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掌からこぼれる  作者: 瀬海
恋愛の掌
8/15

――――

拝啓


 携帯のディスプレイに表示されている彼女の名前が、ゲシュタルト崩壊を起こし始めた。

 しばらく会えていない、連絡も取れていないその原因は、考えるまでもなく俺にある。話をすることに臆病になっている、嫌われたくない。それだけの情けない理由。こんな自分だからこんな状況を招いているということは、嫌と言うほど分かっている。

 布団の中にある馥郁とした空気は、俺に逃げ場所を提供してくれているようでその実、優しげに時間を奪っているだけだ。夜も更ける。そうすれば余計に連絡しづらくなることは分かっている。でも、この訳の分からない記号は本当に彼女の名前なのだろうか? 本当に彼女の元に繋がっているのだろうか? ……自明。ぐるぐると頭の中を回るネガティブな考えが、夜と共鳴して当たり前のことすら分からなくさせる。不安になる。いったい、何をそんなに怖がってるの? 彼女のそんな声が、聞こえてくるような気がする。申し訳ない。でも俺はやっぱり、怖いんだよ。嘔吐感みたいな怯えが画面を暗転させて、どうせまた明日も、俺は連絡することができない。きつく目を閉じて、夢に逃げる。


 部活で知り合った彼女の名前を、俺は入部してから数ヶ月間、知ることもなかった。

 俺自身が大学での生活に慣れるまで余裕がなかったというのもあるし、彼女があまり可愛くなかったので意識することがなく、興味を持っていなかった、というのも大きい。僕の愛する人は太陽ではない――そんな詩をどこかで見たことを思い出す。こんな台詞を聞けば彼女は怒るかもしれないが、でも、ごめん、事実だ。

 意識し始めたのは、部の合宿で他県へ遠征に行ったときのこと。そこで初めてまともな会話をいくらか交わし、趣味が合うことを知った。わたし、あの人の書く小説が好きなんだ。あ、それ、俺も知ってるかも。ほんと? 興味あったら貸すよ? そんな具合に、ただの部員の一人だった彼女が俺の中で輪郭を帯びてゆき、無視できない質量を胸の中に落としてゆく。それに気づいたのは、その合宿から数ヶ月後、冬のこと。それをどういう感情か自覚し、告白したのは、最近のこと。

「――なぁ、あの子とはうまくいってんの?」

 だから、

 家からほど近い中華料理屋で友人たちと駄弁っていたとき、そんな質問をされた俺は、あまり、と答えることが苦しかった。絞り出すようなその響きに何か思うところがあったのか、彼はそれ以上追求しなかった。場の話題はアイドルの話に移り、その次に彼女持ちの友人が他の友人たちから集中砲火を浴びせかけられるのを、俺は笑いながら眺めている。

 どうしてこうなったんだろうか。

 いつものような中身のない馬鹿話を楽しみ、酒でふらふらになりながら数人で家路を辿る深夜一時、そんな思いだけが俺の中に何度も反響する。上辺はその場のノリに乗っかっていても、心中は冷めていた。どうしてこうなった。以前は普通に話もできていたのに、告白した途端、何かに縛られたみたいに俺は臆病になっている。いったい、俺は何のために告白したんだろう? 前の方で友人のうちの二人が馬鹿みたいに騒いでいる。その後ろで、俺は答えが分からずに目を覆った。自嘲が止まらない。涙も。苦しい、ごめん、申し訳ない。きみが俺の態度に混乱して、不安になっているのは分かっているのに。


 週二で行われる部活動で、ひさびさに彼女と会った。

 一言も、話しかけることができなかった。


 布団の中、携帯のディスプレイはいつまでも彼女の名前のその先に進むことができない。

 怯えた指先は画面に触れられない。情けない。俺は何をしてんの? こんなことなら、告白なんてしなければいたずらに彼女を不安にさせるようなこともなかったのに。こんな自分の不甲斐なさに吐き気を催すこともなかったのに。馬鹿じゃねぇの。流れ出す、自己嫌悪という名の罪悪感、自家中毒。馬鹿じゃねぇの。そう言って欲しくて、俺は友人に電話をかけた。なぁ、お前らは知らないだろうけど、俺はこんなに弱いんだぜ。何とか言ってくれよ、なぁ。でも、電話越しの友人の声は、不意に俺を肯定する。それだけ、あの子のことを想ってるってことだろ? 臆病になるって気持ち、分かるよ、と。違う。俺は誰にともなく首を振った。違う、俺が弱いだけなんだよ。口には出さず、そう呟く。俺は断罪して欲しかったんだ。肯定なんてされても、俺はどうしたらいい?

 ありがとう、とだけ伝えて電話を切った俺は、再び夜の底に取り残された。布団の中で発酵した馥郁とした空気に埋もれ、ぐるぐるする感情に巻き込まれながら自分を掻き抱く。息苦しくて、息が詰まりそうだ。

 好きなのに、どうしてこうなったんだろう。

 心の底から隣にいて欲しいと願う。何の屈託もない言葉を交わし合いたいと想う。あふれ出す感情が向かう先はただ一つしかないのに、それが届くことを俺は何よりも怖がっている。嫌われたくない。否定されたくない――あぁそうだ。俺は肯定されたくてしかたがないんだ。他の誰でもない、ただ一人の彼女に。だから俺は臆病になっている。怖くて仕方がない。苦しくて、何も手につかなくなるほどに。

 今更こんなことを言っても、信じてもらえるかどうか分からないけど、あの日告白した気持ちに、嘘なんて一つもなかった。

 そう。今だって――


 ――瞬間、体中がかっと熱くなる。

 そうだ、告白してからもずっと、俺の想いは何一つ変わってはいないのに。こんな風に自家中毒に陥って、勝手にその気持ちすら疑って苦しんで。


 俺は、何をやっているんだ。


 体中の熱量。それがいっぺんに集まってきたみたいに目尻が熱くなる。視界がゆがみ、鼻の奥に涙のにおいを嗅ぎ取る。無為な優しさが充満する布団の中で俺は悔しくて情けなくて不甲斐なくて、子供みたいに折り曲げ縮こまらせた体に凍り付いていた声にならない感情が溶けてゆく。くだらない自己憐憫に溺れていた自分に怒りが沸き上がる。馬鹿じゃねぇの。このままでいたって何も始まらねぇだろうが!

 伝えよう。そう思った。今はまだ、きみと向かい合って素直な気持ちを伝えることができないでいるのなら、せめて俺なりの形で、弱さを乗り越えて、嘘偽りない気持ちを書き綴ろう。フリーズしたままのディスプレイは捨て去って、ここにありのままの物語を書こう。きみへの手紙、宛先のない物語を。それが唯一、今の俺にできることだから。


 不安にさせて、ごめん。

 混乱させて、ごめん。

 これが、今の俺が思っているすべてで、俺がきみにとってきた態度の理由です。

 戸惑ったなら申し訳ない。俺は不安で臆病だから、こんな形でしか伝えることができない。見ていてくれているかどうかは分からないけれど、どっちにしろ俺は、もう自分勝手に悩むのはこれでお終いにしたいと思う。もう少し、ちゃんとする。これ以上きみを不安にさせないように。

 告白してからずっと、俺の気持ちは変わっていない。






 きみのことが、好きです。


敬具

   

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