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作者: コモン

温めていたネタがそろそろ始まりそうなテレビの某有名ヒーローとかぶっちゃったので、短編という形で無理やり上げました。その結果、「壮大に何も始まらない」に……。

 こつ、こつと窓が外から叩かれる音がした。その音で二之島(にのしま)()(ひろ)は目を覚ます。

 目を開くと夜闇の青に染まった自室の壁と天井、丸い月の昇っている夜空とを見る事が出来た。開け放したカーテンが網戸越しに部屋から流れる夜風で軽く揺れている。肌を撫でるその夜風は心地の良いだったが、目にしたものに気付いた瞬間、彼の背筋はさっと冷えた。

 窓ガラスの向こうから、部屋を覗いている目がある。猫くらいの大きさの影が、そこにいた。

 その目を見つめたまま起き上がれずにいる彼に、目の主が口を開く。

「初めまして、ミヒロ。僕はマルタン」

 よく通る、少年のような声だった。声を上げられずにいる美裕に、マルタンと名乗った影は言う。

「ああ、怖がらないで。取って食おうって訳じゃないよ。どうしても、君に頼みたい事があるんだ。……網戸、開けていい?」

 美裕は呆けたように口を半開きにしたまま、黙ってこれに頷く。了解を得たマルタンは、前足を網戸にかけ、網を破らないように器用に爪をひっかけて網戸を開けた。器用な真似をして美裕の膝の元に降りたその猫は、よく見れば猫ではない。その生き物をよく見ようと、美裕は上半身を起こして相手を見下ろした。

 身体の割に大きな頭にはどんぐりの実に付いている傘を思わせる帽子をかぶっており、その帽子に開けられた穴から二本、ウサギのような長い耳が垂れ下がっている。丸い両目は緑色の光を湛えており、犬の尾に似た反り返った尻尾はゆっくりと左右に揺られていた。美裕は今までにこんな珍妙な生物を見たことがなく、思わず尋ねる。

「ええと、何の用?」

「おや、驚かないんだね」

「驚いてるよ。でももう夜中だし、騒いだら近所迷惑になっちゃうし……」

「妙に気の回る子だね」

 マルタンは半ば呆れたように呟いて目を細めた。

「まあいいや。どうしても君に頼みたい事があって来たんだ。聞いてくれるかな?」

 美裕は黙ってこれに頷いた。

「信じられないかもしれないけど、今人類に大きな危機が迫っているんだ。このままでは人が人でいられなくなる日が来る。だからお願い、君の力を僕に貸してよ!」

 美裕には初めて見るマルタンの表情の違いは分からない。言っている事も突飛で、具体的な内容は分からない。それでも、その声の真剣さからマルタンが嘘や悪ふざけを口にしていない事だけは伝わった。

「う、ううん……」

「もちろん、戸惑うのは分かるよ。でも、君にしかできない事なんだ」

 マルタンはなおも懇願する。丸い瞳でじっと見つめられ、美裕は言うべき言葉に迷っていた。嫌だ、とも言えず、かといって分かった、とも言えずにいる彼の様子に、マルタンは怪訝そうに首を傾げる。

「どうしたの?何か事情があるのかい?」

「どうしても僕じゃないと駄目なの?」

 美裕が聞くと、マルタンは間髪入れずにそうさ、と頷いた。

「君にしか、僕の求める適正が無いんだ。見返りなら、可能な限り君の要望に応えるつもりだから安心して」

「ううん……」

 なおも渋る美裕に、焦れたのかマルタンがやや声を張る。

「イエスもノーも言えないの?重大な問題なんだ、はっきりしてよ」

「ご、ごめん。どうしてもって言うなら、僕も断れないよ。でもね……」

「でも、何だい?」

 答えを急かすマルタン。言い渋っていた美裕だったが、やがて申し訳なさそうにこう言った。

「先約があるんだ」

「……、え?」


 二之島美裕とマルタンは、息を切らせながら先を急いでいた。彼等の傍を多くの人々が通り過ぎて行く。すれ違う人ばかりで、美裕達と同じ方向へ向かう者は一人もいない。人々には目もくれず走り、やがて美裕とマルタンは、屋外に開かれたショッピングモールのフードコートの真ん中が見える位置に着き、目当ての存在を視界に収めた。

 悲鳴の飛び交うそのフードコートの人ごみの中心に、異質なものがいた。

 晴天の陽光を受けて輝く、棘だらけの暗灰色の大きな甲羅。それを背負うのは、太く長い四肢を持つ2メートル以上の人型の巨体だ。甲羅と同じく暗灰色の鱗に全身を覆っており、長い首の先に付いた頭部は亀に似ている。

「舗装なんか邪魔だろうが!」

 亀が野太い声を上げ、丸太のような腕で石畳を叩いた。途端、バキンと一際大きな音を立てて石畳が割れ、大きくめくれ上がった。石の破片と土くれとが盛大に撒き散らかされ、フードコートのテーブルに設けられた傘や倒れた椅子、逃げ遅れた人々の頭上へと降り注ぐ。轟音と硬い礫の降りしきる音とが更なる悲鳴と混迷を呼ぶ。亀のような怪物はなおも喚きながら両腕で石の床を叩き砕き続けていた。

 惨状を間近で見て、美裕は思わず怪物の名を口にする。

鉱毒生物(アマルガム)……!」

「これは見過ごせないね」

 隣に四足で立つマルタンが不満げに呟いた。

 やがて亀は手を止めるとむき出しになった地面を見下ろしたまま口を開いた。亀の下顎の中で銀色の液体が湧き立ち、顎からだらだらと垂れ落ち始めた。水銀のようなその液体はとめどなく溢れ続け、地面に落ちてしみ込んでいく。亀は口からのその液体をぬぐわず、むしろこれが目的であるかのように口を大きく広げ、更に多量に地面に落としていった。

