表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Darkness -under the tree-  作者: 一倉弓乃
3/26

3 陽介-YOSUKE-

 放課後、春季がもう一度文芸部を覗くと、陽介は熱心な横顔で宿題をかたづけていた。「学校の仕事は学校で」がモットーだという彼は、プライベートにも色々な用事をかかえていて、なかなか春季と遊んでくれない。もっとも、そうでなかったら今頃春季は小夜に「ミイラとりがなんとやら」と嫌がらせを言われていたにちがいなかった。

 陽介は(春季の予想に反して)のほほんとしたお人好しの男だったが、何を考えているのかは今一つ不明だった。ただ、明らかに、ニンゲンより猫が好きだった。ニンゲンの家族は母親がひとりだけ。父親は…生きていてどこかで立派に活躍していて、母子の金銭的面倒を見たりしていて、多分あの立派な庭付き日本家屋も父親の援助品だろうと思われるのだが、同居をしている気配はなかった。そして「親父の用でな」と陽介が一言つけくわえたときには、絶対的な何かを感じさせた。…多分、どこかの「偉い人」なのではないか、と春季は思う。それからちらっと「兄」の話が出たことがあった。しかし、勿論同居ではない。6人兄弟鮨詰めの尾藤家とは対照的なすかすか家庭と言えた。

 春季は部室に入ると、陽介の後ろの椅子に勝手にすわり、そこに出してあった雑誌の続きを読んだ。

「…あー、春季、今日暇だぞ?来るか?」

 陽介は宿題にむかったまま尋ねた。それはとても嬉しい申し出だったが、春季は少し考えざるをえなかった。ここ数日、家族が出かけていて、尾藤家は春季と小夜が二人で留守番していたのだ。

 小夜は一人でいるのを嫌う。

「…うーん、今親留守ってるんですよ~。…でもちょっとだけ行こうかな。『どんぐり』だっこしたいvv」

「うん、じゃ夕飯の前までな。…ちょっとまっててくれ。すぐ済ますから。」

 陽介はそう言うと、宿題の速度をあげた。

 20分ほど後に、二人は学校を後にした。

 外はいい天気で、流動性樹脂のドーム殻を通過する紫外線カットの太陽光はほかほかと気持ちよかった。酸素調整のために一面に植えられた常緑樹をふちどって、櫻の並木にはピンクの花が咲いている。盛りはもうとうに過ぎて、はらはらと散り逝く風情がのどかだった。

「教団の行事かなんかなのか?親兄弟は。」

「そうみたいです。」

「本部の祭りかなんか?」

「うーん、なんでしょ…。僕や姉さんは洗礼も受けて無いし、教団関係のことはハブキなんですよね~。」

「…まあ4人も跡取りいりゃ十分だよな。のこり二人はなんかベツモノに育ってほしいんだろう。」

「そういうことにしときますか…。僕、正直あの教団うさんくさくて嫌いなんですよね。なんか怪しい。」

 陽介はそれを聞くと少し苦笑して言った。

「でもこないだ借りた教典おもしろかったぜー。なんかファンタジーみたいでさ。」

「…安物のね。」

 春季は腐って言った。すると陽介は言った。

「…今って結局、世界が凄く明らかな時代じゃない?秘境は暴かれつくして、遺跡は掘り尽くされて、人類は減少衰退して、そして世界は砂漠になってさ。人類の地理的版図の空洞化にともなって精神的な版図がさ、荒廃してると思うんだよね。」

「精神的版図ねえ。」

「うん、だから、ああいう…なんか、上手く言えないけど、秘匿された別世界っていうか…そういうものの存在って大事だと思うわけ。」

「どうして?」

「…それって、イメージ的に何かと重なるんだよな~。なんてーか…」

「一種の理想郷っていうか、失われた楽園ではあると思いますけどね。…まあ、楽園とはとうていよべない種類の町ではあるんだけど。憧れの地ではありますよ。神の眠る場所ですからね。」

「ウンそーね。…その憧憬っていうか…時間軸か次元のズレみたいな感覚って…夢に似てるよね。」

「夢って、眠ったときに見る夢ですか?」

「うん、そう。だからフロイト風に言うと無意識のにおいがする。…ユング風に言うと魂のにおいが。…オカルト的に言うと、神や悪魔といった超越者の気配。」

「…」

 春季は考えこんだ。

 陽介は言った。

「…秘匿された聖地とか封じられた神様とか、きっとニンゲン様は、そういう譲れもしないし壊れもしない、命がけになれるような何かを本当は心のどこかに持っていなくちゃいけないんだよ。それは誇りや強い意志や…なにかに打ち勝つために必要な心の力の源なんだ。」

