相方
「誰だよ、妹がヒロインだとか言ったやつ」
イラストレーター、広津優奏は憤慨した。
何に、と言うのではなく、恐らくは誰かに吹き込まれた設定を鵜呑みにしてしまったのであろう、その誰かに対しての怒りであった。彼女はベッドに腰かけた状態ではあるが、俺は他に形容する言葉を知らないのでこれも、地団太を踏んでいると言っていいだろう。どたどたとやかましい事だ、人のベッドを何だと思っていやがるのだろう、何も蹴る事はないんじゃあないか。
しかし、作品に罪はない。
だいたい、メインヒロインが妹って言うのはそれだけで引っ張るのは難しいんだ。別に、経験したというわけではないが、何となくそう思う。大変だ。どうしたって、ろくでもない展開にしかならないんだ。俺はそう思う。血がつながっているとかいないとか、そういうんじゃあない。
「ねえ、マスターも妹が好きなんですよね。どう思います、タイトルに妹が入っているのに妹を蔑ろにするこの展開、ボク的にはちょっと妹ちゃんが不憫すぎると思うんです」
「うーん」
「――だってそうでしょう、妹がお兄ちゃんラブって言いだせないのを良いことに、あきらかに妹ちゃんの想いを知ったうえで、――お兄ちゃんだって妹ちゃんのこと好きなはずなのに、こんなの絶対おかしいですよ」
こうして熱弁を奮っているのは、管を巻いていると言うわけではない。広津のやつは酒に酔っていてもいなくても、放っておけば勝手にテンションが上がっていくのである。迷惑な話だ。せっかく朝から人の家に来たって言うのに、ずっと持ち込んだライトノベルを読んでいてもうそろそろ午前十一時というところである。何しに来たんだよ。
ちなみに、コンビニの雑誌では、妹モノは禁止らしい。というのはこいつが言っていた事だが。香芝にも聞いてみようかな、同業者なんだし。
「あのなあ、お前に言ったかどうか分かんないけど俺は特別妹が好きって訳じゃあないんだよ。いや、何度も言ってるかも知れないんだが」
「だって、お兄ちゃん、って呼ばれるのが好きなんですよね。そんな話をしてましたよね」
そう言えば、これは出水のやつとの同じようなやりとりだな。つまり、何度言っても無駄だと言う事か、悔しいじゃないか。解ってくれよ、そうじゃないんだから。
「わかった、お兄ちゃんって呼ばれるのは好きだ。いや、『お兄ちゃんと言っている娘全般』が可愛いと思ってる。それは認める。――だがそれは、妹の専売特許ってわけじゃあないだろう、考えてもみろ、旅先で襲われている所を通りがかって助けたみたいな成り行きで知り合ったハーフエルフの女の子とかが、主人公に懐いてお兄ちゃんって言って甘えたりする――そう言うのがいいんだ、解ったか。好きとかどうとか言ってるんじゃないんだ、こういうのが『萌え』って感覚だろう、違うか」広津相手じゃなかったら絶対に言えない、こんな事は。出水などに言ったらそれこそ一生、変態呼ばわりされていじられるに違いない、恥ずかしい事だ。自重しなければ。
「……それ立派なロリコンじゃないっすか」
「なんだって、お前は何を聞いてたんだ。ロリコンじゃねえ」
「だって具体的すぎるじゃないですか、そんなシチュエーションで襲われているキャラなんて、ほとんどロリータキャラじゃないですか」
「お前が世間を知らなさすぎるんだ」
「とてもよそ様に顔向けできないような世間の話ですけどね」
「うるせー、口をふさぐぞ」
「ふっふっふ、そこでキスですよね、さすがマスターですね」
「お前本当に何しに来たんだ、ちゃんと約束したよな、仕事だって」
俺の原画家の仕事の相方であるこの女は、本名を広津優奏、ペンネームは津奏という。見てわかるとおり、これは本名のもじりだ。香芝みたいにふざけてはいない、と思うのだがどうなんだろうな。本名なんてどうせばれますよ、というスタンスなのは普段の広津の行動からして解ることではあるが、ペンネームって重要なんじゃないだろうか、ある程度は。でも、どこかではそんなの適当でもいいと思うっていたりするのだけど。