 惑い去る人々の姿が消えた頃、亀が長い首を持ち上げ美裕とマルタンに気付く。水銀のようなよだれを垂らすのをやめ、怪訝そうに長い首の先についた頭を捻った。

「ああ?何だお前ぇ」

 完全に美裕達を侮った態度に、美裕は表情を険しくする。そして制服の上着のポケットに手を入れ、そこから小さなものを取り出した。

 単一電池くらいの大きさの、円筒形のもの。その表面に並ぶ細い棒は格子のようであり、格子の奥に描かれているのは狼の横顔。

 それを見た瞬間、怪物は大きくたじろいた。

「す、スクロール!?って事は、まさか……!」

「そう。僕が相手だ!」

 美裕はシャツをわずかにまくり上げ、ベルトのバックル部を露わにした。

そのバックルは普通のものではない。鈍い鉄の色をしたそのバックルは横に細長く、右端には差しっぱなしの鍵のようなものがついている。そしてそのすぐ隣には、先ほど亀がスクロールと呼んだものが収まるような籠状の透明な部品があった。

 美裕はスクロールを持ち直し、バックルの籠にそれを装填した。滑り込むように入ったスクロールの狼の絵が動き、大きく牙を剥く。美裕は間髪入れず、バックルの鍵の部分に手をかけた。

「解錠!」

 鍵を捻ると同時に、バキンと錠の解ける音が上がった。籠の中でスクロールの表面を覆っていた格子が後方へと滑り込み、狼の顔が露わになる。

『ハウンド!』

 スクロールから、高らかに声が上がる。直後、ばちんと弾かれたような音を立てて狼の絵が消え、スクロールの側面から帯が飛び出し、バックルの左端まで横断した。バネで留められていた巻物が一瞬で引き伸ばされたかのような現象であり、紙面とでも言うべき場所に現れたのは、にじむような光を帯びた狼の全身だ。

不思議な現象が、続いて起こった。今にも駆け出しそうな姿で描かれたその狼がバックルの中で走り、立ち止まると、大きく声を上げたのだ。

 オオォォォオンッ!

 嘶いた狼は再び身を反らし足を伸ばし、ついに紙面を飛び出し、バックルから躍り出た。空中を跳ねるように、弾むように飛ぶ狼は自らを呼び出した美裕の周りを回る。

 美裕は狼に目もくれず、亀を見据えたまま軽く足を開くと、右肘を後方へ引き左手を前に突き出した。指は何かを掴むように緩めたまま、背筋を伸ばしてすう、と軽く息を吐く。

 狼が動き続けながらみるみる大きくなり、毛皮と筋肉で膨れたその体躯が美裕の体格を大きく超えた頃、美裕は両腕を入れ替え拳を作り、高らかに宣言した。

「重魂!」

 大きく腕を広げ、背後に回った巨体の狼に向けて背筋を張る。今や三メートルを超える巨躯となった狼が美裕を見下ろし、その背へ大きく跳び込んだ。

 どぅん、と大きく大気を叩くのに似た音が上がる。飛び込んだ巨躯は美裕の体に入り込み、彼の全身を燐光で満たした。美裕の体が一瞬で膨れ、シルエットを変える。背が伸び、筋肉で張り、頭部や肩、肘、膝に突起が生える。そして光が爆ぜるように失せた時、美裕の体はもはや少年のものではなかった。

 薄紫色を帯びた白い全身の各部には紫色の鎧が纏われており、膝や肘、肩には牙に似た突起が生えている。顔は大きく顎を開き牙を晒した狼のものに似ており、獣の口内には滑らかな面で構成された、飾り気のない仮面があった。後頭部からはぴんと伸びた獣の耳が先端を後方上に向けて伸びている。

 その姿に、亀は大きく動揺していた。悪い予感がまさに的中したかの如く、狼狽を露わにして二歩、そして三歩引く。

「や、やっぱりお前が……」

「そうだ!」

 野太い、男の声になった美裕が亀を指差し言い放った。

「大地を汚す貴様等を、地に生きる者は許しはしない!」

 誇りと自信に満ちた口上の後、大きく腰を落とし腕を広げ、高らかに美裕は名乗る。

「獣に倣う、地の勇士!ビーストレイサー!」

 裂帛の気迫、堂々たる勇姿。

 対峙する亀は震えあがった。しかし一方、離れた位置にいたマルタンは冷めた目で美裕、もといビーストレイサーを見ていた。

「毎度毎度、よくやるよ」

 呆れたような呟きは、ビーストレイサーにも亀にも聞こえていなかった。

 ビーストレイサーはマルタンには目もくれず、拳を固め亀へと走る。

「おおおぉぉぉぉ!」

 亀は迫る敵に怯んでいたが、すぐにやけになったのか大きく腕を振り上げ前へ出た。槌のような太い腕が敵の頭を砕こうと横へ弧を描く。

 ビーストレイサーは亀の間近で踏み込んだ足に力を込め、背を後ろへ大きく傾けた。寸での所で亀の腕がビーストレイサーの鼻先をかすめる。ビーストレイサーは後方に引いた方の足に力を込めると、そのまま強引に跳んだ。不自然な姿勢からだったにも関わらず、その跳躍は高い。亀がビーストレイサーを目にしたその時、ビーストレイサーは前に踏み込んでいた方の足を曲げ、亀の頭部を見据えていた。

「うおらぁっ!」

 曲げた足が一気に伸び、矢のごとく亀の大きな下顎に叩き込まれた。鈍い打撃音が上がって亀の顔の暗灰色の皮膚がわずかに波打ち、長い首が蹴りの衝撃によって大きくうねる。

「かっ……!?」

 亀の巨体が傾ぎ、ビーストレイサーが空中で体勢を直す。着地したビーストレイサーが大きく身を沈めたのと、亀が脳天を揺らす衝撃の余波を堪えて踏みとどまるのはほぼ同時だった。亀が相手を見下ろした時、すでにビーストレイサーは亀の腹へと肉薄していた。

