鷹丸と綾
理子もよく言っていた。
綾の気性では、男として生まれていたならいい武士になったはずと。それはおなごの綾にとっては褒め言葉ではなかったが、理子様をお守りする武士役を務めるという意味にも取れてうれしかった記憶がある。
「いや、責めているわけではない。率直でわかりやすいと思うてのう。普通のおなごはその心をあまり顔に出さず、みなまで言わぬし、仮面をかぶっているようで心の中が読めぬのじゃ」
鷹丸の言い方だと、まるでそのようなおなごは苦手であると言っているように聞こえた。
「タカ様がですか? それだけ皆に慕われておられるお方がそのようなこと。ならばわたくしは普通のおなごではないということなのですね」
鷹丸はうんうんとうなづく。
「それがわしにはおかしくてたまらぬ」
笑われても、不思議と腹はたたなかった。
綾のそんな性格は、高次にとって不快だったようで、よく叱られていたのだ。許嫁となり、皆もそうと知ると高次は既に夫のような口を利いた。それまで何も言わなかった綾の行動、言動を抑えるように言ってきた。もっと女らしく、控えめに出来ぬのかと叱られたことも多々ある。
そんな綾の気性を笑う鷹丸と、叱る高次だった。
「許婚だった人にはよく叱られました。もっと控えめに女らしくせよと」
鷹丸は意外そうだった。
「しかし、綾殿は許婚殿に従えなかったのだな」
「はい」
それは認めた。この性格はなかなか直らない。
「綾殿のその気性が気に食わぬのならば、その御仁は別に綾殿を妻にしなくてもいいのではないか。そういう穏やかな控えめの女人をめとればよいのだ。綾殿を無理に変えさせることなどさせなくともよい」
はっとした。
確かに高次がいつも綾に言っていたことは、普通の、心を押し殺したおなごの行動だった。
「そのまま真っ直ぐに突っ走る気性が綾殿の個性ならば、そのままでいいと言ってくれる御仁を探せばよい」
「そのようなことを言われたのは初めてでございます。可愛げのない男勝りの気性とよく言われておりました故。そのような物好きな御仁がおられましょうか」
綾はつぶやくように言った。
「なるほど、そのような物好きがこの世におられようか」
鷹丸が真面目な顔で言うが、すぐに吹きだした。
綾もつられて笑った。
気づくと龍之介はぐっすりと寝ていた。龍之介もよほど疲れていたのだろう。
「先ほどまでわたくしは弱気になっておりました。このような不調法なわたくしが、この先、龍之介様のお世話ができるのかと」
「うん、苦戦されていた様子。すぐに見てとれた」
鷹丸に優しく見つめられ、そう優しく言われると綾の心が高ぶった。閉じ込めていた不安がどっと押し寄せてきた。自分の弱い部分だった。
涙が出てきた。慌てて両手で顔を覆うが、もう止まらない。
鷹丸がそんな綾の肩に手をまわした。
「何をなさいます」
もう片方には龍之介を抱いている鷹丸。
「こうなったら綾殿も一緒に慰めようと思ってな。これ、動くと赤子が起きる」
そういわれるとじっとしているしかない。肩にまわった大きな手が暖かい。
「申し訳ございません。わたくしとしたことが、このようなことで涙するなど。お許しください」
「よい、もう少しこうしているから、泣きたければ思う存分に泣くがよい」
さらに綾を抱きしめる腕に力が入った。
わからなかった。自分がなぜそんなに泣いたのか。それほどまでに自分がつらかったのだと思ってもみなかった。
今までどんなことがあっても人前で涙だけはみせなかった、見せまいと思っていた綾。気丈に振る舞っていたのに、会って間もない鷹丸に、なぜこうも簡単に自分をさらけ出してしまうのか。
鷹丸の香のかおりがする。そして、草木のにおいも。
一頻り泣いて落ち着いた。顔を上げて言う。
「ありがとう存じます。もう大丈夫でございます」
鷹丸もいつもの笑顔をむけた。
「わしの方はもう少しこのままでもよかったが」
と言われ、赤くなった綾だった。
「奥方様に、運命を狂わせてすまぬと言われました。でも、わたくしは運命に沿っていると申しました。でも心がつらくなると、やはり狂わされているのかと弱気になってしまいました」
「運命か。運命は変えることができるから面白いのだ。ここへ来ることになったのは、運命にそうさせられたというよりも綾殿が選んだことなのだろう? 誰に狂わされたのでもないぞ」
同じ年に見えない大人な鷹丸だった。
鷹丸はじっと綾の顔を見ていた。
「夕べはあまり眠れなかったと言ったが、そなたの顔からすると夕べだけではない様子」
「さあ、休んでおりますが」
と目をそらして曖昧に答えると、鷹丸も怖い顔をする。新太郎と同じ反応だった。
「そなたはなんでも一人でやろうとするらしい。それだけ一生懸命なのだろうが、それは周りの者たちが信用できぬと言っているようにも見える。昼も夜も、一人で赤子の世話をしていては体がもたぬぞ。その上、夜泣きでこのようなところをうろうろしていてはいつか、倒れてしまうかもしれない。たまには乳母やそなたの侍女に任せたらどうだろう」
わかっている、わかっていてそれができない綾なのだ。
「信用している、いないなどのことではなく、わたくしがそうしたいのです。そうしないと自分が納得できないのです」
鷹丸は呆れたように、ふっと笑った。
「また男勝りの性格がもたげたな。では一言、言わせてもらおう。それは一人よがりだ。自己満足でやっているだけのこと。それでは周りの輪を乱すことになる。赤子のことは綾殿だけのことではない。この桐野に来た次男として養育されなければならない。自分だけの判断で勝手に育てられても困るのだ。他の経験者の意見や体験も取り入れて育ててもらいたい」
それは綾にとって、耳の痛い話であった。綾にはこの赤子は、理子の子という意識しかなかったからだ。
「それにそなた自身もここでやっていくには奥向きのこと、他の侍女達とうまく係わり、やっていかねばならぬと思うが、どうであろう。たまには本当の自分を、弱みを人に見せることも大切なのではないか? そうしないと他の者たちはそなたに歩みよってはこない。そなたは完璧主義だから、自分にも他人にも厳しいようだが、それでは周りの者たちが息がつまってしまう。人間、正しすぎても受け入れらないこともある」
なにも言い返せなかった。
わかっていても認めたくなかったことばかりだった。ただ、綾は鷹丸を睨みつける。
「何か言いたそうだな」
鷹丸はくすくす笑った。
何やらその笑顔を見ていると、綾は不思議と怒る気が失せていった。
「人は、人から学ぶ。そして人を助け、助けられる。持ちつ持たれつだ。人は一人では生きてゆけぬのでな」
頭では理解しているつもりだった。
今宵は慰められ、叱られ、諭された。
やがて綾は龍之介を抱いて深々と一礼し、綾は静まり返った奥向きへ戻っていった。
なんとなく、明日は素直な自分になれるような気がしていた。




