11 紫斑虫
春季は縛り上げられたまま、しばらくあっちをよじったりこっちをひねったりしていた。
口にかまされた布は比較的簡単にとれたのだが、その先は一体どうしばってあるものやらちっとも緩まなかった。
そうしてもそもそ動きながら、香木の燃える強い匂いにときどき咳き込んでいると、戸口にのっそりと白い塊があらわれた。
「あ…ショウヤ!」
『ショウヤ』はみゃ~と鳴いて春季に歩み寄ってくると、縛られたままの足に体をすりつけた。
「ショウヤ…大変なんだ…。どうしよう…。はやくこれをほどかなきゃ…ほどいて体が自由になったらすぐに…」
春季は勢いよくそこまで言って、黙った。
…どうするというのだろう。
すると『ショウヤ』はこの世のものとも思われない美しい声で「みゃー」と鳴いた。
「…そうだよね。とにかくほどかなくちゃ。」
春季はつぶやきながらきしきしと結び目のあたりを動かした。
少しすると、そこに例の黒猫が現れた。
「…やあ。…困ったよ。どうしよっか。」
黒猫は春季の声をきくと、くるっと向きを変えて、ショウヤが入ってきた戸口から出ていった。…通路は母屋につながっている。春季はその冷たい後ろ姿を見送って、少しクサッた。
「…いいよ、僕にはショウヤがいるんだから。」
するとショウヤは手伝うつもりなのか、足の結び目のあたりをぱりぱりひっかいたり、噛んだりした。
「…おまえってなんて良い子なんだろ、ショウヤ。うん、わかってるよ。がんばるからね。あきらめちゃだめだよね。」
春季はそういって、また徒労にしかならない悪あがきを始めた。…が、少ししてまたタメイキをついた。
戸口になにか気配を感じて顔をあげると、また黒猫がもどってきていた。春季は話し掛けなかった。話しかけられるのが嫌いな猫もいるのだ。
「…無事、だよな、やっぱり一応。実の息子だしな。」
話し掛けられてびっくりして、春季は顔を上げた。
「…先輩!」
黒猫の後に続いて、陽介が入ってきていたのだ。
「オヤジさんたちはどうした?」
「…どこか…別のところへ移ったみたいです。」
「お前は行かなくていいのか?」
「…父には来いと言われたんですけど、兄が来なくていいと言ってこの通り縛っていきました。」
「うーん、そうか。」
陽介は困ったような顔をした。
「…じゃ、ほどかないほうがいいかもな。」
「冗談でしょ?ほどいてくださいよ」
「いいのか?…ほどいたら後で『どうしようもなかった』じゃ済まなくなるぞ。」
春季は一瞬ドキッとした。けれどもすぐにうなづいた。
「ほどいてください。…どうしようもなかったなんて、そんな泣き言あとになって言うのは御免です。」
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「…白い炎の向こう側、か。」
陽介はほどいた縄をまとめてしばりながら呟いた。
春季は少し困った顔になった。
多分、陽介は信じてくれないのではないか、と思った。
というより多分、自分自身がまだ信じられずにいるのだ。
「…なんの仕組みかはしりませんけど、そういうふうに見えたんです。」
「白き炎は焚いてはならぬ…か。」
陽介は独り言のように言い、まとめた縄を椅子の下に投げ入れた。
「…なあ、春季、お前、ほどいたはいいけど、どうするよ。…つまり、俺の利害と、尾藤家の利害は対立していると思うんだが。…やっぱり親の味方しないわけにはいかないだろ。」
「…」
春季はそう言われて少し戸惑った。
「…俺は正直なところあの女が正しいことしてるなんて確信ないし、…お前に手伝えとか邪魔するなとは言えない。…目木はでけえ声でお前に行くなって言ってたが…。まああいつは自分がバツ印と思ったらきっと自分の親でも殺すだろう。…俺は自分がそういうことできるとは思えないし、まして他人に強要はできない。」
「…親でも殺すなんて…大袈裟ですよ。」
「…あいつ弟殺して生き延びたって、自分で言ってるぜ。」
「…まさか。誇張でしょ?」
「…あいつのいたドーム、なんかどこかの侵略うけて、…陥落したらしい。ドームの内部はほぼ全滅状態で、食料の略奪をうけたそうだ。」
