自室でソロバンを弾くだけが仕事のような男です、いつお出でくださっても構いませんとも」
「それは良かった。領地経営、順調ですのね」
「はい。小さい土地ながらに努力させて頂いております。大樹から遠い遠い場所にあっても、大樹の威光に陰りは御座いません」
「幾つか」
「何なりと」
「西真夜で、何か動きなどは有りましたかしら」
「いいえ、私の耳には何も届いておりません。大樹教布教に関してでしたら、先日も二人、教導師を西真夜に送った所です。これに関しては、多少、芳しくありません」
「女皇の人気に衰え無し、と」
「あの龍は本当に異質です。分裂し、あちらにもこちらにも、彼女の分身がいる。当然西真夜にも。彼女は彼女の威光を余す事無く、国民に伝える術を持っている」
リズマンの仕事は西真夜相手の貿易もあるが、それ以上に軍事防衛線守護者であり、かつ、宗教戦争の矢面引き受け人でもある。並大抵の領主では潰れてしまうような仕事を、この男は室内から指示を飛ばすだけで合格点をたたき出す。大変有能な領主である。
これがどこぞの小国相手ならば、この男一人で何もかも済むだろう。
が、相手が悪い。
隣の西真夜には龍が居る。いや……扶桑の土地ならば、どこにでも、あの女がいるのだ。
皇龍樹道の祖であり、扶桑国の祖であり、国民の母であるあの女は、常にどこにでも、いつでも、存在し得る。国民は『我等が龍は常にご壮健、ご健在である』という安心感の中に居るのだ。
これを突破するだけの信仰心を、大樹教は持ちえない。
対して西真夜は来るもの拒まずだ。西真夜という移民区一つ(とはいえ小国家規模の大きさだが)に数多の宗教が犇めいているが、それでも九割の国民が、皇龍樹道教徒である。
あまりにも強い。強すぎる。
「あの女は、結局のところ我々竜精が滅ぼすべき敵ですわ。リズマン伯の落ち度ではありませんことよ」
「そういって頂けると……」
「東部統括局は貴殿の働きに大変満足していますわ。お望みがあれば、一つ叶えましょう」
「有難き幸せ」
有能な者には、しっかりと褒美を取らせるべきだ。調整役として、布教者として尽力するこの男と教徒達には、報いるのが正しい道である。
「では、フィアレス竜精公の名を冠する聖堂を建立する許可を頂けませんでしょうか」
「許可だけで良いのかしら」
「はい。私は――ええ、その。負けず嫌いでして。なんとしても、私の代で隣国西真夜の大樹教教徒を増やしたい。そうなるとやはり、向こうからも観光に来て頂くのが良いでしょう。目玉となる荘厳な聖堂を、西真夜の人々にお見せ出来ればと、考えています」
「見上げた信仰心ですわね、リズマン伯」
「私欲に。これは男としての意地に御座います、竜精公」
「承りましたわ。これは大樹教としての戦略にもかかりますから、統括庁と相談の上で、後程報告差し上げます。貴殿は正しき大樹教徒です。大樹の繁栄を我等と共に」
「ははあっ」
リズマンが平伏する。これだけ熱心な男は首都でも見ない。
「街道の整備などで出費する場合も、こちらに申請して構いません」
「それは、頂きすぎかと」
「……リズマン伯、わたくしには分かりますわ」
「はて、なんでしょう」
「貴殿は……領地整備オタク」
「……――あ、あはは! あははは! いや、はや!」
「ふふふっ。まあ、結果国が良くなるならば、それに越した事はありません。個人の褒美よりも、領地整備のお金が浮く方が嬉しいでしょう」
「有難う御座います。では直ぐにでも、街道整備費用の試算をば」
街と道の整備の話になると、この男は実に嬉しそうだ。どうやって聖堂が映える街づくりをするか、どうやって領民や観光客を導く道筋を作るか、などといった事が、頭に渦巻いているだろう。確かに、彼の私欲であるが、好都合なので止める事はしない。大樹教は信仰と布教の為に、金銭など惜しまないのだ。
「ああそうでした、リズマン伯」
「はい」
「わたくし、これからガジルの街へ向かいますわ」
「ガジル。最近街神が入れ替わりましたな」
