帰るとき
翌日は晴天だった。
朝は調子がよかった。少し起きられたし、朝食も食べられた。
今日は下の病室に移されると言われていた。
一郎の診察が終わる。浮かない表情をわざと押し隠していた。わかっている。熱が引かないのだ。日に日に上がっているのだろう。綾が一番よくわかっていた。
友子がいつものように、雪江を連れてきてくれる。
「朝から陣痛を訴えている患者さんがきているの。生まれたらすぐにまたくるからね」
綾はうなづいた。友子はいつも忙しそうだ。それなのに綾の顔を頻繁に見に来てくれる。
留美が他の産婦を連れてきていた。なんと、その産婦は双子を生んでいた。その二人をワゴンのまま連れてきてくれた。同じ顔をした女の子だった。嬉しそうだった。
この世では双子を忌み嫌うことはない様子だ。龍之介を思い出していた。あの双子もここで生まれていれば、離れることはなかったはずだ。時代が違うだけで養子に出され、または殺されたりした。生まれてくる命には罪はない。それらはすべて勝手な思い込みからきていることがわかった。
留美が後から来て、新しい夜着をくれた。買ってきてくれた物が少し小さいとのこと。
「綾さんなら細いから着られると思う。このネグリジェ、レースがいっぱいついているから気にいったのに、残念」
その夜着は、真っ白くて美しかった。頭からふんわりとかぶるとのこと。筒のような形になっていた。
その日の午後、綾は階下の和室に一人、寝ていた。
綾は隣で寝ている雪江を見た。手を伸ばし、その小さな手に触れる。
理子との約束、龍之介を命に代えても守ると言った。
もうこうなったらそれが果たせる約束なのかわからない。しかし、綾が果たせなくても、この雪江が綾に代わって果たしてくれる、そんな気がした。それが綾の望みだった。そう望んだ約束であった。
この別世界にいる雪江が、どうやって龍之介のところへ行かれるのかわからない。しかし、一度は綾がこちらへ来たわけだし、雪江は本来、あちらで生まれ育つ人なのだ。いつしかこのほつれた糸が直されるように、戻れる日が来ると思う。
そして、父である正重に会ってほしい。本来ならこの雪江は、あの正重に甘やかされて育つはずだったのだ。
正重様・・・・・。
正重のことを思うと胸が張り裂けそうになる。
あの夜、側近の新太郎、久四郎の両名とも亡くし、綾も姿を消している。
一人になってどうしているだろうか。
今頃、綾を心配し、赤子のことを案じているだろう。ここで、別の世界で雪江は生きているとそれだけでも伝えたかった。
最期に正重にも会いたかった。一目でいいから会って、笑いかけて抱きしめてもらいたかった。
もらった写真を手にしていた。あの世にまで持っていきたい。
力を振り絞って書いた、一郎と友子への手紙。今までの御礼と雪江のことを頼んだ手紙だった。それを雪江の布団の下に置いた。
友子がきた。
上から吊るしてある薬の瓶の交換に来たのだろう。
慌てている。何か話しかけられるが、聞こえない。綾の意識が段々と遠のいていく。
ついにその時がきたのかもしれない。さらば、雪江。
この世界に一人、残していくことは心苦しいが、そなたはいつかはあの世界へ戻ってほしい。龍之介様を頼む、お守りすることを約束してほしい。そして、正重様、そなたの父上に会ったら・・・・・・・綾は幸せだったと伝えてほしい。
友子が何か騒いでいた。
一郎も駆けつけてきたようだ。
綾は何となくわかっていた。
何事もなく、桐野家の中屋敷で雪江を産んだとしても、綾はその後、同じようにしてこの世を去るのだろうと。腹まで切って赤子を取り出すこの世界でも綾の命を救うことはできなかった。
どんなに阻止しようとしても人の宿命は変えられない。そういうふうになっているのだ。
綾に与えられた、決められていた寿命だった。そう思うと無念の気持ちが薄らぎ、穏やかな気持ちになった。
綾はお約束通り、正重様の元に帰ります。もうどこへも行きませぬ。
でも、この子はもう少しこちらの世へおいていきます。そして、その時がくるまで、その時が来たら、きっと正重様、龍之介様の前に戻ると思います。
それまでなにとぞ・・・・・・・・。