「心の力の源、か。まあ、宗教ってそういうものですよね。」

「うん、そう。だから、いいんじゃないの?あれはあれで。」

「何の話でしたっけ。」 

「教典がファンタジックだという話。」

「あーああ。そうでした。」

 陽介の家は、学芸都市のドームを出て、歩いて30分ほどの、エリア地区の一等地にある。地面は土なので、庭付きの一軒家だ。

 陽介の家につくと、門の上に『そうせきくん』がいた。陽介を見るなり飛び下りてにゃ~と鳴いて、陽介の足に「すりすり」した。そうせきくんは陽介に一番なついている猫だ。陽介はそうせきくんを抱き上げて、門から中に入った。

 玄関をはいると、顔だけ真っ白で体は茶の縞、背中に一つだけ大きな白のぶち、という『おめんちゃん』が香箱を組んでいた。

「おう、おめんちゃん。いつもお前の顔にはびびるなあ。ただいま。」

「おじゃまします、おめんちゃん。」

 二人が言うと、おめんちゃんは「むえ~」と不思議な声を出してこたえた。

 日本家屋の長く薄暗い廊下が続く。少し入った廊下で陽介は立ち止まり、襖の前に座った。春季も慌てて一緒に座った。するとそうせきくんを渡された。

「ただいま帰りました。」

 声をかけてから襖を少しあける。中には陽介の母親がいて、畳の部屋で座布団に座り、火鉢にあたっていた。膝に一匹三毛猫がすわっている。それともう一匹毛足の長い雑種猫が尻尾をふっさりと立てて部屋の中を歩き回っている。

「お帰りなさいませ。」

 陽介の母親はほっそりしていて、若く、美しい女性だった。陽介そっくりのくっきりとした二重まぶたに、黒いまつげが長い。品のいい普段着の着物を着ていた。丁寧に御辞儀して他人行儀に息子を迎えた。

「春季くんが遊びに来てくれました。」

「こんにちは、おじゃまします。」

「いらっしゃいませ。どうぞゆっくりなさってください。まあ、嬉しいですね、陽介さん。弟ができたみたいですね。…あとでお茶を運びますか?」

「お願いします。」

 陽介はそれだけ頼むと、またすっと襖を閉めた。そして春季からそうせきくんをとりあげると、立ち上がった。春季も後に続いた。

 …物凄く変な親子だなあ、といつも思う。

「…あのふかふかの雑種初めて見ました。」

「あ~あれ?うちでは『マヤ夫人』と呼ばれている。」

「あ、ビジターですか。」

「うん。たま~に来るやつ。」

 同じビジターでも日課として必ず毎日来る猫もいるのだという。

「長毛種のあの尻尾はまた独特な趣きですよね~。」

 春季が言うと陽介はそだな~と言ってちよっと目を細めた。

「長毛種って物静かな奴が多いんだけど、あいつはかなり行動派だね。でも気持ちは優しいみたいね。」

「そうですか~。」

「おまえの猫、長毛種じゃなかった?」

「ええ。なんかもう、おっとりしているとかそういうレベルの奴ではないです。超然としてるっていうか…大抵の人間のこと手間のかかる子供だと思ってるみたいです。」

「女の子?」

「女の子です。…てゆーか、おばあちゃん、かな。」

「今度つれて来いよ。」

「うーん、もう3キロ軽ければなあ。…先輩タクシーで送り迎えしてくださいよ。そしたら連れてこれるから。」

「…今度オヤジにタクシーチケットもらったら考えてみよう。」

 陽介の部屋は2階で、なかなか面白い部屋なのだが、猫と遊ぶ場合は一階の一室が客間として使われる。その部屋は縁側の雨戸や障子をあけると良く手入れされた日本庭園がのぞめる。さらにその向こうが茶室になっている。

「先輩、今度お茶おしえてください。」

「俺もよく知らないんだよね~。おふくろに頼むといいかもな。ずっと使ってないけど、多分おふくろが昔使ってたんだろうと思うぜ、茶室。…あっちの離れも茶室なんだ。四畳半だけど。」

