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Darkness -under the tree-  作者: 一倉弓乃
20/26

20 Birthday

 小夜は、ぼんやりと自分のベッドに横になっていた。

 痛みがいつまでたっても消えないような気がしていたが、どこが痛いかと聞かれるとこたえることができず…自然と涙がでてきたが、泣いたからといって苦しみが去るわけではなかった。

 …少し熱があるらしい。先程仁王は洗面器に入れたお湯とタオルを小夜に運んできてくれて、体を拭って少し眠るようにと言ってくれた。…大きなあざができていた、仁王の顔。

 お母さんは?と小夜が尋ねると、お母さんも横になっていると仁王は言っていた。

 そして部屋を出て行くとき、仁王はうつむいて、小夜に詫びた。小夜は首をよこにふって…答のかわりにした。だれだって、為そうとしたことが、出来ずじまいになってしまうことはある。仁王は…一生懸命来てくれた。それだけでも十分だと思った。結果が、不幸だっのは、…運が悪かったのだ。自分も、仁王も。

 仁王が出て行ってから、小夜はぼろぼろの服を脱ぎ、タオルをぬらして体じゅうにこびりついた血をぬぐった。乾いてとれない血を何度もこすっているうちに、肌はあちこち赤く痛くなり、小夜は一人で泣いた。

 ベッドに横になっていると、自分が疲れてぐったりしていたことに気がついた。布団の柔らかみが不快なほどの疲れだった。小夜はそのままごろごろと寝返りをうってわざと床におちた。板床は硬くて冷たかったが、まっすぐ仰向けになると非常に楽だった。小夜はそのまま布団を掴んでひきずりおろし、いい加減に自分の体にかけた。足がはみでたが、そのまま放っておいた。…楽になった。もう動きたくない。

「…姉さん、入るよ?」

 誰かの声がしたが、小夜は放っておいた。もうなにもかもどうでもよかった。

 ドアがあいて、冷たい空気が流れ込んだ。

「…落ちてる?」

「…下りたのよ。」

 寝ぼけたことを聞かれたのでビシっと言い捨ててやった。…こういうバカは、尾藤家には春季しかいない。

 春季はやってきて、小夜のそばにしゃがんだ。

 …まだ着替えていないらしい。汚れた匂いがした。…泥とか、血とか。 

「…言われなくても着替えなさいよバカ。箪笥の3番目の引き出しに入ってるでしょう?お姉ちゃん具合悪いの。自分でして。」

「…うん。…姉さんが無事なら、もう行くよ。…姉さんにはもう関係ないもんね、久鹿先輩のことなんか。」

「…あんなやつの名前なんかききたくない。」

「…うちの両親、先輩のこと殺すか幽閉する気らしい。」

 小夜は吐き捨てるように言った。

「そうすればいいのよ!いい気味じゃない!」

「…そうだよね。姉さんにひどいことした男だものね…。」

 春季はトーンダウンした声で、ぽつりと言った。

 小夜はイライラした。寝返りをうって春季のほうをむき、手で体をささえて起き上がった。

「いい加減にしてよ!!あたし今だれとも何も話したくない!!もう少し気つかってよ春季!あんたいつも自分のことばっかり!!」

 春季は小夜に怒鳴り散らされるのには慣れているので、少し首を傾げて、怒号が止むのを待っただけだった。

「…姉さんが鍵かけにいったきり急にいなくなって…みんなで探したんだ。斎さんとか久鹿先輩とか来てくれて。…ほんの数時間まえのことだなんて、なんだか冗談みたいだ。…でも無事でよかったよ。…じゃあ、僕は行くけど…仁王兄なんかに姉さんまかせていくの心配だけど…でもしょうがないね。…はやく新しいカレシつくってね。」

 小夜はだんだん不安そうな顔になり、しまいに尋ねた。

「…どこへ行くの?」

「…姉さんが新しいカレシつくったら、僕、先輩ともっと遊ぶんだ。…そうだ、ショウヤ見なかった?…少しどこかで預かってもらう。」

「…向うでなら見たわ。おっきくなってた。」

「…え?」

「…ショウヤ物凄くおっきくなって、あたしと斎ちゃんを怖いところから連れ出してくれたの。…一緒だったけど、噴水をくぐったときに離ればなれになっちゃって…」

「…」

 春季は一瞬、目眩を覚えた。

 …そうだ。

 …その部分だけを断片的に思い出した。

 噴水に潜ったあと、あそこに出たのだ。

「…それ、ショウヤじゃない。」

「斎ちゃんもそう言ってたけど、…でもあれはショウヤだったわ。」

「おっきくて…どんなだった?」

「青いおっきな目だった。白くてふっさふさだった。」

 春季はぱっと立ち上がった。

「…姉さん、…誰かに聞かれたら、僕はショウヤを探しに行ったって答えてね。見つけたら帰ってくるからって。」

「まって、春季、どこいくの?」

「…」

 春季は少し考えた。

 自分はどこに行くつもりなのだろう?