「おぉら、ワンツー!」

 至近距離から掌打を二度、連続して叩き込む。両者のウエイトは、亀が背負った大きな甲羅を見れば明らかだ。だが、腹の中心への不意の連撃に亀は息を詰まらせたたらを踏んだ。

「こ、こいつっ!」

 亀がビーストレイサーを見下ろし、両腕で羽交い絞めにしようと腕を畳む。しかし瞬時にビーストレイサーは大きく後ろに跳ね、空ぶった亀の腕は自身の胸を大きく打ち、またも巨体をよろめかせた。

 ビーストレイサーの右手が、かっと開く。それだけで、五本の指先が、鉤のような鋭いものに変わった。再びその足で地を蹴り、亀の顔面を切り裂こうとその腕を振りかぶる。

 亀はビーストレイサーの挙動に、瞬時に対応した。長い首を一気にひっこめ、鼻先すれすれで爪を避ける。爪を空ぶらせたビーストレイサーはちっと舌打ちし、再び着地し亀を睨む。

 亀は首を引っ込めたままゆっくりと前へ倒れ、太い両腕を地に付けた。重い音が上がり、石畳にヒビが放射状に走る。

 亀は四つ足になったまま、動く気配がない。ビーストレイサーは亀の挙動の異変に気付き動きを止めた。

「……?」

 怪訝に思うビーストレイサーの前で、突如、亀の甲羅の頂点が大きくへこんだ。ぼごん、と甲羅が陥没したその直後、赤い礫のようなものがそこから辺りに飛び散った。一際大きなものが、粘ついた尾を引きながらビーストレイサーへと飛んでいく。ビーストレイサーがそれを受け止めようと両手を上げた直後、飛んできたものが何かを察し彼はすぐに後ろへ跳んだ。避けられたそれは石畳に激突して穴を開け、穴の縁をどろりと溶かした。赤い礫の撒き散らかされた場所が、あちこちでしゅうしゅうと湯気を上げ始める。

「よ、溶岩!?」

 ビーストレイサーが驚きの声を上げた。彼の前で亀の甲羅はなおも振動を続け、新たな溶岩を吹き上げる。打ち上げられた溶岩の礫が宙で弧を描きながら落下を始めたのを見て、ビーストレイサーは亀から大きく距離を取った。彼のいた場所や周辺はおろか、大きく開かれたフードコート一帯に溶岩が撒き散らかされ、立て続けに石の砕ける鈍い音が豪雨の音のように上がった。立ち昇る蒸気で視界は悪くなり、熱気に押されビーストレイサーは近くの大きな柱に隠れた。柱の陰からはフードコートを囲うように並んだ店のショーウィンドウが見え、どこにも人の姿は無い。彼の頭上には影を作るようにビルの二階から上が張り出しており、そのため彼は今、人目につかない位置にいた。

「くっそ、まさかあんな風になるなんて……」

 口惜しげに呻く彼に、どこにいたのかマルタンが歩み寄って彼に言う。

「鉱毒生物は君の常識が通る相手じゃないよ。そんなの今さらじゃないか」

「だけどさぁ……」

 ビーストレイサーが柱の影から亀を覗く。なおも亀は四つ足のまま、甲羅から溶岩を吐き続けていた。巨体を振動させ続けるその姿は、もはや生き物というよりは何かの装置のようだった。

「溶岩は吹き出すし、熱いしで近づけないよ。これじゃ遠くから……ハッ」

 ビーストレイサーが何事かに思い当たり、口をつぐむ。しかしマルタンはこの言葉を聞きつけ、その目を光らせた。

「と、いう事は?」

 そこまで言って、続きをせがむように待つマルタン。ビーストレイサーは恐る恐る何かを言いかけたが、ついとマルタンから目をそむけた。

「何だい何だい、ソウルビーストとの約束は守って、僕とは知らんぷりなのかい?」

 からかうような口調だったが、マルタンの声には有無を言わさぬ迫力がにじんでいた。ビーストレイサーは狼狽し、及び腰になって早口で言う。

「だ、だってホラ、あんなのになるなんて思わなかったし!第一、ホラ、恥ずかしい!」

「誰にも見られなきゃあいいんだよ。それに、恥ずかしいのは今のカッコもそうでしょ」

「これはカッコいいだろ!?」

 ビーストレイサーが自分を指差し抗議するが、マルタンはどこ吹く風だ。

「実際、他に選択肢はあるの?スクロールだって、そのハウンドしかないじゃないか」

 その言葉に、ビーストレイサーは息を詰まらせた。抗議の言葉に困る彼だったが、その時別の声が上がる。

「ミヒロ、やるべきだ」

 ビーストレイサーとマルタンは声のする方、つまり、ベルトにはめ込まれたスクロールへ目を向けた。美裕が重魂している為、狼の顔は描かれていない。しかし、声はそこから上がっていた。

「ハウンド!何でさ!」

 ビーストレイサーが声を荒げる。

「口惜しいが、私に遠距離戦は出来ん。他のスクロールも無い以上、ここは彼からもらった力に頼るべきだ」

 ハウンドと呼ばれた声は明瞭で、その語り口は理路整然としたものだ。

「そ、それは、そう、だけどさあ……」

 ビーストレイサーはすっかり反論する為の言葉を失い、しょげてしまった。手持無沙汰そうに両方の人差し指をつつき合わせる様は、容姿のせいでシュール極まりないものだ。そんな彼を、マルタンがせかす。

「縮こまってる場合じゃないよ美裕。こうしてる間も、あいつは溶岩をばら撒いてるんだ。放っておくと被害は増えるし、何より他の鉱毒生物がここへ鉱毒を流しに来るかもしれないよ」