俺は、だいたいロールプレイングゲームの主人公の名前考えるだけで数時間経ってた、みたいなやつの気が知れん、あれこそ本名で良いじゃないか、誰が見るもんでもなし。まぁそんな事はどうでもいいのだが。
以前から特に気にも留めてはいないが、改めて考えるとなぜこいつはいい年してボクっ娘なんぞをしているんだろうとかきっと疑問に思う向きもあるかもしれない。しかし、俺は気にしていないので、今後もその理由を聞いたりすることは恐らくないと思う。
「仕事はちゃんとしますよ。ベッドシーツですよね。でもどーしましょう、配置とか。あ、ボクがモデルやりましょうか」そう言って人のベッドに寝転ぶ広津、とても図々しい。さっき縁を蹴っ飛ばしていたというのに。
「モデルねぇ。懐かしい響きだ。だが、そう言うのは求めてないのでやらんでいいぞ」
「えぇ、その言い方はちょっとひどいですよ、今日からしばらくひとつ屋根の下なんですからね。解ってますか」
ここはマンションだからひとつ屋根の下とか関係ないぞ、というのはさすがに寒いので言わない。だが確かにひとつ屋根の下、と面と向かって言われるとなかなかどうして。
「そうなんだよな、女って言うのは意外とアレだろ、他の女を連れ込んだりしたら痕跡とかあるなしに拘わらず感づくことが多いんだよな、そう聞いている」
「マスター、さらっととんでもない発言してますよ、他人に聞いたとか言って実は実体験とかそういうパターンですよね、ボクだって耳ざといですよそういうの」
「違う、実体験じゃない。学生時代の友達にいたんだよそう言う系のやつが」
「でもなんでその話を今するんですか、マスターって彼女さんとかいませんよね」
「いないな。でも、この部屋は『俺の部屋ではない』と言う事だ」
「え、だって住んでるんじゃないんですか、マスターの家ですよねここ」
「今はそう言う事になっている。だが本当の家主は俺じゃないんだ」
そう、このマンションは俺なんかが住めるはずはないのである。確かに、今となっては――恐らくこれも差し金で得た仕事なのだが――学院の仕事を考えたら、あと数年も待たずに同じ部屋を買う事位は出来そうであるが、そう言う話はしたくないので考えないでおく。
「じゃあ誰の家なんですか」
「姉の家だ」
「お姉さん、マジですか」
「そう、せっかくマンション買ったのに、海外出張で家を空けなくちゃならなくなってしまったのを大層残念がっていた。そんなわけで、あいつは俺をここに住まわせることにしたんだな。俺に拒否権はなかった。まあ、部屋を綺麗に保つ、という雑用を押し付けられてはいるがそれでも好条件だろう、俺にとっては掃除は楽しみでもあるしな、どっちにしろ断るつもりもなかった。前にここ使ってない部屋があるって言ったろ、そう言う事だよ」
「なるほど、帰ってきた後で、お姉さんに『あんた部屋に女の子を連れ込んだでしょ』って詰問されるのが嫌なんですね」
「間違ってはいない、というか合ってるが何か、もう少し言葉を選んでくれ」
「マスター、お姉さんとは血のつながりはありますか」
「なぜ今そんな事を聞く」
「いえ、何となくですけど」
「ちゃんと繋がってるよ、実姉だ、紛れなく。ただ性格は悪い、誰に似たんだか」
「え、似てるじゃないですか」
「待て、誰にだ、言ってみろ、失礼なやつだな」
「そう言えば、ボクもお兄ちゃんいるんですよね、最近会ってないなあ」
「――そうなのか。それで妹モノとか好きなのかよ、とんでもない妹もいたもんだな」
「ボクは根っからのお兄ちゃんっ子ですから」
――なんだかなあ。仲のいい兄妹って言うのはなんというか、うらやましいものだ。
「ただ、お前はこれで解ったろう、俺は断じて妹萌えなどではない。姉だってそうだ、とてもじゃないがあまり容認できるものじゃあないんだよな」
「そうなんですか。でもやっぱりお姉さんがいる人って、けっこう妹ほしかったりしますよね」
「……一人っ子が良かったなあ、と思うやつもいると思うが」
「そりゃま、そうかもしれませんけど。でもお姉さんいるのに姉萌えな人だっているじゃないですか」
