4 斎-ITUKI-
お母さんがタミコをだきあげて引き離すと、陽介は黒い服の女子の顔を覗きこんだ。
「…おい、メギ。目木。しっかりしろ。」
名前を呼んだところをみると、知り合いのようだった。春季は近付き、自分も覗き込んだ。なにかすうすうした感じの緑の匂いが少しした。…名前もどこかで聞いたことがあるし、顔もどこかで見たことがある気がする。このばさばさのポニーテールがなにやら印象にのこっている。…姉の知り合いなのかもしれない、と春季はおもった。陽介は彼女の肩を掴んで揺さぶった。
「先輩、ゆさぶっちゃまずいかもしれません。」
「だいじょうぶだろ、まさか脳卒中ってこたあねえよ。」
「…でも頭打ってますよ。顔がすりむけてる。」
「…こいつのこった、どうせケンカだって。」
「…陽介さん、砂利に血が。…腕かもしれません。」
お母さんがそう言った。陽介は下になっているほうの腕を見た。
「…うわ…刺されたか撃たれたかしたな、こりゃ…。」
するとひそひそとお母さんが言った。
「お医者様を呼んでもいいのでしょうか?」
妙な問いだ。陽介は頭をかいて難しい顔をした。
「…それは本人に聞かないと…」
どうやら訳ありらしい。
腕の下の玉砂利はべったりと黒く汚れていた。春季は険しい顔になった。
「先輩、お父様のお知り合いで、口のカタイ先生はいらっしゃらないのですか。こんなに血が出てるのに、応急処置だけというわけにはいかないですよ。撃たれたなら弾がどうなっているか見ないと。」
「…いや、血は…こんだけ黒けりゃ、もう止まりかけだ。とりあえず中に運ぼう。足のほう持ってくれ、春季。お母さん、砂利に水かけて洗っておいて下さい。」
陽介がそう言ったので、春季は彼女の足を持とうとした。
そのとき、彼女はうっすらと目をあけた。
「…あ、小夜…。」
春季の顔を見てそう言った。
やはり姉の知り合いのようだ。
「…あの…」
「…痩せたね。陽介にいびられてるの?…早く別れなよ。合ってないんだよ、あんたたち…。」
それをきいた陽介が容赦ない大声で言った。
「じゃかましいわ。死んでろアホ。…今度はどこのヤクザをゆすったんだ。何のケガだ。」
春季は驚いた。まるで横暴な亭主のような勢いだ。陽介がそんな声を出すのを聞いたのは初めてだった。
「…だいじょーぶ、すぐ治る…。メシくわして、よーすけ。めし。… はらへって動けない…」
「一日3回自分で飯を食えと何度言ったらわかるんだこのボケがっ!!」
「…るせー…だまれ…ばか男…めしだ…めし食わせろ…めしー…」
そこまで言うと再び彼女はがくりと気を失った。
春季は呆然とした。こんな変な女は初めて見る。
覗き込んでいたお母さんはほっとしたように言った。
「この調子なら大丈夫ね。」
「むにゃ…小夜…女は少し太ってるほうが可愛いよ~…」
「…うわごとというより明らかに寝言みたいだしね…」
お母さんは首をふりながら水道のほうへ向かった。
陽介と春季は彼女を家の中に運んだ。猫達がみなぞろぞろとついてきて、横たえた彼女の回りを取り囲んだ。
黒いコートを脱がせると、中に着ていた長そでのTシャツは血でごてごてになっていた。特に左腕の、手首と肘のまん中あたりがひどい。布地は裂けている。春季はごくりと唾をのみこんだ。こんな大量の血は初めて見る。
「せ…先輩、やっぱりヤバいですよ。」
「…いや、ケガはたいしたことないみたいだ。これ、ひょっとしたら他人の血かもしれん。」
「ええっ!?け、警察!!」
「心配するな。こいつ、保護者が御立派だから俺達にコナはかからない。…ほら、みてみろ。傷はない。」
シャツの裂け目を軽くめくって見せてくれた。確かに傷などない。
「このまま仰向けに寝せておこう。…汚ねえ毛布でもかけとくか。」
「…ふつうの毛布かけてあげましょうよ。」
「…以前傘を貸したら簾になってもどってきた。油断できん。」
春季は呆れて尋ねた。
「何者なんですか、この人。」
「目木いつきっていうんだ。…うーん、去年は小夜と同じクラスだったはずだ。」
「不良ですか?」
「…いや、学校では借りて来た猫みてえに大人しいよ。しばらく来てなかったが。」
「…少年鑑別所でも行ってたんですか?」
「…テレビにでてたぜ、クリスマスに。連邦軍のクリスマスパレードで先導やってた。弟みたいなのと一緒に。」
「??」
「…だからさ、保護者が、お偉いさんなの、連邦の。」
「あ…そういうこと…」
「うん」
やっと納得できた。おそらく、いいとこのお嬢さんで、いわゆるお転婆娘なのだろう。少し風変わりなのも、無鉄砲のおかげで血まみれなのもきっとそのせいにちがいない。見覚えがあったのは多分、小夜の学級写真かなにかで見たのだろう。陽介と友達なのは、「偉い人の子供つながり」に違いない…と、春季は考えた。
陽介は本当に汚い毛布をだしてくると、畳の上の目木にかけた。するとさっそく猫たちはつぎつぎに上にのっかった。
「…こんなにのっかって大丈夫ですかね。」
