9 白き炎
3人が階段のところの通路へ行ってみると、黒い猫が黙って座り込んでいた。
「間違いない、アルテミスだ。」
「チビ猫だね。」
「そうだな。小柄なほうだ。」
陽介が手を出すと、アルテミスは五月蝿そうに逃げた。
「…ケガもなく元気そうなアルテミスにふられるのもたまにはいいもんだな。」
「チビ、小夜がどこへ行ったかしらない?あんた餌もらったんでしょ?」
アルテミスは斎をジロリと見ると、ぱっと駆け出してまた礼拝堂のほうに消えた。
3人はそろってそちらを見た。
…電気がつけっぱなしの通路。
「…もう一度だけいってみようか。」
陽介が言い、3人は礼拝堂へ入った。
「ええ?!」
「なんだこりゃ!」
礼拝堂の風景は先程とは一変していた。祭壇に木が積んであり、そこに年輩の男が一人立っていた。白い斎服を着ている。なかなかの二枚目で、すらりと背が高く、くっきりとした二重目蓋で、春季に少し似ていた。写真で犬の首輪を掴んでいた男だった。
「お父さん!」
春季はびっくりして歩みよった。
「いつ帰って来たの?!母屋のほうから入ってくればいいのに。…姉さんの姿が見えないんだよ! 先輩たちにきてもらって一緒に探してもらったんだけど…」
矢継ぎ早に言う春季を振り返って見ると、尾藤の父は静かに言った。
「…小夜なら奥にいる。お前も来なさい。…今、夜思に薬が効いたら始めるから。」
「始めるって何を?」
「尾藤君、ついていっちゃ駄目だ!」
突然斎が大きな声でそう言った。陽介はびっくりして斎を見た。
「…どうしたんだ。」
「そいつは…」
斎の声をかき消すように、尾藤の父は言った。
「白き炎をあげよ。」
次の瞬間重い音がどーん!と鳴って祭壇の木に炎が上がった。…香木らしく、すごい匂いがする。
「…春季の学校の先輩かい?それは申し訳ないことをしたね。…せっかくだから立ち会ってもらうのがいいか。」
「…今度こういう手品やるの?」
春季が尋ねると、尾藤は少し笑った。
「ああ、そうだね。たまにはやらないと、腕がなまってしまうし。これからはもっと頻繁にやるつもりだよ。…先輩の、何君かな?こちらへどうぞ。」
そのとき春季も陽介も一瞬名前を言うことを躊躇した。
…陽介が小夜をふった件だ。お父さんが陽介の名を聞き知っていたら決していい顔をしないだろう。
「お父さん、…夜思、どうしたの?具合悪いの?薬って…」
春季か上手く話を逸らせた。
「ああ、心配ないさ。ちょっとケガをしただけだよ。」
陽介はさーっと青ざめた。
ゆっくり斎を振り返る。
斎の目は裂けたように吊り上がっていた。
…そうだ。4男の夜思は、たしか2つしか歳がはなれていないし、ちょっとした「美系様」なのだと小夜が昔言っていなかったか…?
そして斎は「ウチらと同じか少し上くらいの…」と言っていなかったか?
