14/01/06 人殺し
私の妻は口煩い女だった。喧しいと言う方が適切だろうか。兎も角、下らぬ事を繰り返し繰り返し、切れ間無く言うものだから気に障った。
風呂を沸かそうとすれば風呂桶を洗ったのかとか、上がってくればちゃんと体を洗ったのかとか、そうして私をまるで子供扱いする事も多かった。一方では、可燃ゴミの収集日には言われずともゴミを出すべきだとか、伴に買い物をしたならどんな小さな荷物も自主的に持とうとするべきだとか、大人らしい当然なる気遣いを求めてきた。
いずれ些細な事ばかり。けれども、毎日毎日、何度も何度もずっと言われると、神経が摩耗していく様だった。
男、平良雄輔はスラスラと語った。眼鏡越しの視線をデスクに落としたままだったが、職業は塾講師というだけあって、木訥な印象とは裏腹に、実になめらかで落ち着いた口振りだった。
しかし僕は思わず溜息を漏らしていた。
「だから、殺したのですか?」
平良が自宅近くの交番に自首したのは、ほんの二時間前の事だ。巡査が自宅マンションで女性の遺体を確認し、逮捕、ここ本部へ送られてきたのだった。
殺害された妻・平良沙希の遺体は寝室のベッドにあった。横たえられ、胸の上で両手を組んだ格好で、布団を掛けられて眠っているかの様だった。検視によれば素手での絞殺、直腸温からして殺害から自首までに間は無かった。
単純でありふれた殺人。そのはずだった。
僕の問い掛けに、平良は首を横に振った。再び溜息が出た。取り調べを始めて二十分、もうずっとこの調子だ。ちょっとした愚痴を語っては、それが動機かと尋ねると、違うと言う。
出会った頃、私は大学院を出たばかり、妻は現役の大学生。家庭教師の面接に訪れていた彼女との初会は、今時これ程可憐で清楚な女性が居るのかと驚いた。それを思うと、月日というものがいかに残酷で容赦しないものかを実感する。
いや、そうとは言い切れない。交際を始めて暫くすると、私の収入が低く結婚に踏み切れない事について、不平不満を口にする数が次第に増えていった。金銭に関わる小言は、数年経って漸く結婚した後も続くのだから、妻は元来からそうした女だったのかも知れない。
私にも自尊心があり、そして僅かな矜持を、それらの言葉でずたずたに切り裂いている事を、妻はとうとう理解してくれなかった。
「つまり、収入面の叱責に堪えられなくなり、殺した?」
僕にとっても嫌な気分にさせられる話だ。付き合って四年になる恋人が居る。けれど、悲願だった警察本部のここ刑事部捜査一課への異動が漸く叶ったものの、ノンキャリアの巡査に過ぎず、給与の面では派出所勤務とそう変わり無く、一家の主になるには未だ不適当だ。
彼女は口にこそ出さないでいてくれるが、胸の内にはやはり、不甲斐ないこの僕を責める気持ちが多少なりともあるに違い無い。もし言葉や態度で示されたなら、僕も堪えられる自信が無い。
だが、平良は首を横に振った。
結婚から更に数年して、高偏差値の大学受験を目指すクラスを任される様になり、やっと収入が安定してきた。妻の口から、金銭に纏わる文句が減った。だが、それは私と妻の夫婦二人の家庭に限った場合だった。子供を産み、養うとなると、まだ不安がある。
妻は家計の足しに、コンビニエンスストアでパートタイマーとして勤務していた。それなりの学歴を持った人間のする仕事ではないという認識が彼女にもあったが、卒業と同時の就職をせず、若気の至りが如く家庭に入ってしまった女が、企業の中途採用に授かるのは困難だった。まだ結婚の熱が醒めやらぬ時期、午後から出社し深夜に帰宅する私を気遣いがあって始めてしまった事だから、余計に条件は厳しくなっていた。
私の収入が増えると同じ頃、妻は仕事を辞めたいと零すことが多くなった。その以前から辞職の考えはあっただろうが、仕事内容や職場の不満よりも何より、子供を持ちたいという願望が強かったのだろう。
子供を育てる事は、不安であり苦労を伴うだろうと予測したが、決して、不可能ではなかった。私にもまだ昇給の望みがあったし、子供が生まれて暫くした後、妻が再び働き出すという選択肢もあるにはあった。
しかし結局、子供を儲ける事は適わなかった。
そうか、解った。僕は舌打ちした。
「あなたには子供を作る力が──生殖能力が無かったんですね? それを奥さんに詰られて、殺してしまった」