「ほっとけ。目木は殺しても死なん。…えーと、飯だな。お前も食ってくか?」
「あ、…今何時ですか…」
「5:30。」
「あーうー、僕6:00で失礼しますんで…」
「遠慮しなくていいぞ。ただの猫まんまだから。」
「…は?」
「冷や飯に味噌汁かけたやつ。まあ人間用だから、味噌汁薄めないけど。…悪いが我が家の夕食は8:00と決まっている。こいつなんぞの為には変わらない。」
「…えーと、でも僕はうちで姉のつくってくれる御飯をたべなくてはいけませんので…」
「そうか。わかった。…じゃ、今こいつの分をつくってくるから、ちょっとその間、見ててやってくれ。」
「あ…はい、わかりましたー。」
陽介はそう言って部屋を出て行った。
すると入れ代わりで、お母さんが洗面器とタオルを持ってやってきた。
(あ、どんぐり…)
お母さんの後ろを「どんぐり」がついてきた。
「春季さん、ちょっと出ていてくださいますか。血を拭きますから。」
「あ、はい。」
春季は慌てて部屋を出た。そして襖を閉めようとして、愕然とした。
(ど…どんぐりー!!僕のどんぐりが!!)
「まあっ、ほほほ、どんぐりったら…」
「どんぐり」はなぜか目木の隣で目木の真似をするように仰向けに寝そべっていた。
「ほほほ。本当におちゃめさんねえ。」
お母さんが「どんぐり」のお腹をさわさわすると、「どんぐり」は「きっ」と起き直って「なにすんのよ~」という顔でお母さんに「しゃー」と鳴いた。
春季は襖を閉めた。
あまりのショックで目眩がした。
(ひどい…あんまりだよ、どんぐり…僕の見ている前であんな…)
「あれ、なんだ。追い出されたのか?」
陽介がお盆に猫まんまをのせてやってきた。味噌汁の具はモヤシだ。
「…お母さまが、血を拭いておられます。」
「気にすんな。あれは女じゃない。」
「え?!」
「いや女だがな。女のうちには入らない。…お母さん、開けますよ。」
「いいですよ、終わりましたから。」
陽介は足で襖をあけて、中に入った。お母さんがイヤな顔をした。
「まあっ、陽介さん、お行儀の悪い。」
「いつきー、エサだぞエサ~っ。」
おそるおそる春季が覗くと、どんぐりは目木の胸の上に座り込んでいた。
(どんぐり…)
春季が泣きそうになっていると、横たわっていた目木が、「うう」と言った。
「…めし…めしの匂いがする…ああ夢かもしれない…目をあけたら消えてしまうかも…しかもなんか重い…」
「とっとと起きろクソ女蹴り殺すぞ。」
「馬鹿男の声がする~」
陽介はそれを聞いて本当に蹴った。
「!!先輩!女の人蹴るなんて!!」
びっくりして抗議しようとした春季の声をかき消して、その女の声が響いた。
「いでっ!!なにしやがる!ぐわっ重いと思ったらおまえら~!!しかもいちばんでかいヤマネコが胸にいて起きられない!!ああっそしておばさんこんばんは!!」
「はいこんばんは。」
「すみませんがこのでかねこのけてくれませんか。」
「ぼ…ぼくが。」
春季は思わず申し出てどんぐりを持ち上げた。どんぐりは「しゃー」といいながらもおとなしくしてくれた。
(きゃーどんぐりvvvさわっちゃったvvどんぐり~vv)
目木はむくりと起き上がり、腕を見た。裂けたシャツの部分を思いきってむしりとる。…傷はなかった。
「…大丈夫みたい。…すいません。汚いナリできてしまって。」
「いいけど…何があったのですか?」
「…よくわからないんです。あーっ、陽介、ごはんvvvありがとうv」
「…万年欠食児童め。」
「ここんちの残りモンは下手な料亭よりおいしいよ~vv」
しゃりしゃりと音をたてて実に美味しそうに目木は御飯を食べた。そのときどんぐりの「初だっこ」にうっとりしていた春季は目木が横目で自分を見たのに気がつかなかった。
「一体何なんだ、その血は。誰か殺したんじゃねえだろうな?」
陽介はイライラした様子で足踏みして尋ねた。…珍しい光景である。
目木はしゃりしゃりとネコまんまをすすりながら答えた。
「んー、…いや、多分殺してないと思う。でも一人くらいケガさせたかもしれない。相手が5人だったもんで、全部に気がまわらなかった。」
「爆弾かなんか使ったのか?」
「いや、こっちは何も。」
「向こうは?」
「向こうは…」
そこまで言って目木は口をつぐんだ。
しばらくしゃりしゃりとネコまんまをすする音だけが続いた。
春季はツメが出っぱなしのどんぐりにひっかかれないように注意しながら、どんぐりをひざにのせてゆっくり撫でていた。どんぐりは機嫌よく足をなげだしている。春季はとても幸せだった。
(どんぐり~vv僕のどんぐり~v)
「…よーすけ、Tシャツ貸して。ちゃんと洗って返すから。」
「…信用できんな。いいよ、なんか古着くれてやる。…お母さん、」
陽介がお母さんのほうを見ると、お母さんはうなづいた。
「なにかてきとうなものをさがしてきますね。」
「お願いします。」
お母さんが出て行くと、目木はちらっと春季を見た。
今度は春季も気がついた。
(あ、ひょっとして、じゃま?)
