10 電話
まったく、手ぶらで来たのが悔やまれた。
とにかくどうしようもなかったので、陽介は追っ手をまいた直後、まず自宅に電話を入れた。母は陽介自身のことはさほど心配していなかったので、冷静に応対してくれ、また陽介の求めに応じて電話の履歴から斎の保護者への連絡先を調べてくれた。そして最後に二つのことを言った。一つは陽介も自分の父親に連絡を入れて指示を仰ぐこと、もう一つは、陽介が持ち歩いている自宅の鍵にくっついている小さなキーは、銀行があいたら使えますよということだった。…ある日気がついたらついていた鍵で、陽介はてっきり離れか物置きの鍵だろうと思っていたのだが、どうやら貸し金庫の鍵だったらしい。陽介はとるもとりあえず礼を言い、電話を切った。
そして次は斎の養父に電話をかけてみた。考えてみれば電話とはいえサシで話すのは初めてだった。幾分緊張した。
電話に出たのは年輩の秘書で、斎の口から出たことのない名前の人物だった。嫌な予感がしたが、案の定向こうも斎の事情にうといらしく、なかなか電話を取次いでくれない。事情が事情なのでこの「普通」そうな男にうちあけていいものか陽介は困り果て、押し問答のあげく、別の秘書の名前をだした。ストレスで10円ハゲができたというタカノ氏だ。するとバカにしたように彼はタカノ氏の不在を告げた。まだ何人かいたはずだ。陽介は急いで思い出し、じゃあ菊さんいますか、と尋ねた。陽介の記憶が正しければ、菊は若くて多忙な側近だが、斎びいきのはずだった。
「菊?…ええと」
向こうがそう言ったときに、誰かが彼をおしのけて電話を奪い取ったのがわかった。
「さっきからもめてるらしいな?君はだれだ?何の用件なんだ。」
非常にガラの悪い、少し早口な男の声がした。陽介は先程からくりかえしていた自己紹介と、斎に連絡をとってくれと頼まれた話をもういちどはじめからくりかえした。すると彼は言った。
「そうか。例の件だな。俺はラウールの第4秘書の菊だ。俺がさんざん怒鳴ったンで、斎へこんでただろう。…飯食って少しは元気になったかな?…なんだか君には斎は世話になってるらしいじゃないか。あの大食い女に飯たかられたんじゃ大変だろう。あいつ満漢全席一人で食い切るからな。」
陽介はほっとした。
「あー、お袋が飯食わすの趣味だから。…ところで大変なんだ。ちょっと複雑な話になるんだけど、今時間なんとかなるかな?」
「最優先で聞かせてもらおう。俺よりラウールに直接話すか?俺の共通言語聞きにくいだろう、早口で。」
「…いや、大丈夫。ちょうどいいくらいだ。…伝えてくれればいいよ。」
なんとなくこのガラの悪い男は信用できる、と感じた。根拠はないが、なにか物凄く肝がすわっているようだ。…「すももちゃん」だと陽介を見ている気配もない。
陽介はまず、斎が多分今掴まっている、ということと、自分は斎に連絡要員として逃がされた、ということから説明した。そして夕方の事件の追っ手が、新興宗教の教会をやっている家族の5人組だったということ、そしてそこの家の一番下の子とは友達なのだということも話した。
「ヨクコウ教会ね。…おーい、ラウール、はいコレ。」
菊は電話の向こうでメモを手渡しているようだ。するとなにやらソフトな声が遠慮がちに言うのが聞こえた。
「菊、斎のボーイフレンド?私も話したいな…」
「今度なー。それよりとっとと検索。…もしもし、ええと?参考までに。なんで掴まった?」
陽介は斎が転がり込んできたときにたまたま春季がいたこと、それで春季が家に帰って、小夜が突然姿を消し、探すのを手伝いに行ったこと、教会のことに興味を持った斎がついてきたことを話した。
「どうやらその教会って、斎がいた神殿と関係のある宗派らしいんだ。」
「…別にその坊や…なんだっけ、春季くん?…が斎にも来てくれって言ったわけじゃないんだな?」
陽介には菊の言いたいことが分かった。
