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ホームサイドガール  作者: 狐塚仰麗(引退)
テスト、そして夏休み
55/92

Exactly office workers

 土曜日に、久しぶりに会社のほうに顔を出すことにした。俺の場合は出勤とは言わないだろう。別に仕事をしに行くわけでもないし、冷やかし辺りが妥当だ。と思っていてもそうはならないのがいつものパターンなのだが。

「やぁやぁ先生、どうも、ようこそお越しくださいました」最初に迎え入れてくれたのは、入社二年目の新人君だった。ちょうど会社が独立するときに拾ってきた掘り出し物というやつだ。全員二年目だし。こうして事務職っぽい事をやっているが、これはこいつの趣味であり、実際はゲームのシナリオを書いているライターの一人である。気晴らしになるという事らしく。新人君というのは、ただのあだ名である。なんというか、幇間趣味――パシられるのが好きという意味である。

「熱烈な歓迎ありがとう。お前さんの淹れるチイプな紅茶が恋しいね」

「かしこまりましたぁ~今お持ちしますね~」はっきり言って、美味しいとは言えないのだが、なんとなくここに来ると飲まずにはいられない、不思議な紅茶。

「おいっす、マスター」オフィスの応接室っぽい部屋で待っていると、相方が出てきた。

「おう、久しぶり。まだその呼び方なのか」

「イエス、マイマスター」

「お前ちょっとふざけてるよな、しばくぞ」

「それは失礼いたしました。無礼な私めを、マスターのお気の済むまで折檻してくださいまし」そう言ってソファに腰掛ける俺の前に跪いた。その割には、仰々しい。馬鹿にされてる気分になってくる。

「あのな、あんまふざけてると、しまいにゃ蹴飛ばすぞ」これは冗談ではない。

「ぶぅ。大事な弟子が可愛くないんですかね」そう言って人の脚にしがみついて来る。職場の空気じゃねえよな、こんなん。膝に何か当たってるぞ。おっと、しまった。これでは蹴りが入れられない、封じられた、やりおる。

「くそったれ、全然、可愛くない」脚から腕を引っぺがし、そのまま隣りに座らせる。

「ひどい。それはそうとですねー、ビジュアルファンブックの件についてちょっとお話が。まだ作るとか外には発表して無いじゃないですか、でももう本文は八割くらい出来ちゃってるんですよ」演技的な動作から一転、切り替えの早さがこいつの特長だ。

「どっか外部に委託したんだったか、レイアウトとか」

「本社の人にお願いしたら一日でやってくれましたそうです」

「面倒見がいいんだな、本社は」

「言ってみれば、うちは弟子会社じゃないですか。だから、それが可愛がるってことですよ、マスターも見習ってくださいよ」

「そうだなぁ。どう見習えばいいだろう」

「えっとね、ボクの同人誌にゲスト原稿書いてくれるとかぁ、同人音楽でバックコーラス参加してくれるとかぁ」

「おい、なんで同人ばっかなんだ。バックコーラスって何だよ」

「だって楽しいじゃないですか、他に理由がありますか。バックコーラスは、きれいなユニゾンを響かせましょうと言う事です」――楽しい、ねえ。

「お前、歌なんか歌ってたっけ。俺は遠慮する。そういや漫画は描いたことがないんだよなぁ」

「なら、イラストでも良いじゃないですか。得意中の得意でしょう」

「でも、俺は別に個人サークル活動ってのを始めると言うつもりはない。だが、そうだな、お前の所に何か描くぐらいなら幾らでも、ってのは勘違いされるとあれだから、少しくらいなら提供してやってもいい」この世界に入ってから、ラクガキばかりを始めた時とは変わって《仕事以外で絵を描くことはなくなった》俺だから、先日の生徒たちからの質問への返答は間違いじゃない。仕事をしているという意識があっては、違うのだ。感覚が。

「え、ほんとですか。どうしよう、マスターのありがたすぎる勿体ないお言葉に、涙出そうです」何がそんなに嬉しいのか良く解らないが、実際大きい瞳が潤んでいるように見える。――それ、演技じゃないよな、と思いたいが、しかし。