 どうするつもりなのだろう?

「にゃー」

 唐突に猫の鳴き声がした。

 2人はふとそちらを見た。

 戸口に、小ぶりな黒猫がいた。

「…クロ…」

 アルテミスだった。

 可愛い目でじっと大好きな小夜を名残りおしそうに見つめていたが、やがてふいっと立ち去った。

 春季は小夜に背を向け、アルテミスの後を追った。


+++

 すがすがしい夜だった。

 家を出てすぐ、春季はアルテミスを見失った。少し歩くうちに空腹を覚えたので、コンビニに入って残り物のおでんと缶コーヒーを買うと、おでんをたくさんおまけしてくれて、おまんじゅうとサラダもつけてくれた。…どうやら直に日付けがかわるらしい。捨てるよりは貰ってくれということらしかった。 

 店の外の駐車場に立っている街灯の土台に腰掛けて、春季は割り箸を割り、今一つ不器用な箸づかいでおでんを食べ始めた。

 暗い夜の空気に湯気がとけてゆく。温かくておいしかった。

 サラダのパックも缶コーヒーもカラになり、お饅頭の袋をあけたところで、どこからともなくアルテミスが戻ってきた。

「…やあ。…食べる?」

 春季が尋ねると、アルテミスは後ろ足でててててててと首を掻いた。

 少しちぎって、肉のついているあたりを、少し遠いところに置いてもどってくると、春季が戻ったあとにそこへゆき、はみはみと食べ始めた。

「尾藤くん!」

 呼ばれて顔を上げると、斎が駆け寄ってきた。

「ああ、目木さん!」

「あたしにも饅頭くれっ!!」

 その第一声に思わず破顔して、春季は食べかけの饅頭を二つに割り、半分斎にやった。斎は大変うれしそうにそれを食べた。

「無事でしたね。」

「お互いね! …家から逃げてきたの?」

「…いえ、先輩と、それから別の人にも伝えなきゃならないことがあって。急ぎ、出てきました。」

「…陽介に何連絡?電話じゃだめだったの?」

「…そうですね。僕が離反していることが、親にバレないほうがつごうがよいと思います。」

「…離反か。決めたんだね。」

「…はい。」

「…」

 斎は春季にかける言葉をさがしているふうだったが、思いつかなかったらしく、とりあえず顔をあげてニカっと笑った。春季も笑い返した。

「…うちの親は、先輩を殺すか幽閉する気のようです。」

「げげっ!!」

 斎はぎょっとした顔で言った。

「ゆ…幽閉?!」

「ことりさんみたいに篭にいれて飼うそうですよ?」

「…あんたとこの親父ひょっとしてどえらい変態?!」

 春季は照れくさくなり、てへへと笑って頭を掻いた。

「…わらって肯定しないでよ~!!!」 

 おやじってーか僕ってーか、と言おうかと思ったが、恥ずかしかったのでやめた。

 …笑うと、急に気持ちが楽になった。

「なんでちょこっと手品みたくらいで!!そこまでやるかなあ! 過激派だよアンタとこの親!」

 春季は肩をすくめた。…さすがに、親をベルジュールに売ってはいけないだろう、と思い、「めくらましの生け贄」のことは言わなかった。

「…それを先輩に知らせなくてはと思って。…早く伝われば先輩のお父様がなんとかしてくださるかなって思って。」

「そうか…。そうだね。ああ、そうそう、それに、ショウヤも陽介が預かってるよ。」

「あ、そうだったんですか。探してました。よかった。…しばらく先輩のとこであずかってくれれば助かるけど、無理ですよね。」

「…尾藤くん、ショウヤ、昏睡したきりなんだ。」

 春季は…そういった報告を…或いはもっと酷い内容の報告を、すでに覚悟していた。

「…そうですか。みなさんの話を総合すると、どうやら僕が…無理かけてしまったみたいで…。年寄りなのに…。」

「ああ、わかってるんだね…?」

「…はい。ショウヤが、僕をたすけてくれたみたいです。…もしかしたら、このまま、僕の代わりに…。」

「まだ、いまのところは生きてるよ。眠ってる。」

「…はい。」

「…」

 斎は春季をのぞきこんでしばらくそのまま黙っていたが、やがて言った。

「…ショウヤのこともあるし、尾藤くんは陽介のうちに行ったほうがいいね。遅いけど、あたし、あんたに会ったら電話するようにって陽介から言われてるから、ついでにアンタが行くって、伝えるよ。」

