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Darkness -under the tree-  作者: 一倉弓乃
21/26

21 金曜日

 昼休みに陽介が部室に行くと、旧校舎の残骸のような古い部室には、もう春季が来ていた。

 春季は案外と冷静にしているように見えた。

 制服は自宅にあるとかで、学校に置きっぱなしにしていたジャージを着ている。…昨夜はあのまま陽介の家にとまったので。

 …ショウヤは、春季の足音を聞くと、ぱっちり目を開けて、ふさふさの体でのっそり起き上がり、春季の足に近付いた。この世のものとも思われないような美しい声でにゃーん、にゃーんとくり返し鳴いた。…春季が膝を落として座ると、その膝に小さな手を揃えてのせ、その手の上に頭をのせて寝そべった。そしてごろごろと機嫌のいい音を立てた。春季がその毛皮を撫でて、「ショウヤ、有難う」と言うと、ショウヤはそのまま気持ち良さそうに、コトリと眠った。

 白い大きな猫は、それっきりだった。

 朝、陽介の母親が業者に電話をかけた。…夕方までに、骨にして返してもらうことになった。

「…春季、パン買ってきたぞ。」

 陽介が声をかけると、窓辺に佇んでいた春季は振り向いた。…眼鏡をかけていないと、近寄ったらバチがあたりそうな美人だった。今朝、手入れの悪さに心を痛めた陽介の母が一生懸命10分で即席トリートメントをかけてやった髪が、グラビアの美少女のようにつやつやと陽に透けている。

「…あ、すみません。」

「…ちゃんと食っとかなきゃな。」

「…そうですね。」

「どっちがいい?」

 春季は差し出されたパンをろくすっぽ見ずに、左側を指定し、受け取った。

「ほれ、牛乳。」

「あ、どうも…。すみません。御馳走になります。」

 2人は並んで座ると、パンの包みを破った。

 春季が選んだのは焼そばパンで、陽介の手に残ったのはコロッケパンだった。春季ははみだした紅生姜をつまんで食べ、その意外な味にびっくりしたらしい。

「…とりかえてやろうか?」

「あ、ヘーキです。これショウガなんですね。ぴりっとして美味しいですけど…真っ赤だな。」

「赤いものって食欲が出るだろう?…だからわざわざ染色するんだ。紅ショウガっていうんだよ。」

「何か別のものかと思っちゃいました。…ショウガって黄色ってイメージだったから。…そうか、日本のショウガは赤くするのか…。」

 春季はつぶやきながらパンを食べ…尋ねた。 

「…斎さん、来てましたか?」

 陽介は両手の手のひらを上向きにひっくり返して広げ、答えた。

「…クラスが違うからまだわからんよ。廊下ではみかけてないけどな...。」

 春季が少し心配そうに言った。

「…目、マズイのかな。」

 陽介はコロッケを飲み込みながら、どうしようか少し考えて、言った。

「うーん…まあ来なかったら、帰り、ドミに寄ってみるさ。」

「でも男子は入れないのでは?」

「入り口から呼び出しかけてもらうよ。倒れてるかもしれないって言えば、見て来てくれるさ。」

「なるほど…。」

 春季は納得すると、黙った。

 ちょっと様子をうかがい見ると、黙ってぼんやりと、部室の本棚を見ている。そしてもそもそと焼そばを噛んでいた。

 春季の見ている本棚は、学芸ドームができる前の古い古い高等学校からナニカのつごうで生き残っている木製の棚で、引き戸の硝子が片方だけついている。(もう片方は3年の先輩が入学したときには、もうなかったとか聞いた。いつかのやんちゃな先輩たちの一人がうっかり割ってしまったのだろう。)会誌のバックナンバーが番号順にならんでいるほかには、原稿を綴じたファイルが多少あるだけだった。

 …多分、何も見ていないのだろう。

 そのとき、トントン、とドアを叩く音がした。…斎なら容赦なく「ガラッ」と来るはずなので、どうも別人のように思われた。ちなみにここの部室はもともと物置きに使われていた所らしく、階段の裏側を改造した空間だ。階段が巨大なのでけっこう部室も広い。ただなんというかこう、清潔なリノリウムの床にオートロック・オートドアの教室や各施設とは違って、どうも昔の用務員さんあたりがコツコツと素人手で改造したような雰囲気が色濃くあった。どうもその人が、廃棄されかかっていた旧校舎(ドーム以前の)の物品を密かにここにしまいこんでいたのではないかというような想像が絶えなかったが、そんな事情でものすごく旧式の勿論手動のしかも木製のなんとあろうことか引き戸がついている。ちなみに、鍵もあるが開けっ放しにしてある。

