初めまして自販機さん
「ったく、わがままって何だよ。いいか、何でも言った通りにした所で、必ずしも悦ぶという訳じゃあないンだぜ」と、俺は誰かに話しかけられでもしたかのように平然と話すのを見て、初見ではきっとおかしいと思う人のほうが多いに違いない。最初は俺自身がそうだった、自動販売機と話しているのを見られるのはなかなか恥ずかしいものだ。しかし、
「――お兄ちゃん、いやお兄さん、あなたは一体何と会話をなさっているのですか、なにこれかわいい」そう捲し立てる広津の鼻息は荒い。このあたりの反応はさすがだと思う。思った通りの反応だが。
「ははは、これはですね――」そう言って広津への説明を引き受けたのは香芝である。
そう、思った通り、食いつかないわけがなかった、広津は必ずこれ――自販機さんを気に入るだろうと。親切な香芝の説明を聞きながら食い入るように画面を見詰めている。とは言うものの、思い通りだからといっても微塵も嬉しい事はないという良い例がこれだ。
――私は自動販売機である。名前はまだ無い。何でも機体番号と言う物は与えられていて、そちらはそらんじる事が出来る。なんてのは冗談だが、さっそく、初めましての対話機能が起動したようだ、ずいぶん懐かしく感じる。最初にしか言わないので、俺にとっても、そう言えばそんなのもあったんだなという程度のものだ。俺も自販機さんとはじめましての挨拶を交わしたのだ、何を話したか覚えていないのが残念だが。
隣室の田辺も、利用者の最初のステップとしてこれがあった筈だが、何でだか未だに、自販機さんの記憶にはあまり残っていないらしい。普段あいつも利用している筈だろうに、おかしいな。
『次世代自動販売機、AIVM:test version:idleです、以後よろしくお願いします』ぺこりとお辞儀をする自販機さん。実に滑らかな動作だ、度重なるバージョンアップは実に素晴らしい成果を上げているようだ。
「――あれ、お前さん、俺の時にそんな事言っていたっけ」
『秋聞様にもちゃんと言いましたよ、多分』
「おぉ、秋聞様だって。何か嫉妬を覚える光景だね」
「ははは、そうですね」こいつらは。
「固有名詞的な名前じゃなくて製品名の総称としての名称なんだろう、そのAIVMってのは。名前はないんだものな」
『AIVMというのは、《artificial intelligence vending machine》の頭文字を取っただけのようです。なんともはや、訳してみればこれが、人工知能自動販売機ですので、そのまんまです。なんのひねりもない。エーアイヴィエム』
「なるほど。覚えがない訳だ、最初は俺もなんか珍しいもんがある程度で、そんなに気にも留めてなかったし、それで話をよく聞いてなかったのかもな、覚えてないし」
『――飾りっけが無くて良いとでも申しておきましょうか。あまり言うと角が立ちますし、曲がりなりにも、自分の事ですから、これ以上はよしましょう』何か不満でもあるんだろうか。
田辺と言えば、こうして夏休みになったのは應仙も同じであるからして、高校生なあいつも恐らくは自室――マンション隣室で暇しているのだろうが、今は間違っても出てきてほしくない状況である。面倒事が増えるからだ。
「後に付いているtest versionってさ、バージョンってからには、よくあるベータ版というやつなのかな、ネットゲームとかの」
「ええ、そのようですよ。試験運用期間らしいです、だから我々はベータテスターなわけですね、ふふふ」
「どっかで聞いたような話だ、それ以上言うな。それで、何か、idle――とか言ったよなお前」
『はい、そうですね。idleです』
「アイドル……」
「――あ、そっちの意味じゃないと思うぜ。じゃ何の事かって言うと、……そうだな、暇ですとか、怠惰だと言う事だ。アイドリング禁止条例とか布いてある、あれだな」
これもそのまんまの意味だな。最初の頃はよく、態度が悪いとか思っていたが、ちゃんと説明していたらしい、ちゃんと。ちゃんと――
「――お前、絶対俺に対してそんな説明して無かったよな。俺の時はサボったんだよな、そう言うことだろ、正直に言え」
『覚えてません』
「覚えてない訳ないだろう、お前の性能は知ってるんだから。俺は今の説明を全部初めて聞いたというのを確信したぞ、いくらなんでも滅茶ってもんだ」
『いつもお世話になっております』
「誤魔化しやがる」
「すごい、何か息が合ってる」
「なんでも、利用者に性格が似ていくらしいです、自動学習で人格が形成されていくシステムらしくて」
「でも香芝さんも使ってるんですよね」
「そんなもんじゃないですよ、彼は別格ですから」
そうか、こいつは俺に似てしまったのか。確かに業者のあんちゃんも、そのような説明をしてくれた気がする。これは勘違いではなく、確実に聞いた覚えがあるぞ。