「…はい、よろしくお願いします。」

 春季はこくりとうなづいた。

「…目木さんはどうするんですか。」

「ドミ帰って寝る。陽介の読みでは、今日は尾藤家は動かないし、うごいたとしても、学芸ドームのほうが安全だからって。ほら、あそこは無条件で子供守ってくれるからサ。」  

「…ドミか。」

「あんた、もしかアレなら友達のつてでドミにとめてもらうといいよ。学籍あるんだし、あの文芸部のナントカって先生に頼めば、編集かなんかの理由で宿泊許可でるよ。多分。」

「有難う、いよいよになったら考えてみます。」

「…」

 斎は春季が心配なのか、またそのまま黙ってじーっと春季を見ている。…何だか可笑しかった。

「…なんです、じろじろ見て。」

「…ううん、大丈夫だろうとは思っているから、大丈夫?てきくのもへんだけど、でもやっぱりきいてみたほうがいいような、そんな感じ。」

「…大丈夫です。」

 春季はうなづいた。

「うん、わかってるけど…」

 斎はさらにそう言って迷った。

 …と、そのとき、春季の左手で斎の目が止まった。

「…?!あんた何されたの?!」

「え?」

 斎は乱暴に掴みかかり、抵抗を許さない勢いで春季の上着を剥いだ。

「…あ、噴水で別れたあと、僕、根の下のほうに流れ着いて…」

「根の下?!」斎は噛みつきそうな勢いで怒鳴った。「…ヤツがいただろう?!」

「斎さん、会ったことあるんですか?」

 びっくりして幾分逃げ腰になりながら尋ねると、斎は首を左右に振った。

「わたしはヤツからは絶対の魔法で守られている。そうそう近寄っちゃこられないさ。『穢れた血』をヤツは極端に嫌う。でもしっているよ。神殿ではみんな知ってたことだもの。…ヤツになんかされたのか?! なんかつけられてる!」

「…ちがいますよ。そこに潜んでいる女の人がいて、その人が、そこには滅多に人が来ないから、僕に伝言を頼めないかって言うから…。なんの伝言なのかはわからないんです。でもそこに見えないようにかいておくからって、おまじないを。その人が僕をこちら側に送り返してくれたんです。」 

「…女?何者だ、根の下にいるなんて。しかも送り返しただ?そんな大業...?」

「さあ。伝言は娘さんにって。しばらくうろついていれば、その娘さんのほうから僕に接触があるだろうって。…え?」

「!」

 2人は静止した。

 斎の顔は街灯の灯りでも十分わかるほどに真っ青になっていた。春季は慌てて尋ねた。

「…なんて書いてあるかわかりますか?」

「…よく見えない。」

「ぜんぜんだめですか?」

「…」

 斎は思わずそのぼんやり光っているあたりを軽くこすった。

「わあっ!!」「うわっ!」

 かなりの光量の閃光が唐突に発生して、2人はびっくりして後ろにひっくりかえった。 

「い…イタイ!」

「な…なんか見えました?」

「てゆーか目があかない!」

「ええっ?!」

「あ、いや、そんな深刻なものじゃないけど…チト待って…」

 斎はうずくまったまま目を押さえ、少し苦しんだ。

 春季も確かに目が痛くなったが、しばしばと瞬きをくりかえすうちにすぐに回復した。

「…斎さん、なにか冷やせるようなもの、買ってきます。もうすこしこっちに移動して、…そうそう、じゃ、ここに座っててください。」

「…わりィ。」

「まっててくださいね。」  

 春季はコンビニの中に走ってもどり、冷蔵庫の冷たいジュースのパックを買い、すぐに引き返した。

「ちょっと冷やしましょう。…まだ痛いですか?」

「…いや、大したこと無い。」

 たいしたことない、と口では言っているのだが、目があかないらしい。春季は緊張した。なんだったんだろう、まさか罠なのか…?

