1 みちはひらけり
1 みちはひらけり
かみさま~助けてよ~、と泣き言を言うと、年寄りの巫女たちはいつも容赦なく斎を鞭で打った。
つまらぬ事で御方を呼ぶなと。
斎は尋いてみたい。わけわかんないのは婆ァ供なのか、それともかみさま本人なのかを。
連邦チューブラインサービスの駅を出ると、州都は…春、だった。
日本州は半数の学校が、伝統的に4月新学期制を守っていて、斎が在籍する学芸都市S-23もまた、 新学期は四月と決まっていた。
世話になっている養父の一派の都合で、年末のクリスマスパレードに引っ張り出されて以来、斎は忙しくて学校にもどっていなかった。 せっかく苦労して築いた友人関係も、多分リセットされてしまったことだろう。 残念ながら彼女達とはそれほど「親友付き合い」していたとは言えなかったし、 斎は自分でも自分が付き合いやすいタイプの女子だとは思えなかった。 日本州の女子は特別に集団を好み、同調性が高い。新参者にも何かれとなく声をかけて誘ってくれ、また世話をやいて、様々な不文律(常識というやつだ)を教えこみ、よくしてくれた。 それはとても有り難い事のような、めんどくさいような、嬉しいようなこそばゆいような… とりあえず悪い印象だけではない不思議な体験ではあったのだけれども、一つはっきりしていたのは、 神殿で修行していた頃の、同年代の少女たちと語り合い、ケンカし、罵りあい、泣いたり、 笑ったりしたような…そういう激しいものは、ここの少女たちとの間には、育たなかったということだ。
育てる時間がなかった、…ということにしておこうと思っている。
あんな優しい子達と「まったくもって反りがあわない」などと考えるのは、さしもの斎でも、 傲慢なことに思えた。
そんなこんなで学校に行くことを考えると、ほっとするような煩わしいような、複雑な心地だった。
温暖さが売りの日本州だが、大平洋へわたってゆく風は今日は冷たかった。
風が当たると、なぜか左の腕がキリキリと痛んだ。手首と肘のちょうどまん中あたりだ。
斎は少し眉をひそめて自分の手を見た。
少し手首を動かしてみる。…筋でも違えたか?と思ったが、筋にしては場所がおかしい。
そのまま手を見ていると、しばらく間があってから、またがつんと神経に響き渡るような痛みがあった。
…どうも、動作と痛みは関係ないようだ。
苦行経験もあるし、体にはいろいろ無理を強いている。どこが失調しても不思議ではなかった。
病院へ行くべきか、と考えた。
しかし時計を見ると、もう夕方近い。
「…明日でいっか。左手だし。」
独り言をつぶやきながら、爪の先でポニーテールにゆった頭を掻いた。
「腹へったなあ…餌食いたい…。餌、餌。」
ぶつぶつ呟いて、調子をとる。ポケットの中で養父のクレジットカードをさぐり、少し考えた。
「…店屋物はいやだなあ。猫まんまでいいんだけどなあ、美味しい味噌汁とカツブシと白い御飯。 御飯は冷や飯でもいいんだけどなあ…。ああ、今だけ野良猫になりたい。」
調子よく独り言を言っていたら、思わず縁石を踏み外して転びそうになった。
「あたたっ、いかん、いかん。電池切れかけー。」
てへっ、と一人照れて笑うと、少し頭を振る。わがままな希望はこの際おいといて、何かファーストフードで軽く腹を満たそうかと考えた。
白い奇妙な服を着た5人の男が斎の周囲をすっ…と囲んだのは、そのときだった。
斎は、立ち止まった。
「…なんか、用?」
斎は真顔になって尋ねたが、男達は無言だった。
そして斎の四方に立ち、正方形をかたちづくった。
魔術だ、と、気づいた瞬間、斎は後ろから思いきり頭を撲られた。
目から火花が散るかのような衝撃に、思わずかがみこんだ。
「大人しくするがよい。御方が道をひらかれる。」
一番年輩の男がそう言って斎を押さえ付けた。
やばい、と斎は思った。
4本の杖が四方から斎のまわりにつきたてられた。
斎を押さえつけている男以外は、みな若い男ばかりだった。
斎のクラスの女の子たちなら、きっときゃあきゃあ言ったに違いない二枚目揃いだ。しかし残念ながら、今の斎にはそんな余裕はなかった。
いきなり上からきつい芳香の草がばらばらとおちてきて、斎の頭や肩に当った。
するとますます腕が痛くなった。
この腕の痛みが呪術的なものであることに気がついて、斎はぞっとした。
ここ数年、魔法樹から離れてくらしているうちに、斎の魔術的なカンはすっかり鈍ってしまっていたらしかった。
しかし気がついてもあとの祭だった。腕はさらに痛みをまして、斎は歯を食いしばったが、口の端から呻きが洩れた。
すると年輩の男が、奇妙な節をつけてなにかを唱えはじめた。
なんだ?!と斎が耳をこらすと、最後に大きくこう叫ぶのがきこえた。
「みちはひらけり!」
5人の男たちはそれを合図に一斉に斎のそばを離れた。
めり…と、音がした。
斎はどこか遠くで、魂のあげる深い悲鳴を聞いた。それが自分の口からもれているのに気付いたとき。
斎の腕を突き破って、木が生えた。
頭の中が苦痛で真っ赤になった。
木の重みで腕がちぎれそうだった。
(い…いけない。これはいけない。)
斎はかろうじてそう考えた。
そして…。
…反転する視界。