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綾の事情

「どうだ、龍之介様のご様子は」

「はい、健やかにお育ちでございます。時々、かんの虫が騒ぐような泣き方をされますが、それ以外は手のかからない赤子でございます」

と、綾が言った。


 鷹丸は躑躅つつじの花を見つめながら言った。

「疳の虫とな、綾殿、赤子は鋭いぞ。周りの人の感情や雰囲気をよく感じ取る。周りが落ち着かぬと赤子も落ち着かぬ。大人がイライラすると赤子もわけもわからず、焦れて泣く」

 綾は、おもわず鷹丸を睨みつける。

 自分が落ち着いていないと言われているのだとわかったから。


「ほうら、そのようにすぐに喰ってかかる。そなたの性分もあろうが、そんなことでは赤子も落ち着きまいて」

 そう言われて綾は鷹丸から目をそらした。

 相手の方がずっと上手うわてだった。子供の扱いにも慣れ、ここの場を取り仕切っている。たったひと月前に赤子を連れて、他の大名家から来たばかりの綾がかなう相手ではない。


 同じ大名家でも、その家風としきたりは違う。奥向きに龍之介と共にいても、戸惑うことが多かった。

 鷹丸の言うとおりかもしれなかった。周りの奥女中に気遣って、イライラしていたかもしれない。


「肝に銘じておきます」

と、抑えた声で言った。

「本当に・・・・そなたは・・・・・」

 クックと笑う鷹丸。


「何がおかしいのですか」

 再び声を荒げる。一応、綾も反省はしている。しかし、そう事はうまくはいかないのだ。


「そなたの顔を見ていると、大体何を考えているのかがすぐわかる。わしの言ったことは的を得ているが、それを指摘されたことが不満だ。けれど、とりあえずこの場はこういっておこうと思ったのだろう? よくそれで武家の侍女が務まったと思ってのう」


 図星だった。また、血が頭に上る。しかし、顔にすべて出ていると言われたばかりだ。深呼吸で落ち着ける。

「わたくしは、子供の頃から二つ上の姫様にお仕えしておりました。姫様は穏やかなお方でしたので、このようにからかわれたり、笑われたりする機会は殆どございませんでした」

と、言ってプイとそっぽを向いた。

「そうか、世間知らずの侍女だったか」

 鷹丸はそう言って、また高らかに笑った。

 悔しいが、その通りかもしれない。


 温厚な姫、理子まさこに仕え、理不尽なことも言われたことはなかった。子供の頃から一緒に学び、一緒に遊んだ。まるで姉を慕い、従うようなそんな関係だった。感情を殺してまで仕えることはなかったのだ。そして、理子の輿入れにもついてきて、そのままの環境でいた。

 理子のことならなんでも知っていたから、他の侍女や奥女中たちにも一目置かれていた。

 今までが平穏すぎたのかもしれなかった。だから、こうして今、苦労をしているのはその報いなのか。


 稽古場から新太郎が鷹丸を呼んだ。鷹丸も応じる。

「それでは綾殿。またどこかで会うかもしれぬが」

と鷹丸は言って、稽古場へ戻っていった。

 爽やかな笑顔だった。

 綾は一礼して、鷹丸の背中を見送った。

 爽やかな御仁だった。今まで感じたことのない感情が綾の中に宿っていた。会って間もないのに、もう会いたい、話していたいと思う人だった。




 綾はそのまま奥向きへ帰る。

 寝ている龍之介をそっと静かな部屋に寝かせた。そしてそのまま横に座り、赤子の寝ている顔を眺めていた。自分のこれまでのことをまた、振り返っていた。


 沖野綾は、ついひと月前まで近江水口藩藩主加藤明隆の正室、理子に仕えていた。


 その理子が双子を身ごもった。

 藩医が早くから、腹の中に二人いると診断していたので、加藤家ではそのうちの一人を、男女どちらでも構わず養子にもらってくれる武家を探していた。それで受け入れてくれたのが、今、綾のいる桐野家だった。