「…へいへい。」

 戸を開けると、陽介より少し背の高い少年が立っていた。

 ここの生徒ではない。私服だった。…斎のように、黒い服を着ている。

 斎よりも手入れの格段によい黒髪は斎よりも随分長く、くっきりした強い印象の目には、攻撃色があった。

「あれっ?」

 陽介はその妙に芸能人のような派手な男子をTVで見たことがあった。

「…おまえ、斎の例の変な弟みたいな他人じゃねえの?連邦軍のクリスマスパレードで斎と歩いてたろ。見たぞ。」

「サクヤだ咲夜。いい加減おぼえろ。去年だってどっかで会っただろう。変な弟みたいな他人って何だ。無礼にもほどかある。」

「あったっけ…?昨日市長室に電話したら秘書たちがおまえはアメリカの片田舎にいるって…」

「…入るぞ。」

 有無を言わさず咲夜は部室に踏み込んだ。春季は頭だけそちらに向けた。

「…何ですか?」

 当り前のようなこだわりのない調子で春季が尋ねると、咲夜は言った。

「…昨日連絡がきてな。アメリカの片田舎から復旧したてのチューブラインですっとんできた。ウチんとこの姐御が世話んなったらしいな。」

「ああ…。それは…僕も世話になりましたので、おかまいなく。」

「ふん…。…こっちで菊と落ち合った。菊はラウールの秘書で、まあまあ使えるほうだ。表も裏もよくわかってるしな。今さっき、保護者代理で、ドミにいった。」

 それを聞いて陽介はほっとした。

 なんだかんだ言っても、ちゃんと世話をする気があったのだ。…本当に良かった。

 チューブラインサービスは航空機に代わる移動手段としてドーム時代の初め頃に連邦諸州で整備された。航空機の半分以下の所要時間で、州都からヨーロッパまででも4時間ほどで到着する。その名のとおり管の中を10人乗程度のランチを飛ばすものだ。真空のチューブの中のランチは電磁波で加速させて進ませる。心臓に疾患がある者は乗れない。

 春季が立ち上がって陽介のそばに並び、咲夜に尋ねた。

「…斎さん具合はどうですか。」

「…目蓋が溶けて上下くっついてる。眼球は動くみたいだし、明るさなんかはわかってるらしい。」

 陽介も春季もぎょっとした。…まさかそんなにひどいとは思わなかった。

「…これから搬送して、切開する。」

「ここらへんの病院か?」

「…P-1につれて帰る。こんな危険なところに無防備な状態でおいておくわけにはいかない。」

「…」

 春季は少し目を落とした。…長い睫毛が瞳を半ばかくしてしまう。

「…そうですか。…僕は大事なメッセージを預かっていてあのひとに伝えなくてはなりません。連絡先をおききしておきたいのですが。」

「知らせない。」咲夜はにベもなく言い捨てた。「必要なら斎が自分からお前に接触するだろう。…斎の母親が生きていたらしい件は聞いたが…それよりお前、目前のことをもう少し気にしたほうがいいぜ。…菊が君の一家と今夜交渉にはいる。菊は、法律にのっとってしゃべっちゃくれないぜ。」

「…そりゃ…」春季はまばたきして目を上げた。「…困りました。でも、確かにそのほうが、目木さんの安全のためにはいいことかもしれない。わかりました。僕は…待ちます。」

 陽介は春季をそっと見遣った。…春季の本音は、多分、今、斎のことは気になっているが、処理できる自信もない…そんなあたりだろう。…おそらくは周期的におそってくるペットロスの苦痛だけでも、時折身も世もないような心理状態に陥っているはずだ。まして昨日電話口で泣き出したり、陽介に明かしてはならないことまで洗いざらいぶちまけてしまったときの様子を鑑みてプラスすると…春季の心の中は今、かなり「ひどい」状態なのではないかと思われた。斎への伝言の件が先延ばしになったのは、春季にしてみれば有り難いことだったかもしれない。

