別れと新しい家族
綾が敗血症ショックを起こしていた。
その日、一郎が熱のひかない綾を危ぶんで、大学病院へ転院させると言った矢先のことだった。その日は友子も出産続きでバタバタしていた。ずっと側についていたら、その体調の変化に気づいたはずだった。
肩の切り傷から菌が入り込み、その菌が吐き出す毒素によって中毒を起こす。すると、高熱、寒気、震えが起き、やがては血圧降下でショック症状を引き起こした。
友子が綾のいる和室に来た時はもうショック状態がはじまっていた。急いで一郎を呼んだが、その時はもう成す術もなかった。
友子は取り乱していた。声を上げて泣いていた。
今までずっと看護師をやってきて、心を通わせた患者が亡くなった時もここまで感情を剥き出すことはなかった。友子が綾に対する感情移入は異常なほどだった。
友子にとって、わずか四日間の家族だった。
綾はずっと以前に失ったお腹の子の生まれ変わりで、この四日間だけ家族として友子たちの前に現れてくれた。そんな気持ちだった。だから綾がいなくなる、家族が亡くなる、そんな取り乱し方だった。
一郎も必死になって心臓マッサージをしていた。しかし、綾は二度と目を開けることはなかった。
友子は泣きながら、なにも知らないで寝ている雪江を抱いた。
友子は綾に、留美からもらったという白いレースのきれいなネグリジェを着せた。それを着てにっこり笑う綾を見たかったと思う。こうやってみると綾はどこかの時代の人というよりも現代に生きていた女性に見える。
綾の枕元から、友子が撮った写真が見えていた。大事にしていた写真だった。失くさないように、手を胸の位置で組ませ、その手の中に写真を入れた。
綾はショック症状を起こしていたが、安らかな顔をしていた。まるで大役をこなし、元の世界へ帰るそんな安心した顔だった。
一郎は青い顔をして病室から出た。
やり切れない、そんな心情だった。
しかし、すぐに「友子」と呼ばれた。雪江を抱いたまま、廊下に出る。
「受付に、近くの交番のお巡りさんが来ているらしい」という知らせだった。
「ねっ、もう綾さんは話せないんだから、また後で来てもらって」
友子はすぐに綾の病室に戻る。綾を一人にしたら可哀相だと思ったからだ。その間、わずか一分もしたかどうかだった。
綾の姿は消えていた。綾の寝ていたはずの布団は空っぽだったのだ。
友子は病室を間違えたのかと思った。そんなことがあるわけがなかった。こと切れていた綾がどこへ行かれようか。
その存在は夢でもない。綾の産んだ子、雪江はこの友子の腕の中で眠っていた。そして、綾のいたベッドはまだ、温もりが残っていた。綾だけが忽然と消えてしまっていた。
一郎もあっけにとられている。
二人で長い間、茫然とたたずんでいた。
友子の涙が乾いた頃、突然、思いついたことを口にした。
「ねえ、こうしたらどう?」
一郎が友子を見る。
「ある夜、急患がきました。そのまま赤ちゃんを産んで、動けるようになったら失踪してしまいましたってこと」
「ええっ」
一郎は、何考えてるんだという問いかけの顔をした。
「だって、どうすればいいの? 駐在さんにもなんて説明するのよ。綾さんのご遺体は消えてしまった。たぶん、綾さん、戸籍もないと思う。一応、失踪届けをだして、赤ちゃんも引き取りに来るまでうちで預かるってことにしましょうよ。それか、一時施設に預ける手続きをして、雪江を養子にもらいましょう」
友子は必死だった。何が何でも、一郎が何を言おうが、雪江を引き取るつもりでいた。
もし、綾が元気で退院できても行くところがなかったら、その時は二人ともうちへおこうとまで考えていた。一度に娘と孫ができると心を躍らせていたのだ。
「そんなこと・・・・・お前」
一郎は友子が口にしたことを反芻していた。友子の異常なまでの決意を悟ったみたいだった。
「青木くんだって、あの後、言ってたじゃない。綾さん、絶対に怪しいって。産むだけ産んでどっか行っちゃうかもしれないから、見張ってた方がいいって」
「う・・・・うん」
青木の中では、綾はやくざの情婦で、逃げ出そうとしたところを切り付けられて、川に潜み、ここへ来た。無事に産んだ今は、またやくざに見つからないように逃げると。その時は足でまといになる子供はおいていくと言っていた。映画の見過ぎだと笑ったが、使える話だった。
警察に真実を話そうにも、綾が突然現れて、突然消えてしまったということを信じろというのが無理な話だった。
一郎は雪江を見る。
やがて決心した様子で、顔を引き締めた。
「綾さんは娘、雪江は孫だ」
友子と二人で笑った。
こうして、神宮寺雪江となった。




