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ホームサイドガール  作者: 狐塚仰麗(引退)
八月の鳴嶺女学院にて
88/92

作業と似顔絵

「文芸雑誌作るって話なんだっけ」堅城は相変わらずカップラーメンをすすっている。俺がお相伴しているのはカップ焼きそば。たらこ味。もう何が何だかわからないが、そう書いてあるから仕方ない。何とも言えない夕食である。あの学食に行けば夜でも大したものが食えるのは知っているが、庶民的な味に親しんでいる方が落ち着くのである。それに堅城が、買って来たはいいがあんまり食べる気がしないと言うので、仕方なく俺がこれを食べる事になった。たらこ味の焼きそばを啜りながら、俺は返事を返す。

「同人活動研究って銘打ってるんだから、呼ぶなら同人誌だろ。うん、それにしても、あいつらの話は面白いからな。意外な奴が意外な話を考えつくんじゃないかと思っ、――て冷房効きすぎだってだから」たらこ味、やっぱりなんでもたらこ入れときゃうまいのは仕方ない所なんだろうか。しかしモサモサしている。たらこの感じが、なんだかモサモサしている。

「うん、いいよね彼女たちは。何か持ってるって感じはするよね。リモコン、足元にあると思うけど」眼鏡を曇らせながら、箸で指図をされた。ネギが飛んできた。と言っても、見た所で俺の周りにそれらしきものは無い。

「こっちにはないが」

「あれ、おはひいな」

「口に入れたまま喋るんじゃない。自分で探してくれ」

「うん、えっと、――ああ、ごめん、こっちにあったよ」

「なあ、またそれ設定温度どうなってんだ」

「だから除湿だってば。ドライだよ、そんなに寒い訳はないと、思うんだけどな」湯気で眼鏡が曇ってはいるが、堅城のカップラーメンには氷が浮いている。そして片手では団扇を持って仰いでいる。相変わらずのジャージにポニーテール姿。俺は夏の甚平、下にシャツを着ている。

 正直なところを申せば、あんな冷えたもの、おいしいとは思えない。俺はラーメンにはどちらかと言えば恐らくうるさい方であるが、冷やし中華は好きではないし、つけ麺は、あれはもうつけ麺という代物であるのでとやかくは言わない。冷やし中華にも文句を言うつもりはない。とにかく俺が好きなのは熱々の、ラーメンと呼ばれるべきラーメンである。何にせよ、シーフードヌードルに牛乳を入れる女がやる事だから、俺は黙って見ている事にする。少なくとも俺の口に合わないのは明明白白だ。

「……俺はクーラーが苦手なのかもしれないな」

「凄い今さらだなそれ。でも、そうなのか、だったら扇風機にしようか。電気代とか気にしなくていいじゃないここ」

「そこまで手間取らせるわけには――」言うより早く席を立って、ワードローブの中から扇風機を引っ張り出してきた。そんなとこに置いてあるのかよ。

「掃除するときとか扇風機で空気回してるんだ。だからいつも出せる所に置いてある。埃は被ってないから安心してくれ」

「電気代、気にしなくていいからっても、そりゃあお前……」

「そんなに掃除してるわけじゃないから、平気だよ」

 ……掃除してないなんて偉そうに言われてもな。

 さて、生徒たちにとっては全く慣れていない、形式ばった文章なんてものを書かせて見た所で、俺は専門家ではないから特に狙いも何もあったものではない。面白そうだからやってみただけである。知識として押さえておいてほしかったという願いも確かにあるが、お遊びの意味合いが強い。

 しかし傾向としては、各人が自分の好きなものと言うものに対する表現手段は備えている、という事が解ったのは、十分儲けものである。

 この学園の他の部、例えば作品研究ばっかりしている漫画研究部――活動方針として間違っているとか言う話ではなく、ただの事実としてである――や、同じく作品研究や財力にものを言わせてロケ地巡りなどをしている映画研究部――これも聴いただけの事しか知らないが、はっきり言ってえげつなく、傍目からすれば、連中は観光学科とかに進学すればいいとこ行きそうな気はする――などがある事は知っている。が、どっちかと言って自分たちの好きなような表現をしているのは演劇部や文芸部だろう。我々が参考にするのは専らその辺りの人たちの活動。文化祭に発表の場を持ってる人たちであるから、話を聞くだけでも面白そうである。