「だって戦争やってるとこなんか世界中どこにもないですよ。ここ30年戦争なんておこっていない。」
「…連邦内はな。」
「非連邦なんて! そんなドームないですよ、お伽話でしょ。50年くらいまえに『ゼルダ市』が潰れた。それが非連邦の最後ですよ、地球史的に。連邦っていう名称だって、今や統合の象徴でしかないって、小学生だって知ってますよ。」
「小学生をだますのなんかチョロいさ。…とくにお前みたいな口が達者なタイプが身内に一人いりゃあな、それだけガンガンやられたら、並のヤツなんか現実なぞどうでもよくなるだろうよ。」
春季はむっとして口をつぐんだ。…確かにムキになっているかもしれない。けれども陽介にこんな辛らつな言い方をされるなんて…。
「…いいか。食料の略奪が起こったのは3年前だ。その年、連邦の穀倉といわれるP-1と、北米ドームサークルの両方で、小麦に紫斑虫が発生して、食料自給機能のない都市が飢饉にみまわれてるんだ。死者がたくさん出て、人口が1/4まで落ちた都市もあるんだぞ。報道はされてないけどな。なんで報道されないと思う?そりゃどこの都市でも人口をもてあましているからさ。政治家の多くは『死者が出たのは悲しいことだ。だが、おかけで残りが生き延びた』と思っている。小学生が聞かされてるのは、前途ある子供達が絶望しないための魔法の呪文にすぎない。大人たちの精一杯の思い遣りさ。それが良いことか悪いことか、俺は知らないけどな。」
「…」
春季は足下に座り込んでいる大きな『ショウヤ』を抱き上げた。…重い。だが春季は今でもこうして、ときどき『ショウヤ』を抱いてやる。
「…春季、お前は、自分の親のこと…どのくらい知っているんだ?」
「…」
春季は答えに窮した。
何も知らない…そんな答えが正しい気がした。
「…春季、話は目木の保護者まで通ってる。ヤツらは…多分お前が俺をつうじて目木を呼び出す役割を担ってたんじゃないかと疑ってる。…いや、ほぼ、確信している。」
春季はびっくりした。
「とんでもない! 誓って言いますけど、目木さんのことは今日先輩の家で見て、それから戻って小夜姉さんにどんな知り合いか少し聞いただけです! 個人として認識したのは今日です! ついさっきです! …そんな、僕も一味だって疑われているんですか?」
「しかたないさ、あれはお前の家族だからな。」
「そんな…じゃあ僕は親兄弟からは耳を塞がれていて、目木さんの御実家からはスパイみたいに思われているんですか?!」
「そうだな。…だが、ことさら違うと証明する必要なんかないんだぞ。もしお前が、…なにはどうあれ、自分の家族に正義があるとか…あるいは正義なんかなくても家族だから…とか思うなら。…ていうか、俺は、たとえ間違っていたとしても、お前は家族の味方をするべきじゃないかって思うけどな。」
「…」
春季は傷付いた。
「…先輩は…僕が…先輩の邪魔をしたほうがいいんですか?」
「…いや、そうじゃない。邪魔をしないでいてくれれば十分だ、と言いたいんだ。結論は。」
「…僕が味方じゃなくても平気なんですか。」
「平気じゃねーよ。でも仕方ないだろ。」
…他人なんだから。
自分を傷つける以外に役にたたないその理由を春季が頭に思い浮かべると、腕の中で『ショウヤ』が身をよじった。その重さで動かれたら春季にはどうしようもない。そのまま下におろしてやる。おりた『ショウヤ』は春季の周囲をゆっくりと回ってから、おもむろに陽介の足下にいき、後足で立ち上がると、陽介の足に前足で掴まって、みゃーみゃーと細い声で鳴いた。陽介はそこにしゃがみ、『ショウヤ』を撫でてやった。
「…鈴音、だっけ。本当の名前は。…かわいい声だ。」
「…なんであの人を助けようとするんですか。」
「誰かを助けるのに理由が要るなんて…人間社会は本当にうざったいもんだな。」
それから溜息を一つ付き、陽介は顔を上げた。
「…こっそり親にばれないように一口乗るか?」
春季はムキになって言い捨てた。
「バレたからなんだって言うんですか。…で、何をどうするつもりなんです?」
「どうって…行ってみるしかなかろうよ。」
陽介は香木の山に燃える、白い炎を指差した。