 春季の緊張を察したらしい斎が言った。

「…ああ、えっとね…多分、私の…なんていうか、手...?というか身...かな。分、かもしれない。…そういうものに余るものだったんだと思う。あー、つまり、…わたしの力がたりない。だから目が焼けちゃったんだよ。」

「ええっ?!…そ、そういうものなんですか?!」

「あはは、よく子供のころ『ババァのぱんつ見た! 目がくさる~!』とか言わなかった?…ま、なんていうか、そういうような種類のコト。」

「言いませんよそんな下品なこと…」

「…ちえ、育ちよすぎだよ、あんたは。」斎はそう毒づくと、目をおさえたまま、くっくっと笑った。「…最近鍛練してなかったからなあ。…あ、そーだ、じゃ電話番号貸すから、この間に、陽介に自分で電話しなよ。」

 そういうと、懐をごそごそさぐり、一枚のメモをさしだした。

 春季はそれを受け取ると、ケイタイを持っていなかったので、店の外の公衆電話から陽介の懐へ電話を入れた。

 ぴっ、と呼び出し音が鳴った瞬間に、陽介はとった。

「…斎か?春季は?」

「先輩、僕です。」

 春季が言うと、もそもそと起き上がる気配がした。

「春季! 無事なのか?! 斎に変な話を聞いてたからどうなったか気になって…無事なんだな。よかった。」

「…はい、生きてます。先輩…」

「うん?」

「…」

 春季は急に胸がいっぱいになり、言葉につまった。自分でも何がおこったのかよくわからなかった。

「…春季?」

「…帰ってきました。」

 呼び掛けられて、やっとそれだけ言った。

「ああ、本当によかった。…ごくろうさん。ケガは?」

「ありません。」

「そうか。ほっとしたよ。」

 労うように言われて、春季は涙が出た。

「…春季、今どこだ?」

「…店の前です。」

「外だな。斎は一緒か?」

「はい。」

「…それなら聞いたか?ショウヤをあずかってる。」

「はい、うかがいました。」

「…ショウヤの具合が良くない。」

「…はい。…あの、随分遅くなってしまっていますが、これからおうかがいしてはいけないでしょうか。」

「いや、むしろすぐに来てくれ。」

「…じゃ、いきます。」

「うん。待ってる。」

 受話器を置いて、春季は涙をぬぐった。

(何先輩の声聞いたくらいで嬉しくて泣いてるんだ僕は。馬鹿か。)

(先輩がなんかあったと思って心配するじゃないか。)

 そう自分を叱咤して、春季は初めてきがついた。

( …ちがう。)

(僕は…奇跡的にここに生還してるんだ。)

(まったくもって叩き殺されて生まれなおして)

(あちこちの世界をさまよって)

(やっとかえってきたんだ)

(…なんかはあったんだ。なにもなかったんじゃないんだ。)

 出てきた涙をもう一度ぬぐった。

(…先輩、僕、…帰ってきました。)

 そして顔を上げると、斎のそばに戻った。

「…電話してきました。これから先輩のとこ、いってきます。」

「…そうか。うん、わかった。」

「…そのまえに貴方をタクシーにのせますよ。目、開かないんでしょう?…ドミの階段、上がれますか?」

「ああうん、なんとかなるよ。」

「…大丈夫なのかなあ。」

「…ふふん。」斎は口元だけでニヤリとした。「…なんとかするよ、かな?」

「…わかりました。信じますよ?」

「うん、信じろ。」

「…斎さん、僕は…貴方のお母さまから大切な伝言をあずかったのだと思います。…また日をあらためて、おうかがいしますから、『鍛練』とやらをしっかりしておいて下さい。…まさかあなたに伝わらないなんて…きっとお母さまもさぞかしお嘆きのことでしょう。」

「…神殿のくそババアどもみたいなこと言わないでよ。参るなあ。」

「…でも、お母さん生きてらしたんですね。良かったです。…タクシー拾います。座っててください。」

 春季は斎を引っぱってきた無人タクシーに載せ、手をカードリーダーのところにもっていって触らせてやった。斎は了承して礼を言い…タクシーは走り去った。


***

 春季が陽介の家につくと、門の所に、陽介がそうせきくんを抱いて立っていた。

「…先輩。お待たせしましたか?」

「…いや。とにかく中に入れ。…あーあー、まったくお前まで斎みたいにドロドロに汚れて…。シャワー使え。」

「その前にお話を。それと…ショウヤが…」

「…いいからそうしてくれ。おまえ、激しく血なまぐさい。うちの猫どもにたかられるぞ。…髪がごわごわじゃないか。」

 陽介は手をのばして、春季の髪をひとつまみひっぱった。春季はしぶしぶ了承した。

 バスルームの扉を閉めて、熱いシャワーを浴びた。

 …心地よかった。なにかこびりついていた悲鳴や痛みが、よごれとともに流れてゆく気がした。

 あがると白いふかふかのバスタオルと、着替えが置いてあった。はふーっとバスタオルに顔を埋めると、いい香りがした。

(…救済、か…。)