「…俺は…そもそも春季とは友達だから、こんなこといっても何の参考にもならないかもしれないんだけど…春季は多分何も知らなかったんだと思う。」
「…一応根拠きいとくかな?」
「…確たるものはなにも。だが、自分の父親が斎ぶんなぐるの見て、口もきけないくらい吃驚してた。それに…あいつなんて言うか、自分ちの教団に反感もってるんだけど、…その反感ていうのが、つまりなんていうか…そういう、深刻なものじゃないんだ。そういう、つまり斎みたいな特殊な女追い回すような物騒な集団が自分の肉親であるってことに対する反感だったら、もっと根深いし、もっと警戒心とか絶望感とかあると思うんだが、あいつのは、そういう…世界対自分とかじゃなくて、そう、家族対自分ていうか…」
「ああ…子供っぽいのか。君からみると。」
「いや、そうじゃない。なんていうか…浅いんだ。だから、知らないってことなんじゃないかと思う。すまない。うまく言えなくて。これじゃ感覚的な判断ととられても致し方ないな。」
陽介がそう言うと、菊はさらりと言った。
「感覚でしか判断できないこともあるからな。そうすてたもんでもないさ。…まあ、一応参考にさせてもらうよ。…斎は、じゃあまったく知らない家に君にくっついてのりこんだ形なわけだ?」
「え…」陽介は一瞬躊躇した。「…あ、いや、えーと、その行方不明になった小夜っていうのが、斎の友達なんだ。もっともあいつは友達と思ってないみたいなんだけど、極東ではああいうの友達っていうんだ、一応。」
「…ふうん?サヨ・ビトウね…ラウール知ってる?」
「知らない。」
即座に返事があった。
「いや、俺はきいたことあるよ。なんだっけ。なんだっけなあ。」
菊はしばらく考えた。
「ああっ! 思い出した。去年の10月ごろ北京行ったときに斎と会ったんだ。そのとき髪がやけに可愛くしてあってさ、あいつ珍しいじゃんそういうの、それで聞いたら、クラスの女の子が学校でやってくれたって言ってた。そうだ。その子がビトウだ。間違いない。うん。…で、君とサヨの関係は?」
ぎゃふん、だった。
「…去年つきあってました。」
音声はまわりに伝わってるらしかった。ラウールが溜息をつき、「やられたな」と言うのが聞こえた。菊が言った。
「…君、周到に巻き込まれてるな。姉のほうじゃダメだから、弟差し向けられた可能性あるね。」
「普通の人そういう物の考え方しません!」
「…普通って斎やラウールの周囲では意味ないことばだけど?…それに現に君は実際引っ掛かってる。斎も向こうの手に落ちた。」
…ぐうのねも出なかった。
黙っていると、電話の向こうで話し合いが始った。
「…ラウール、斎一人で大丈夫かな?また倉庫吹き飛ばした日にゃ、どうするよ?」
「…虎はどこだっけ?」
「ヤツは今北米の片田舎。」
「…狼は?」
「中東。」
「…桜。」
「あんたんち。」
「…駄目だ、あいつはヤバすぎる。お前が外れたら私が仕事にならないし。…うーん。どうしよう。」
「…御大に頼んだら?…あとあんたんちのねんねことかさ。」
「…ヤバイだろ。私が斎に吹き飛ばされるよ。2人とも。それにウチに置いてるのは戦闘用じゃないから。一人は愛玩用、一人は家事用。それに家事用は口輪はずすと斎よりひどいし。」
「ケチるなよ。2人とも戦えるじゃねーか。まあでもやつらはボディガードもコミだからなあ。…んじゃしょうがない、御大にたのもうって。」
「駄目。出さない。」
「彼『手品』にも明るいんだろ?」
「駄目。あれはまだ斎の前には出せない。…それに彼はもう戦えないよ。戦わないって本人も言ってる。」
「斎がピンチだって言えば行ってくれるって。」
「駄目。」
「じゃどーすんだよっ!!」
ばーん! と菊は机を叩いた。
「…『手品』に関しては斎はエキスパートだ。なんとかなるだろう?…どれくらいのうでなのかは、私には知る由もないけど。」
やたらにソフトな声で相手は答えている。
「そりゃそうだが…応援出さねえならまた派手にぶっ壊しても文句はいえないと思うぜ。」
