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眠りたい?、それとも抱かれたい?

 綾は、二組の布団が並んで敷かれている豪華な部屋に一人、座っていた。


 ここまで来たら、心が落ち着いた。逆らわず、されるがままになり、早く眠りたかった。皮肉だが、今宵はよく眠れるかもしれない。

 今度は、正重とはどのようなお方なのかという心配もする。大名家の嫡男として育ってきたお方だ。やはり、高次のように、おなごの言うことには耳を貸さず、口答えをするようなおなごをすぐにでも叱りとばすとだろうか。

 今宵の夜伽はきっと新参者の綾を珍しがり、ただの好奇心による慰み者扱いなのだろうと思う。


 ただ、今の綾の願いは翌朝、奥向きに帰り、元の生活に戻ることができればそれでいいと願うだけだった。


 ろうそくの火がユラユラ揺らめく薄暗い行燈。半時ほどたっただろうか。

 正重はなかなか現れなかった。その揺らめく光の中にいると寝不足だった綾は、ついうとうとしてしまいそうになる。綾が先に寝てしまったら大変なことだ。気を引き締めていないといけない。

 それでも何度かこっくりとしてしまい、そのたびにはっと我に返る。



「正重さまでございます」

 侍女の囁く声がして、はっと目が覚めた。綾は慌てて平伏した。

 正重が入ってきたようだった。


「綾と申します」

と頭を下げたままで言った。


「待たせてすまなかった。おもてを上げよ」

 裸足の大きな足が綾の目の前で止まっていた。


 恐る恐る顔を上げるが、正重の夜着の裾が見えるほどしか顔を上げなかった。上げられなかった。

 綾は動揺していた。その声に聞きおぼえがあったのだ。


 まさか、まさか。正重様とは・・・・。


 正重が、綾の前に胡坐をかいて座った。そして、下を向いている綾の顔を覗き込んで言った。

「面を上げよと申したつもりだが」

 目の前でにやりと笑う。

 やはりと思う。そこにいたのは、あの鷹丸だった。


「タカ様。どうしてここに?」

「ここが今宵、わしの寝所よ」


 鷹丸が、正重だったとわかった。

 それがわかったら、安堵するより先に、今までの無礼を思い出して冷や汗が出た。

「若様とは存じませんでした。今までの無礼の数々、お許しくださいませ」

 慌てている綾を見て、正重は笑っている。


「よい、よいのだ。そなたがあまりにもおもしろくてな。正重とは言い出せなかった。わしが悪いのだ。鷹丸はわしの幼名で、今でもタカと呼ばれている。そなたがわからなくても無理はなかった」


 そう言われてもまだ顔を上げられないでいる。しかし、安堵した。

 龍之介をあやす姿、子供たちと一緒に笑う顔、綾をからかってくる悪戯な目。しかし、それでいて大人の目をして笑う鷹丸。

 その鷹丸がこの桐野家の嫡男、龍之介の兄だった。


「怒っているのか?」

と言われ、はっと顔を上げた。

 目がおかしそうに笑っていた。


「わたくしが若様をですか」

「そう、わしが正直に言わなかったから」


「そんな、滅相もございません」

 また、平伏する。

「わしは面を上げよと申したぞ」

「はい」


 正重が綾の肩を抱く。はっとして、体を固くした。

 そうだ、今宵は夜伽として呼ばれていたことを思い出していた。しかし、正重は綾の耳元でひそひそと言った。


「今夜、そなたはここでゆっくり休むがよい。龍之介はもう乳母の手で寝ているとのこと。安心せい」

「はっ」

と一度返事をするが、正重の言ったことを反芻する。

「はあ?」

と間延びをした返事をしてしまった。また正重に笑われる。


 正重はもう用事は済んだとばかりに、ピタリとくっついていた布団を離し、さっさと行燈の灯を消した。そしてそのまま布団へ入って背を向ける。先に寝てしまうつもりのようだ。

 正重は綾を抱くためではなく、龍之介のことを忘れさせて、一晩ゆっくりと寝かせるつもりで綾を呼んだのだった。


 暗闇の中に一人残された綾は、仕方なくもう片方の布団に入る。本当にこれでいいのか。一介の侍女にこんな気遣いをする若殿様など聞いたことがなかった。

 しかし、一度布団に入ると急激にものすごい睡魔に襲われ、たちまち寝入ってしまった綾だった。

 例え夜中に正重が気を変えて、綾の布団にもぐりこんできても気づかないくらいの勢いで寝ていた。


 控えの間にいた白波たちはどう思っただろうか。何事もなかったことはわかっていると思う。


 翌朝、まだ暗いうちに綾は目覚めていた。よく寝たせいで、頭もすっきりしている。

 布団から起きだして正座をする。隣で寝息をたてている正重のことを見ていた。


 あの鷹丸が桐野の若様だった。嬉しくもあり、その身分の差に悲しくもあった。

 しかし、わざわざ綾のためにこんなことまでしてくれた正重に感謝していた。


 障子の向こう方が明るくなってきた。

 正重が目を覚ました。平伏する綾。


「もう起きていたのか」

「いつもよりも、いささか寝過ぎました」

と綾は笑った。

 いつもは寝不足だった綾にとっては十分寝たという意味だ。

「そうか」

「はい、ゆっくり休むことができました。どうもありがとう存じます」

 再び平伏し、寝所を出た。


 自分の部屋へ行って着替えていると菊と孝子がきた。

 何もなかったが、なぜか気恥ずかしくなって、はにかんで笑うと、二人とも安心したように破顔した。気持ちは安定してすっきりしていた。


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