 甲斐大泉藩桐野家には、もう跡取りの嫡男がいた。それで男でも女でも構わなかったのだ。

 男なら次男として育て、たとえ姫であってもそれなりの家へ嫁に出してくれると言ってくれた。


 当初は赤子だけが桐野家へくるはずだった。綾が赤子と一緒に桐野家に来たのには理由があった。

 理子は、難産だった。陣痛が起ってから一昼夜がたっていた。疲労していた。その周りにつく侍女たちも疲れていた。そしてやっと男の子が生まれた。


 その当時は、先に生まれた方が弟と考えられていた。予定では先に生まれた方をすぐさま奥に隠し、後からの方を加藤家の嫡男として皆に報告をすることになっていた。

 しかし、・・・・・・。


おのこにございます」という藩医の言葉に皆が沸き立った。

 もちろん、赤子の産声はその周辺にも聞こえている。通常ならば、座敷の外で待ち受けている者たちに赤子のことが報告される。しかし、先に生まれた方は隠さなければならないということになっていた。

 理子もそうだが、綾もすぐに次の子が産まれるのだと思っていた。藩医ですら、そう思っていたらしい。しかし、すぐに次の陣痛がこなかった。


 周りは、赤子の報告をせよと、座敷に出入りしている侍女に迫った。それでしかたがなく「おのこでございます」と言ってしまった。

 

 理子は、その場で産湯につかり、きれいになった赤子を目で追っていた。その赤子を奥に連れて行こうとした侍女を呼び止めていた。

「どこへ連れていく。それはわらわの生んだ子じゃ。わらわの側に」

 

 藩医もその言葉に躊躇していた。赤子を抱いている侍女もどうしていいかわからずにいた。

「わらわの子じゃ、ここにっ」

 理子の強い言葉に、藩医がうなづいた。

「そのお子様をここへ」

 その言葉で、先に生まれた子が理子の隣に用意されていた布団に寝かされた。

「なぜ、この子はこのような粗末な産着を着せられておるのじゃ。加藤家の紋の入った産着はどこじゃ」


 皆が顔を見合わせていた。理子は自分が双子を身ごもっていると知っていたはずだ。しかし、今の振る舞いはそんなことを知らないかのよう。

 それにまだ、理子の腹にはもう一人いる。これからお産が続くのだ。いたずらに興奮させてはいけないと藩医が綾にそう耳打ちした。


  それから半時が過ぎ、やっと二人目の陣痛が始まったのだ。その子は割とすんなり産まれた。本来なら、その子が加藤家の嫡男として、家に残るはずだった。しかし、既に先に生まれた方が加藤家の産着を着せられ、理子の隣に寝ていた。

 取り上げた藩医はその子を侍女の渡し、産湯につかせる。


「奥方さま。本来なら、こちらが加藤家の嫡男でございます。しかし、今はすでに先に生まれたお子がそこにおられます。いかがなさいますか」

 藩医のその言葉は、後から生まれた方を着替えさせ、嫡男として奥方の隣に寝かせるか、それともこちらを養子に出してもよいかということなのだ。


 理子は赤子を生んだ喜びから、現実に引き戻されていた。理子の一言で、その子の運命が変わる。もちろん、理子が先に生まれた方を養子にするといえば、すぐに着替えさせられる。しかし、理子は迷っているようだった。先に生まれた方は既にその手で抱いていた。次の子が産まれる半時をもうすでに一緒に過ごし、母になった喜びをかみしめていた。

 理子は産湯につかり、きれいになっていく二人目の子供を見つめていた。そして、やっと言った。


「そちらを養子に。先に生まれた方を加藤家の嫡男とする」


 藩医も綾も、その理子を見ていた。

 苦渋の決断だろうと思った。

 産湯を終えたその子を侍女が真っ白な産着を着せ、奥へ連れていこうとした。それを見て、理子が一度だけ抱きたいと言った。藩医が承知した。


  しかし、理子が後から産んだ赤子を抱いたとき、駄々をこねたのだ。

「この子はこの先、母の温もりも知らずに生きていくことになる。この子にはなんの罪もないのに、なぜ、このような運命を背負わなければならぬのじゃ。わらわが畜生腹だったばかりに、その罪を追わねばならぬとは、何と不憫な・・・・。母を許せとは言わぬ」