「ええ。その神……というか、信徒が多少問題有り、と判断されましたの」
「お手を煩わせて申し訳ない」
「いいえ。神とは不確定なもの。ニンゲンでは対処しきれない事が多い。故に、わたくし達竜精が手を下しますわ。状況によっては……」
「理解しております」
「……ヒトには配慮しましょう。ただ、土地は保証しません」
「寛大な対応、感謝いたします」
「お話は以上です。公務に戻ってくださいまし」
「はっ」
話はついた。リズマンは優秀であり、そして『妥当』である。彼は余計な事など言わない。自分が領主であり、大樹教の教徒であり、そして自分の目の前にいる存在が、ニンゲンではどうしようもない者である事を、重々承知している妥当なニンゲンだ。
竜精がわざわざ足を運んだ時点で、彼はある程度予測していただろう。
ただし、彼は幸運だ。フィアレスは他の竜精と違い、面倒くさいからと土地を丸ごと吹き飛ばす真似はしない。土地は保証しない、というのは脅し文句でしかないものだ。
が、竜精が動いた結果に齎される多大な影響だけは、拭えるものではない。
グリーンティを飲み干し、部屋の端にある姿見で自身の姿を検める。
以前化けた姿……豊御霊に近い装いだ。竜精そのものの直視は、心の弱い人間の精神を破壊する恐れるがある為、外へ出る場合は必ず魔力で肉を纏う。
ニンゲンの扱う魔力ではない為、まず感知出来るものではない。あらゆる姿にカタチを変えられるが、ガワだけである。中身はそのままだ。竜精は最初に決められた形を変える事は出来ない。
「土地は保証しないと言いましたけど、土地を吹き飛ばした方が、整備オタクには良いのかしら」
流石に、今回はそのような荒事は必要ないだろうが……何が起こるか分からないのが、神の起こすいざこざである。
フィアレスは客間のバルコニーに出て翼を広げ飛び立ち、そのままガジルへと向かう。
裸なら一法分で着くだろうが、魔力の肉を纏っているので配慮する。
およそ七法分後、目的の街が見えて来た。
まずは上空から様子を窺う。
通常の視点では、何の変哲もない大帝国様式の街並みだ。木組みに青い瓦。壁はモルタルで全体的に白が多いのが特徴だ。レンガの道も流石リズマンの手腕か、隙間なく、無駄なく敷き詰められ、道行く人々の足を取るような事も無いだろう。
街も中腹に差し掛かる。こちらは宗教施設などが密集している区画である。古代様式の土色の壁に平たい屋根の大樹教教会が目に入った。
「……はあ」
が、その古式ゆかしい歴史的建造物である大樹教教会が、ピンク色に装飾されている。
竜と大樹の紋章にはピンク色の花輪がかけられ、教会周辺にはピンク色の万国旗のような短い垂れ幕が幾つも引かれている。
そして更に目を引くのが、教会の脇、庭園に、何やら舞台が設置されていた。
当然ピンク色である。樹石結晶の照明装置もわざわざ桃色のものを選んで拵えたのか、ピンク色でピカピカしていた。
フィアレスは、頭を抱える。あの領地整備オタクが見たら、まず間違いなく激怒だろう。
フィアレスとしては……判断に困る所だ。
これで大樹教を敬っていないならば即断罪、神は即刻退去か即死して貰う他無いが、敬っている場合『地方特色』として処理する他無いからである。
大樹教はその性質上特色豊かであるからして『これこそが、我々の大樹と竜への敬意なのだ(上納金もしっかり払っております)』となると、強く出れない。
話を聞く必要があるだろう。しかしその場合、どういう形で接触したものだろうか。
竜精が来ましたよ、と出て行っては、皆畏まってしまうし、見せたくない部分を隠すだろう。となると距離感がある程度離れていて、かつ教会に紛れ込んでも可笑しくない存在が正解だ。
旅の修道女、ぐらいが妥当だろう。それならば知らない事を街人に聞いても不思議がられない。
さっそく物陰に降り立ち、衣装を変える。黒色多めの修道服。教会勤めである場合は白が基調であるが、旅の修道女はどうしても汚れが多くなるので、目立たないよう黒を基調とする。動き易くする為、スリットが大きく開いているのも特徴的だ。