「それこそ我等の望まぬ事態だ。奴等鉱毒生物が地を汚せば、土は生き物を育まぬものになる。生あるもの全ての命を蝕む毒の流出を、看過など出来ん」

「う、うう……」

 マルタンとハウンドの求める行動は同じで、だからこそビーストレイサーは答えに窮する。答えを待つ両者からの無言の圧力に、ついに彼は折れた。

「分かった、分かったよ。やればいいんでしょ……」

 すねた態度でベルトの鍵状の部分を回すと、ベルトの中で伸ばされていた帯が弾かれたようにスクロールに引き戻された。狼の横顔がスクロールに現れ、格子がその表面を囲う。その後カチンと音を立てて、ベルトの籠からスクロールが頭を出した。それを合図にしたかのようにビーストレイサーの全身が薄く光り、瞬く間に美裕の姿に戻った。

 彼は不満を湛えた表情で、スクロールをしまいながら別の物を取り出した。それは手のひらに収まる長方形のもので、美裕はその表面に目を落とす。

 それはスマートフォンによく似ていたが、装飾過多なものだった。色も薄桃色で、男子中学生である美裕の持ち物にしては少女趣味が過ぎる代物だ。

 美裕は眉根に皺を寄せたまま、画面を操作し目当てのものを表示させる。画面に浮かんでいるのは赤いリボンで描かれた大きなハートのアイコンだった。その中で、一回り小さな別のハートが脈動を訴えるように何度も七色に変化している。それを見ていた美裕は、ちらりとマルタンを見た。マルタンは満足げに彼をじっと見上げて、彼の所作の続きを待っていた。

「さあ、はっきり言って押すんだよ。じゃないと無効になるからね」

 念押しの一言は美裕をますます憂鬱にさせたが、柱の向こうでは急かすように溶岩のばら撒かれる音が豪雨の雨音のように続いていた。

「……ええいっ、もう!」

 やけくそのように叫び、彼は空いた腕を大きく振りかぶった。

「レインボーエモーション・リリース!」

 彼の人差し指が画面のハートに触れたその瞬間、彼の首から下が、ぽう、と光に包まれた。

 変化がまず起こったのは、足元だ。運動靴を履いていたはずの足は光が解けると、桃色のパンプスに変わっていた。言うまでもなく、女物だ。

 そして変化は上へと登っていき、ズボンは大きく広がったスカートに、銅はピスチェのように変わる。腰の後ろには大きなリボンがついて二本の尻尾と羽のように広がり、肩には大きく広がったフリルが生まれる。全身の変化が終わった直後、彼の髪もまたぽうっとした光に包まれ、光が解けたその時彼の紙は桃色になって伸びていた。

「はい、決めポーズ」

 マルタンの指示に、姿を変えた美裕は努めて笑顔を作り、脇を閉めて肘を曲げ、そしてウインク一つを決めて名乗った。

「千変万化の心の光!シャイニー・セブン!」

 明るい少女の声での名乗りは、実に堂に行ったものだった。

「完璧だよ美裕。僕の要望通りだね」

 要求されたアクションを終えた後、美裕は変わり果てたその姿のまま膝を付き、大きくうな垂れた。伸びた桃色の髪が、彼の肩でさらりと垂れ下がる。

「何でこんな事に……」

 どこからどう見ても魔法少女となった彼の嘆きに、マルタンは当たり前のように言い放つ。

「そりゃあ、君が僕のお願いを聞いたからだろ」

 美裕は以前交わした約束について、今さらのように深く後悔した。初めてマルタンと会った日の事を、美裕は鮮明に思い出す事が出来た。


「先約?誰と?」

 布団の上でマルタンは四つ足の位置を直しながら美裕に尋ねる。寝間着のままの美裕は、傍にあったベッドサイドテーブルの上に手を伸ばし、単一電池のようなものを持ってマルタンに見せた。

「これ、知ってる?」

「初めて見るよ。何、その玩具」

「玩具とは心外だな」

 答えた声は美裕のものではない。マルタンは驚き、辺りを見回した。

「今のは誰?どこにいるの?」

「私だ。今君が玩具と呼んだものの中だ」

 マルタンは驚いたように鼻先を美裕の持つものに近づけた。単一電池のようなものの表面は小さな格子に囲われており、格子の奥には狼の横顔が描かれている。

「私はハウンド。犬や狼のソウルビーストだ」

 声が美裕の手元から上がり、言葉の抑揚と共に狼の横顔の目が明滅した。マルタンはしげしげとそれを見て、更に尋ねる。

「ソウルビースト?そんなの聞いた事がないよ」

「知らないのも無理はない。我々が人前に出るなどあってはならん事だからな」

 首を捻るマルタンに、ハウンドは説明を始めた。

「我々ソウルビーストは、かつて地球に生きた獣達の魂の集合体だ。このスクロールを核にして同族の魂を束ね一つとなり、知性と力とを得ている。私は先ほど言ったように、犬や狼の魂によって生まれたソウルビーストだ。他の生き物のソウルビーストと共に、この地に生きる者達を守る為、常に悪しきもの達と戦っている」

「動物の霊が地球を守るのかい?」

「無論だ。獣は大地を愛している」

「へえ。で、そのソウルビーストがいったいなぜ美裕に協力を求めたの?」

「手に負えん敵が現れたのだ」

 ハウンドがそこまで言った時、美裕が神妙な顔になって頷いた。マルタンも話の続きを聞こうと、黙って居住まいを正す。

「少し前になるが、地の底から地を汚す輩が現れた。かつて人間たちが流した鉱毒によって変異した微生物だ。鉱毒生物と我々は呼んでいる。鉱毒生物は地底から地表に現れ、その毒素によって生物を変異させ、自分の意のままに動かす事ができる。何匹いるかは分からんが所詮は烏合の衆、当初は我等ソウルビーストにとっては取るに足らん相手だった。だが最近になって急に行動が組織だったものになり、ふがいない話だが私以外のソウルビーストのほとんどは奴等の手に落ちてしまった。私一人ではどうにもならず、やむなくこの世に生きる者の力を借りねばならなくなったのだ」

