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側室としての立場と正重の心

 それからも、綾は正重に何度となく呼ばれ、二人は仲睦まじい夜を過ごしていく。


 最近の綾は朝方、先に起きてそっと御寝所を出て行ってしまう。

 龍之介が朝早く起きるし、奥向きの女中たちに綾が中奥から戻ってくる姿を見られたくないからだ。その事情を正重も知っている。


 その日もそっと起き、布団から出ようとすると、急に手をつかまれた。

 はっとする。


「起こしてしまいましたか。申し訳・・・・・」

 安眠を損ねてしまった詫びを入れようとすると、グイッと引っ張られて、正重の胸の上に倒れこんだ。そしてぎゅっと抱きしめられる。


「綾・・・・・」

 暗いがぼんやりとお互いの顔は見える。

「なんでございましょう」


「そなたを一生、そばにおきたい」


 真剣な顔になった綾はじっと正重を見る。

「若様、わたくしはずっとこの桐野家におります故」

と言っても、正重の腕の力は変わらない。

 ますます強く抱きしめてくる。


「綾がいてくれればそれだけでいい、それでよいのだ」

 綾の顔が曇る。

 正重の言っていることは、正室をもらいたくない、綾が側室でいてくれればそれでいいという意味だった。


「若様・・・・・」

「わかっておる。しかし、今はそなただけがいてくれればいい」


「若様、わたくしはどこにも行きませぬ。いつも若様のおそばにおります」

「約束するか?」

「はい、約束いたします」



 正重が綾を側室にしたことが、上屋敷にいる父の正春に知られ、今度は正室を娶とれと言われていた。

 普通の大名家なら、家同士で勝手に話がすすみ、決められてしまうが、父の正春は正重の性格をよくわかっていた。本人が承諾しなければ、たとえ正室を迎えても絶対にうまくいかないということを。

 正春自身も、正室と側室のことでいろいろあったので、無理にとは言わない。しかし、家老たちがやいのやいの言ってくるのだろう。時々正春は上屋敷に正重を呼びだしては口説いているらしい。


 昨夜、呼ばれたときに、綾が正重に「正室をもらえ」と言った。

 家老や白波たちが、綾から説得をするようにと言われていたからだ。綾も自分の身分をわきまえている。正重が正室をもらう方が桐野家のためだと思っていた。


 しかし、滅多に怒らない正重が怖い顔をし、

「そなたまでがそんなことを申すのか」

と言って、そのまま綾に背を向けて先に布団へ入ってしまった。


 綾はどうしていいかわからなかった。

 本心は、このまま正重を独占していられたらどんなにいいかと思う。しかし、桐野家の跡取り、甲斐大泉藩の藩主になる人だ。きちんとした武家からの正室を迎え、子を成したほうが家臣たちも安心していられる。

 綾の父も加藤家に仕える身だった。家ではそう、よく話していた。藩主になられる方はそうすることが家臣たちの安心感と忠実な心を養えると言っていた。


 綾は、自分の中に、側室として正重を独占したいという気持ちを捨てることにした。そんなことを考えていた自分に言い聞かせるために、正重に怒鳴っていた。


「正重様っ、いずれは藩主になられるお方がなんということでしょうかっ。上に立つ身分のものは家臣のことも常に考えなければなりませぬ。わがままもいい加減になされませっ。嫌だとばかり言っていたら、この桐野家の存続が危ぶまれますぞっ」


 すねて寝たふりをしていた正重は、驚いて綾を振り返る。

 綾はさらに続けた。

「ご無礼を承知で申し上げております。このような勝気な綾を嫌ってくだされ。もう側室として呼ばれなくても、綾は龍之介様を立派にお育ていたします。どうか、お優しい正室をお迎えください。そうすれば皆が安堵いたします」


 少しの間、静寂が二人を取り巻いていた。

 綾はドキドキしていた。

 正重はかなり怒っているだろう。もう二度と綾の顔など見たくないと怒鳴るだろう。今すぐ、この御寝所から追い出されるかもしれない。

 しかし、言わなければならないことは言った。あとは正重の行動次第で、綾の運命が決まる。どんなことになっても綾はそれに従おうと思っていた。手打ちにされても仕方がなかった。


 暗闇の中で、正重はふっと笑った。

 綾を抱きすくめ、布団の中に引きずりこんだ。そして、くちびるを押し付けてくる。

 その激しさに息苦しくなる。


「若様。鷹丸様」

 正重はクックッと笑っていた。

「忘れていた。綾の気性を。毎日同じようなことを新太郎にも言われているのだ。そして、久四郎もな。あの男は・・・・・・向こうで聞いているだろうが、久四郎は無言の訴えをするのだ。やいのやいの言われるよりもあの者の岩のように、だんまりでにらみつけられる方がずっとつらい」

 はっはっと豪快に笑った。


 やはり、毎日のように周りから言われていたのだ。よく考えたら、正重自身が一番よくわかっていることだった。それに気づかないはずがなかった。

 しかし、そう思っていてもなかなかそう割り切れないのに、周りからそう責められてはやりきれないかもしれない。

 そして、ついに綾までがそんなことを言い始めたから怒ったのだった。綾だけは正重の味方であるべきだったと思う。


「わかっておる。しかし、もう少し綾とこのままでいたい。このように人を好くということは初めてなのだよ。今は自分の心のすべてをそなたに向けていたいのだ」

「若様」


 その言葉に嬉しくて思わず涙がこみ上げてくる。もう綾は何も言うまいと思った。この人は身分も関係なく、真正面から綾を愛してくれている。その人に綾も答えるべきだと思った。


「若様。綾も・・・・この綾も・・・・」

「なんじゃ、そなたもわしから離れられぬであろう」

 見透かされていた。


「はい、正重様は、綾のすべてでございます」

 涙がとめどもなく流れてくる。

 正重の手が綾の顔に触れる。その涙をぬぐってくれた。


「どこかが雨漏りでもしておるようじゃ。どれ、修理をするかのう」

 綾の涙を雨漏りといい、修理とは綾を慰め、愛を確かめあうことだった。

 正重が綾を包み込むようにして、覆いかぶさった。



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