春季はぼんやりとそんな言葉を思い浮かべた。

(救済って心だけの問題じゃないんだ…。体にも救済の感覚っていうのが…あるんだ。)

(そりゃあるよね…。当たり前か。…でも不思議だ。すごく不思議…)

 ふわふわといい気持ちになり、春季は用意された着替えに袖を通した。

(…せんぱいの服~。)

 髪をふきながら脱衣所から出ると、陽介が手招きした。…2人は足音をしのばせて、二階の陽介の部屋へ向かった。

「…斎からだいたいの話は聞いたんだが。…お前が殺されたと聞いて本当に驚いた。」

 2人は畳の床に向かい合って座り、話を始めた。

「…ええ、なんとか生きて帰ってくることができました。」

「本当によかったよ。…お前がかえってこなかったら、俺はきっと一生自分がいかなかったことを悔やんだだろう。」

「…多分、母もまさか殺す気はなかったのだと思います。ちょっと気がたっていただけだと思います。」

「…コントロールが難しいと斎も言っていたから、あまり気にするな。」

「え?…あ、はい。それは大丈夫です。」

 春季はびっくりして、微笑した。陽介がいうのは、つまり、実の親に殺されて可哀想にショックだったろう、という意味だった。…春季はそもそも自分があまり母親から好かれていないのを知っていたので、まあこんなこともあるだろう程度にしか思っていなかった。それは、イヴにも言った通りだった。…けれども、陽介がこうして労ってくれることは、なんだかとても嬉しかった。

「それよりも先輩、実は…ちょっと不味い展開になりそうです。…うちの親が、どうも先輩の口封じを本気で考えてるみたいなんです。」

「…駄目か。」

「ダメっぽいです。」

「…」陽介はばりばりと頭を掻いた。「…参ったな。なんとか見のがしてもらうわけにはいかないかな?」

「…今もっとも有力な候補としては、先輩をつかまえてきて白き炎の向う側に10年ばかり幽閉するという案があります。」

「うへえ。」

「…僕は…別にそれでもいいけど、先輩はいやですよね?」

「…閉じ込められて嬉しいやつがいるかよ。」

「やっぱりなあ。」

「残念そうに言うなよ。こええヤツだなまったく。」

「…あそこに閉じ込めておくと時間がゆっくり流れるんですって。だからそのうち僕のほうが年上になっちゃって、先輩はそのまま。鳥かごみたいな檻にいれて、先輩には本を読ませておくんだって。…僕が御飯もってったり、お世話するらしいです。…どうですか、先輩、ひとつ僕の猫になってみませんか?」

 そうしたら、春季はこれ以上この件で家族と戦う必要が無くなる。

 割と本気になって春季が尋ねると、陽介はなんともいえない困った顔になり、ちょっと首を傾げて言った。

「…おい頼むよ、カンベンしてくれ。」

(やっぱ駄目か。あたりまえ。犯罪だよな。)

 春季は内心がっかりした。しかしだとすると… 

「…あとはもう、そちらのお父様に相談していただくよりほかないと思います。」

 春季が言うと、陽介は少し考えた。

「だがな、春季。俺が見たのはせいぜい…白い火が燃えてるとこくらいだぜ?それだけでもヤバいのか?斎は結局は無傷なんだし…。」

「…父は貴方が斎さんの保護者に繋がることを警戒しています。」

「…喋ったこともねえのに。」

「…でも喋ろうと思えば喋ることくらい簡単だ。」

「…そうでもねえよ。あそこガードカタイから。…でもなんだって。そりゃあ斎の首をちょん切るような真似をしたんだ、向こうにバレりゃそれだけで斎びいきの菊氏あたりがべらんめえで殴り込んでくるだろうが…それにしたって俺は関係ないだろう?白い火たいて手品やってみせたのがそんなにヤバいことか?」