男にとって最も辛い事だろう、そう想像する。僕が未だ健常な男である限り、想像するしかない。だが今現在においても、妊娠を恐れながら避妊具を着ける時は虚無感と背徳感に襲われるし、もし子供が欲しいと願ってセックスをしても子供が出来なかったら、いやそもそもセックスさえ出来なかったらと考えると、怖くて仕方が無い。
けれど平良は、僕を哀れむ様な目で見詰めながら、首を振った。
私と妻は話し合い、子供を作ろうと誓い合った。その時は、まるで結婚した直後、いや遙か以前、恋愛の高揚に溺れていた頃と同じ幸福感があった。けれども、妊娠の兆しは一向に現れなかった。
そこでお互いに不妊検査を受ける事にした。私の検査結果は、精子数がやや少ないものの正常範囲内というものだった。だが妻は、卵巣機能不全に伴う子宮発育不全症、黄体機能不全と診断された。
自然妊娠は不可能と言われた。体外受精、胚移植を行えば可能性はゼロではないが、妊娠成功率は低く、また根本治療としてホルモン投与を行ったとして、改善に繋がるかは希望の域を出ない。
医師の話を、私は一言一句聞き逃さない様に冷静に聞いていた。冷静を装っていた。幾度眩暈を抑えたか知れない。剰りにも惨い話ではないか。
子は鎹という言葉がある。子供は、夫婦という別個のものを、強く繋ぎ止める極めて大切な要素という意味だ。私と妻にとっては、子供を作ろうという決意こそが強固な鎹だった。だのに、だのに、それさえ無残にへし折られてしまった。
妻は診察室を出た後で、人目も憚らず、声を立てて泣いた。
「それで」
それでと言った時、僕はこの男の話に惹き込まれていると悟った。
「それで、どうなったんですか」
以来、妻は塞ぎ込んでしまった。診察以降一度も出勤しないまま辞職し、家事も手に付かず、リビングのソファに腰掛けて、ぼんやりとテレビを眺めている事ばかりだった。私が深夜帰宅した時などは、部屋の照明を点灯する事さえ忘れて、テレビの明滅の中に居る事さえあった。食事は、一度は箸を持つものの、何度か口に運んだきり手が動かなくなる。嫌という程聞かされた小言も無くなり、私の掛けた言葉に短く答えればまだ善し、そうした状態だった。
精神科医に連れて行ったところ、鬱病を患っていた。
私は妻の苦労を知った。私などという男を夫に持ってしまったが為の苦労だ。思い出したのは、私達が若く、恋人同士であった頃の、他愛も無いじゃれ合いだった。妻は子供が二人は欲しいと言っていた。一人目は女の子で、二人目は男の子だと尚更良いと。私は、君を幸せにしたいと言った。互いに理想を持って結婚したが、現実とはほど遠いものだ。彼女は彼女の理想の為に、ただじっと堪え続けていた。私の精神を切り刻んでいった言葉の数々は、ほんの小さな穴から漏れ出した膿に違い無く、彼女の抱えた巨大な膿疱に比べれば些細なものだった。
堪えて、堪えて、漸く辿り付いたのが、この仕打ちだ。
そして気付いた。私にとって妻の言葉がもたらしたものは、疲弊ではなく、強さだった。精神は筋肉と同じだ。摩り切れ、消耗して、時を経て強くなる。今の私があるのは妻のおかげだ。何物にも代えがたい心の支えだった。妻が居て、漸く私が居られる。
私は妻を愛しているのだ。
私は考えた。絶望に打ちひしがれ、変わり果ててしまった妻にしてやれる事は何だろうかと、必死に考えた。
夫として出来る事は何か、考えた。
「だから、じゃあ、殺す事に……楽にしてあげる事を選んだのですか?」
そんなのは、あんまりだ。彼や彼の妻、沙希の苦しみはもう想像出来ない。僕の人生には共感する為の経験が足りない。全く解らない。
生きていれば、どんなに分厚い雲に覆われていても、生きていれば明るい日の光が差す事だってあるはずだ。愛しているなら、胸に希望という火を灯して、愛し続ける事が出来るはずだ。
平良雄輔はそっと目を閉じ、首を横に振った。
考えて、考えに考え抜いて、結論に至った。
私がしてやれる事は、何一つとして無いのだ。
妻と私の生きてきた時間に、私がしてやれた事など、何も無いのだ。
「私はもう、とっくに沙希を殺していたんです」
そう呟いて、平良は静かに涙を落とした。
一日二日一話・第十一話。
暗い! 新年早々暗い!!
暗いからやめておこうと思ってお蔵入りしていたけれど、六日だしいい加減再開しろよバカヤローと心の声が煩いから仕方無し書き上げました。
もう次以降のネタは全く思い付かない。