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ホームサイドガール  作者: 狐塚仰麗(引退)
八月の鳴嶺女学院にて
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灯火scene8

 その日は、放課後に中條先輩に生徒会室に呼び出された。僕のクラスは授業が午前中で終わる日だった。ご承知の通り、うちは私学なので土曜は毎週授業が午前中にあるため、平日に四限だけで終わると言う日も場合によっては有ると言う訳だ。

 そうなれば午後には自らの思い描いている進学進路に合わせて補修のスケジュールを都合したり、生徒と同じく午前中にしか授業が入っていない非常勤の先生たちだって夕方まで講師室でゆっくりしているのだから、熱心な生徒たちは質問に行ったりしている。もちろん青春を謳歌する人たちも居るし、放課後はカラオケだボーリングだと遊びに夢中な者も大多数だと言える。しかし、学年やクラス毎に時間割が違うのが常であるから、例えば僕らが四限で上れるからと言って友人や先輩、後輩が同じ時間に帰れるかと言うとそうではない訳である。ここの擦り寄せが肝要だ。

 それは生徒会活動も例外ではなく影響を受け、役員が確実に全員出席できる然るべき日に会議は執り行われる事になっている。あくまで、便宜上は、だが。と言うのも、生徒会室自体は放課後毎日、会長が在室しているため、会議が無くても暇な人たちが集まると言う仕組みになっているからだ。暇人なら暇人で、会長の手伝いだったり、ここへ来れば色々やることがあるのだ。

 我らが気高き三木会長はとても多忙なのだが、僕らの前ではどういう訳か毅然としていて、さも忙しくもなんともなさそうに振る舞うのだが、よくよくあれで疲れなど溜まって無いのだろうか、とよっぽど不思議に思う。無理などしていないのだろうかと僕は人並みに心配もすれど、三木体制下の生徒会執行部の面々は一年の新参者の僕なんかより会長の身辺を心得ていて、そんな事はさも瑣末であるかのように、おかまいなしである。

 あの人はそう簡単に斃れはしない、と言う事らしい。編入試験にさんざ失敗をして来た僕としては、そんな学生がいるものかと言いたいが、国公立受験の学生は一分一秒も無駄にはせず寝食も惜しんで勉強に明け暮れるものだ。それと比較すればエネルギーの向かう先が違うと言うだけで、会長の場合は多少ゆとりがあるのではないかと言う気がしてくる。元々、勉強は良くできるから、行動のベクトルが生徒会活動に傾斜していても何も言われないのだろう。会長が、これで部活動も兼任していたら、とんでもない話になってくる。

 果たしてそう言う種類の人間は、僕らとは時間の感覚がまったく違うのではないかと思わされる。

 いつ寝ているのか、いつ宿題をやっているのか、全く以って浮世離れを体現している。実際、同じ時と空間を生きながらも、そこには隔絶が明らかに存在する。僕がこうして考え事なんかしている間も、その通り一分一秒たりとも無駄にする事なく己のすべきことが自ずと理解せらるる、そういう天賦の才とでも言うべき何かが備わっているとしか思えない。まことに浮世離れとは言い得て妙を極めるものだ。

 それを思えば、中学時代僕自身が弄した時間は果たして意義のあったものであるかどうか。さすがに、無駄とは思わないが、ここまで出来の違う人の姿を見ると、圧倒されて、もはや自分と比べるのもおこがましいとさえ思えてくるのだから不思議である。

 中條先輩に呼び出された僕は、先輩の授業が終わる時間――当然彼女の時間割も(彼女自身に教えてもらって)把握しているので、五限が終わるまでは校内を散策すればいいと思った。五月も連休が明け半ば近くになってくると、春という季節も終わりを迎え、夏の気配が感じられてくる今日この頃、涼やかな風が校舎を抜けて行くのが心地よい。

 窓の外、校庭を眺める僕の視線は、自然体育館の更に向こう側に聳えている部室棟へと移って行く。

 ――本校の生徒会に組み込まれている専門委員会は、それぞれの名称とは裏腹に実情様々な〈生徒会絡みの雑用〉を抱えている。学校生活を費やすに足る雑用かどうかはともかく、多くの役員はそれを悦んでやると思っている、と思われているきらいは無きにしも非ずだ。

 実際の現場は愚痴が多かったりする。特に、新聞委員会はろくに会議にも顔を出さないばかりか、生徒会関連の雑用は全く引き受けようとしないのだと言う。あそこは、そういう体質らしい。何年も前からなのだそうだ、生徒会の一部である新聞委員会という一個大隊に、これほど生徒会が毛嫌いされている訳は、一体何があったのだろうか。

 生徒会役員(委員長並びに副委員長)は全員出席が会議の鉄則となっているが、それもまあ便宜上と言う事で、この場に新聞委員長、副委員長が出席して会議に臨むのは稀である。僕自身、最初の役員顔合わせでしか見た事が無い。

