表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ホームサイドガール  作者: 狐塚仰麗(引退)
八月の鳴嶺女学院にて
83/92

夕映え

 俺は非常勤の講師に過ぎない。だがどうやら状況は亦変わる事になるらしい。単に行動を起こさなければ何事も現状維持のまま。しかしそれでは味気ない。話が来たなら受け取ればいい。自分にとって不利になる以外の事であれば、何だって歓迎しようじゃないか。九月からの臨時担任を任されることになったとしても、実際には朝夕にHRを進行できて、出席の管理などが充分に行えるならばそれだけでいいものだ。それで苦労することになったとしても、この話は俺にとって不利なものではない。苦労は買ってでもしろと言うやつである。そう言う話があるかもしれないというだけだが、返事は決めておかなければ。迷う事はない、やってやれない事はない、よしその意気だ、覚悟は出来た。

 こうして、八月一日が過ぎていく。うだる夏の一日。夏休み。部活の顧問。部活動。――もう少し、こんな日々が続くのだもので、やれやれやっと一日終わったというのに。そう思いながら、夏の夕暮れのほんのささやかな風に見送られ、そんな感慨を共に寮に戻った俺。やはり、涼しいというより生ぬるい。生徒たちは夜までは部室で騒いでいる事だろう。部室棟の見回り担当の先生とかもいるらしいが、部室まで入ってくることは滅多にないらしく、割と自由なんだそうだ。それはこの寮も同じではある。俺自身は、とりあえずやるべき事をやったという気分なので、今日の所はお役御免と言う事で、一先ず退却だ。そうして、自室のエアコンのスイッチを入れて、ジャージに着替える。ようは、慣れだ。似合わないと言われたこの格好も、続けることで周囲に納得させる。続けることが肝心なのだ。俺はジャージを着ている。似合わなかろうと、着ている。それでいい。

 本棚に並んだ小説の背表紙を眺めながら、しばらくぼけっと立っていると、不意に室内備え付けの電話が鳴った。他の教師からの連絡だろうか、それともやはり紅島先生や堅城からのものかもしれない、場合によってはファックスって事も考えられる。

 考えるより見た方が早い、相手の電話番号を確認し、受話器を取る。

「何の用だ、広津」何のことはない、自宅の番号だった。

『あ、もしもし、マスターですか。あのですね、秋聞さん宛ての葉書が届いておりまして、これは連絡差し上げないといけないかなって』

「俺宛ての。葉書で来るような覚えはないが重要な連絡って事か」

『いえ、重要かどうかはそちらの判断によりますが、招待状です、結婚式の』

「……結婚式。おかしいぜ、知り合いに今の住所を教えたような記憶はないし、そんな連絡が俺のところに届くはずはないんだ。それ、姉さん宛てなんじゃないか」

『いえ、間違いなく秋聞さん宛てですよ、ちゃんと確認してますから。あ、封書を開けたりはしませんけど。そう言うのが届いたらまたお知らせしますので、――ああ、種が解りました。簡単です、母校の同窓会を通じた連絡みたいですよ。当時の担任の先生やクラスメートにちゃあんと連絡が行き渡るように、学校側のネットワークで通知を手配してあるみたいです。卒業生の管理もしっかりしてるんですね。それで、どうしますか、秋聞さんが学校にいる以上は、ボクがこれ返事出すことになると思いますけど。出席ですか欠席ですか」結婚式、ねえ。そういう祝い事に俺が出てもしょうがないという気はするんだが。めでたい事は悪い事ではないんだけれど、俺は場違いな感が否めないのである。

「いや、それより先に、お前言う事が有るだろう」

『え、何かありますか』

「差出人だ。それぐらい先に言ってくれなきゃ返事も出せない。誰が結婚するんだって」

『――すいません、ボクとした事が。失念していました。えっと、差出人は、神の流れって書く神流川(かんながわ)、えっと』

「そうか。欠席でいい」

『――うん、神流川鶴杜(かんながわがくと)さん、え、断っちゃうんですか』

「勘違いするなよ、そいつとは別段仲が悪いってわけじゃないぞ。むしろ逆だ。しかし最近疎遠だった事には変わりないが、だからこそ、そんな披露宴なんかに俺が出てもしょうがないという話だ」

『でも、わざわざ招待してくれてるんでしょう、こうして』

「いやなに、ただでさえ俺は人がたくさんいる所は苦手だと言うのに、関係者勢ぞろいな結婚式なんかに出たら干からびちまう。向こうもそれくらいは俺の事を知っているから良いんだよ、――さっさと欠席にして投函しておいてくれれば、それでいいんだ」