「…壊したければ壊せ。なくなってしまえばいいさ、羊達の世界など。」
そのきわめてソフトな声で、向こうの会話は途切れた。
「…あんた最近変だぜラウール。ここ5年くらい特にな。」
菊はラウールにそう言うと、今度は陽介に言った。
「…聞き流しといてくれよ。…それよっか、これから何人かに連絡とってみるが、正直なところ何人行けるかわからない。斎は…まあ、多分死んだりすることはあまりないとは思う。ヤツのことより…利用されていたとなると、君の身柄が心配だ。…親御さんに相談しておきたい。番号を教えてくれないか。」
「あ、ええと、母はだいたいの事情察してるから。…あと父は、先に俺の口から言っておきたいんだけど。」
「…お父さんとお母さんは別居?」
「…はい。」
「わかった。じゃあ今切ったらまずこっちはお母さんに電話する。その間に君はお父さんに電話する。そのあと、こっちがお父さんに電話する。OK?」
「わかりました。」
「…役にたつかどうかわからないけど、お母さんちにSPまわすよ。君は…ああ、お母さんと同居だったな。ならなおさらだ。」
「あ…俺、ほとぼり覚めるまで母のとこに帰るのよそうかと思うんです。父のとこならセキュリティ凄く厳しいし、SPも常在してるから。必要なときは父のところに寝泊まりします。母もそのつもりみたいです。」
陽介はポケットの貸し金庫の鍵を探って確かめた。
「そうか…。いや、君達がそう判断したなら、そのほうがいいだろう。…お父さん会社の重役か何かだっけ?」
陽介がなんと説明したものか迷っていると、電話の向こうでソフトな声が説明してくれた。
「…もう御隠居だけど、たしか会社の重役から大臣になって政府の要職を一時期次々やってた。今は政財界の黒幕ってやつだよ。うちの知り合いで言うと、タンドレの叔父上みたいなもんかな。」
「あー、政治家一家が困ったときに親戚一同揃って泣きつく相手、みたいな感じか。」
「…言ったな、菊。覚えておけよ。」
…やはりどこの一族にもうちの親父みたいなのいるんだな、…しかしそれにしてもよく調べてある、と陽介は思い、顔を掻いた。多分母が正妻でないのもラウールは知っているのだろう。
ラウールはベルジュール家の一粒種で、親族は広大な農園ドームを所有する大農家だと聞いている。…餌を押さえてドームの主人になった一族だった。
「…じゃあそんなに心配することもなさそうだな。…ただ、斎の関係者となると、『手品』やるヤツ多いから、油断しないようにしてくれ。」
「『手品』って…その正体は何なんだろう?」
陽介が思いきって尋ねると、菊はにべもなく言った。
「魔法っていうと嘘くせえだろ。…俺は斎がそのへんのフライパンで、人からもらった腐りかけの牛乳1カップ沸かしてその牛乳から5人分の豚汁出すのみたことあるぜ。あんときゃあの猛獣が神様に見えたね。なにしろ腹へってたからな。」
陽介は呆然とした。
「…そのとき何がおこってたんだ?」
「しるかよ。でもそのあと斎はまる3日眠りこんだ。…そういう話はまた今度ゆっくりな。君…公衆電話からだろ?危ないから親父さんに電話したらすぐ場所移動しな。」
「…わかった。」
「…それから、斎は多分自力で逃げ出してくるから、心配しなくていい。君が行ったりするとかえって斎は身動きがとれなくなるから、一人にしてやってくれ。」
「…」
「…俺の言うこと聞いといたほうがいいぜ、ヨースケ。長生きしたいならな。」
「…わかりました。」
陽介はうなづいた。
電話を切った後、陽介は少し考えた。
本当に、自分はなにもしなくていいのだろうか。
それから頭をひとつ振って、自分の父親に電話した。
父は「面倒だから来て話せ」と言った。
陽介はしばらく考えたが、そういえば向こうも話すと言っていたのを思い出し、父に言った。
「…行くのはいつになるかちょっとわかりません。もし今夜行けなかったら明日また電話します。今、急いでるので。」
そして電話を一方的に切った。




