2 春季-HARUKI-
「へんぱーひ、メロンパンたべまへん?」
「んー、食う。」
変な声だなあ、と思って陽介が部室の入り口の春季を見ると、春季は両手にメロンパンの袋を二つずつ持って、口にも一つくわえていた。
「…なんなんだ、メロンパン配る宗教行事か?」
「ありまへんよ、ほんら行事。」
「だけど、おめんち、新興だしな。」
「ありまふんて。」
入って来た春季に両手を差し出すと、春季はくわえていた袋を陽介の手にぽとんと落とした。
「今日『ベルベット』の発売日だから先輩御飯抜きだろうと思って。…一個じゃたりないでしょ。はい、もう一個。」
つまり、自分の食事代で二人分買おうと思ったらメロンパンがせいぜいだった…ということらしい。
「…小夜ねーさんに弁当作ってもらえばいいのに。」
「最近作ってくれないんですよ。…多分、男いないと張り合いがないのかも。」
これを言われると、陽介は返す言葉がない。最後に春季の姉の小夜をふったのは、ほかならぬ陽介だったからだ。
「…でも俺最近気がついたんだが、女といるよかお前といたほうが楽でいいんだよね~。小夜と顔も一緒だし~。」
「いけないなあ! そういうの! 男として怠慢ですよ! 世界は男と女でできてるんだから、仲良くすべきでしょうが。たとえ相手がエイリアン並の異質さだったとしても!」
「う~。」
「う~じゃないでしょ、あまったれて~。年下の同性なんて最低ですよ! 許し難い怠慢!」
「んじゃ『べルベット』見せない。」
「アアンいやん先輩~vv」
陽介の脅しに、春季は突然コロっと態度をかえて、陽介の座っている狭い椅子にむぎゅーっと一緒に座った。
春季は今一年生だ。陽介の一つ下。今年度の春の新入生だった。
ふったばかりの女にあまりに似ていて、一目見た時から「弟だな…」と悟らざるをえなかった。
むっちりとした色っぽい姉とくらべると、スレンダーで、むしろか弱くみえるほどだったが、口は姉の10倍くらい達者だった。
春季は入学式の次の日、この開店休業というか、部としての求心力を失い、陽介の隠れ家と化していた文芸部の部室に、物見高いようすで一人でのりこんできた。
何をしに来たのかはすぐわかった。姉をふった陽介を見にきたのだ。あまりいい気はしなかった。
陽介は小夜を撲ったことがある。小夜といるといらいらして堪え難いのだ。あのときは本当に気が狂いそうなほど腹がたって、そうした。けれども気分まかせの暴力が良くないことであるのは、自分でもよくわかっていた。小夜はとても尽くしてくれる優しい女だったし、料理もうまかったし…とても魅力的な体つきをしていた。多分どこにも「非」などない。ただ、陽介とは、まったくソリが合わなかっただけだ。事実、別れるとき理由を考えるのに難儀した。どうでもいいようなごくありがちな欠点を並べ立て…必要以上に傷つけた。多分。
小夜は男ばかり5人の兄弟を持っていて、特に柔道の有段者である2番目の兄に可愛がられていた。陽介は自分がその兄にシメられる可能性を考えていなくもなかった。陽介も多少腕に覚えはあったが、一度見たことのあるその兄上との体重差をカバーできるほどの技量ではない。
この可愛い弟ちゃんは、偵察に来たのではないか、と思わずにいられなかった。
しかし喚き散らして追い払うのもさすがに恥ずかしかったので、いやいやながら話に応じた。
春季は注意深く小夜の話を避けて、部のことや会誌発行のことをあたりさわりない程度に尋ねた。
陽介は事実をぽつぽつ応えた。
そして「実質俺以外は幽霊部員だから。」と付け加えた。
すると「あ~そうなんですか。」と、とぼけたような返事だった。
それから二人は少し黙り込んだ。
少しして、春季が言った。
「あれ、先輩猫飼ってるんですか?」
そして陽介の肩についていた猫の毛をつまんで捨てた。
「え、ああ、おふくろが好きで。かれこれ10匹くらいは常時いる。ちゃんと初めから飼う気で飼ってるのは3匹だけど。」
「あ、じゃ、『おめんちゃん』も『そうせきくん』もどっちも先輩んちにいる猫なんですね。」
「あー、読んだの、あれ。」
「読みました~。」
そう言いながら、春季は突然ぱーっと明るい顔で微笑んだ。どうやら陽介が会誌に書いた穴埋めの雑文を読んでいたらしかった。どちらも本当に隙間を埋めるためだけに書いた600字ほどの文で…それを覚えているとすれば、間違いない、この子は、猫好きだ。
「…猫、飼ってるの?」
陽介が尋ねると、春季は嬉しそうに家で飼っている大きな年寄りの長毛種の猫のことを話した。
…猫好きに悪い人はいない…よく聞く格言だが、実は嘘であることを、陽介は知っている。けれども、愛猫家同士が顔を合わせているとき、この言葉はなぜか異常な真実味を持つ。
