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ホームサイドガール  作者: 狐塚仰麗(引退)
八月の鳴嶺女学院にて
89/92

熱中症対策にはこまめな水分補給を。

 夏の日差しが相変わらずきつい。バス停から歩きながら、水分補給の事を考える。こまめな水分補給が熱中症対策だ、とはどんな専門家も口をそろえて言う所だが、俺に言わせれば、その熱中症対策、と言う所に、無力感を感じざるを得ない。大体に普段の体調管理とか、細かな環境の変化によって、熱中症とは引き起こされるものである。そう、温度の環境が良かったからと言って、きのこが生えて来たりするのと原理は同じく考えるのだ。つまり特定の条件がそろってしまった場合に、熱中症になる確率が上がるのである。そして、その特定の条件と言うやつは、個人個人で全く異なるのだ。熱中症対策、と言って一概に水分補給をしていれば大丈夫だと思っていると、そういうやつは熱中症になって痛い目を見るのである。――と言うのもだ、何を隠そう不本意な事に熱中症になった事が二度三度とあったりするのが、俺である。熱射病と熱中症は違うと言うのは解ると思うが、どういう訳だか俺は熱中症と言うものに縁があるらしい。とかくに、熱中症対策飲料なんて飲んでいたりする分には、恐らく脱水症状にはならないだろうと言う予防線であって、熱中症が猛威を振るうのはむしろ、《温度差》だと俺は持論として考えている。端的に言えば、なる時にはなる。この運命には抗えない。人とは無力なものだと痛感せざるを得ない所である。

 とにかく、俺自身の過去の経験則としては、こまめな、それも適度なと言い変えて相違ない水分補給と、建物の中に居て到底、熱砂の如き都会のヒートアイランドに一切、身を晒させる事もなかったと言うのに、俺は熱中症になったのである。ただ一切身を晒さなかった、と言うのは誇張であって、そもそもそれが拙かったんだろうと俺は思うが、要するに建物のガンガンの冷房の中から、ちょいと用事で外なんかに出る事になったぞっていうのが、問題なのである。少しの油断というのが命取り、これが正に当てはまる。

 その時の俺はコンビニまで足を運んで、戻ってきただけであるが、気が付いたら俺は熱中症になっていた。完全に、冷房の中に慣れた状態で、一気に温度差のある外を行ったのが完全に間違いだったのである。そしてコンビニに入り、所用を済ませて再び外へ。この急激な落差を連続で体感したことで、俺の体感は狂ってしまい、熱中症と呼ばれる症状を引き起こさざるを得なくなってしまった訳である。

 高校時代昼休みにちょっと外にってのと、大学行ってからの美術館のバイトの時と、その後にもう一回やってしまったのだが、全く持って耐えがたい。艱難辛苦とかいて熱中症とルビを振りたいくらいべらぼうに酷い目に遭うのである。吐き気、頭痛、熱。俺は酒は飲まないが、おそらく二日酔いよりは数段辛いだろう。そしてまさか、俺は救急車なんてものは嫌いだし、熱中症如きでそれに乗るなんてのはもっと御免である。もっと必要な人がいるはずであるから、俺は救急車は呼ばないし、呼ばせない。

 ――しかしこうしてまた、炎天下だ。

 寮から部室棟へ歩くのは日影などがあって割に涼しいまま行けるのだが、今の状況は、あの感じを俺に思い出させてくれる。迷惑な事である。ゆめゆめ、油断などなさいまするな。無論、承知している。

 つい先ほど、冷房の効いたバスから降りた瞬間、外気の攻め立てる熱砂戦線最前線バーニングサンドフロントラインに俺は軽く眩暈を覚えたが、その程度は熱中症と呼ばれるべきものではないので、――これが油断なのではないかと一瞬自問自答を余儀なくされたが、経験上問題は無いと帰結を見た――とにかく俺は足早にマンションへと向かっていた。冷房の利いたバスと言う天国から解き放たれた俺にして見れば、たちまちのこの生ぬるい空気の中にあって、身体から汗が噴き出るのをただ耐えながら歩いていて。これでは誰でも眩暈の一つや二つ、当然起こり得る事だ。しかしあわてて水分補給をすると、俺の体質的にはまずい事になる。吐き気がしている時に水なんて飲みたくない。それと同じ事なのだろうが、俺は水分補給を意識すると熱中症になりやすくなるという運命にあるらしい。だから、まだオアズケである。

 あの場所にたどり着きさえすれば、それでいいのだから。

 しかし、午前中の日差しは何やら本当に悪魔的である。昨日の午後は、柘植がおすすめだと言う喫茶店に皆で足を運ぶと言う事になった。成り行きではあったが、部員全員で喫茶店に突入である。普通の部活でもこういう事はあまりやらないだろうと思う。自由奔放な生徒たちであるが、夏休みの活動、俺が付いていく必要はない。なんて考えてたら結局連れてかれる羽目になった。