「秋聞くん、遊びに行こうって話の続きなんだけど、今週できたら時間貰えないかな、っていう」

「ああ、そう、引率でしたっけ」

 またこれを失念していた。

「いやまあ、お名目はね。一緒に遊びましょうって言う話なんだから、気負う事なんか無いよ。君の所の生徒と何も変わらないんだしさ」

「なら先に言っておこう、俺は泳げないからそっち系のレジャーは駄目だ」

「え、泳ぐのも駄目なのか。水着回とかどうするのよ」

「パラソルの下で留守番っていう役どころじゃあないのかな」

「……じゃあ、そうだよ、君は今夏運動不足の解消と、泳ぎの克服って事で目標設定して頑張ってみないか」冷やしヌードルを食い終った堅城は、スープまで奇麗に飲み干して、シンクに放り込んだ。だからと言って心配するつもりもないが、せめて流すくらいはしないと匂いが残ると言うか、何かせっかく注意しても改善する可能性が見えないから言うだけ無駄みたいな所が。もういいか、放っておこう。

「プールなら、この学院にだってある。わざわざ泳ぎに施設まで行く必要はないだろう。……水着回とか言ったが、誰かプライベートビーチとか、島の一つや二つ持ってるだろう、せっかくだからそこ貸してもらって行こうじゃないか」

 こういう事が口をついて出てくるようになれば、立派な鳴嶺女学院の教師だ。と言うような自覚が出来てきた。

「彼女たちの言い分としては、そこに行くのはもう飽きてるから、もっと楽しい所に行こうって事なんじゃないかな」

 そして先輩教師の反応がこれである。まったく、どうして遣り切れないものがある。俺はため息を吐いた。

「そうか、毎年行ってるような所だろうしな。もっともだな、確かにそれは気の毒だ」

 そして察してやるのである。毎年、夏休みに避暑で軽井沢の別荘に行ってて飽きてるとか言ってた同級生の事を思い出した。きっと海に行きたかったんだろうな。本質的な理解はできないが、今ならその気持ちも解る気がする。

「うん、普通の庶民的な所で遊ぶのが一番だよ」

「庶民的ね……コミケとか行ってみたほうがいいんだろうか」

「それは割と高等遊民の盛り場と言うか、そもそも無茶だってば。行きたいけどさ」

「違う、うちの部の話だ。お前らと行けるわけないだろう。でもなあ、演劇部の出し物の脚本とか手伝ってみたりするんじゃ、ただの助っ人部になっちまうからなあ」

「部内誌を作るつもりなら、部内で楽しめばひとまずそれでいいでしょう、どこかで頒布するって積りなら、内容も不特定多数を楽しませることが必要になってくるじゃない。手に取ってもらう必要があるんだから」

「……どうにも俺にはそういうのが解らないんだな。簡単な話、エロがありゃいいんだろう」

「まあエロは強いけどね。君は自分の作品を公開した事は無いのかな。そんな事は恐らくないでしょうね」

「うむ、今の時期は初夏展なんかやってるかもな。ただ俺の作品には、俺の感情とかそういうものは投影されていないんだ。言うなれば空っぽってやつかな。評価は決して良いとは言えなかったよ。そのままだと、ただの作業だと良く怒られたさ。モデル眺めててもな、もっとしっかり見ろとか怒られるし。いやもう、穴があくほど見てるんですけど、みたいな。ただ、言わんとしてる事は解るけれどもな」

「君の絵、見てみたいけどな」

 眼鏡を拭きながら、何気なく堅城は言った。……俺の絵。まずは俺が何事も経験しなければならないんじゃあ無いだろうか。香芝なり、広津なりと一緒に何か同人誌でも作ってみるとか、そういう行動が必要なんじゃないか。特に広津にはいつも誘われているし、香芝はこの学院に呼び付けるつもりでいる所である。