「…白い炎の向う側に世界があると知っていることが。それに忘れてるのかもしれませんが、チューブラインステーションの破壊の件もあるでしょう?」

 陽介は口をつぐみ、黙ってじっと春季の目をのぞきこんだ。

 春季はしばらくぼんやりと見つめ返していたが、不意にドキっとして、照れてうつむいた。…体が熱くなってものすごくどきどきした。

 陽介は言った。

「…春季、これは言わないほうがいいのかもしれないが…ひょっとして、親父さんが警戒してるのは、タカノさんの10円ハゲの件なんじゃないのか?」

 春季は赤くなってかしこまって言った。

「…実は、そうなんです。」

「…じゃあ…」

 春季はうなづいた。…それこそ言わないほうがよかっただろう。だが…今は陽介の行く末がかかっている。陽介には知る権利があると思った。

「…はい。関係があるようです。」

 陽介は眉をひそめた。

「…あの集団自殺は結局何だったんだ?」

 …春季はそれでも、自分の家族があの惨いわざを為したと口に出して言うことに躊躇した。

 きっと陽介は、春季があの髑髏をみたときのような衝撃をうけることだろう。

 …そして春季の家族について、酷い感想をもらすことだろう。

 春季はそれが怖かった。

 春季はあの酷い家族に大切に育てられた末息子なのだ。何人もの生け贄をついやして育てられた…あの家の子供なのだ。

「…それは僕には言えません。」

 春季は消え入るような声で言った。

 …情けなかった。

 …親は一生懸命、本当に命がけで育ててくれたのだろう。けれども、自分の体に、呪術的なケガレがまとわりついているような気がしてならなかった。母の足を、爪の裏まで黒くそめたというその闇が。

 すると陽介は少し考え、うなづいて言った。

「そうか。ならしかたがない。お前はあのうちの子供なんだから、親をまもらにゃならんこともあるだろう。無理強いはできない。ここに今きてくれてることだけでも、十分に感謝している。」

 そう言われて、春季は本当に泣きそうになった。

「…先輩…すみません…僕は…」

「…斎が言ってた。お前の母親はかなり能力のある巫女さんなんだって。…あれだけの力があれば、あらゆる儀式がとりおこなえるだろうって。どんな物凄い呪術かは知らんが…いずれにしろ…その件も、お前にはどうしようもなかったんだから、あまり気にするな。俺の親だっていろいろ酷い。生きて行くのは大変なんだよ、多分な…。」 

「先輩!」

 …もうがまんできなかった。

 春季は正座したひざの上で拳をにぎりしめて言った。

「お察しの通りです。彼らは呪術の犠牲になったようです。」

 陽介はそれを聞くと、ゆっくりとうなづいた。

「…そうなのか。」

 春季は言った。

「…教団内部にだろうが、ベルジュール市長にだろうが、その件がもれれば、僕のうちは終わりです。」

「…斎がいうには、神様の掲示をうけとるシステムがうまくはたらかなくなっていたらしいな?それを回復するための儀式だったのか?その生け贄の件も。」

「…父がいうには、ミルエから呪術的な攻撃をうけていて、それを回避するためだったということでした。」

「攻撃をうけていた?」

「原因はわからないそうです。…でも、…僕は…そこへミルエのいる場所へ…行きました。そこに斎さんのお母さんがいて…」

 斎の母親に関するくだりを春季は一通りすべて話した。ついでに斎の目が眩んでいる話もしておいた。もう話し出すととまらなかった。

「…どうやら、父か母が、ミルエとなにか契約したらしいのです。それを履行するように、僕らは要求されているらしいんです。でも父は契約について否定しました。」

「それはまた…複雑な事情があったんだな。」

「…なにか隠していると感じました。でも、何のために何をかくしているのかはわかりません。…それに…あれは…ミルエは…とても、禍々しい存在です。神…というより、むしろ…もっとたちの悪いなにかおそろしいものです。」

 陽介はうなづいた。

「…あらみたま、ってやつだな。」

 春季は不思議そうに顔をあげた。

「…そのうちゆっくり話すよ。俺はそういう話すきだから。」

 陽介はそう言って、少し待った。

 春季が何も言わずに黙っていると、話は終わったと判断したらしい。ゆっくりと立ち上がった。

「…じゃあ、ショウヤに会いに行こう。」

 陽介がそう言ったので、春季ものろのろ立ち上がった。話しおわってみると、体に力が入らない。春季は思わずよろけた。

「おっと、大丈夫か。しっかり立ってくれ、春季。具合悪いか?」

 陽介は春季の腕を掴んで支えた。春季はなんとか立ち直った。

「いいえ、大丈夫なんですけど。すみません。でもなんだか、力がぬけちゃって…」

「…ああ。大変だったんだもんな。むりもない。でもコケんなよ。」

 2人は静かに部屋を出て、階段を下りた。

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