 昨日は、外は比較的涼しかったので、歩いても汗をあまりかかなかった。もちろん熱中症の心配もなかった。この人数でお邪魔しても、店の主人はそれほど驚きもしなかったが、日頃利用することの多い柘植が連れてきたのだと解っていたのだろう。しかし店の一角を占領してしまう事に俺は若干抵抗があった。静かな雰囲気のいい店である。主人は気さくなお爺さんで、休日は息子夫婦も一緒に働きにきてくれるらしいが、こうして普段は一人で切り盛りしているのだと言う。――と、思いきや今は夏休みである。お爺さんには何人か子供がいるらしいが、上の娘夫婦の娘だという女の子がこの日は一緒に働いていた。お爺さん一人だと知っていたらこんな大人数で押し掛けたりはしなかったのだが、柘植がその事を知っていたので連れてきたという訳だ。カフェモカを頼んで俺は窓辺でゆっくりしていた。その娘さんは大学生らしく、何やら手が空いた時に本を読んでいる。何を読んでいるのかと思っていると、柘植が代わりに質問をしてくれた。

「お姉さん、何読んでるの」

「え、ああ、えーっとね」そう言いながら、彼女は少し恥ずかしそうにしながら、ブックカバーをはずして見せてくれた。ライトノベル、と見て間違いなさそうな装丁の本である。表紙絵は甲冑姿の男女、露出はそれほどでもなく。書名は、《破獄腥譚~暁哭の少女~》字面からすると、なにやら重そうな雰囲気である。

「ファンタジー系が好きなんですか」柘植が続けて聞いた。娘さんは、少し考えるような素振りを見せてから、にっこり微笑んで頷いた。

「これはファンタジーって言うにはちょっと重いんだけどね。なにより、魔法はあんまり出てこないからさ」それを聞くなり、ファンタジー好きなうちの部員たち主に石動と久家が反応を示した。お店の人と趣味の話で盛り上がるなんざ、俺にはあまり縁のない話のようで、本当に別席の客のような視線でその光景を眺めていた。時折部員が話しかけてくるが、俺はゆったりと、贅沢な時間を過ごせたように思う。お爺さんも、娘さんもうまいカフェモカを淹れてくれる。近いうちに一人でまたお邪魔しようと思った。

 部員たちが、部室から喫茶店に場所を移したのは、本当に成り行きであって特にもっともらしい理由はなかったが、談話室でも部室でもない、この雰囲気は俺にとって気分転換にはもってこいであった。とにかく、手始めに小冊子を作るという事になり、俺が二、三日所用で部活動に顔を出さない旨を伝えると、その間は何か作品を書いてみます、と全員その気になっていた。

だから、俺は今こうして安心して、自宅に戻る道を歩いているのである。全員の小品が読めるとあっては、学院に帰ってからが楽しみである。

 いよいよ、マンションにたどり着いた。七月の後半の間はずっと自宅で仕事をしていたのもあって、こうして夏本番に外を歩くのは思いのほかきついものに感じられた。暑い。とにかく暑い。マンションに入ると、涼しさに救われた心地がする。そしてまた俺は身構えなければならない。この温度差が俺にとっては危険なものなのであるから。

 そうして冷房に慣れ、エレベーターを上がって、ラウンジに出る。見慣れた自動販売機が相変わらずそこにはあるのだった。

『おかえりなさいませ、秋聞様。何かお飲みになりますか』ほんの数日だけ見ていなかった位の事だったが、なんだかどうも、久しぶりの感が否めない。意外な事が一つ、画面の中の自販機さんは涼しげなワンピース姿になり、長い黒髪を後ろで二つ束ねている。どういう風の吹き回しだろうか。

「お前さん、着替えの機能はまだなんじゃなかったのか」

『私が着替えたいと思ったら着替えます』

「……さいですか」自分の気分で服装を変える。そんな器用なまねもするようになったか。

『ところで何か飲まれますか』

「コーラでいいよ」小銭投入口に百円玉と十円玉を落とす。うん、この感じだ。小銭投入口の位置が俺にとっては丁度いい高さである。小気味いいとでも言うのか。

『どうぞ、コーラです』いつものように取り出し口に手を入れ、落下してくるコーラをキャッチする。開栓して、最初の一口。漆黒の液体が、熱く弾けて乾いた喉を流れていく。ああ、潤う。そして炭酸の刺激だ。

「ああ、――生き返る」こういうセリフが爺臭いのだろうが、構いやしない。

『それは、命の洗濯ですか』

「洗濯ではないな。あくまで熱中症対策の水分補給だ」

『コーラで水分補給ですか』

「ん、俺は、――ほら、前にも言ったろ、マラソン選手でコーラで水分補給する奴がいたって話。たぶんしたと思うぜ」

『そう言えばそんな事もあったかもしれません。しかし、こまめな水分補給には、こちらの塩バナナドリンクがお勧めです』

「……え、なに、そのえぐそうな飲み物は」また変なものが仕入れられている。需要ないだろう、どう考えても。ただでさえ自販機さんの利用者は少ないってえのに。

『ですから塩バナナドリンクです。先日発売になりました。まだ一本も売れておりませんので、いの一番に秋聞様がチャレンジなさってみてはどうかと』地味に、口の広めなボトル缶に入っているらしい。俺はそんなものは飲みたくないのである。売れていない、当たり前である。