ああ、そうだ。
例の特別優待契約とかってのを、どうにかせねばならなかったのだった。これも実に面倒臭い、本当に携帯電話会社等と契約なんてしたくはない。現代社会のしがらみそのものが御多分に漏れずこの契約という行為に尽きる。インターネット回線はマンション持ちだし、だから自販機さんが勝手にネットワーク検索機能を使ったりできるのだ。もし仮になにがしか費用が引き落とされるとしたって、家主である姉の口座からだ。光熱費は俺が払っているがそれは仕方ないとしてな。
こうして俺が教員の職を勤めて約半年……と言うにはまだ早い四カ月程度辺りだが、これは大学での前期には相当する期間ではあるし、そっちの感覚的にはまま半年と言って良いだろうと。ソレについて生活の変化が押し寄せてきて、この歳になって人間関係というものを改めて学んだりしている具合である。それも年下の生徒たちからであり、自身の人間のいたらなさというものを痛感した。俺的には前向きに見て良い変化だと言えるが、それはすなわち俺をこのマンションに住まわせる事を思い付いた姉の思惑通りに、更正させられている点が、火を見るより明らかに見え透いているのが腹立たしい。当然、これらの結果には感謝したいし、しなければならない立場であるのは理解している。だが自覚とは別に、腹立たしいのだ。歳の差は埋まらない。判りきった事実でも、それを言葉にすることにより改めて実感が伴う。姉は腐っても死ぬまで――いや、死んでも俺の姉であり一方的な権力者である。何よりそれは恐るべき現実なのだ。
だからこの歳になっても、俺は姉には頭が上がらない。
嫌いとは言わないが、彼女とはなるべくなら顔を会わせたくはないと思う。
まず会えば、やあしばらく見ないうちに――……等と言い出すのだろう、そういう人だ、わざとらしく見える様に、わざとらしく振る舞うのだ、狡いったら無い。
しかし、やはり感謝……しなければならないのだろうか、俺のこの四カ月は自販機さんと切り離して考えることは出来ないわけであるし、今後、姉がこっちに帰ってきたら俺は、――この場を離れなければならないだろう。姉と一緒に暮らしていたんでは精神衛生上よろしくないし、学院の寮に本格的に移ることになるだろう。そうなったとしてもこのマンションいつでも来れる。だが、しかし。その時にはわざわざ姉の住むこのウチに立ち寄る用事なんて滅多に無いだろうし、そもそも顔を合わせるのがよろしくないのだからな。
それでも、自販機さんの顔を見に時々は――それってどうなんだろうな。明らかにおかしいのだが、俺の感覚も尋常普通ではないのは確かだ。
何にせよ、この状況――楽しい日々にも、いつかは終わりが来ると言うことなのだ。
それがいつになるかは、今考えることではない。
「どうですか、大したものでしょう」
「全く素晴らしいですね。いやはや、ついにこんなものまでもが出てきたか……という感じですね」
「さっきも言いましたが、秋聞さんは本当にヘビーユーザーでしてね、ほぼ毎日何か買って会話しているようですよ」
「スタンドも月までブッ飛ぶこの衝撃……ボクは兄を見誤っていましたよ」
『あの、失礼かと存じますが、アナタは女性、ですよね』自販機さんは、広津を指さしながら質問をした。画面の前に三人もいるもので、普段は見られない動作である。前は対応が雑になるとか言っていたが、見る限りでは三人に対応した挙動も導入されているということか。それにしても、妙な質問である。広津はどこからどう見ても女性のはずだが。
「うん、そうだよ」
『ボク――と言うのは、アナタの事で間違いありませんか』と、自販機さんは、今更誰も気にも留めていないポイントに、突っ込みを入れやがった。俺は最初から気にしてなかったが、自販機さん的には気になるのだろうか。或いは。
「えっと、何ていうのかな、子供の時からボクはボクなんだよね。フォーマルな場では私とか言うんだけど、やっぱり慣れなくてむず痒くなっちゃう」
広津の返答は、以前俺が生徒の前で一人称を僕と言って振る舞っていた時と同じような感覚的理由だったので、少し拍子抜けした――この拍子抜けと言ったのは、今まで気にしてなかったことに対して不意に回答が得られたことによるものであって、広津の回答が普通だったからという意味ではないと断っておこう。
しかしこの回答で、自販機さんが納得できるのだろうか。
『なるほど、承知いたしました』
問題なく理解できたらしい。しかしそんな事を気にするようにまで、認識プログラムは精密化しているのか。
「まあ、俗に言うとボクっ娘ってやつだな。たぶん実際珍しい事なんだろうが、環境ってのもあるしな、俺はこれはこれで良いと思っているが。だからと言ってお前さんは真似しなくていいぞ」