「俺も、――描いてみるか」

「へえ、どんな絵を描くのかな」

「どんな絵って言ってもな。直近の話をすると、男が描くみたいな絵じゃあないとはよく言われてる。女が描いてるんじゃないか、これは女の筆致だ、表現が女性的だ、繊細で緻密、美麗、ああ、何かアホらしくなってきた。ただ、事実としては、概ねそういう評価をいただいている。――でもな、俺の場合はただ、あるがまま、思いついたままをアウトプットして描いているだけだ。ただの作業じゃ駄目だと叱られていた時からの進歩は、――特に無いのかもしれない。表現でも、芸術でもなく、ただの作業だ。だからアウトプット、単純」

「じゃあ、つまり機械的に絵を描くと言うプログラムを行っているって言う事かな。でもさ、やっぱりそこには君個人個性の表象が顕現してるんだと思うよ、だってさ、君はコンピューターではないんでしょ。きっと繊細って言うのは、君の絵を見た人たちが君の絵を見て感じた事実、君がきっと女性的な繊細な感性の持ち主なんだって思ってるって事なんだと思うな」

 比喩的表現としてのアウトプットという言葉だったのだが、このような返しは初めてだった。俺はコンピューターではない。いや、もとから人間なんてそのようなものかも知れないと、誰しもが思う事があるかもしれないが。

「――相当な昔には、もっと楽しんで絵を描いてたんだよな。尤も落書きとも呼べない代物だったが、まあ皆は良く褒めてくれたよ。……姉以外は」

 あいつだけは、俺の絵を見て腹を抱えて大笑いしていた。俺はとても腹が立った。しかし、その事は俺に一つの考えをもたらした。――もしかしたらあいつの反応こそが正しいのであって、皆の反応はおべっかのようなものなんじゃないだろうかと。

 ……絵が上手いとみんなが褒めてくれる。それはとても喜ばしい事でもあり、またそうして褒められる事は俺にとっては格別の幸福であったが、姉が笑うのは何故だろうか。

「お姉ちゃん、なんで僕が描いた絵を見て笑うの」ある日直接、俺は姉に直接聞いた。

「ええ、なんでって、面白いから笑うんだよ」

 次の日、俺は姉の似顔絵を描いて、姉に見せてやった。やっぱり、姉は大笑いした。姉は決して俺の絵を褒めたりはしなかった。いつも笑うだけだった。しかし、この時は、

「えへへ、ありがとう」そう言って、しかしまた大笑いしていた。馬鹿にされているようで、やっぱり俺は腹が立った。俺はその絵をその場に放り出して姉の部屋を出たのである。それに、俺はあいつの似顔絵も良く描いた。見せる度にあいつは喜んでくれた。子供が描く絵だ、しかし、小学生に上がってからは俺はほとんど絵を描かなくなった。クラスに絵のうまいやつが一人や二人はいるもので、ノートを見せびらかして悦に浸っていたりする。俺は決して人前で絵は描かなかったが、課題の絵だけはそつなくこなした。無難に、銀賞とかもらったりして、褒められるのはもっぱら一番のやつ。そいつは賞をもらえなかった連中ではなく、次点の俺を目の敵にしていた。ライバル意識とでも言うのか、でも俺には関係なかった。あいつが優越感で鼻を鳴らしているのを、俺はあくびしながら眺めていたからだ。こうして明確化した競争の道具としての絵は、俺にとってはただの単純作業でしかなかったんだ。

 ――もちろん、競争意識が悪いと言うんじゃない。ただ絵の場合は原則として金賞、銀賞、銅賞、つまり一等賞二等賞っていう優劣ではないって事を強調してるんだが、まあ同じようなもんだ。採点基準も俺にして見れば良く解らない。作文の採点となんら変わらないだろう、おそらく単純な作業なんだ。親が出てきてうちの子の絵の方が上手いじゃないか、それなのに賞がもらえないなんておかしい、とか文句アホを言い出さない限りは、世は事も無し、そうして絵を描いていく中で、私は漫画家になるとか絵描きさんになるとか、夢を抱いて行ったりするものだ。思うままにまかせよ。人は想像を成し得る事が出来るのだ。

 ――とにかく俺の場合はその頃から、もう絵を描くことを一種の作業としていたのだろう。それをいまだに引きずっていると言う事だ。全く、人間の根底っていうのは一朝一夕に変革できるものではない。それこそ、大病煩って臓器移植でもしてもらわなければ、性格の変質なんてものは起こらないだろう。一種のファンタジーでも有るが。