『そういうもんですか。まあ了解です。あ、それより今日ですね、自販機ちゃんにコーヒーの炭酸飲料なんて奇怪なものが入荷してましたよ』

「ああ、少し前からあるが。飲んだのか」

『なかなかのシロモノでした』

「俺は有りだと思ったがな。それじゃ、切るぞ」

『ではまた何かあったら連絡します』そうして受話器を下ろした。

 ――結婚式か。そりゃあ、確かに。俺たちの年齢を考えれば、三十前に身を固めるとか考えてる奴もいるんだろうけど。しかし神流川のやつが結婚か。あいつとはよくはしゃいでいたものだ、窓ガラスを割ったり。その原因は八割あいつにある。先ほど部活の面々に話した学生時代のやんちゃ、その当事者であるあいつの結婚式の招待状がこの日に届いていたとは、全く因果なものを感じる。だからと言って、そこに俺が足を運ぶかどうかと言えば、それはごめんなのだ。また改めて、個人的な祝いを贈ろうと思う。ああいう奴に限って奇麗な嫁さんもらったりするんだよな。そう言う話を結婚式で漏らすとまずいから、という体裁も含めているが、俺がうっかり口を滑らしたり、学生時代の神流川の元カノの話なんかを持ち出したりしないとも限らない。逆に考えて、他の招待されている連中が俺と同様の心配をしているかと思えば恐らくそうじゃあ無いはずだ。口の軽い奴は何人かいたから。しかし、そう言う失言を笑いに転じる話術は俺にはない。ご家族に迷惑をかける事になるかもしれない。等と、云々。

 そんな事を気にしてもしょうがないという気になってきた。やっぱり出席してやろうか。今ならまだ間に合うかもしれない。改めて受話器を取り、自宅へとダイヤル。すぐに広津は出た。

『はい、もしもし――って秋聞さんですか、どうしたんですか、ボクの声をもっと聞いていたくなりましたか』

「そうだな。それでなんだが、聞きそびれたというか、結婚式は欠席にしろと言ったが、実際の日取りはいつになってるんだ」名前を聞いて行くのをやめたので、改めていこうかと思い直してみても予定の日を知らなかったら意味がない。俺は色々と失念している事が多い、自分で気付けるだけましなのかもしれないが。

『ああ、えっとですね。九月の十六日になってますね。やっぱり行く気になったんすか』

「十六日、そうか。確かあいつの誕生日だったな。……そうだな、その時の予定が空いてたら、仮にだが顔だけは見せに行こうと思う。だが葉書には欠席で構わない。行くにしても、顔だけ見てすぐ帰る事にするから」

『すでに欠席に丸してありますから、もう投函するだけです、用件は以上ですね』

「ああ、悪いな。それともう一つ、香芝のやつなんだけどもな」

『はい、鬼畜眼鏡さんですね』

「かどうかは知らないが、あいつの今週と来週、暇な日があるかどうか聞いといてくれないか。それで空いてる日がわかったら、また改めて連絡してくれ、留守電でも何でもいいからさ」

『鬼畜眼鏡さんの今週と来週の暇な日ですね、聞いておきます』いったい何でそんな呼び方をしているのか、ひっかからないではないが、少なくとも碌な理由ではないのが見え透いているので、聞くのはやめてこう。例の共通の趣味関連のあれだ、きっと。仲良くやっているようでなによりですよ。

「んじゃあ切るからな。ありがとさん」

『うっす。ではまたー』と、俺が受話器を下ろすより先に、がちゃんと切れた。少しばたついている様子だ。

 香芝の予定を聞いたのは、もちろん我が部活動の特別講師としてお招きするためであるが、あいつの私服はこの学院の敷地に踏み入るのには似つかわしくない。何かちゃんとした服を誂えて来てもらわなければならないかもしれない。

 そう思いつつも、今改めてジャージを着ている自分の姿を鏡で見てしまうと、決心が揺らいでしまう。進歩のないやつだ、こんな事ではいかん。しかし、結婚式に着て行く服と言う物も、特別持っていない気がする。燕尾服とかが要るんだろうか。以前のバイト先で来ていたスーツは借り物だったし。

 一息ついてから、ベランダに出てみる。蝉の鳴き声と、唸る室外機。少し蒸したような熱気こみあげるこの空間から、見える学園の景色はなだらかな並木道。木陰では生徒が寛いでいるのが見える。まだ当分暗くはならないだろう。そんな薄明かりの中で、情も無く遠い空を思う。……結婚か。なら、言う事は一つじゃあないか。

 どうか末永く、お幸せに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