22 久鹿家-父-
「…で?何でお前が俺んちで飯くってんだよ。」
「ちーす」
「ちーすじゃねえよ。…目、くっついてるって…」
「おうよ! みてみ! みてみ! すごいから!」
斎はじゃりじゃりと飯をすすりながらサングラスをずり上げた。…まぶたは、確かに上下がくっついてなめらかにつながっており、まつげがなくなっていた。
そんな斎の背中の遥か後方で、どんぐりがおめんちゃんと昼寝している。そしてさらにその上にタミコがのっかろうと画策中だった。
「…一体どうやるとこうなるんだ。一緒にいた春季はなんでもなかったのに…」
「うーん、説明はむつかしいねえ。春季ちゃんは多分、そういう前歴がまだなかったから無事だったんだと思う。…だから今度の時はわかんない。ほら、スズメ蜂とかって一回目は腫れて痛いだけでも二回目さされるとショック状態に陥るっていうでしょ。あれみたいもんよ。」
「…かけとけ。」
陽介はしみじみと自分ごとのように怯えたあと、サングラスを戻してやった。…自分がこんな目にあったら、多分2時間以内に恐慌状態に陥る。…まったくつくづく心も体も強い女である。
「…おめえのオトートチャンみたい例の変なヤツが学校にきて俺と春季を思いっきり脅していったんだぞ。だから随分心配してたんだ。これからヨーロッパに連れて帰って切開手術するとかきいてたのに。」
「ああ、咲夜ね。切開したってまたくっつくだけだっつってんのにわかんないのさあのバカ共は。」
「またくっつく?!なんで!?」
「これは免疫みたいもんなの。」
「免疫?」
「そ。ゴミが体にはいりそうになったらクシャミしたりハナミズだしたりしてブロックするでしょ。それとおんなじ。呪術的なソレなわけよ。ほっとけばおそるおそる直るわさ。初めてじゃねーし。ヤダヨ切開なんて。」
「…てお前、見えなくてヤバいだろ?!」
「だいじょーぶさあ。大体わかるよ、空気の流れとか音とかで。これでもドーム育ちだからね。エリア独特の空気の流れには凄く敏感! 障害物とか物の位置とかたいていわかる。というわけでえ、はこばれそーになったところから逃げてきまシタ夜露死苦!!」
「でも字とか読めないだろ?!」
「字なんかテストんとき以外読まねえもん。」
「!!」
…活字中毒の陽介には、まぶたくっつき事故よりもこっちの発言のほうが数段ショックだった。
斎は飯茶碗と箸を置くと、丁寧に正座しなおし、陽介に体を向けると熱心に尋ねた。
「…それで…昨日は2人で疑似救済的時間を過ごしたの?」
「…なんだそれ。」
「ひらたく言うと、『脱いでもつれたのか』ってことさね。」
「!!そんな動揺に付け込むような真似するかバカヤロー!! 見損なうな!」
「…そんなカッコつけてるとアンタなんかより数段格下のバカなヤツにとられちゃうよ~、そのうち。人間はね、魂の救済より肉体の快楽に弱いし、多くはその区別すらつかないものなの。…て、おかーちゃんが言ってた。あたしにはよくわからんが。ヒッヒッヒッ。…春季ちゃんてあんなに可愛い子だったのね~。性格があまりにキツイからわかんなかったわ。静かにしてて笑うとなんだか明るい満月のような子ねえ。」
「…てゆーかおめえはあきらかに美形音痴だからな。」
「あれえ?さっき咲夜に『あんたはしょせん面食いだよ!!』て涙ながらにののしられたのになあ。…そういえばあたしつい言ったよ、あたしが面食いの女なんじゃなく、陽介が面食いのホモなんだって。うん。でまかせで言ったけど、実はあたりか。」
「…いつか殺す。」
「25くらいで殺ってくれるとベターだねえ。」
「そんなに早くていいのかよ?!」
「…遅いくらいだ。」
斎は最後の一言を凄みのある声で言った。
陽介は「これは気付いてはいけない」と思い、咄嗟に倍の勢いで返した。
「楽しみに待ってろ。」
斎はそれを聞くとフフフと笑った。
少ししてお母さんが、おやつをもってきてくれた。
そしてその後ろにくっついてそうせきくんがやってきた。そうせきくんの顔を見たタミコは何か気にいらなかったらしく「にゃー」と鳴いて出ていった。ふすまのむこうでお母さんの足にたかったらしい。「あらなあにタミちゃん」というお母さんの声が聞こえた。