「四畳半てどのくらいですか。」

「畳4枚半の広さのことだよ。あんまり広くない。…ああ、今日はあったかいからこの部屋も気持ち良いな。やっぱり冬は少し寒いよな、ここ。」

 陽介はそういいながら、8畳間の縁側に面した障子を全て開けた。

「…八重桜ももうじき終わりだな…。」

 ひらひらと庭の桜の花びらが一枚舞い込み、陽介の肩をかすめて舞い落ちる。春季は目を細めた。陽介はときどき後ろ姿が鮮烈に美しい。

 ほめるのも変だな、とおもったので、春季はけなしてみた。

「…先輩じじいくさーい。」

「おれはもう老人だ。」

 陽介は怒るでもなくへらへら笑った。

 障子をあけると縁側から猫がぞろぞろ入って来た。そのなかに春季のお目当てのどんぐりがいた。

「あ、どんぐり~、どんぐり~」

 春季が呼ぶと、一匹のぼさぼさの山猫がジロリと顔を上げた。

「どんぐり~」

 もう一度呼ぶと、「うるせんだよ」と言わんばかりの風情で「しゃー」としゃがれた鳴き声をたてた。

「かわいいvv」

「…お前の趣味も変わってるよなあ。」

「おいで~、どんぐり、おいで~。」

「…彼奴はタダじゃこないって。…煮干し持ってくるか?」

「あ、持ってます、カリカリのキャットフード。」

 春季はそう言って急いで鞄からビニール袋をだした。春季はいつもこれを持ち歩いている。すると一斉に5匹ほどの猫が尻尾をたててニャーニャーと春季に近寄り始めた。

「ああっ、集まってきちゃった! よしよし。」

 手早くほかの猫にクッキー型のフードを配り、やや遠巻きに寄って来ている本命のどんぐりにぽんと一つ投げてやる。

「しゃー」

 しゃがれた声で鳴くと、どんぐりはキャットフードを前足で踏み付けた。

「ああっ、どんぐり、なんてことを!!」

「しゃー」

 そしてどんぐりは興味なさそうに立ち去った。

「ああ待って、まってどんぐり~!どんぐり~!!」

「…あいつ、乾物で食うの煮干しだけなんだよ。あとは半生しかくわない。」

「どんぐり…おまえに会いに来たのに…ああどんぐり、そのハネハネの頬のあたりにさわってみたい~…判事のように気高いお前をひっくりかえしてごろごろ言わせたい~…どんぐり~…僕の手はお前を天国送りにできるゴットハンドだよ~どんぐり~」

「まあそういわずに、他のとも遊んでやってくれ。『ぱすた』なんかそんなにお前になついてるのに、可哀想じゃないか。」

「ぱすた~vv」

 春季の膝の上でとっとと腹を見せてひっくりかえっていた白と茶のぱすたの腹をにょごにょご撫でると、ぱすたは「うふーん」と身をよじった。

「ぱすたウチに欲しいなあ。…どんぐりはきっとなつかないだろうから、ウチにいるとせつないけど…ぱすたとなら愛のある生活がおくれそうだし。…ウチのショウヤもトシだからいつまで元気かわからないし。」

「…春季は案外一番好きな女と結婚できないタイプかもな。」

「余計なお世話ですよ。」

 陽介はピンクの猫じゃらしで、畳の上でそうせきくんと遊んでいる。

 やがて夕方になり、少し日が陰ったころに、陽介のお母さんが人間用のおやつとお茶を持って来てくれた。ついでに小さなビニール袋に煮干しをもってきてくれた。

「春季さん、春季さんのおうちは、ここよりもう少し学校の近くとうかがっているのですけれど…?」

 陽介のお母さんがお茶を並べながらそう言った。春季はうなづいた。

「はい。エリアの東のはずれです。」

「…あのう、もしや、そちらのおうちの近くで、黒い、小柄な猫をみませんでしたか。」

 春季は昼間に陽介に言われたことを思い出した。

「あ…先輩にもききました。アルテミスのことですよね?」

「はい、アルテミスが…実は、アルテミスの夢を見てしまいまして…急に心配になってしまいまして…。」

 可愛いお母さんだな、と春季は思った。

「見かけていませんけど、見つけたらお知らせしますね。」

「すみません…」

 油断していたらぱすたがテーブルにのっかって、春季の紅茶をふんふん嗅いでいたのであわててカップをひっぱった。

 お母さんが出て行った少しあと、春季はぱすたの口を押さえながら尋ねた。

「…お母さん、アルテミスのこと御贔屓なんですね。」

「いや、おふくろはマヤ夫人や『タミコ』のほうが贔屓なんだ。でも…なんていうか…アルテミスは変な奴っていうか…うーん、気にかかるんだな。俺もそうせきくんのほうが全然すきだが、やつのことは気にかかる。」

「夢って、どんな夢だったんですかね。」

「…庭の茂みで…ほら、ちょうど今おふくろが立ってるあのあたりで、アルテミスがケガしてうずくまってる夢だったんだと。…アルテミスはたいていケガをすると、桜の根元にしがみついてるんだが…」

 そのとき茂みの近くに立っていたお母さんがすっと顔を上げ、陽介を見た。

 陽介は口をつぐんで立ち上がった。

「…アルテミスですか?」

 縁側へ出ながらそう言うと、お母さんは首を振った。春季も何事かとそこにあったサンダルをつっかけて後を追った。

 そして茂みのところへきて仰天した。

 茂みの向こうの玉砂利の上に、女子学生が倒れていて、タミコが一生懸命舐めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