「…さあ、2人とも早くこちらへ。」
春季はあまり考えずに真直ぐ父親のほうへ歩きだしたが、さすがに陽介は行けなかった。
「…尾藤くん、その声の男が、私の頭を後ろから撲った!」
斎は言った。
春季は立ち止まって振り返った。その顔は「まだ言うか」という表情だった。
「…今度は父親ですか。いい加減にしてください。」
斎はそれでも更にそう言った。
「それは手品じゃないよ!」
「…馬鹿馬鹿しい。」
春季は父親のほうに向きなおって、そのまま祭壇にのぼった。
尾藤は静かに微笑んで、春季の手を取り、…そしてそのまま、軽く引いた。
春季はふわっと浮いたように見えた。陽介は思わず叫んだ。
「春季!」
「どけ!」
陽介は思いきり斎に突き飛ばされた。
斎が投げたものが尾藤の手首にあたり、尾藤はバランスをくずして春季を放した。
春季は祭壇から転げ落ちた。
「何投げたんだ?!」
「腕時計!」
…だとしたら余程の馬鹿力で投げたに違いない。つっこんだろうか、それとも突き飛ばされた文句を…と思ったときにはもう斎は祭壇に駆け上がっていた。
「こんなものを焚くなんて! 婆あどもに知られたらただじゃすまないぞ!! リリヤの夫め! 白き炎は焚いてはならんとリリヤは言わなかったのか!」
斎はそう叫んでそばにあった椅子で火のついた香木を祭壇から落とそうとした。すると尾藤は力任せに斎を撲った。
「!」
斎は春季の遥かに後ろに叩き付けられるように落ちた。
「目木!」
陽介が叫ぶと斎は跳ね起きた。なぐられた顔がみるみる腫れ上がって行く。陽介は更にざざーっと青ざめた。決してただのぼっちゃんではないし、ヤクザの撃ち合いも見たことがある。斎のおかげで生身の血も怪我も見慣れたが、この種の暴力を…まったく何の手加減もなく女に対してふるわれる圧倒的な暴力を…まのあたりにしたのは初めてだった。
「その婆あどもからまず呼び出してやるんだよ、イーヴの娘。」
誰かが吐き捨てるように言った。
「一体『その時』お前らは何をしていたのかと問いただすのだ!」
別の男の声がした。
「みすみす聖地を失うなど! 聖樹の守人なら一命を賭して聖樹を守りとげよ!」
陽介が起き上がり、春季もうめきながら起き上がる。春季も少し青ざめて、呆然と祭壇の上の父親を見ている。…春季は自分の状態よりも、父親が斎にとった態度に驚いているようだった。そのようすから言って、尾藤は家庭では決して暴力的な父親ではないらしかった。
いつのまにか祭壇をとりかこむように、春季の兄達が4人、並んでいた。
その一番前に、血の滲む包帯を頭や手足にまきつけている少年がいた。
濡れたような美しい瞳をしている。顎が小さく、ほっそりと美しい顔をしていた。
彼は斎に言った。
「…貴様の屍を聖樹に捧げて御方の怒りを静めるのだ。そうしなければ僕も父も眠れない。眠れないんだ。」
斎は血の混じった唾を吐き捨てた。
「あたしの死体なぞ、奴は食わんぞ。奴は美食家だ。気に入らない死体は地上に返す。」
「そうかもしれん。だがお前の血が木を枯らしたのだ。」
「…魔法樹は枯れてなんかいない。」
「…夢で見た。穢れた血が聖樹を殺すのを。」
「そりゃただの夢だ。…なまくらな夢見だな?ああん?」
斎は「へっ」と笑った。
男達が怒りに燃えるのを陽介は見た。
斎は鋭い視線で一瞬ふりかえって陽介に言った。
「陽介! こっから出てラウールに連絡とってくれ! 頼んだぞ!」
「…捕まえろ。」
尾藤の命令に、兄達は忠実な犬のように動いた。陽介は猫を見たネズミのようなスタートダッシュであっという間に礼拝堂を抜け出した。
「…わあ、先輩も早いなあ、逃げ足。」春季はぼんやり言った。
「…だいたい普段の3倍の速さだな。」斎はそういいながら、床の絨毯を掴んだ。
「てえい!!」
転ぶというところまではいかなかったものの、お兄さんたちの足止めには十分役立った。
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「…先輩…僕とあなたを2人っきりにしないって約束したのに。」
「…恋に生きるのはお母さんゆずりなんだね…。」
「…別に恋じゃありません。」
「…てゆーか、いいじゃん2人っきりじゃないんだから。これあんたの兄貴どもでしょ?…まったく、やらかしてくれたわさ。ほんと、よーく騙してくれました。ええ。まったく。なにさーこんな凶悪な兄よく4人もそろえたもんさね。あんたの親やっぱり変!」