『是非どうぞ』三白眼で俺の方を見つめる自販機さん。何を考えているのだろうか。――奇妙な話だが表情を見る限りでは、たぶん何も考えていないのだろうが、しかし考える事が出来るはずである。とすると、行動パターンとして俺のデータが蓄積されているのならば、俺がこの如何わしい飲料を買う事は、解っているはず。

「一本もらうよ」嫌がらせのつもりで、五百円玉を入れたが、特に文句は言ってこなかった。俺は小銭を財布に入れ、取り出し口に横たわっている塩バナナドリンクの缶を見遣る。ちょっとした土産というやつだ。現地直送。

『流石、秋聞様ですね』俺が缶を取り出した所で、自販機さんはうすら笑いを浮かべながらそう言った。まったく、相変わらず、馬鹿にされている気がする。世も末である。俺は静かに自宅へと向かった。

「あ、マスター、さっそく自販機ちゃんにご挨拶っすか。これは妬けちゃうっすよね」自宅の玄関を開けると、ひょっこりと広津が顔を出した。俺はコーラを飲みながら、手を挙げて返事をした。

「ん、コーラ飲んでるのにそっちは何を持ってるんすか」

「塩バナナドリンク。鬼夜先生にお土産だ」

「どうするんすか、またファミレスに行っても良いですけど」

「俺は今日はもう外を歩きたくない」

「んじゃあ、タクシー呼びましょうか」

「またアホを……いや、いらん、今日はこのマンションから一歩も出ない事にした。実際暑くてたまらん」来ていたシャツを洗濯かごに放り投げ、自室へ向かう。

「タオルどうぞ」広津は脱衣所からタオルを持ってきてくれた。

「さんきゅ。それで鬼夜先生なんだけども」

「ええ、はいはいはい、打ち合わせっすよね、打ち合わせっすよね。あれ、でもそしたら、秋聞先生も絵描きだって言っちゃう事になるっすよね、――びっくりっす、突然一緒に同人誌作ろうなんて。鬼畜眼鏡さんには今まで隠してたのに」この、鬼畜眼鏡とは鬼夜先生の事なのだろうが、なんだか悲惨な呼び名である。香芝さんとかじゃ駄目なのだろうか。まあ、やっぱり仲良くやっている証拠と受け取っておこう。

「もちろんそれは話す事になる。とその前に、あいつをうちの部に連れてって特別講師をさせるわけなんだが、お前はどうする、付いてくるか」

「どおお、しよっか迷ってるとこっす。……正直を言ってみればあそこお嬢様学院で有名じゃないっすか、そんなとこに足を踏み入れるにはちょっと勇気がいると言うか何と言うか」

「そうだな。そう言う訳で鬼夜先生、香芝のやつにはちょっとしたチャレンジになるわけだが、そこまで形式ばった事をしてもらうつもりはない。俺が表立って指導するには、知識と経験が足りないからな。どうせなら生徒にはいい手本を見せてやりたいと思うんだ、美術教師としてはな」

「確かに鬼畜眼鏡先生は素敵な絵描きさんですけど、別に秋聞先生も自分の絵でもいいじゃないっすか、普段の絵柄以外にも描こうと思えば描けるじゃないっすか」

「俺にそんな特技はないし、そうまでして欺く必要はない。ただ今は知識と経験の不足を香芝でもって補うつもりだと言う事だ。そしたらいずれ俺も本腰を入れるつもりだから、俺も生徒のつもりで香芝の話を聞く事にするよ」

「でも鬼畜眼鏡っすよ、いいんすか、その辺りは」エロ作家だという事の一言に尽きるが、ラノベの表紙描いている時点でイラストレーターって売りでいけるんだから、気にすることは無い。広津もその点ではイラストレーターなのである。俺は漫画を描いた事が無いので、きっかりイラストレーターという呼称に相当するだろうと思われる。

「昨日は一緒に服を買いに行ったんだろ、どうだった、具合は」

「店員さんにリードされまくり乗せられまくりでヤバかった、あれは見ていて面白かったけど」お前も相当鬼畜だと思うが。そう言えばこいつらは鬼畜仲間だったな。

「そう言う店員さんと来たら、お前らみたいなのを見たら彼女さんはどう思いますか、とか聞いてくるんだろうな」鬼畜同士で相性いいんじゃないかとは思うが、とは言わない。

「それはもちろん、そんなんじゃないです、漫画家先生とアシスタントですって返したっすよ」

「正直過ぎだろ」


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