「それで何で美裕になるのさ」

 マルタンは不満げにそう尋ねた。

「私は魂だけの存在だ。生きる者に力を貸そうにも、相性というものがある。我々ソウルビーストと最も相性の良い魂と肉体の持ち主が彼なのだ」

 ハウンドが説明を終えると、マルタンはふうん、と興味なさげに相槌を打った。すぐ傍で聞いていた美裕にとってはすでに聞かされた話であり、マルタンの態度が本当に納得してのものなのかは、判断に迷うものだった。

「私も君のような生き物と接するのは初めてだ。類似するソウルビーストもいない。君は地球の生物ではないな?」

 ハウンドの発言に美裕は驚いた。マルタンはというと、動じた様子もなくそれに同意した。

「そうだね。でも、エイリアンでもないよ。魔法の国の住人だ、って言えば信じるかな?」

「魔法の国?」

 疑問を挟んだ美裕に、マルタンはそうさ、と頷いた。

「信じようが信じまいが、僕はそこからやってきたんだ」

 美裕にはにわかに信じられない話だったが、マルタンの姿を見れば理解できるような気もしてきた。見た目も彼がこれまで見た事のないものであり、何より言葉を話している。

「僕等の言う魔法は、人の心の力を使うんだ。魔法の国の住民である僕等自身には使えない。だから僕等は積極的にこちらに出て、色んな人達から協力を得て、そこまでしてようやく魔法を使ってもらう事が出来るんだ。最も、そのせいで困った事になったんだけどね」

「困った事?」

 美裕が首を捻ると、ハウンドは察したようになるほど、と呟いた。

「察するに、邪な人間に力を貸してしまったようだな」

「……まいったね。君は頭がいいや」

 マルタンは降参、とばかりに両方の前足を上げて見せた。

「勘違いしないで欲しいんだけどね、僕等が魔法を人に使ってもらうのは、本来は人助けの為なんだ。心の力を使った魔法で人助けを重ねて、助けた人はもちろん、魔法を使う人にも喜びや希望を与えるのが僕の仕事さ。人がより良い生き方ができるようになる為には、心の問題は重要な事だからね」

「えっと、つまり、良い魔法使いになる人を勧誘するのが仕事なの?」

 美裕がそう聞くと、マルタンは返す言葉を選ぶように小首を傾げた。

「魔法使いっていうのは、ちょっと違うかな。ともかく、誰かを陥れたりするための活動は一切してないよ。してなかったんだ」

「それを疑うつもりはない。ただ、君が敵とみなしている相手を知りたい」

 ハウンドの問いかけに、マルタンは神妙な顔になって答えた。

「……黒の魔女。自分でそう名乗ってる」

 美裕は神妙な顔になって居住まいを正した。

「元々は僕の仲間が勧誘した普通の人間だったんだ。だけどちょっと魔が差したのかな、魔法の力を悪用し始めたんだ。それも最悪な事に、黒の魔法でね」

「黒?」

 美裕が首を捻る。

「心の魔法は色の魔法。黒は心を奪う、虚無の色。黒の魔女は人の心から感動を奪い、自分の言いなりになる人間を増やしている。残念な事に、一度渡した魔法の力は僕等には取り返せない。しかも、あいつは自分の力を更に強くする為に魔法の増幅器となるビッグ・ピュア・ダイヤを探しているんだ」

 次々と出てくる新しい単語に、美裕は目が回りそうになった。理解の追い付かない彼をよそに、マルタンは続ける。

「ビッグ・ピュア・ダイヤは地球のどこかに眠っている、とても大きなダイヤモンドだ。その七色の輝きで魔法の力を最大限に引き出せば、魔法の効果は何倍にもなる」

「だいたい読めたぞ。君はそのダイヤを、黒の魔女とやらより先に手に入れたいのだな」

 ハウンドの言葉に、説明を理解しきれないでいた美裕はようやく要点を理解し、我に返った。

「あ、ああ。そういう事なんだ」

「そうだよ。僕の都合ばっかり言って申し訳ないんだけど、要は僕もハウンド君と同じ。人間の協力者が欲しいって訳さ」

 説明が一区切りついたと分かった美裕は、そこでふと、マルタンが最初の頃に言っていた言葉を思い出した。

「あ、人が人でいられなくなるって……」

「そう。心を奪う黒の魔法が強くなれば、その対象を一気に増やす事が出来る。下手をすれば、地球の人々が一斉に彼女に傅く事になるんだ」

 美裕にとっては現実味のない話だったが、自分が何の考えもなく、どこの誰だかわからない人間に跪く様を想像すると、気味の悪さを感じずにはいられなかった。

 彼の表情から動揺を察したのか、マルタンが食いつく。

「恐ろしいでしょ?僕はそんな真似をさせたくない」

 ここまで聞かされると、美裕も断る気にはならなくなってきた。意見を求めるように手元のスクロールに目をやる。

「ミヒロ、私から言う事はない」

 え、と言いかける美裕。ハウンドは、美裕の戸惑いに答えた。

「君は私と約束した。共に戦おうと。しかし、だからといって私は君の意見をいたずらに左右するつもりはない。君の意志は、君のものだ。我等ソウルビーストも、各々の意志で地球を守ってきた」