二人は心ならずもすぐにうちとけて、その日の帰り、春季はにこにこと陽介の家に上がりこむことになった。
心ならずも陽介は彼を歓待し、陽介の態度を見た久鹿家の猫たちは、みな春季を受け入れた。
春季はその猫屋敷ぶりに心ならずも大喜びし、ついには陽介の母親の出してくれた夕食まで心ならずも食べて、帰りは陽介に公園まで送ってもらった…心ならずも。
そんなわけで、二人は、すっかり「猫ともだち」になった。
『ベルベット』はもちろん、猫雑誌である。
「あ~この猫。鍋猫なのかなあ。いるんですってね、鍋に入るのが大好きな猫。」
「うーん、俺こういうなんか鍋入れたりとかさ、篭いれたりとかするの嫌いだったんだよね~昔は。なんか動物虐待って感じでさ。でもうちにアトムっていう白黒のぶち猫が来てさ、なんかそいつが箱を見つけたら必ず入る猫だったわけ。はこっていうか、もう、なんでもいいらしいのね、ゴミ箱とか、洗濯かごとか、おれの鞄とか…。だから案外こういう鍋にはいってるのって、幸せなのかなあ、とか、奴見て以来、複雑な気分。」
「知ってますよアトム。…うん、きっとこの子は鍋猫ですよ。」
「…どうでもいいけど、そっちの椅子持って来てそっちに座ってくんない?」
「はーい。」
春季はメロンパンの包みをばりっとあけながら、別の椅子をひっぱってきて、そっちにうつった。
陽介もパンの包みをあけて、食べた。
「…クラス、もう慣れた?」
「はあ、僕わりとどこでもすぐ馴染みますから。そろそろ『ふてぶてしい』と言われはじめました。」
「人気者だなあ。」
「先輩はいーんですか、毎日昼休みこんなとこでひっそり雑誌なんか読んで。」
「俺は新しいバカどもよりもおまえのでか猫がみてみたいね。」
「うーん、じゃ、姉に新しい男できたら遊びにきてください。今はまずいです。仁王に殺されるかもしれません。」
仁王というのは例のジャイアントなお兄さんのことだ。
「…そうだな。」
陽介は軽く溜息をついた。
「…おまえあんなでかい兄貴とけんかにとかなったら大変なんじゃない?やっぱするだろ、けんか。一緒にすんでんだし。」
「仁王とは部屋別だから。一番上の一輝とはよくやりますよ、一輝とは部屋一緒だし、あいつ頭カチコチでマザコンでうるさくてうざったいし、本読まないから僕の本すぐすてるんです。部屋が汚くなるとかいって。…まあ勝てないけど、かならず一矢報いるよう努力しています。」
一輝も一度だけ見たことがある。「鋼のような」といいたくなるような若い神父(というのかどうか、新興宗教らしいのでわからないのだが)だ。20代前半だろうと思う。
「…一輝にいさんはなんかやってんの?武道。」
「ああ、うち父が体術マニアでして。男の子となると、もう、2本足で立つ次に要求されるのが受け身。」
春季はそう言ってけらけら笑った。
当分の間、絶対に行けないな、と陽介は思った。
雑誌のページをめくると、街角に黒い猫が座って、「か~」と欠伸しているカワイイ写真が載っていた。「ねむいんじゃ~っ」と手書きふうの文字がフキだしに入っている。陽介はそれを見て、ふと思い出して言った。
「…そういえば、お前アルテミスに会ったことあったっけ?」
「アルテミス?…いえ、ないですけど、名前は知ってますよ。小母さんがアトムの尻尾見て間違えて呼んでました。黒い猫なんですか?」
「…うん、いわゆる黒猫だな。わりと小柄。」
「そいつが何か?」
「…最近見かけないんだよなあ。…アルテミスっつっても雄なんだけど、よくケンカしてぼろ負けしてるやつで…いつもヨレヨレになるとウチに転がり込んで来る馬鹿野良。…まあ、便りのないのは元気な証拠とか言うが…やつの場合死んでるってこともあり得る。…結構行動範囲の広い冒険家なんだよ。そっちのほうで見かけてない?」
「ウチの近所にはウチのショーヤとタメ張るでかい黒ボスならいますけどね。小柄なのは見たことないです。」
「…野良はある意味半野性だからなあ。厳しいな…。」
「…遠出してるだけかもしれませんよ?」
「まーな。」
「うーん、じゃ、心掛けて見て歩きますよ。」
「うん、有難う。…でも気いつけてな。すげ凶暴だから。」
「あ…そうなんだ。」
「うん、して、男嫌いだから、奴は。…おふくろと小夜にはなついてたけど、俺のダチは全滅だったな。」
「…ヤナ猫。」
「…それがなんかな~、血まみれのくせに俺の手にかみつくわひっかくわで…なんか馬鹿で心配なのよ。馬鹿な子ほど可愛いっていうじゃんか。親心になっちゃってね~。」
春季は少しあきれたような顔で陽介を見た。
「先輩って少しマゾ?」
「少し変態入ってるほうが、人生は楽しい。」
「…それは真理かもしれないなあ。」
二人の猫マニはメロンパンを食べつつ、ほのぼの昼休み。