そうせきくんはちょっと斎のそばにいき、首をかしげて斎を見上げていたが、陽介が手をさしだすと、その手にとととととと走ってきて顔をすりつけた。陽介が両手でなでまわすと、あたりまえのような顔で陽介のひざに座った。
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何の話からしようか、と考えているところへ、お母さんが引き返してきた。
「…陽介さん、突然ですが、お父様がみえられました。ここへ通せとおっしゃっていますよ。どうなさいますか。」
お母さんはチラッと斎に目をやった。陽介はうなづいた。
「わかりました、お願いします。…あ、これを下げてください。…斎、左へつめろ。」
陽介は斎の餌鉢をお母さんに渡し、斎の右側へ座布団を放り投げた。新しい座布団を出して自分の座っていた席に置くと、自分は座卓をまわって斎のとなりに移った。
「…わあ、キンチョ-。陽介の親父さん初めて会うね。」
「…話すぶんにはただの田舎もんの世話焼き親父だから、キンチョ-はしなくていい。…でも頼むから大人しくしててくれ。親父は女というものはウチのおふくろみたいなもんだと信じている。」
襖があくと、そうせきくんはすっと立ち上がって足早に出ていった。おめんちゃんはどんぐりの腕の間で目をさました。どんぐりだけ、悠然と眠っている。
「…どうぞ。今お茶をお持ちいたします。」
「…コーヒーが飲みたいのう。」
「かしこまりました。」
男が入って来た。頭は両脇だけ残して禿げていて、血色のよい健康そうな顔をした男だ。背はそんなに高くない。ぷりぷりと固太りしている。…陽介の父親なのだが…全然似ていない。
「おお、なんじゃ、この猛獣、野放しか。」
入ってくるなりどんぐりを見つけたお父さんはびくりとした。
「…別にいい子にしてます、ほかの連中と同じですよ。」
「…眠っとるな。」
お父さんはおそるおそる入って来て、座布団に座った。
「おじさん、コンニチハ!」
今度は斎が元気良く言ったので、陽介のほうがビクリとした。
「…はいこんにちはー。」
お父さんは大きな声で普通に挨拶した。
「…陽介、ちと込み入った話じゃから、悪いがカノジョさんには部屋行っててもらえ。」
「カノジョさんではないです。…これが、今回問題になっていると思われる例の。」
「…大怪我して病院に搬送されたとかきいとったが。」
「…手術がイヤで逃げて来たらしいです。」
「イヤっちゅうてものう。」
「見る?おじさんも見る?」
また唐突に斎が言ったので、陽介はひやりとした。
するとお父さんが言った。
「どれ。見せてみい。」
5秒後、お父さんの低いうめきごえがあたりに響いた。
「これはひどい。放っておいてはいかん。…しかしどうやったらこのように?痛くはないのか?」
「だいじょぶよ~、すぐ治るから、心配しないでネ。いたくないのヨ~。」
「だいじょぶでない! 治るわけないじゃろう!」
お父さんは「ばいーん」と張りのある大きな声で叱った。斎はニコニコして言った。(…不審なことに、嬉しそうだ。)
「だーいじょーぶ、だーいじょーぶだって。昔も一度なったことあるし。…それより、おじさん、今回は、陽介をあたしの面倒ごとにまきこんじまったらしくて、申し訳ありません。…それにいつも飯たかりに来てすみません。」
斎はテーブルすれすれまでペコリと頭を下げた。お父さんはなだめるように手をあげた。
「ああ、飯な…。しかし今回は…まああんたの父さんとこのヤクザな秘書がなんだかんだ言っておったが…どうもあんたの父さんの関係らしいのう?」
「…そうなの?」
陽介は複雑な顔でお父さんを見た。
「…集団自殺があったとかで、なんでも市長のグルーピーだと思われてたらしいが、どっかのインチキな宗教だったそうじゃないか。市長に妙な執着があるらしいとかで、今度はお嬢ちゃんにコナかけてきた、とそのように聞いたが。ちがうかのう、陽介?」
陽介はそれを聞いて、春季が別れ際に言っていた「同じ顔」の件を理解した。
…事件現場にあったのは、市長のポスターではなくて、神様の絵だったのだ。…ということは、市長のがわにはまったく何の関係もなかったということになる。いい迷惑だった、ということだ。…むしろ「市長が斎の件にまきこまれた」というのが正しい。