 ハウンドの声は堂々たるもので、口にしている言葉に嘘が含まれていないのは明らかだった。やがてマルタンが感心したようにへえ、と呟いた。

「……謝るよ、ハウンド君。正直、君は僕の邪魔になると思ってた」

「そんなつもりは毛頭ない。君が君の役目に尽力しているのなら、邪魔をする道理はない」

 マルタンとハウンドの間に沈黙が落ちる。美裕の返事を待つその静けさに、両者の間に置かれた美裕は少し考えた後、意を決してマルタンを見、頷いてみせた。

「……そこまで言われちゃ、断れないよ。僕でよければ、協力する」

 それを聞いて、マルタンは初めて笑顔を見せた。少なくとも、美裕にはそう見えた。

「よく言ってくれたね。本当にありがとう」

「及ばずながら、私も力を貸そう。黒の魔女とやらに対抗するのなら、私の力も役に立つだ」

「ああ、そこまで考えてくれてたんだ。心配しなくてもいいよ、僕も美裕に渡すものがあるんだ」

 そう言うと、マルタンは片方の前足をどんぐりの傘のような帽子の中に突っ込んだ。中身を探るようにもぞもぞと動かした後、頭との隙間からころんと何かが転がり落ちた。美裕がそれを目で追うと、四角く平たいものだと分かった。色は夜の暗がりのせいで、美裕には分からない。

「何、これ?」

 美裕が尋ねながらそれを手に取ると、四角いものはその表面にぼう、と白い光を浮かべた。スマートフォンのようだ、と彼は思った。

「それが君に渡すものだよ。表面をタッチしてみて」

 言われた通り美裕は右の人差し指でぼんやりと光る部分をつついた。その途端、場違いに陽気な電子音がピロリロリン、と上がった。美裕が四角いものの表面を見ると、表面の光は白から薄桃色に変わっており、リボンで形作られたハートマークが浮かんでいた。

「え?」

 予想外のものを見て、美裕が裏返った声を上げる。マルタンはその反応に満足げに頷き、そしてこう言い放った。

「おめでとう。今から君は魔法少女だ!」

「え。……、え?」

「……え?」

 その時は美裕も、そしてハウンドもマルタンの言葉が理解できなかった。


 自分の運命を決定づけた夜の事を思い出し、改めて美裕、もとい、シャイニー・セブンはうな垂れたまま恨めし気にマルタンを見やった。

「魔法少女になるなんて聞いてないよ。大体、僕は男だよ?」

「大丈夫だって。14歳までなら女装したって可愛いよ?」

「誰が決めた基準さ、それは」

「だってホラ、二次性徴を迎えるギリギリ前の歳じゃない?」

「今すぐ僕は大人になりたい」

 悲観に暮れるシャイニー・セブンだったが、マルタンはまるで意に介さなかった。

「大体、君は元からかなり女の子っぽいじゃん」

 マルタンのこの言葉に、シャイニー・セブンの眉根が更に寄った。

「元から小柄だし線は細いし、顔だって可愛い方じゃん?その衣装だって男の体格に配慮したデザインなんだから、知り合いに見られたって簡単にはバレないよ」

 ビーストレイサーと違い、シャイニー・セブンの姿には美裕本来の顔立ちや特徴が色濃く表れている。マルタンはそれを指して言っており、だからこそ美裕は元々持っていたコンプレックスと今の姿に対する羞恥とで更に陰鬱な気分になった。

「バレた瞬間僕のこれからが崩壊するんだけど、そこ分かってる?」

「僕のセンスと、胸のパッドを信じるんだ」

 シャイニー・セブンは控えめに盛られた自分の胸元に目を落とし、更に陰鬱な表情になった。

「ミヒロ、落ち込んでる場合じゃないぞ」

 至極冷静な声が、シャイニー・セブンのスカートのポケットから上がった。ハウンドの声だ。我に返り、シャイニー・セブンは気付く。

 顔を上げた彼、もとい彼女の視界の前を粘ついたものが通り過ぎた。それはレンガで舗装された床に落ちると、じゅわんと音を立てて床に穴を開け、白い煙を昇らせた。豪雨に似た音は少し前よりも一層彼女等に近いものとなっており、そこで初めて彼女は今も亀が溶岩を噴き出し続けているのを思い出した。

「そうだ、鉱毒生物!あれを倒さないと!」

 シャイニー・セブンは気を取り直し、急いで立ち上がった。姿を変える時に使ったスマートフォン型の変身アイテム、アプリレインボーを取り出し、指先で画面をスライドさせる。現れたアプリのアイコンの並びは普通のスマートフォンとほとんど同じだからか、彼女の目はすぐに目当てのアイコンを探し当てられた。広げたパラソルの描かれたものと、いびつな形のステッキの描かれたものだ。彼女が二つを同時に押すと、画面が水面のように波打ち、波紋の中心から二本の棒状のものが生えた。吸い上げられるように勢いよく出たそれらは、ぽんと跳ねるように彼女の手に収まった。彼女はその二本を見て、表情を険しくする。

 片方は傘、もう片方は杖。アイコン通りの代物だ。傘は骨組みを境に七色に塗り分けられたもので、その縁は細やかなレース状の模様で彩られている。杖は水晶玉を先にはめ込んだ樫の木の枝そのもので、魔法少女の持つものというよりは古いおとぎ話に出てくる魔法使いが使うようなものだった。

 シャイニー・セブンはまず杖を見た。そして次に傘を見、最後に不安げな目をマルタンに向けた。

「本当にこれで大丈夫なの?」

「信じてよ、もう。傘に込めた七色の魔法は君のものだよ」

 そう言うマルタンの表情は変化の乏しいもので、シャイニー・セブンにはその真意を読み取る事はできなかった。しかし事態の打開を望む彼女にとっては、信じてみなければどうにもならない。

「ああもう、分かったよ。使い方も前聞いた通りだよね?」

「そうだよ。頑張って」

 突き放したように言うマルタンにシャイニー・セブンは再び眉根を寄せたが、それ以上は言わず黙って柱の陰から出た。今も溶岩を噴き続ける亀は、まだ頭を出していない為か、彼女に気付いた様子はない。

