書き方にもルールがある
「NJとは自然演繹の一つじゃ
自然演繹とは、推論を形式化、つまり完全なルールとして定めたものじゃな」
「ルール?」
「例えばZFC公理系じゃ
ZFC公理系とは理論の出発点、外延性の公理、空集合の公理、対の公理、和集合の公理、無限公理、冪集合公理、置換公理、正則性公理、選択公理の計9個をまとめたものじゃな
ZFC公理系から選択公理を除いてZF公理系と言うこともある
そして、このZFC公理系は、一階述語論理という書き方のルールによって表現されておる
日本語や英語で書くと、理解に齟齬が生じるやもしれん、そこで書き方のルールまで定めて出来るだけ普遍的にしたんじゃな
数学はそこで留まらず、ZFC公理系から定理を導くということすらルールにしたんじゃよ
それが自然演繹、いわゆる推論規則を定めたものじゃ
公理と推論規則の違いは、それ自体が真偽を持つかによって変わる
公理は一階述語論理に基づいた論理式で書かれていて、論理式は真偽を持つ
だが、先に言ったように公理は理論の出発点としたいので、真だと決めつけるわけじゃな
対して推論規則は真偽を持たない、むしろ公理や定理Aから定理Bが真であることを示すための方法ってところじゃ
ちなみに、人によっては公理系に推論規則を含むとか、意味が変わることもあるから気を付けた方が良いぞ」
……なるほど、そりゃガルバも困惑するわ。
俺のシッディが分かりやすいものでよかった。
「さて、その自然演繹にはNKとNJがあるんじゃが、その二つの大きな違いは公理があるかないか
NKには推論規則の他に排中律という公理があり、NJはNKから排中律を除いた残りの推論規則が集まっている
古典論理と呼ばれる立場では排中律を認め、直感主義論理の立場では排中律を認めんから、自然演繹もそれに合わせて分かれてしまったのじゃよ
排中律とは、論理式をφと名付けると、必ずφ∨¬φが成り立つというもの
例えば、√2は無理数かという証明で、√2は有理数だと仮定して矛盾を導く背理法というものを使うが、これは√2が有理数か有理数でないかという排中律を裏で認めてたことになるんじゃな」
「つまり、ガルバは公理を操作することは出来ないが推論規則は操作出来る、だからNKではなくNJを操るってことか」
「そういうことじゃ
当然、推論規則によって推論された今の数学の大半は否定される、当然シッディもな」
分かったような分からんような、とりあえずヒントになるかもしれないし覚えておこう。
「さて、話は変わって、これがワシ直々の許可書じゃ
これを持っていけば通してくれるじゃろ」
「何から何までありがとう、ジャンヌ様」
「き、気にするでない!ワシはお前に戦争を止めてもらうことを期待してるだけじゃ!」
ジャンヌ様の許可書を持って、再び学園に戻り、受付に渡すと、広々とした部屋に連れていかれ、待たされることとなった。
ガチャ、とドアが開くと、そこには60代くらいの大男が立っている。
「君が空か!いやーよく来たね!」
「え、あ、はい」
そういえば前世にこういうテンションの高いおじさんいたな。
正直まるで着いていけない。
「さて、ジャンヌに許可書を書かせるぐらいだ
ここに書かれている、過去に戻してほしいというのも、訳ありかな?」
「はい、ある人が死ぬ未来を変えたいんです」
「あー、よくいるんだよね、死んだ人を生き返らせたいって尋ねてくるのが
でも、そうやってぽんぽん生き返らせていたら、この地球はあっという間に埋まっちゃう
運命は受け入れるべきだよ」
確かに、この人の言うことも最もだと思う。
死んだ人は死んだままにしたほうが良いかもしれない。
でも……