陽介はどこまで説明したものか、悩んだ。洗いざらい話して転校とか通信科編入とかいう話になったら一大事だし、かといって尾藤家から狙われていることを父親に隠し通すのも危険だ。
まず、菊とお父さんがどのような話し合いになったのかが問題だった。
「うーん?そうかもしれない。」
結局そんな曖昧な返事になった。
「煮え切らんのう。」
「俺のダチがたまたまそこの教団の息子だったっていうのが、俺的には重要なんですけど。」
「たまたまではなかろ。餌じゃ、餌。おまえがお姉ちゃん振っちまったもんじゃから、弟が寄越されたんじゃな。」
「それはお父さんの見解ですか?」
「秘書くんもそういっとったが、わしも妥当と思うぞ。」
「…」
「…言いたいことがあるなら言え。」
「…いえ別に。」
家族からは耳を塞がれて、よそからはスパイ扱い…春季の憤慨が目に見えるようだった。…それとももう諦めただろうか?諦めて、そういう立場を受け入れただろうか。
「…市長の秘書は何と?」
陽介が尋ねたところで、お母さんがコーヒーを持って来てくれた。陽介と、斎の前にも並んだ。
「わあ、いい匂いv」
斎が嬉しそうに言うと、お母さんは少しにっこりして言った。
「お砂糖入れる?」
「はい。」
「いくつ?」
「あ、適当でいいです。」
「じゃ二つね。足りなかったら陽介に頼んでね。」
「はい、すみません。」
お母さんはスプーンで砂糖を入れ、かきまぜてから、斎の手をとって、カップの持ち手を触らせた。斎は心得てすぐにカップを持った。お母さんは出ていった。おめんちゃんも出ていった。そして入れ違いに、なんともいえない妙な色合いの、いわゆる「錆猫」が入って来た。体一面斑のある鉄錆びのような色をしている。ポンポン尻尾の、いわゆるジャパニーズボブテイルの血らしい。(拾い物なので詳しくはわからないが…。)まるでウサギのようなまるい尻尾がちょこんとついている。
「…バショウくんは父さんが好きだな…。」
「バショウくん?ああ、この妙な柄の猫か。」
「サビ猫というそうです。」
「バショウくんなどと変に捻らんで『サビー』のほうがおぼえやすい。」
「…そいつ飯のときくらいしか俺の前にでてきませんよ。…少し愛想してやって下さい。」
陽介はそう言ったのだが、当のバショウ君は斎の後ろを通ろうとし、どんぐりがいるのにぎょっとして引き返し、思いあまってぴょーんとテーブルに乗った。お父さんはびっくりして言った。
「こら!テーブルにのるとは何事か!」
「…バショウくん、おいで。」
陽介はそう言いながらバショウくんを抱いて下におろした。
「…今はいいこにしてないとダメだよ。」
陽介がそう言うと、バショウくんは気に入らなかったとみえて体をよじり、ぱっと陽介の手から逃れて部屋の奥へ行ってしまった。
「…俺に懐かないんですよ。」
「…そのようだの。」
「…どんぐりもなつきませんけどね。」
話がどんぐりにほうへ行くと、立場のよくないお父さんは「ごっほん」と咳払いして誤魔化した。当のどんぐりはというと、斎のはるか後方で、まるで古巣の洞窟に戻ったかのように爆睡している。
「…で、市長の秘書はどうするつもりだと言ってましたか?」
「…相手の出方によっては教団を根こそぎにすることも考えておるらしい。」
「! …それは…そこまでする権利が市長にあるでしょうか。」
「…骨抜きにされおって。愚か者かお前は。陽介。」
人のよさそうなハゲ親父はそのきつい一言を…「ぽい」と出す感じでのほほんと言った。
「市長の秘書がうちにナシつけに来ておるのだぞ。おまえは好むと好まざるとに関わらず、今後は教団から『市長の知り合い』というレッテルを貼られることになる。下手をしたらそれは『カタキ』というレッテルと同じ色柄をしたものかもしれんぞ。…まったく、いい迷惑だの、陽介。わしまであっちの陣営と思われたらどうしてくれる。」
「…」
陽介は返すことばもなかった。
「…いいか。その上市長の一派が教団を潰したとしても、こっちはお前の件で向こうに礼を言わねばならん。『陽介くんも危険なので』と話があったからの。…おまえはもうすこし自分の立場を考えて動かねばならんぞ、陽介。