「今がチャンスか」

 シャイニー・セブンは傘を開いた。傘の配色は七色、彼女はその内の一色に目を付ける。赤い色を見て、彼女は手元で傘をくるりと回した。勢いで傘は回転し、そして傘が色を変える。回転の勢いで色が混ざって見えたのではない。本当に変わったのだ。パネルアートのように、傘が骨越しに隣り合った部分の色を変化させ、傘は赤一色になった。彼女は傘の回転を止め、傘を閉じる。すると閉じた傘はするすると縮み、そして固くなった。いまや細い軸の先に付いているのは、畳まれた傘ではなく、小さく鋭い矢尻だ。

「うわ、ホントに矢になった」

 シャイニーセブンは赤い矢尻を持つ矢となった傘をまじまじと見た後、急いで杖の先の水晶玉を軽くなぞった。これも矢の変化を含め、あらかじめマルタンから聞いた操作だ。

水晶玉がぼんやりと光ると、杖全体はよじれて長さを増し、両端を同じ方向に反らした。そして両方の先端から、一筋の細いものが伸びて結びつく。杖は弓に変わったのだ。

 シャイニー・セブンは弓を持ち直し、弦に矢をつがえる。

「ええと、情熱のバーニングハートアロー……」

 彼女は恥ずかしさを堪えながら、あらかじめ聞かされた呪文を唱えた。その甲斐あってか、魔法は形となる。

 矢を持つ手を引き、ぎりぎりと弦を緊張させると、赤い矢尻に炎が灯り、それは一気に勢いを増す。火矢となったそれの狙いを、彼女は亀へと付ける。手に感じる弓と矢の重さ、弦の張力とが彼女の精神を尖らせる。集中する彼女の目は、亀の甲羅に開いた穴の縁、溶岩を噴き続けていたせいかヒビの入り始めていた部分へと向いていた。

 緊張の静寂の後、矢尻を持つ彼女の手から、ふっと力が抜けた。弦が弾け、矢が躍り出る。

 一瞬で赤い矢はゆるやかな弧を描きながらするすると前へ飛び、湯気を裂き溶岩の雨をかいくぐり、燃える矢尻を甲羅の裂け目へと潜り込ませた。裂け目で矢が止まったのを見て、シャイニー・セブンは柱の陰に隠れて呟く。

「咲け(ブルーム)」

 それが魔法の、最後の呪文。直後、矢に込められた赤の魔法が発現した。

 赤い矢尻が周囲の熱を取り込み、一気に熱を溜めこむ。亀の噴く溶岩の熱よりもはるかに高温となった事を表すように矢尻は閃光を発し、一瞬で辺りを白く染めた。

 閃光が晴れた後、ぼごん、と何かが割れる音が上がった。亀の甲羅の噴火口が、溶岩にも勝る高熱による急な温度変化に耐えられず、大きく裂けたのだ。ごぼん、と熱を湛えた溶岩が赤い血のようにヒビ全体から撒きあがり、ぐらりと巨体が傾ぐ。溶岩の噴出が止まると同時に亀の頭が現れ、開かれた顎から苦悶の声が上がった。

「あ、が……っ!?」

 亀は、自身に起きた出来事を理解できぬまま横に倒れた。シャイニー・セブンはちらりとそれを覗き見ると、すぐに柱の陰に隠れてアプリレインボーを取り出し、画面右下にひっそりと置かれた変身解除のアプリを押した。彼女の衣装や髪がぽう、と光り、そしてそれが消えると彼女は美裕の姿に戻っていた。

「えぇー、戻るのー?」

「じゃないと不自然だろ、もう!」

 美裕はアプリレインボーと入れ替えるように、上着からスクロールを取り出した。ベルトのバックル、ソウルリリーサーと呼称されるものの籠にスクロールを入れ鍵を捻る。

『ハウンド!』

スクロールの側面から帯が飛び出し、ソウルリリーサーの中にハウンドの生来の姿が現れる。雄叫びの後、そこから飛び出したハウンドに、美裕は急かすように殊更に大きな声で言う。

「重魂!」

 ハウンドと美裕とが重なり、ビーストレイサーへと変わる。彼は柱の陰から飛び出し、亀へと姿を見せた。起き上がった亀が首を上げ、膝をふらつかせながらビーストレイサーを睨む。

「貴様、一体何をした!?」

「言う訳ないだろ!バーカ!」

 やけくそのように吐き捨て、ビーストレイサーはソウルリリーサーの鍵をスイッチのように奥へと押し込んだ。がきん、と噛み合う音がして、ハウンドが雄叫びを上げ高らかに言い放つ。

『Bite with Wilderness!』

 ビーストレイサーの肉体が、血流で大きく脈打った。脈動は続き、肉を、血を熱く変える。ビーストレイサーの全身から青味が抜け、赤く変わる。昂ぶるものを表すように、彼の全身から白いものが立ち昇る。

「おおぉぉぉ……!」

 湧き上がる衝動を堪えるように呼気が吐かれ、その身をかがめる。両膝から生えた鋭い突起が、うずくように震える。

「ジャッ!」

 ビーストレイサーが、地を蹴った。空中で伸びきった全身が亀の頭上へと跳ぶ。その身の到達高度が最高に、ビーストレイサーが亀を睥睨できる高度にまで達したその時、両膝の突起が鋭く伸びた。剣と見まがうような長さと鋭さを得たそれは、牙と言っても良い。同時に彼はその背を大きく反らし、身を畳む。落下しながら空中で回転し、着地点にいる亀へと迫る。亀は接近するビーストレイサーと目が合った瞬間竦み上がり、牙の切っ先が自分の眼前へ迫るのに気付くのが遅れた。