「奥方さま」

 理子の異常に気づいていた。これ以上、取り乱しては理子の産後の体に悪いと思い、抱いている赤子を受け取ろうとするが、理子は身をくねらせて拒否した。


「罪ならば、わらわが受けようぞ。それでこの子が母のもとにいてくれるなら」

 理子らしくなかった。目が血走り、手もブルブルと震えてくる。

 藩医の玄庵が、落ち着かせろと綾に耳打ちした。


 綾もこれほど心の乱れた理子を見るのは初めてだった。生まれる前は、双子と知っていたから、その子を養子にやることも充分、承知していた。しかし、いざ母になると子を思う母性本能が強くなるのかもしれなかった。誰も何も言えなかった。何もできなかった。


「殿が参ります。若様のお顔をみたいと」

 襖の向こうで侍女の声がした。

 先に生まれた赤子は、すでに加藤家の家紋が入った寝間着を着せられ、寝ていた。

 若様とはそちらの方だった。

 そのことも理子を怒らせた。


「こちらの赤子も若であろうっ」

と叫んだ。

 他の侍女が怯んだ。

 綾は焦っていた。殿に、こんなに乱心した理子を見せるわけにはいかなかった。そうでなくても最近は側室ばかりに目をかけている加藤明隆であった。

 綾も他家へ行かなくてはならない赤子が不憫でならなかった。


 その時、咄嗟に思った。

 もし、綾が一緒に桐野家に行ったらどうだろうかと。いつも見守ることができる。なにかあってもすぐに助け、かばってやれる。その成長の様子を内密に理子にも報告できるかと考えた。


 しかし、これは綾にとっても決心するのに勇気がいることだった。

 桐野へ行くということは、今までの奥方の侍女という地位も失う。慣れない武家で、初めからやっていかなくてはならないのだ。


 わずかに躊躇した。許婚の高次たかつぎのこともある。

 しかし、迷っている場合ではなかった。殿はすぐそこに来ていた。


「奥方様。わたくしがこの若様と一緒に参ります」

 そう言っていた。

 理子も玄庵も、他の侍女たちも何を言い出すのかと綾を見ていた。


「わたくしが桐野へ行って、若様をお守りいたします。お世話役としていつもお側におります。立派にお育ていたします。それならば理子様も・・・・」

 受け入れてほしかった。


「そなたが・・・・か。なるほど、それは名案。もう一人の若様は、この綾が守ってくださいますぞ」

 玄庵はそう言って、さっと理子から赤子を取りあげた。

 そして綾に渡す。 


 理子は虚ろな目で見ていた。

「綾が・・・・・」

「はい、わたくしが命をかけて若様をお守りいたします」

 理子の目を見てきっぱりという。

 そう言いながら、事の重大さを感じる。もう後戻りはできなかった。


 理子の目から大粒の涙が零れ落ちた。合掌をする。

「綾・・・・・恩にきる。このことは一生忘れぬ。綾の運命までも狂わせるこのわらわを許してくだされ」

「奥方さま、もったいのうございます。運命が狂うのではなく、この運命に沿っていくつもりです」


 その時、廊下から声がかかった。

「殿のお成りにございます」

 理子は慌てて涙をぬぐい、乱れていた襟もとを直した。侍女がそれを待って襖を開けた。

 それと同時に、綾は赤子を連れて隣の控えの間に姿を隠した。


 殿も理子が双子を出産したことを知っている。しかし、あえて目に触れさせずに里子に出すのだ。

 殿は初めての子供が嫡男で、かなり上機嫌だった。理子を褒め、赤子の顔を凛々しいと言って褒めた。それを襖越しに聞いて、安堵のため息をつく綾だった。

 これで理子は正室の威厳が保てる。あとは綾がいなくても大丈夫だ。そう思った。


 綾は急いで支度をした。桐野へ行ったらもうここには戻ってはこない。他の侍女が着物やら持ってきた調度品は、後で届けさせると言ってくれた。



 それが先月のことだった。

 桐野の中屋敷の奥向きへ赤子と共に入った。 



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