それからお前を骨抜きにしたその小僧とは手を切れ。今後のこともあるでな。わしはお前がホモじゃろうがコーイチがロリコンじゃろうが別にかまわん。だが、命にかかわるとなると放ってはおけん。これでも一応親じゃからの。…それができんなら、わしが手をまわしてその一家をエリアから追い出す。」
「…それじゃ『たちの悪い政治家先生』ですよ。」
「わしゃ、それだからの。」
ハゲ親父はぽよよんと言った。
そのとき、ずぞーっと音をたてて斎がコーヒーをすすった。
お父さんはちょっと顔をしかめて斎を見た。斎の目が見えていないことも勿論計算してのことだろう。
陽介はうんざりして言った。
「…おめー、静かに飲めよ。」
「お茶は熱いのをすするのが美味しいんだ。…ね、おじさん?」
いきなりふられて、お父さんはやれやれという顔になった。
「…それもそうだの。」
斎はサングラスの顔をお父さんに向けて言った。
「おじさん、ごめんねえ、迷惑かけて。…菊になるべくこれ以上おじさんに迷惑かけないようによく言っとくから。」
「…嬢ちゃんも何言われるか、わかっとるだろ。…ねこまんまは本日かぎりじゃよ。」
「…そうねえ。」
斎は珍しく大人しそうにそういい、またズゾ-っとコーヒーを飲んだ。
「…そいえばおじさん、さっき、これがどうやるとなるか、知りたがってたよね?教えよっか?」
斎は唐突にそういうと、サングラスをずり上げてみせた。お父さんはまた低くうなった。
「…しまっとき、嬢。」
「…お父さん絶対に教わってはいけません。」
陽介は慌てて、断固として言った。するとお父さんは、やにわに興味を覚えたようだった。
「…どうやったのかの?」
「お父さん!」
「…ちょっと手かして。」
斎が言うとお父さんは何がどう関係あるのか分からずに、テーブルに手を出した。陽介はその手を押し戻そうとしたが、斎がお父さんの手を掴むほうが早かった。…まるではっきりとみえているかのようだ、陽介の動きも、お父さんの手の位置も。
「お父さん、どうなっても知りませんよ。」
陽介は怒って抗議したが、お父さんはおもしろがっただけだった。…或いは冷たい少女の手が心地よかったのだろうか?
「…じゃ、やるよ。」
斎がそう言った次の瞬間。
…いやな匂いがした。
お父さんがぐっとかげっとかいった種類の短い悲鳴をあげた。
斎が手をどけると、お父さんの手はもののみごとに4本の指が溶けて同化し、不思議な生々しい曲線を持つ現代芸術のオブジェのようになっていた。
「ね?痛くはないでしょ?」
「斎! この野郎!」
陽介が唸るように言うと、斎は陽介に軽くホールドアップした。
「だあっておじさんが知りたいってえ。」
「こういう教え方は金輪際やめろ!! どうするんだこの手!!」
「…切開すればあ?」
「おめえ切開しても治らないといってたじゃねえか! すぐまたもとにもどるって! だからほっといて治すって!」
「じゃあほっとけばあ?」
「…やりおったな、嬢。」
人のよさそうなはげ頭が真っ青になった。そしてふつふつと汗が出始めた。
斎はひょいとサングラスを上げてみせた。
陽介も真っ青になった。
「…心配いらないよ。すぐなおしてあげるから。…でもね、おじさん、おじさんがエリアから追い出すかもしれない尾藤家はこういう外道な業も大得意。…おじさんあたしをおっぱらっていいの? 目がこんなふうにくっついちゃったら、どうやって治すの?切開するの?…誰かこゆことに明るい人がいたほうがいいんじゃないの?…政治家とか運動家とかって、こゆことできる?」
陽介は口を結んで沈黙した。
おとうさんは、この手で活動するときや、仕事するときや、或いはもっとちょっとしたことや日常的なことをするときや、ひょっとしたらベッドの中のことも、そのいちいちの不都合さについて、いろいろと瞬時に想像を巡らせたようだった。
そして苦しそうに
「…そうじゃな。」
と言った。
冷汗がだらだらと流れていた。
斎はサングラスをちょいとおろし、再びお父さんの手をうえからそっと掴んだ。
一瞬で、お父さんの手は元通りになった。
…気がつくと、どんぐりが起き上がって、斎のとなりでビックサイズの猫手をもこっとテーブルに置いていた。お父さんは二度ぎょっとした。お父さんがびっくりするのを見て満足したのか、どんぐりはいつきの背中のうしろに隠れ、正座した斎の尻に背中を少しだけくっつけた状態で、再び横になった。