「冗談ぬかせ、そんなの俺は認められないぞ、恐ろしい話だ、信じられない」
「そうですかね。まあ嫌悪する人の方が多いですよね、そういうの」
別に、それがあるのは悪い事だと言うつもりはない。しかし実際に姉を持つ身からしてみればそんなのはとてもじゃないが容認できない。おぞましいものでしかない。もちろん、俺個人の意見であるからそういう趣味の人も気を悪くしないでほしい。
「ただ、姉がいるから妹のほうがいいっていうのはちと短絡的に過ぎるよな」
「まあいたらいたで、どっちも苦労はしますものね」
「所詮は、無い物ねだりってことだよ」
「それ言ったら二次元文化全般がそうなっちゃいますけど」
「そんなの誰だってわかってるに決まってるだろう。空しいものなんだよ。ただ、そう言う人たちの為にもなる仕事を、俺たちはしているんだよな。……なにも、自分のためってわけでもないんだ、――だから描こうぜ、ベッドシーツ」
「おぉ、何かいい事言ってますね。じゃあ頑張りましょうか」
「――ラフは任せた」
「言ったそばからサボりますかこの人は」だってこいつの方が女の子の線は上手いのだ、圧倒的に。俺はそう思うね、というかラフを人に見られたくないってのは身内に対しても大体同じである。これがいつまでたってもどうも恥ずかしい。まだまだ慣れないものだ、面目ない。
さて、広津のやつを部屋まで連れてくる道中、知り合いには誰も会わなかったのは幸運と言うべきか。ラウンジを通る時にも奇跡的に自販機さんを視界に入れなかった。驚きである。というわけで、ラフ作業に入った広津を部屋に残して、俺は自販機さんで飲み物を買うのだった。
『秋聞様、携帯電話は手に入れましたか』何か期待しているような雰囲気である。
「――なあ、どうしても携帯じゃなきゃだめなのか。俺もう今更携帯なんて使う気も起きないんだが」
『それでは仕方ありません。もうしばらくお預けと言う事に致しましょう』
残念である。しかし本当に今更新規で契約なんて。そう言えばそうだ、携帯電話会社も契約だの入会だのしなきゃいけないんじゃなかったか。恐ろしい、マンション備え付けのインターネット回線とは違うのだ。俺個人で契約しなければならないのだから。それもなんだか恥ずかしい。世の中恥ずかしい事がたくさんあるものだな。
「缶コーヒーも買ってくよ」
『ありがとうございます』
そうしてまた自室に戻ってみると、広津はベッドで寝ていた。こいつほんとに何しに来たんだろう、せっかく缶コーヒーを差し入れしようと思ったのに。蹴っ飛ばしてやろうかとも思ったがすんでのところで、パソコンが付きっぱなしなことに気づいた。ラフが一通り出来ていやがる。しかも、レイヤー、画像階層ごとにいくつか組み合わせてパターンを作れるようにまでなっている。俺が自販機さんのところまで行って帰ってくるまでの数分でできることじゃない。
――恐らく自宅で作業した分のデータだけ持ってきたのだろう、徹夜をしてきたに違いない。
ここに来るまでの会話の中で広津は、今日が楽しみで眠れなかったです、とか冗談めかして言っていたが、寝ていなかったのは本当らしい。データを保存しパソコンをシャットダウンした。続きはこいつが起きてからでいいだろう。穏やかな寝息を立てて眠っている広津は、実際の年齢より幼く見える。そんなに俺は信用できるのかね、ほんとに。これで本当に蹴っ飛ばしてしまっていたらどうなっていた事か。やれやれである。
彼女は去年のゲーム制作時から会社側のバイトとして原画のサブで参加していたのだが、その当時の年齢はまだ19だった。こんな娘もこういう仕事をしているのかと、俺自身に妙な偏見があったせいか、意外に思ったものだ。ゲームが発売する頃には20歳の誕生日を迎えて、会社の皆で祝ってやった。最初に顔を合わせた時から、師匠だのと呼ばれて面食らったが、その時から俺も相方などと言うようになって、今はこの通り、すっかり慣れてしまった。今年もまたこいつの誕生日が来るわけか。早いものだ。
その時までには、こいつが欲しいと言ってた羅紗の抱き枕でも作っておいてやるとしようかな。