 彼らの活動拠点は、今現在僕が眺めている部室棟最上階の一角にあるらしいが、これが生徒会室並みに広いらしい。一委員会が生徒会全体の本部並みに広いとはどういうことなのか。これもまた疑問である。彼らが会議に出ないのは、もしかすると何年も前に、生徒会が一度機能を失ったという例の黒歴史的事件と関係があるように思われる。

 一度お邪魔してみたいが、生徒会役員の僕が行って歓迎されるのかは疑問である。そこまで表立った対立構造が存在する訳ではなさそうなのだが、どうなのだろうか。

 三木会長が生徒会長を務めて二年目の現体制でさえも、新聞委員会が会議に参加してこないというのは、引き込むのに余程骨が折れるのかそれともお互い関心が無いのか、改善の余地があるのに避けているのか。

 疑問が膨らみ、ちょっと部室棟を覗きに行こうかとも思ったが、僕一人では心細いのでやめておく。考えても見ろ、部室棟だぞ、先輩だらけに決まってる。いまさら勧誘されても面倒じゃないか。

 僕も彼女たちの力になりたいので、新聞委員が会議に参加してくれるようになれば、よりよい活動が行えるようになるんじゃないかとか考えても見たのであるが。

 時間が来て生徒会室に足を踏み入れると、そこには不敵な笑みを浮かべた中條先輩と、三木会長が待ち受けていた。

「こんにちは、授業お疲れ様です」

「うん、お疲れ様」

「お疲れ、書記くん」

 挨拶を交わしただけで、耳を通り抜ける中條先輩の声は僕の全身を駆け巡る血を沸騰させんばかりである。果たしてそんな表現をするべきかどうか、落ち着け、落ち着け、落ち着け。ただの生徒会室だ。まだ役員もそろわない時間だ。少し前に集まるだけじゃないか。具合よく、三木会長も同席しているのだ。中條先輩と二人きりで無くてよかったと安心して良いのか、それともその逆なのか解らないが、この三人だけと言うのは何か違和感がある。なぜならこの二人は爾来生徒会役員以外の男性をあま好いてはいないからだ。勘ぐるべきではないのかもしれないが。

「君ってさ」僕が自分の席に着くと唐突に、会長が口を開いた。

「はい」

「まじまじと眺めて見たらやはり。うん、前から思っていたけれど、君は随分可愛らしい顔をしているよね、いや、綺麗と言ったらいいのかな、良く整っている。――これは、ますます見間違えてもおかしくないね、女の子みたいだ」

「……。えっと、それは……」僕は横目で、中條さんの方を見る。彼女は微笑んでくれただけで、何も言おうとはしていない。その頬笑みはあの頃の頬笑みに似ていた。僕は既に平静を取り戻していた。

「あ、悪気があって言ってるんじゃないぞ、それは君にとって誇るべき長所でもある。――顔合わせの時、私の名前に付いて聞いてくれたのは、嬉しかったよ」

 僕はどういう状況に置かれているのだろうか。気が付いたら僕の隣には三木会長が立っていて、そのまま僕の背後に回り、僕の頬を両手で撫でて来たのだ。何が何だか分からない。

「ひゃっ」

「ふふ、まったく声も女の子みたいじゃないか、照れる事は無いよ」

「いや、ちょっと、会長、何してるんですか。悪ふざけは止してください、中條先輩も何とか言ってくださいよ」

 僕は中條先輩を見遣ったが、彼女はこちらに背を向けて何やら荷物を広げている。この状況、助けてほしいのだけれど、しかしまた中條先輩に助けを求める事は果たして僕にとって正しい事になるのかどうか。しかしもう声をかけてしまったのだから、そんな事を考えても無駄だ。

「――悪いんだけれど、君にはこれに着替えてほしいんだ」やっと口を開いた中條先輩の語調は普段の副会長のものではなく、ツグミ姉ちゃんのそれであった。ますます訳が解らない。久し振りに幼なじみである彼女の素が垣間見えた喜びに、震える余裕も無いのだ。

 ツグミ姉ちゃんがその手に持っているのは、衣裳だった。

 それも、メイド服だ。

 つまり、女物の服である。

 と言う事は、男が着る服ではない訳だ。

 ツグミ姉ちゃんは僕に、それに着替えろと言ったのだろうか。さっぱりわけが解らないじゃないか、僕は男だからそんな服を着る訳が無い。

 そんな衣装、どこから持って来たのか用意したのかまさか自腹で買ったのかとかそんな感じの考えが堂々巡り。

 果たして彼女――生徒会副会長中條鶫はこのような事を僕に強いるような女性だったろうかという疑問がまず先に立つ。

 ところがその疑問に僕は否と答えることはできないのだ。なぜなら彼女は僕にとっての絶対者であるからだ。記憶をたどる作業を経るまでも無く、彼女――ツグミ姉ちゃんの命令に僕は従うべきだ。