「ありがとう。おじさん、いい人ね。…末永くお友達でいようねえ。あたし、おじさんが変な目に遭ったときはがんばっちゃうわあ。」
斎はサングラスの顔で、口だけにっこりして言った。
そしてコーヒーを啜った。
…はったりは、見事に成功した。
尾藤家の魔術とは何ら関係のない目蓋は、思わぬところで役にたったようだ。
(斎め、汚い手をうまくつかいやがって…そのうち親父にこてんぱんにやられても俺は知らんぞ…。)
陽介が心の中でひとりごちていると、次に斎は陽介に向かって言った。
「…ところで陽介、春季ちゃんの家はどう出て来そうなの?」
「…」
陽介は言い淀んだ。
殺すか監禁。
…今、父に知らせたくなかった。
「…尾藤家にしろ私にしろ、下手をすれば今や春季ちゃんも、なにしろこういう…」と斎はサングラスをコンコンと爪で打った。「…次元で生きてるから、つい感覚がずれがちなんだけど、尾藤家の一番ヤバいネタって、客観的に見てなんだと思う?集団自殺?白き炎?あたしや小夜の件?チューブ駅?」
陽介は斎にそう言われて、少し冷静になった。…おしぼりで汗を拭うと、考えて、答えた。
「…やっぱり集団自殺の件だろう?」
「…て、どやって殺したの?あれ自殺だよ、解剖学上は。」
「…でもおまえんとこの一派がそれをネタに攻め込んで来たじゃねえか。」
「…でも裁判にかけたら、多分無罪だね。連邦の法律に呪い項目ないしょ?」
「…いや、でも、解剖学上はそうだったとしても、教団内部では話もちがってくるだろう。」
斎は首を振って言った。
「…それよりもチューブライン・ステーション周辺の器物破損のほうがヤバいっしょ。明らかな、目に見える器物破損だもん。」
「だってあれはおめえがやったんじゃねえかよ!」
「あたしが?へえ?あたしはチューブに入るまえに身体検査うけてるし、あの場で血どろどろ流してるんだよ~?被害者さぁ。誘拐されかかった市長の娘だもん!」
「…待てよ!」
いくらなんでもそれはずうずうしすぎる。表情の全てでそう訴えながら、陽介は言った。
「おまえあれを尾藤家のせいにするのか?!」
「だって尾藤家のせいじゃん!」
「やったのはおまえだろ!」
「かかってきたコナはらっただけさね! あんただって誘拐されかかったら、相手のうでに噛みついてでも逃げるでしょ?! 刺してでも! 殺してでも!」
「だけどやったのはお前だ!」
「…だれも春季ちゃんがやったとは言ってないよ。」
斎が陰険な声で言うと、陽介はびっくりして、黙った。…陽介は、確かに春季をかばっていたのだ。
「…春季ちゃんのことはおいといて。…みなさんが普通に考えて、どうかって話だよ。…春季ちゃんだって言ってたぜ、自分ちの親がお揃いの服でガッコの先輩に大掛かりな手品見せるなんて、誰がそんなこと思うかって。…実の子だって、反連邦テロかなんかだと思ったんだ。」
異論がない様子を確かめてから、斎はさらに言った。
「…陽介は、あの爆発に少なくとも尾藤家の父親と上から4人の兄貴たちがかかわっている事実に辿りついちまってる。また辿り着いてることを尾藤の親父にカンづかれてる。…あたしが尾藤の親父なら、消すね。もう、ばっちり、解剖学上は自殺でしかありえない殺し方でね。…呪い殺す。」
斎はそういって、ちらりとサングラスをめくって見せた。…久鹿の父と息子は一様に震え上がった。「呪い」など馬鹿げたお伽話だ、日本の州法でだって不能犯扱いになる。だがこの斎の目蓋の惨状は、そうした常識を四の五の言わせず沈黙させるだけの威力があった。
「…でも春季ちゃんは陽介が好きだから、きっと最後は体張ってでも助けてくれるよ。」
話がそこまできて、お父さんは春季の立場がわかったようだった。陽介もようやく、斎が春季の弁護をしていたことに気がついた。
陽介の頭はやっと少し平静を取り戻した。
「…俺は別に怪我したわけじゃねーし、尾藤家には恨みがあるわけじゃねえから、見たことについては今後世間的には黙っててもかまわないんだけど…。勿論、公共施設の破壊は正直言って大変に良くないことだし、尾藤家はもう少し計画遂行時に配慮が必要だったとは思うけど、何にしたって実際に壊したのは斎に違いないわけだし。」
