15 小夜-SAYO-
斎はふらふらの体に鞭打って可能なかぎり走り、出来うる限り、儀式の場から離れた。巨大な獣はわさわさと毛皮のすれる軽い音をたててついて来た。足音そのものはひどく静かだ。やはり猫科なのかもしれない。
斎が力つきて街角に座り込むと、獣はそっと小夜を下ろして、斎のそばにうずくまった。斎はそのものすごい毛皮を気は心でよしよしとなでた。…なでられても痒いだけかもしれないが。
「よくがんばった。」
…彼はとても静かだ。
小夜は気絶している。
そっと小夜に手をかざすと、じわじわとなにかの波動がつたわってくるのがわかった。
…結局小夜は、携帯用の「アンテナ」にされてしまったのだ。このじわじわするのは魔法樹の波動に間違いなかった。
(ほらみろ、枯れてなんかいない。)
(でも珍しい…2人いっぺんに恩寵を失うなんて。)
(…たくもう、こんな強引な接触の仕方してこなけりゃあたしだってさ、少しは相談にのってあげたりとか、協力だってできたかもしれないのに…)
(だって小夜のうちだしさ、春季ちゃんは陽介のダチだしさ…)
(なんでもっと穏便にできないかなあ。)
斎は首をさすった。
(…気持ち悪かった…首。うっかりとれたり…しないよね?)
そう考えると、ぞわぞわする。
(あああやだやだもう!)
そもそもぐしゃぐしゃのポニーテイルをさらにぐしゃぐしゃにすると、隣の毛皮がゆっくり動いて、斎をのぞきこんだ。
…澄んだ青い目をしている。魔を滅ぼす「青い瞳」だ。こういう世界では姿にそのものの性質があらわれやすい。
「…ああ、大丈夫。…少し休んだら、出口探すから。待って。少しでいいから。」
斎が言うと、獣は目を逸らして、小夜の顔を舐めた。
そのせいか、小夜が目をさました。
「…あ…」
斎を見つけて、小夜は声をだした。
「…大丈夫?」
小夜は黙ってうなづいた。
それから獣を見た。
「…ひ…っ、し、ショウヤ?」
「…それは…いくらなんでもでかいだろ、ショウヤちゃんより。」
「…でもショウヤ…だわ。」
「…あの猫尻尾の先ッチョ蛇だったりするわけ?」
「でもこれはショウヤよ。」
小夜は頑なにそう言って譲らなかった。そしておそるおそる、その鼻のあたりをなでた。
すると突然、獣は地面がゆれるような、硬い車輪が転がるような轟音をたてた。
「わっ」
「きゃっ」
2人はびっくりしたが、それがこの獣の御機嫌音だと2人ともすぐに気がついた。
「…まあ。嬉しいの?よしよし。いい子ね。」
小夜はその顔を惜しみなく抱いて、少し頬ずりした。怪物は更に御機嫌になった。斎は黙って、じっとそんな小夜を見た。…言った方がいいか、言わないほうがいいか迷った。疲れていて、それ以上のごたごたを避けたかったので、結局黙っていることにした。
その代わり、別のことを言った。
「…大丈夫?どっか痛くない?」
小夜は黙って、怪物の鼻のそばに頬をおしつけている。
あの痛みは尋常なものではない。呪術的な痛みだし…訓練を積んでいる斎でも、あの痛みを思い出すとぞっとした。
「…わたし、きっと死んだよね。あんなに痛かったんだもん。」
小夜は小さな声で言った。
「…どうしてあんなことするの?」
小夜は鼻をすすった。
「…親、なんにも言ってなかったんだ?にいさんたちは?」
斎が尋ねると、小夜は左右に首を振った。
「…じゃあ、今日いきなり呼び出されて、テーブルにのっけられたんだ?」
小夜はうなづいた。
「…お疲れさん。」
斎は他に言う言葉がなく、そう言った。…小夜はある意味斎よりひどい目にあったとも言えた。
小夜は自分のぼろぼろの身なりを見て、がっくりと肩をおとした。
「…こわい。あんなこと平気でするなんて。兄さんたち…。ひどい。…すぐ済むなんて言って…。」
「…」
「…お父さん助けてくれなかった。」
「…まあ、首謀者は親のほうみたいだから…。」
「…」
斎の言葉に小夜が黙ると、斎の視界に影がさした。ふとそっちを見ると、上のほうから大きな蛇が斎を覗き込んで、舌をちろちろさせていた。…尻尾だ。
「…何さ。」
斎が言うと、蛇はすいっといなくなった。
本人に何の相談もなく、小夜はアンテナにされた。勿論、本人に事前に相談していたら「絶対にイヤだ」と小夜がいう可能性もある。彼らにとっては「イヤ」では済まないことだ。教団での地位がかかっているとあれば、それは直接的に家族の生活を直撃する。だから家族なら父親と四男の夢を復調させるために、あらゆる手をつくすべきだ。…結果として、小夜のためにもそのほうがいい…。多分そんな結論になったのだろう。事前に話して怯えさせるよりも、黙っていたほうがいいと皆思ったのかも知れない。小夜もアンテナになったことで今まで以上に家族にとってなくてはならない人間となったはずだ。