…思えば小夜が新しい彼氏をつくっていないからといって、陽介が新しい彼女をつくっていないとは限らないのだ。
そう考えると、春季は途端に不愉快になった。
(なんか騙されてた気分。)
しかもこんながさつな女。小夜のほうがずっと女らしくて魅力的だ。…それどころか、春季のほうがずっと女らしいくらいだ。…何の自慢にもならないが。
どうやら、そういう思考は全部顔に出てしまっていたらしかった。
目木は食べ終わった茶碗を盆に戻し、箸も揃えて隣に置いた。そして春季のほうをまっすぐに見た。
「…さっきはごめんね。あんた、小夜じゃないね。弟?」
「…弟です。」
「あたしは去年小夜と同じクラスだったんだ。いろいろ世話になってた。」
「…そうですか。」
大人しくしていたどんぐりが、突然暴れだして、春季は仕方なくどんぐりを放した。
「…悪いけど、ちょっと外してくれないか。」
はっきりいわれたので、かえって腹もたたなかった。しかし春季が立ち上がると、陽介が言った。
「春季なら心配ない。話せ。」
すると間髪おかずに返事があった。
「心配ない?どうかねえ。今回は実はあんたに関しても私はかなり危惧してるよ。…だが転がり込んじまった以上あんたにまでだんまりってわけにもいかないだろ。」
かなりぴしゃりとした切り返しだった。
「…俺が多少のことで驚くかよ。」
バカにしたように陽介が言うと、目木は外人っぽい仕種で肩を竦めた。
「あんたの度胸は疑ってないけど、あんたの常識が多分邪魔になると思うわけ。」
「おまえの非常識にはもう慣れた。」
「…まあ、だから、あんたには言うから。信じようと信じまいとね。でも尾藤の弟は席はずして。」
何かただ事でない雰囲気だった。春季は関わりあうのもいやだったので、静かに立ち上がって、言った。
「…先輩、僕、出てます。」
そして廊下に出て、それから居間のほうへ行った。
居間はひっそりとしていたが、火鉢の火はまだ落ちていなかった。春季が火鉢のそばに座ると、ふさふさのマヤ夫人が近寄って来て、とおりすがりざまに体を春季にすりよせた。その優雅な後ろすがたを見送ると、くるっとひきかえしてきて、またすりよってきた。
「よしよし。いいこだ。」
背中を撫でると、春季の足のそばにくっついて座り込む。
春季はなぜか猫には滅法モテた。どんぐりは例外中の例外だ。
「おまえどこから来てるの?…あー、枯れ草くっつけて…」
春季はそっと尻尾についていた枯れ草を取った。
…そういえばさっき、目木はなぜか、ハーブの香りがした。おかしな話だ。ハーブなんか持ってる女が男のうちで残り物なんか食ってるとはどういうことだ?…だがあのハーブ…料理用のハーブじゃないような気もする。母の菜園にあったと思うが、食べられないといっていたものの匂いに似ていたような…。
あれは何に使うハーブなのだろう。多分睡眠導入とか心が落ち着くとかそんなもんだろうと思って気にもとめなかったが…。
少しして、お母さんが戻ってきた。時計を見ると6時近かった。
「…僕、そろそろおいとまいたします。」
「そうですか。また来てくださいね。…玄関までお送りいたします。」
「おかまいなく。先輩によろしくお伝えください。」
立ち上がった春季の足に「にゃーんvv」とマヤ夫人がまとわりついた。
「…よしよし。お前もまたね。」
頭を撫でる。
しかしマヤ夫人はそのままトコトコ春季について、部屋を出た。
「あら、マヤさんも帰るの? 」
マヤ夫人は振り返ってお母さんに「にゃー」と言った。
それで結局お母さんは玄関までマヤ夫人と春季を送ってくれた。
「…春季さん、目木さんのことは黙っておいてあげてください。…あの人、なにか、お義父様の関係で、大変なお言い付けを受けている方らしいので…。よろしくお願いいたします。」
お母さんがそう言って頭を下げるので、春季は慌てて手を振った。
「あ、そりゃもう、…はい、他言いたしません。何も見てません。」
それから頭をかいて、眼鏡を直した。
「じゃ、どうもお邪魔しました。」
ぺこりと一礼して歩きだす。
マヤ夫人はついてきた。