こういう私的見解を本人の前で口にするのもなんだか気恥ずかしい。広津個人にとって、それなりに重要な領域であることは間違いないのだ、或いは、さっきの答えが真実とは限らないわけであるからして。どちらにせよ、そんな事は俺は気にしない。
『――なるほど、承知いたしました』
「何でそんな事を聞いたんだ、やっぱり僕って言うのは男の場合が多いからかね」
『それもありますが、確か、もう一人いらっしゃいましたよね、ご自身を僕と仰る女性の方が』
「何。いや、俺は知らないぞ。この階の他の住人にそんな人がいるのか」香芝の方を見ると、彼は首を左右に振り、
「僕も知りませんね。秋聞さんくらいしか会ったことないですから」と答えた。
「うわぁ、本当に人間関係が希薄なんだな、お兄ちゃんって」
「俺かよ。俺は他人に興味がないだけだ。現代社会なんてそんなものだろう、普段は普通に振る舞ってはいるが、家では何してるかわからないやつだらけなんだし。そもそもそんなのは当たり前で、今さら誰も気にしないことだしな」
「まぁ、確かにそうですけれどね、でもお兄ちゃん、それって自虐なのかな」
「自虐だと。そんなの、そこの香芝だってそうだろう」
「ははは、やっぱり秋聞さん僕のこと嫌ってますよね」
「いや、お前は卑屈すぎるんだっての。何だったら、そうだよ、これから俺らは外で、ちょっと遅い昼飯を食おうと思っていた所なんだが、お前も付いてきて、一緒に飯食ったっていいんだぞ」
「え、いや、兄妹水入らずの場におじゃまするのもどうかと思いますし、この格好で外食はちょっと」
「うるせえ、そんなもんを着てる方が悪いんだ。いいから一緒に来い」
「――お兄ちゃんって、やっぱり結構強引な所あるよね。久しぶりに見てドキドキしてきたよ」
「お前は気持ち悪い事を言うんじゃない」気付くと俺は香芝の肩口を引っ掴んでいた。確かに、これはいけない、見目よろしくない事だ。冷静になって手を放す。
「すいません、ちゃんとご一緒しますので、着替えてきて良いですか」
「解ったよ。悪かった」
「いえ、では少しお待ちください」そう言って部屋の方へ小走りに引き返して行った。
「なぁ広津よ」
「何ですかマスター」
「俺の仕事のこと、香芝には言ってないんだ。さっきの段ボールの件は助かった、礼を言う。ありがとう」
「いえ、当然の事をしたまでです」そう言って誇らしげに、胸を張る広津。
「それとは別にだな、お前そこに至る経緯で全然当然じゃない事をしていたと言う自覚はあるのか」
「マスター、段ボール持ってきて本当に申し訳ありませんでした」
「良くできました。――あとで社長をフルボッコにせにゃならんな。自販機さんコーラ一本よろしく」
『千円札ですがよろしいのですか』
「待て。広津も何か飲むかと思ってな」
「あ、すいません。じゃあ同じもので」
「コーラ二本だ」
『かしこまりました』そして俺はいつも通りに、取り出し口に手を入れ落下してくるコーラを受け止めた。
「ありがとうございます。――社長も忙しいんですからあんまりいじめちゃダメっすよ。でも、そういう連絡とか来てなかったんですかね」
「うーん、俺は仕事する時以外でパソコンを開くという習慣がないのは、向こうも知ってる事だしな。だから電話一本で済む所の話を、怠った奴には一つ問いたださなければならないわけだな。また焼き肉が食えるかもしれないし」
「おお、楽しみかもしれない。でも何で校正済んでないのが送られてきたんでしょうね」
「それこそ、ちょっとした手違いだと思うぞ。お前の目につくところにあったんなら、確か昨日か一昨日届いたものだろうし」
「ねえ、ちゃんと管理しましょうよ」
「まったくだ、兼業って大変なんだよ。部活の顧問にもなっちまったし」
「ええ、それはすごいですね、もしかして夏合宿とか行くんですか、生徒さんと」
「それはないだろ、出来たばっかりの部活だし、何か同人誌作る部活らしいから合宿なんて関係ないだろう。――俺は美術講師だから担がれただけだよ」
「まんけんか何かですか。そうだ、この前ボクの同人誌に寄稿してくれるって約束しましたよね。絶対ですからね」
「夏のは無理だろ、お前もう入稿したって」
「何も、機会はそれだけじゃないですよ」
「そりゃそうだが。お、香芝が戻ってきた。妹よろしく頼むぞ」
「何だかんだで楽しんでるじゃないですか、――お兄ちゃんの変態」
「――それはお前もだ。……よう、香芝。その、……見事にジャージだな」
「戻ったところで、何を着て行ったらいいのか解らなかったもので、すいません」
しかも、インナーにはアニメプリントのシャツを着ている。ワンポイントなんてもんじゃあない、フルプリントのド派手なやつである。
《服を買いに行く服がない》と言うのはこういうやつの事なのか、と思った。