 けれども春季は更にこう言った。

「…うちの親たちもあまり法律のことは気にしていないみたいなので、多分その人と話が合うことでしょう。」

 …斎の弟分相手に、「ひどい」状態でも負けていない。

 咲夜は鼻で笑った。

「そいつはけっこう。…親に多少でも未練があるなら、今日は自分のうちにかえったほうがいいぜ。…それからお前。」

 咲夜は横目でジロリと陽介を見た。

「…菊はおまえの親父にすでに午前中に会ってる。…お前の親父、えらいんだってな! ハナシ聞いてびっくりしたぜ。まあ斎から『いいとこの息子らしい』ってハナシは聞いてたけどな。」

「…」

 陽介はクラスメイトにそう言われたときと同じように沈黙でこたえた。

 咲夜は性格の悪そうな表情でニヤリとした。

「今回お前に関する件は多分菊が全権委任で預かることになるだろう。貴様もこれでラウールのコマだ。ざまあみろ。」

「…そりゃどうも。矢鱈滅鱈美形の戸籍上の親父さんに宜しく伝えてくれ。」

 陽介はかるくやり過ごして、肩をすくめた。

 咲夜は勝ち誇ったようにニヤついて言った。

「…斎がギャアギャアうるせえから、菊もおまえらのことには配慮するだろう。だから自分らのことは心配しなくていいぜ。むしろおまえたちが家族をかばってやることだな。そうすれば菊はお前らの家族をタタキ過ぎないように気をつけるだろう。」

「…御忠告いたみ入ります。」

 春季は言った。

 陽介は鼻で溜息をついて言った。

「…おまえ、ほんとは斎に『春季ちゃんやヨースケにいらん脅ししたらぶっ殺す』って言われてねえ?」

 咲夜は思わず詰まった。

 …図星だったらしい。

「…浅知恵なんだよ。」

 呆れたように陽介が言うと、咲夜は悔しそうに言った。

「…いつかてめえを追い払ってやるからな。斎のダチだからっていい気になんなよ。」

「ハイハイ、大事なオネ-チャンによろしくな。…いつでもうちのお袋がねこまんま用意して待ってるからって、いっとけ。…や、いろいろ連絡ありがと。忙しいんだろ、さ、もう行けよ。かまわないから。」

 陽介は思いきりめんどくさそうにシッシッと手で追い払った。

 咲夜は戸をがらがらぴしゃんと閉めて出て行った。

 春季は閉った戸を見て溜息をついた。

「…なんか…アルテミスそっくりの人ですね。パン少しあげればよかったかな…。」

 陽介はそれを聞いて小さく吹いた。

 春季は少し柔らかい目になった。

 陽介は言った。

「ばか…殺されるっつーのお前…。あいつ、斎のそばにはりついて、斎の死んだ弟の代わりやってる変な奴なんだよ。顔がそっくりなんだと。俺なんかまだ斎とタメだからまだイイっつったってお前なんか一番やべえよ、イッコ違いだろ?斎の死んだ弟って年子だったらしいぜ。」

「…顔が…そっくり?」

 どこかでそんな話を聞いた…春季はそんな顔をして、じっと陽介を見つめた。そんなにすぐそばから見つめられて、陽介は当惑した。なんかものすごく可愛いのだ。…陽介が困っているのに気がついたのか、春季は目をそらすと、額を陽介の肩にこつんとくっつけた。…じわっ、とあったかい。

「…先輩、すみません。思い出せないです。」

「…なんだか知らんが、無理しなくていいよ。」

 春季はうなづいた。

 陽介は遠慮がちに春季の肩に手をやって、言った。

「…でも春季、ショウヤはあずかっておくから、今日は自分ンち帰れ。…親父が黙って俺の身の振り方を見ず知らずの若いのに任せるかどうかいささか疑問だ。もしノーなら、ウチのブレーンが出てくるだろう。ちょっと右よりの勇ましいニイサンがたや、現役のお役人に政治家センセイもまじってるかもしれん。…そんなことになったらお前の親は魔法全開で逃げざるをえないところまで追い込まれるかもしれない。…でもそのとき、おまえがそこにいれば、できることや言えることがあるかもしれないから。…何もできなかったとしても、居たほうがいい。居ないときっとあとで後悔するよ。」