ぶーぶー騒ぐ斎の左の頬は目の下辺りが見るに耐えないほど悲惨に腫れている。流石に春季は少し遠慮がちにぼそぼそ言った。
「…僕も気付かなかっただけですよ。まさか自分の家族が黒いお揃いの斎服で5人で出かけて姉さんの友達に凝った手品見せて吹き飛ばされたなんて思わないです、普通。」
「…まあね。」
斎は掴まって縄でぐるぐる巻きにされ、「丸焼きの豚」の格好で棒につるされつつあった。春季は礼拝堂の椅子に座って、兄たちのその作業を見ている。
2人の兄が陽介を追って行った。
春季はぼんやりしていた。…足を、椅子に縛り付けられていた。勝手に動くと兄の一人が持っている典礼用の杓で打った。…3番目の、美治だ。ミハエルにひっかけた名前だと聞いている。ドラゴンハントの天使の名だ。兄弟で一番の過激派だが…普段は、春季が途中で投げ出したプラモを仕上げてくれたりすることもある。今は単なる過激派だ。
「…一輝兄、姉さんはどうしてんの?」
もう一人の兄に春季は尋ねた。精悍な顔つきの角刈りの兄は、ふん、と鼻で笑った。
「…今会わせてやるから大人しくしてろ。」
「…なんで僕まで縛るの。」
「いい機会だ。日頃の行いを振り返ってみるんだな。おまえがおれたちの言うことを大人しくきくと思えば縛ったりしないさ。…小夜は縛ってない。」
「…ふん。」
春季は笑い返した。
「生意気なんだお前は。」
美治が吐き捨てるように言った。
ややしばらくかかって「丸焼きの豚」が完成したころ、陽介を取り逃がした兄たちが帰って来た。
「…なんだ、手ぶらか?」
一輝が尋ねると仁王が担いでいた夜思を下ろした。
「…夜思はもう限界だ。途中で気絶した。」
「ネズミはどうする気なんだ。」
「…放っておけ。『手品』を見ただけだ。親父があとでなんとかするだろう。」
「…夜思はレコードの再生中か。」
「…怪我と薬のせいだ。夢を見ている余裕はないだろう。」
「そこに下ろさないでリリヤのところへつれて行け。4人いないと儀式ができない。…見ろこっちは捕獲したぞ。」
「ああ。その子がいれば十分だろう。」
仁王はいくぶん冷めた口調でそう言うと、夜思をかつぎなおし、ゆっくりと祭壇のほうに歩いていった。
春季はぼんやりとそれを見送った。
「儀式って、なんの儀式?」
すると斎が怒鳴った。
「っだああ!わかんない子だよもう!あたしに木ィ生やすんだってーの!」
春季は欠伸して、仁王の後ろ姿をみつづけていたが、その欠伸が途中できゅうに止まった。
「ちょっ…仁王兄なにしてんの?!」
とめる間もなく、仁王は祭壇の火に夜思を投げ込んだ。
「何やってんだよ!!」
「うるさい。」
仁王はめんどくさそうに言うと今度は自分が祭壇によじ登り、火の中に入って行った。
春季は一輝と美治をかわるがわる見た。美治は鼻で笑った。
「びっくりしたか?…おまえ来なくてもいいんだぞ。怖いだろう?」
「燃えちゃうよ!」一輝が春季の口まねをして言い、美治と2人で笑った。「…さて。俺達も行くか。…まあ、お前は来ないほうがいいかもな。お前が騒ぐと仁王の決意が鈍りそうだしな。…じゃあ手もしばっといてやろう。イッキニイのせいで行けなかったっつっていいぜ、可愛い末っ子。」
一輝は不意をついて春季の両手を掴むと、美治に縛らせた。いくら春季が大騒ぎしても2人とも知らん顔だった。
「…ったく、何も知らないくせに…」
美治は舌打ちしてそういうと、懐から燭台の下に敷くナプキンを取り出して、春季の口に噛ませて縛った。
「…ちょっとやり過ぎだぞ、美治」
一輝がそう言ったが、美治は春季の目を見たまま、一輝に言った。
「…一輝兄はこいつの五月蝿さに慣れ過ぎだ。俺達にとってはこのうえもなく五月蝿い。」
それから今度は春季に言った。
「…睨むな春季。目隠しするぞ。このまま静かにしてろ。親父がおまえのことを思い出さないようにな。親父的には小夜よりお前を使いたかったんだから。リリヤが嫌がったおかげでそんなわがままやってられるんだ。忘れるなよ。…まあいいさ。終わったらお前も慌ててあの先輩クンを始末しようと言い出すだろう。そのときはしっかり働いてくれ。」
そして春季から手をはなした。
2人の兄は『丸焼きの豚』を担ぐと、祭壇に登って行った。
そして火の中にまず斎を投げ込み…そして自分たちも相次いで白い炎に姿をけした。