 亀が牙を避けようと動くよりも先に、ビーストレイサーの両腕が伸びて亀の甲羅を掴む。これで結果は決した。

「ダイブ・ファング・エアリアル!」

 両膝での渾身の飛び膝蹴りが、亀の喉元へと打ち込まれた。二本の牙は亀の胸元の甲にヒビを入れた直後穴を穿ち、めちめちと穴を広げながらその内側へと滑り込む。

「あ、か……!」

「おおおぉぉ、おお!」

 ビーストレイサーが両腕に力を入れ、牙を引き抜く。勢いを利用して後ろへ着地した彼の前で、亀が大きくよろめいた。喉元に開けられた二つの穴から、亀裂が走り徐々に全身へと広がる。

「か、かか……、敵わな……」

 かすれた声が亀の口から洩れる。ヒビは今や亀の全身に広がり、甲羅はおろか手足、首、顔面にまで達していた。震える全身の至るところがぱき、ぱきと欠け、破片をこぼしていく。ビーストレイサーは成り行きを見届けようと、すぐに飛び出せるように身構えていた。亀はヒビを抑える術を知らぬまま、我が身の崩壊に慄く。

「こ、こんな、馬鹿なぁアッ!」

 断末魔と共に、亀、鉱毒生物『シリコン・タートル』の全身は粉々に砕け散った。散り散りになった破片が辺りに飛び散り、更に細かくなって砂のように変わる。

ビーストレイサーは倒した相手が散った様を見て、緊張を解いたように膝を、背筋を伸ばす。ふう、と仮面のように変質した顔の口元から、ため息がこぼれた。

「終わったよ、ハウンド」

「うむ。よくやってくれた」

 ハウンドの言葉を聞き届け、ビーストレイサーはソウルリリーサーの鍵を捻った。帯が戻り、スクロールがソウルリリーサーから飛び出すと彼の姿は美裕に戻った。マルタンが彼の足元に近づく。

「さあ、帰ろっか。見つかると困るし」

「ん、分かった」

 美裕とマルタンは早足でその場を立ち去った。人けのなくなった道路を突っ走りながら、美裕がふとマルタンにこぼす。

「あのさ、今見つかると大変じゃない?」

「だろうね。誰に見られたって質問攻めだよ」

「……瞬間移動とかできない?」

「いくら魔法少女でもできない事はあるよ。魔法は万能じゃないんだ」

「ああ、そう……」

 美裕は腑に落ちないものを感じつつも、人けのない路地を探しながら走り続けた。自分達を見下ろす者がいると、気付かぬままに……


「へぇ……」

 電信柱の上で、彼女は感心したように呟いた。そこから彼女は、座ったまま全てを見ていた。

今しがた亀に似た怪物を屠った者が、小柄な中学生になったのも。そして、その中学生が桃色の魔法少女に変わっていたのも、全てだ。彼女は目を細め、足をぶらぶらさせながら愉快そうに口元を緩める。

「面白い子、見ーっけ」

 ふふ、と笑みをこぼす彼女。手遊びのつもりで手にしたパラソルを、軽く手元で一回転させた。彼女の肩に乗せられた軸を中心に、通常のものの三倍以上の大きさを持つ水色の傘がくるりと回った。本当に愉快でたまらない、といった様子であった。

 そんな彼女のいる電柱の根元に、トラックによく似た車が停まった。その車から、男が二人出てくる。男達はどちらも青い作業服を着ており、彼女は待ちわびた瞬間が来た事に気付き声を張り上げた。

「すいませーん、こっちでーす!」

 手を振る彼女を、二人の男は半ば驚き、半ば呆れたような顔で見上げた。

「嬢ちゃん何でそんなトコ登ったんだ!」

 二人の男の内、年配の方が怒った様子で怒鳴ると、彼女は途端に縮こまって申し訳なさそうな顔をした。先ほどまでの余裕は、まるでない。

「ホントにごめんなさい、つい登ったら、降りれなくなって……」

「嬢ちゃんそんな歳じゃねえだろ。まあ呼んでくれたのはいいけどよ……」

 あらかじめ電話で事情を聞いていた年配の男はそれ以上言及する気を無くし、ぶつくさ言いながら車、つまり高所作業車の運転席に戻りクレーンの操作を始める。若い方は彼女を見上げ、大声で言った。

「今から降ろします、そこから動かないでくださーい!」

「はーい!」

 大きく返事をした後、彼女は情けない顔になってはあ、とため息をついた。そして誰にも聞こえないような、小さな声で呟く。

「魔力が切れなかったら、降りてたのになぁ……」

 彼女は差したままの自分の傘を、恨めし気に見上げた。

「……覚えてろ、マルタンめ」


「へえ……」

 ビルの陰で、すぐそばを通り過ぎた学生服の少年を見送りながら、その男は感心したように声を上げた。遠ざかる少年とその足元にいる生き物とが遠ざかるのを見て、彼は呟く。

「あれがビーストレイサーちゅう奴かい」

 問うような言葉。それに答える声が、彼のポケットから上がった。

「そのようだ。最も、あのような生物は私は見た事がない」

 その声に、男が怪訝な表情を浮かべる。

「なんや、オッサンも知らんのかいな。長生きしゆうのにか?」

「オッサンではない。貴様はもっと、私に敬意を払え」

「へーへー。ったく、商売の神様も心が狭いんやなぁもう」

 言いながら、彼は声の上がったポケットをまさぐり、声の主を取り出した。

単一電池くらいの大きさの、円筒形のもの。その表面に並ぶ細い棒は格子のようであり、格子の奥に描かれているのは声の主の名。

「いつかこの俺、ゴーストレイサーとも肩を並べてくれるんやろか?」

「彼次第だ。そして、お前次第でもある」

「堅苦しい事言わんといてーな。オッサ……、いいや」

 男は目を細め、頼もしい相棒を呼ぶようにこう言った。

「関羽さんよぉ」



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