けれども、斎は腹が立った。小夜は小夜のものだと思ったから。どんな理由であれ、小夜が納得しないうちに小夜の体を使うのは、たとえ家族でも許されることではない、と斎は感じた。
小夜は怒るべきだと思った。しぼんだりひねたりしている場合ではないと思った。家族が今後小夜を利用したくなったとき、その行為を尻込みするほどに、小夜は激しく怒りを現し、そして家族がその怒りをうけいれないならばそれ以上の何かをしてでも、今の気持ちをなんとか家族に伝えておくべきだ、と思った。
…けれども、怒りを強制する権利は誰にもない。
斎はふう、と息を整えて立ち上がった。
「…小夜、あたしはここを出ようと思うけど、あんたどうする?」
小夜は心細い顔で斎を見上げた。
…斎を責めるような顔になった。
冷たい人だと思われたらしい。
斎は言った。
「…あたしは逃げるよ。あんたはあいつらの家族だから助けてもらえるかもしれないけど、あたしは多分『つかいすて』だと思うから。」
そして思わず、自分の首を手で確かめた。…大丈夫、ずれていない。
「…それに小夜が力を中継するようになったら、あたしあんたの親兄弟に勝つ自信ないし。6人もいちゃあ、どっかこっか隙をみせちまうもん。だから逃げるから。…あんたは好きにしなよ。一緒に外へいく?」
小夜は斎が自分を突き放したと感じたようすだった。なんともいえない不安な顔になり、緩く首を左右に振った。
「わからない。わたし、どうしたらいいの?」
斎は眉をひそめた。
「…どうしたいの?」
「…わからない。」
斎は不思議に思って聞いた。
「自分がどうしたいのか、わからないの?」
「…だって、…逃げたって…わたしあそこの家に家族と一緒にすんでるんだよ?」
「…」
「…でも怖いから逃げたい。もうあんな痛いのはいや。…でも逃げたって…逃げたって…」
小夜はそこまで言うと、ぽろぽろと涙をこぼした。
小夜の言うことには一理あった。けれども、それは斎にはどうすることもできないことだ。
斎は大人しくしている怪物を見上げた。
怪物の青い目はじっとそらされることなく斎にそそがれている。…斎に注目している。小夜が何を言われるか、じっと待っている。
斎は目をそらした。
「…とりあえず、出よう。白き炎が消えたら、出られなくなるから。…そのあとのことは、出てから考えよう。あたしぐずぐすしてると本当に殺されるし。ここで小夜置いて行ったら『血も涙もない』って気もするし。」
それからもう一度怪物を見た。
「…あんたどうする?小夜をつれて行くのを手伝ってくれる?」
怪物はすっと立ち上がり、小夜をがぶりとくわえた。
「きゃー!」
小夜はびっくりしたようだったが、すぐに静かになった。
一行は再びすすみ始めた。
+++
野原のまん中のドアをあけると岩山、といった具合で、場所はかなり乱雑に繋がっていた。困ったことには、その連結の仕方は通るたびに変化するようで、一行は何度も広場を横切るハメに陥った。この広場は出入り口が沢山集まっているので、辿り着く回数も多かった。
「…参ったね。」
怪物も大人しくしている。口が疲れたのか、小夜をたてがみの上にのっけて歩いていた。
斎は怪物をつれ、広場のまん中の噴水に歩み寄った。
…多分、ここはキーポイントになっているのだろうと思う。リリヤの力が作っているこの世界の中心地点なのだ。
怪物はすう...っと首を屈めて水を少しなめた。
「…ねえ、あんたなんかアイデアない?」
怪物に話し掛けたが、無視された。
「…まっったく弟ちゃんどもは都合の悪いときすぐだまりこむし。」
ぼそぼそ毒づくと、蛇の尻尾でぴしゃーん!と背中をどつかれた。
「わわわ!」
不意のことだったのでバランスが崩れ、斎は頭から水盤につっこんだ。
「なにしやがる!てめえ!」
「大丈夫?!斎ちゃん!」
小夜があわててずるずるっとすべり降りて来た…その光景が水に歪んだ。
(あれ?!)
斎は咄嗟に手を伸ばして水盤のふちを掴んだ。
「ぷは!」
「斎ちゃん!」
小夜もびっくりしてその手を掴んだ。そして引き上げた。
斎はやっとのことで、水盤の上に胸のあたりまでよじのぼった。
「あああ、平らで水深3センチのはずの水盤で溺れ死ぬところだったよ…。」
「…斎ちゃん、胸から下はどこへいっちゃったの?」
「わからん。…でもどっかに繋がってるみたい。行ってみる?」
小夜はうなづいた。怪物は、くは~と一つ欠伸をすると、ふんふんと水の匂いをかぎ…そしてゆらーりと顔をつっこんで左右を確認し…あとは一気に潜り込んだ。水面が大きく波打って、斎はまた腕がはずれた。
「ギャー!!」
「い…斎ちゃん!!」
小夜は置き去りにされる恐怖にかられ、目をぎゅっとつぶるとえいっとよじのぼり、足から飛び込んだ。