「――君はお姉さんの事、嫌いなのか」

「どっちでもない。仲が悪いわけでもないし、今だって俺は姉の住んでるはずの部屋に仮住まいしてるからな。ただ、あの時描いてやった似顔絵、いつからだか知らないが、今でも自分の部屋に飾ってるんだ」

「良いお姉さんじゃないか」

「気兼ねする事も無いから直接聞いてやったんだ、何でアレとってあったのかその理由をな。そしたら何て言ったと思う。何年か経ったら高く売れる、とか言ってるんだからな、しょうもないやつだよ」

「そんなの照れ隠しに決まってるじゃないか、まさか本気にしてるのか」

「――とにかく、俺の絵は作業だったって話だ。こう言っちゃなんだが、一つモノになったとするだろう、そうすると、例えば車の運転なんて大多数の人間が出来るようになる。だから、作業を脳が覚えちまえば、料理も絵も、練習次第だ、例えばギターの演奏なんて素人目には何やってるんだか見えないが、そう言う事が呼吸と同じ様に自然と出来るようになる。練習さえ続ければ誰でもできるって連中は言うけれども。だから絵だって同様だって言っていいんだと思うぜ。誰でも描けるし作れるようになるんだ。そして個性ってのはその一個人だけのもので、同じものは無い。ただ、音楽や絵に関しては似たり寄ったりのモノが時たま出来上がる。それには流行り廃りもあるからだ。そこが料理だの車の運転だのと違う所かもな。……だが、作業として自分が出来るようになれば、それこそ、ただ作業としてアウトプット出来るようになっちまうものなんだよ。――でもな、これだけは思うんだが、採点なんてのも確かにマニュアル通りの作業だったが、教師の仕事は作業じゃあいかんだろうってな」

「それが結論なんだ、ははは、そうだね、君の言う通りだ」

「と、言う訳で、俺は俺で同人誌作りに参加してみようと思う」

「え、そういう帰結を迎える話だったんだ」

「だから早速、俺は行動に移る。ちなみに、遊びに行くんだったら明々後日の予定を開けておいてくれると助かる。そのように調整してみる。たらこ焼きそば御馳走様」そうして俺はカップをシンクに置き、三角コーナーの横に転がっている堅城のカップと一緒に軽く流してから、部屋を後にする。注意はしないが、行動で示してやれば――

「なんか、……ごめん」団扇で扇ぎながら堅城が言った。

「気にするな」――伝わったらしい。

 自室に戻ると、早速、俺はまた自宅に電話を掛ける。

『もしもし、お風呂上がりのボクです』すぐに、快活な声が聞こえてくる。

「あんまり冷房使うなよ、そっちの電気代は引き落としではあるが馬鹿にならないからな」

『でもでも、パソコンなんて一日ついてるんすよ―、電気代もクソもありませんよー』

「ちゃんとパンツは洗ったのか」

『洗ってるっすよ、当り前じゃないっすか、それとも洗ってない方がお好みっすか』

「それで、香芝のやつを明後日引っ張り出そうと思うんだけど、その前にお前に頼みがある」

『なんすかー、洗ってないパンツ郵送ですか、ジップロックに入れてレターパックでいいっすか』

「香芝のやつをうちの学院の敷地に入れるには、やつの私服はまずいから、ちゃんとした服を何としても見立ててやるんだ。速達の通販でも明日一緒に買いに行くでも何でもいいから、お前のコーディネートも心配だがあいつを何とか不審者から脱却させる事」

『あ、はい、重々承知してます。でも多分、あのクマはどうにもならないと思いますけど』

「とりあえず明後日、朝にはそっちに戻って打ち合わせしようと思うから」

『うい、待ってるっす、マイマスター』

「あと、もう一つ。俺も何か同人誌作ろうと思うんだけども」

『……師匠、10000部刷りましょう』

「え、いや、ごめん何て言ったのか良く解らなかった」

『ですから――』

「とにかく、お前と香芝とで、なんか作ろう。できれば、一般向けが良いんだ、エロは無しだ」

『にしても、あの秋聞先生が表舞台に立つ気になるとは』

「いや、控えめに言っても裏舞台だろ……」


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