それが扇情的に見えると大変人気である。
なお、当然大樹教なので、別に扇情的でも良い。下品でなければ、だが。
ウィンプルをどうするか……と考え、被る事にした。軽量で、後ろ髪が隠れないタイプだ。
「これで良いかしら……ええ、良いわね、わたくし」
と、ここで気が付く。旅の修道女なのに手ぶらは不味い。大き目の革鞄に儀式一切の道具や着替えなどを詰め込むのが一般的だ。これは魔力で編み難いので……取り寄せる事にする。
「"我欲する""洞を辿りて祈手へ、欲する形を顕現せしめよ"」
二項変形。無属性。遠くの物を自身に手繰り寄せる魔法だ。文言こそ短いが、ニンゲンが簡単に詠唱出来るものではない。何せ物質転移だ。高位術者でも対価を支払ったうえで二日かかる。二日あるなら、自分から取りに行った方が良いだろう。
「旅用鞄……ま、こんなものでしょう」
以前使ったものがそのまま入っているもの、である。やっている事は超常的だが、中身がズボラだ。あまりこだわっていない、とも言える。
そも、竜精が本格的に悩む事など、そう多くは無いのだから。
「ではまず……宿ですわね。あと、現地の名物グルメ……」
『ミドガルズオルム竜の娘と比べると、ファブニール竜の娘はみんな、なんかニンゲン臭い』とは、よく言われている。これを侮蔑だとして、態度では怒るが、実際自分でもそう思っている。
「さて」
路地を出て市街を見渡す。何の変哲もない、大帝国の地方都市だ。住人も、扶桑(西真夜)と交流がある為か、ファッションに多少の違いは見受けられるものの、変という程でも無い。
「あら」
しかしよく見てみると、道行くヒトの三人に一人は、何かしらピンク色のものを身に着けているのが分かる。リボンであったり、帽子であったり、ブローチであったり、形は様々だが、ピンク色だ。
それがこの街の宗教信徒としてのアイデンティティなのだろう。
良くある話だ、フィアレスとしても、それについては何も言及する事は無い。
「イスカ、エスカ」
「ごきげん」「うるわしゅう」
商店街の入口付近で、随分と着飾った女性が二人、立っている。フリルをふんだんにあしらった衣装は、こんな田舎ではかなり目立つ。調査へ入れていた双子神だ。
イスカは白基調、エスカは黒基調である。
「変わりは」
「あり」「ません」
「わたくしが入ります。貴女達はサポートに」
「何か」「御所望は?」
「……日用品を買い揃えておいてくださいましな。命令は追って出しますから」
「了」「解」
二柱が頭を下げて商店街へと消えて行く。あれだけ目立つ格好でも、住人達は気にする風もない。彼女達は常時認識阻害の魔法を纏っている為だ。これを見破るとなると、かなり高位の魔力探知か、特殊な目が必要になる。
大樹教東部統括局諜報課のイスカとエスカ。フィアレスが一番信用する二柱である。若い少女の見た目であっても、既に三千年は生きている。その精神性は常に不動であり、古の神を思い起こさせるものだ。
「御免くださいまし」
「はい、いらっしゃい」
「一週間ほど滞在したいのですけれど、部屋に空きは有りますかしら」
「ああ、これは、旅の修道女様ですか」
「はい」
「ようこそいらっしゃいました。大樹教関係者様でしたら、身分証明出来るものがありましたら、割引などをさせていただいております」
「まあ、それはそれは。ではこちらを」
商店街を入って直ぐにあった宿に入る。フィアレスはあまり、自身の寝床に興味が無い。何せ自分の住処……竜聖殿すら、何もない有様だ。それに寝る、という行動そのものも必然ではない為、宿を取るのはニンゲンの姿を偽装し、荷物を置く場所を確保する為だ。
身分証明書(当然ながら、内容が嘘でも、正式なもの)を提示する。修道女の姿を取る場合に用いるものだ。導者(大樹教における神官、巫女、修道女、僧侶の総称)等級は二級であり、一般的な修道女よりは高い。
「二等級! いや、ご立派な方がいらしたものです。一週間ですと、一人部屋夕食付で新小銅貨で二一枚、旧大真鍮銭で七枚いただいております。ああ、扶桑の『甲』も使えます」