「今後じゃ遅かろう。ベルジュールに届いてしまっとる。」
お父さんもようやく汗を拭う元気がでたらしく、ハンカチを出して、禿げた頭と額を軽くおさえた。
「…斎んちのほうは、出方次第では教団を潰すとかって話だったというけど、手加減する可能性としては…どのあたりなんだろう?」
陽介がお父さんに尋ねると、お父さんは言った。
「…向こうが土下座して泣いて謝れば、何らかの口輪をはめてお咎め無しにするか、或いは家族の一人に責任をとらせることでカンベンする、というあたりじゃろう。」
「なんとかそっちの方へ持って行けないかな…。春季は友達だし…。それに、向こうもいろいろ事情があったからやったんだろうし…。」
「それは秘書くんの腕と心根次第だのう。」
「…まあそうだよな…。あのさ、なんか、尾藤家、ヤバかったらしいよ。…教団内部で力のあるお父さんと4番目がなにやらかなり不調だったとかで…。それで色々苦肉の策うってたらしい。」
「…ああ、そうだったね。」
斎がとぼけて同意した。
「なんだか、超常能力が不調だったみたいね。まあきっとストレスかなんかだろうとは思うけど。引っ越したり、配置転換があったりしたらしいもんね。でもそういうこと言ってられないから…。」
むう、とお父さんは唸った。
「あんたにコナをかけてきたのは、あんたのさっきのような技を利用するためかのう。」
「それはそうみたい。」
「…では市長にコナをかけてたのはなぜなんじゃ。」
「うーん、それはあたしにはわかんないデス。」
斎はそう言ってとぼけた。…いや、とぼけたのではなく、多分本当にわからなかったのかもしれない。斎に「同じ顔」の話をする暇が誰もなかったから。
お父さんは少し考えているようすだったが、やがて言った。
「…よかろう、とりあえず、尾藤家の処分はガラの悪い市長の秘書に任せてある。お前達はいちおう、彼の交渉が済むまで、わしのところへ来ておれ。ここではなにかあったときどうしようもないのでな。」
「でもあたし菊にめっかったら強制送還されちゃう。」
「…斎、いやほんとマジだけど、一応病院いっとけよ。そのほうがいいって、絶対。」
陽介は内心、父が菊に事態を任せたことに驚いていたのだが、それよりも斎の目の件のほうが先だと思って、そう言った。
「んなに怖がらなくてもうつりゃしねえよ。」
斎が「この無礼者」といいたげな顔で言った。
「見てると痛いんだよ。」
「んなわけねーだろ、落ち着けっつーの。」
斎は肩を竦めてわざとおおげさに「ハアア」と溜息をつき、首を左右に振った。それから手探りでカップを探して、ズズズズ、とコーヒーをすすった。
陽介はお父さんに尋ねた。
「…でも、あとで礼入れるのがおっくうなら、なんで俺の分まで菊さんに任せたんですか?」
「…そりゃ仕方なかろう、お前があの姉弟にひっかからんかったら、今回の危機はなかったんじゃとねじこまれればのう。…これ以上いらん手だして混乱招くなと言われれば手をだす余地などないわい。」
陽介は思いっきりカチンときたが、事実なので仕方がなかった。…おそらく陽介本人よりも、お父さんのほうが何倍もくやしかったことだろう。
斎がのんびり言った。
「…へえ、んじゃ、菊、やる気だな。」
「えっ、何をだ?!」
陽介はドキリとして尋ねた。
「…そーか。それで咲夜なんかつれてきたんだ。あんまり仲良くないのに、変だなと思ってたのよねえ。そうか、クラッシャー系ってことか。」
「ちょ、ちょっとまて、斎、何をやるんだ、誰が?」
「んー…やっぱあたしも行こうかな、尾藤家。なんか暴れんぼ出来そうな予感。」
「まてまてまてまて。」
陽介は慌ててとめた。
「おまえ、その目じゃ行っても何も手伝えないだろう?ん?」
「そーんなことナイヨー?壊さないように暴れるのはむつかしいけど、ぶっこわすのは簡単。」
「イヤイヤイヤイヤまてまてまて。」
「だってお父さんとこ行ったら報告に来た菊に問答無用で掴まっちまうもん。どうせそうならあたしも暴れる。」
…お父さんは、苦虫を噛み潰したような顔で溜息をついた。
陽介は慌てて、尾藤の一家がかなりダメージを食らっている件を父親に説明し、斎はここであずかり、自分もここにいても多分問題ないだろう、ということを必死で説明した。