 まあ、これは僕がただそう思いたいだけなので、断りたければ断る道もある筈なのである。いや、問題は彼女が何かを僕に強いる事ではない。実際女ジャイアンことツグミ姉ちゃんの馬になった事も過去数知れないのだ、忘れ得ない昔の話だが。

 だがガキ大将のそれとは明らかに異なる、その要求の内容が僕に疑問を抱かせたことは事実だ。彼女の言葉を僕は反芻する。何を言っているか解らないと答えることもできたが、彼女が言った通りの事を繰り返す。反論もするべきではない。と僕は自分に言い聞かせる。しかしもう一つ決定的な要因があるのだ。

 この状況、おかしい事は無い、あの頃のツグミ姉ちゃんが今目の前に居て、僕に命令を下す。願っても無い状況なのだ。懐かしくて、おかしい事だと解っているのに嬉しい。歪んだ愛。しかし、しかしだ。

 何が異質なのかという事だ。

 ――彼女が僕に何かを強いるという事は、それは決して人前ではありえなかった事だ。僕ら二人だけの秘密のようなものだったはずだ。

 この場にいるのは、僕と彼女の二人きりではない。状況設定が過去とは確実に異なる。改めて疑問を呈するならば――それを差し挟む余地があればだが――彼女は人前で僕にこのような事を強いるような女性だっただろうか。しかし、その疑問には僕は明確な答えを示すことができる。――否である。

 それに、着替える。僕が。

 彼女の命令を繰り返しても、ツグミ姉ちゃんも三木会長も、二人とも顔色一つ変えない。まるで時が止まったかのようだ。おかしい。もう一度、声に出して繰り返してみる。

「それを僕が着る……」

 そうか、さっきは僕は声を出す事を忘れていたのだ。苦しい沈黙が流れた。

「あの――中條先輩、ちょっとよくわからないんですけど」

「あれ、忘れちゃったのかな。子供の頃は、良く着てたじゃない――」

 当たり前のように彼女は言う。

 事実当たり前だったじゃないか。

 僕は自分の見た目にはコンプレックスを持っていたが、彼女の前だけでは僕は女の子の恰好だってさせられていた。させられていたわけじゃない、喜んで着ていたのだ。

 だが、今の僕がそれを着たところでどうなるというのだろう。そしてここにはもう一人の人間がいる。かんぜんなあのころのままではない。ぼくは彼女にしか見せない自分の姿を、あのひとにまでさらけださなければならないのだろうか。ぶがいしゃに――無駄だ、抵抗に意味は無い、なぜなら二人で僕を待っていたのだから、最初から彼女は〈そのつもり〉だということだ。つまりかいちょうにぼくの、その姿を見せる積りで。完全の子供の頃の関係あれやこれを忘れていた訳じゃないのだと。

「いやだったら着てくれなくてもいいのだけれどね、――せっかく君のために買って来たんだけどな、これ」

 ツグミ姉ちゃんのこのひとことはぼくにとどめをさすにじゅうぶんだった。こうしてぼくのためといってなにかをくれる時は決まって、あとで多少ヒドイメにあわされることはわかっていたけれど、それを断ったって何の意味も無い事くらい僕は十分知っているのだから。ああ、またこんな――女の子のために作られた服に僕が身体を通す事になるなんて。それも彼女の手で。彼女の。

「……すーすーする」

 着替えてしまったらもう遅い。次第に、頭も冷えてきた。何と言う事だろう。放課後の生徒会室でメイド服なんか着ている。どうかしている。他の役員がここに入ってきたら一体何を思うだろう。もう何もかもが――

「驚いた、ただ着替えただけでも充分様になってる、大したもんだね。――良かったじゃないか、これで書記くんも私たちの仲間入りだ」

「あははは、メイド服なんて初めて着たのにね。ほんと、可愛いよ、章太郎――」

 僕のメイド服姿を眺め笑う華やかな二人の様子に、やっと僕は理解が追いついた。ツグミ姉ちゃんの、三木会長に対する憧れ――その言葉の延長線上にある感情の存在を。――やはり、彼女は変わってしまっていたのだ。

 こうして、僕は彼女たちの秘密を共有する事になってしまった。下手をすれば、僕は会長に嫉妬をしてしまいそうだった。

 しかしそれ以上に恐ろしかったのは、その事実を信じたくは無かったが、子供の頃とは全く違う、僕自身の変化である。

 もはや彼女たちの前に限ったことじゃない。女装をすると言う行為そのものが、僕にとっての一つの楽しみに、変わってしまったのだ。女の子みたいだと言う〈もっとも嫌っていた欠点〉はこの日を境に、〈至上の利点〉へと姿を変えた。


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