現在大帝国は貨幣の刷新に努めている。大きな都市ではまだまだ旧貨幣の流通量が多いものの、こういった小さい都市では新貨幣も広がりが早い。それに、あの領主が新しいもの好きという事も、理由に挙げられるだろう。
扶桑の通貨も使用可能という辺り、土地柄を感じる。アチラは『甲乙丙丁』で価値が違い、総称として甲と呼ぶ。甲乙は紙幣、丙丁は硬貨だ。貨幣価値が『女皇陛下』の名の下に保証されているという通貨制度でもある。
あの女がゆるぎなく存在しており、貨幣は常にあの女による施しに交換可能である、という価値を利用した制度である事を考えると、それはそれで賢いのかもしれない。あの女は気分屋と聞くが、人々の生活を乱すような事は絶対しないのだ。
「あら、手持ちが。こちらで宜しいかしら」
そういって、フィアレスは宝石を一つ、カウンターに置く。初老の男性は目を見開いて、片眼鏡をかけて宝石を睨む。
「やや、修道女様。これは多すぎます。換金でしたら、換金所がございますから」
「では、一番良い部屋を案内してくださいまし」
「ぬう、当方では多すぎます。一番良い部屋でも、一年滞在程になりますが」
「……試すような真似をしてごめんなさいね。貴方はとても誠実で、優しい方。大樹教の道徳心を忘れない、素晴らしい方です。それは取っておいてくださいまし。貴方の誠実さは、領主にもお伝えしておきます。遠くなく、領主が改装費用などを捻出してくださるでしょう」
「あ、こ、こりゃ……畏まりました。お部屋にご案内いたします」
「はい、宜しくお願いしますわ」
卑しいニンゲンならばそれはそれで良かったのだが、店主はどうにも律儀なようだ。
卑しい者ならば、あの女は金を持っていると言いふらすだろう。そうなれば大樹教に盾突く有象無象の馬鹿を処理出来て素晴らしい。何よりも宣伝になる。
フィアレスはお忍びと言っても、大人しくしているつもりは無い。目立てば目立つ程情報は簡単に集まるからだ。ビグ村でもそのような意図があり、村神立候補などをした。
ただ、彼は善良な様子だ。それはそれで、大樹教の教えが生きている事を示しているので、竜精としては心地が良い。
そう。竜精は意図的にニンゲンを害する気持ちなど持ち合わせていない。
すべては大樹と竜がこの世界を静かに見守る為に必要なものを揃える為に居る。
基本的には、ニンゲンの味方なのである。
ただ――どうしても、馬鹿はいるし、逸脱するものも居る。
そういったものに、竜罰を下すのが、自分達竜精の仕事だ。
「遅く戻る事もあるかと思いますけれど」
「はい、では深夜でしたら、裏の通用口をご利用ください。ご用事がありましたら、そちらの呼び鈴を。伝声菅を伝って呼び鈴が従業員控室に聴こえますので」
「ええ、分かりましたわ。有難うございます」
「では、ごゆっくりどうぞ、修道女様」
店主が頭を下げて退出する。部屋は可もなく不可もなく。荷物が置ければそれで良かったが……最上階なので、街が良く見通せる。
建物はなかなかに立派であるし、ヒトも多い。田舎の街とは思えないのは流石である。
「さあ、お仕事お仕事……早く片付けて、あのヒトを追わないと」
面倒な仕事ではあるが、これを終えずに『彼』の監視になど付けない。ミーティムに任せてしまったら『神様? ああ、面倒くさいから殺した』などと言われかねない。
もしかしたら……竜精としては、それが正しいのかもしれないが、フィアレスはなるべく荒立てたくなかった。ヒトなど塵芥、神など有象無象……そう考える頭も、有る事には有るが、自分の奥底で、何かが『それは違うのではないか』と問いかける。
「……ご飯食べましょ」
移動用の小さい鞄に荷物を幾つか入れ替える。
正しさなど、それこそ竜とて知りはしないのだ。だからこそ、竜は何度も、世界を壊しては、作り直したに違いない。故に、竜精如きで分かり得る事など、限られているに違いなかった。
自分をそう納得させ、フィアレスは外へと赴いた。