「…」

 春季は陽介によりかかったまま、小さくうなづいた。

 …予鈴が鳴った。


+++

 午後3時、学芸都市の金曜日の終鈴は、教会の晩鐘のように幾重にも幾重にも鳴り響く。幼年部から大学まで、一斉の終鈴だ。高等部以上の学生たちの多くは3時以降は自主研を行なう。運動サークルも自主研のうちだ。中等部はこの時間から部活動に入る。小さな子供達は、運動場からひきあげて、開門されたドミへと帰る。

 陽介と春季は文芸部の部室で落ち合って、陽介は宿題をかたづけ、春季はぼんやりと窓辺の椅子に座ってそれを待った。春季は陽介にべたべたまとわりつくのを遠慮したことはないが、今日は離れて、陽にあたっていた。紫外線をとりのぞいた午後の日射しは春そのもののように柔らかく、テニスコートの遠い歓声がのどかな終わりの春にのびのびと響いている。…離れてノートに向かっている陽介の集中力はイマイチらしく、窓辺の春季を時々気にかけていることが肌で感じられた。…春季は、そのきわめて貴重な時間に静かにひたった。

 陽介の宿題が終わったあと、連れ立って学校を後にした。

 翼光教団トーキオ支部教会は、学芸ドームから「わたり」をわたってエリアに入れば、もうすぐそこだ。春季は、今日はひどく陽介と別れるのがつらかった。それを察したのか、陽介が言った。

「…春季、今夜おちついたら電話よこせ。ケイタイの番号、斎から聞いただろ?覚えてないか?」

「あ…じゃメモかなんか…」

 春季は何しろその日手ぶらで学校へ行っていたので、手持ちのメモがなかった。

 陽介はかばんからペンを出し、春季の右手を引っぱると、手の甲がわの、親指の付け根の下あたりに、小さく番号を書いた。

「…待ってるから。」

「…はい。」

 春季はうなづいた。ペンのキャップを閉める陽介に、春季はふと思い出して言った。

「…先輩、昨日の今日で、ウチの兄達はまだ動けないとは思いますが、どうぞくれぐれもお気をつけて…。」

「ああ、わかってる。」

「…顔が同じって…どういう意味なんでしょうね。」

 なんとなく春季が言うと、陽介は言った。

「…本とか読み過ぎると、現実のレベルでも文章みたいに何にであれ意味をつけたくなっちまうんだよな。しまいにポストが赤いのは誰かの怒りだとか思いたくなる。」

 春季はそう言われて微笑した。

「象徴に凝ると、ときどきなりますよね。姉さんが塩の蓋を閉め忘れるのは性的欲求不満だとか思ったりね。」

「ああ。りっぱな解釈妄想だぜ。記号の病だ。…斎と例のアルテミス君は血がつながってるらしい。出身都市は別々だし、どこがどう繋がっているのかはわからんが、DNA鑑定をかけたら、だいたい従兄弟ぐらいだったんだそうだ。」

「あ…そうなんだ。」

「…顔が同じっていうのも、多分『似てる』の誇張だろう。あまり考え過ぎるなよ?」

「あ、はい、大丈夫です。」

 春季はつとめて笑顔を作った。そして言った。

「…せんぱい、さっきの、…思い出しました。」

「…さっきの??」

「…顔が同じって話。…ミルエと市長は顔が同じらしいです。僕は顔まで見ていないのでなんとも言えませんが、母がそう言っていたそうです。…いや、最近どこかで『同じ顔』の話聞いたなあ、とか思ってたんですよ。その話でした。思い出してすっきりしました。」

「市長とミルエは顔が同じ?…そうなのか?」

「ええ。そうらしいです。」

 今度は陽介が何かを思い出そうとして考え込んだ。

 春季は陽介が、『市長のポスター』の件を思い出す前に、別れることにした。…陽介のことだ、必ず一時間以内に思い出すだろう。

「…じゃ、夜に電話します。」

「…ああ、気をつけてな。がんばるんだぞ。」

 2人は別れた。

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