 そんな微妙なタイミングで、新人君が紅茶を運んできた。

「新人君、ありがとう」相変わらず香りは良いのに、いやに薄い。チイプだ。

「いえいえ。ごゆっくり」

「時に、俺がこいつを泣かせているように見えるか」

「いえ、ただの三文芝居に見えますが」清々しい笑顔だった。

「新人君、ボクの演技が三文芝居だって。覚えてなさいよ」――へえ、演技だったのかよ。解ってたけどな。

「すいません、三歩歩いたら忘れますので」新人君はさっさと出て行った。実は、彼は俺たちより年上である。職場の雰囲気ではないな、まったく。

「同人と言えば、そうだな。一つ気になることがあるんだ。最近出たライトノベルでさ」

「どうかしましたか」

「ネタバレになるから詳しくは言えんが、どうも気になるキャラクターがいて、だな」

「それは興味深い。もしかして同人誌描きたくなったとか」

「はいそうです、と言えれば楽なんだが、どうもまだ解らないんだよな」

「気に入ったキャラなら描けばいいじゃないですか。そんなんでいいんですって。もし本を作ったら、うちのスペースに置きます、置かせてください、完売させます」

「ああうん、まあいいや。それより仕事だぜ。ベッドシーツのラフの話にでも移ろう」

「あ、ならそこのホワイトボード使いましょう」

「え、そこに描くのか」

「折角来たんですから、落書きして遊びましょうよ」――仕事の話に移ろうって言ったよな、俺。

「ううん、それも悪くないか」久しぶりの落書き。

 ――余談だが、最近は黒板にチョーク、ではなくホワイトボードとマーカーの組み合わせで授業を行う学校もだいぶ増えてきた。俺も、選択授業の教室ではそうだった。チョークは粉が舞うから、コンピューターに悪い、とかそんな理由だったはずだ。だからコンピューター室がホワイトボードだったのは解るんだが、それは解るんだが、授業に使う教室までそれにするってのは、なんか会議室みたいで落ち着かなかった。そう思うのは俺だけだろうか。それに、インクがすぐ無くなるのだ。生徒がそんなこと気にしてもしょうがない、とも思っていたが、気になるんだからしょうがない。俺の悪い癖。

 そんな事を考えている割には、休み時間に落書きなんかをして、いざ授業が始まったらインクが無い、みたいな事をしょっちゅうしていた。チョークが無い、というのより一層性質が悪い。なぜなら、落書きをして遊ぶ行為自体に悪意はないからだ。誰だって黒板に落書きしたくなる時はある。ホワイトボードでもそれは変わらない。そう考えると、チョークのほうがどうあってもコストパフォーマンスは上のはずだ。それはもう、段違いに。偉い人にはそれが分らんのだ。黒板に落書きしたことが無いとでも言うのか。

「まーすーたーあー。手を動かしてくださいよー」

「久しぶりにホワイトボードを見てたら、妙な感懐がな。――えっと、羅紗ラシャでも描けばいいのかな」

 羅紗というのは、俺が原画を描いた前作のヒロインの一人である。総合人気はそれほどでもなかったような覚えがある。販促物に描いたのは、メインヒロインの方が圧倒的に多く、人気もそれに比例しているのだろう。だが、個人的には一番気に入ってるデザインのキャラクターだ。いかにもフェミニンな装い。今更ながら、何であんまり受けが良くなかったんだろう。謎だ。――と、言うような事を、ビジュアルファンブックに書いておけばいいのだろうか。思い出すと言うのは大事だな。

「やー、やっぱり羅紗たんは可愛いですねー。ぺろぺろしたい。て、ちょっ、マスター、何でホワイトボードにそんなん描けるんですか、意味分かんないです。細か……」顔だけじゃなくちゃんと腰のあたりまで描いてたら、そんな事を言い出した。

「ホワイトボードマーカーって同じところをなぞると、線が消えたり潰れるだろ。だからそうならないように適当な間隔で線を引いてやりゃいい。こうして、遠くから見ればかなり誤魔化せるが、近くで見ると結構粗い。確かに、字を書く分にはいいんだが、数学の図形とかをこれで書かれるとなかなかイライラする事になる」そう言えば本当に久しぶりなのにスラスラ手が動いた。やっぱり羅紗は良い。

「それ、愚痴ですか」

「そうだな、しかもだんだん薄くなって、後ろの席の俺は、何が書かれてあるかよく見えないってことがままあった。あれは、ほんと、最っ悪だな」

「あー、解りますそれ。もしかしてマスター先生、学校ではホワイトボードで授業してるんですか」

「マスター先生って何だ。いや、幸運なことに黒板だよ。チョークは良いぞ、手が汚れるだとか今更、気にもならん。最高だ」

「それは良かったです。それにしても、羅紗たんの衣装はシンプルなようで奥が深いですね。塗りの担当の人たちこれ相当苦しんだんじゃないですか」――そう言われてみれば、こいつはほとんどのシーンで着衣していたんだった。まさかそれがいけなかったのだろうか。そんな馬鹿な。

「迷惑をかけましたって、当時けっこう皆に謝ったよ。シナリオにだって脱いだと書いてなかったのが悪いんだって開き直ったけど。そんなこんなで思い出深いキャラクターなんだよな、羅紗は」

「あれ、続編だかなんだかも作ろうって話じゃなかったでしたっけ」

「ああ、ファンディスクでもなければ舞台は数年後、とかになりそうだな。あれはまだ新人君がシナリオ参加して無いときのもんだったから、現状、続編ってなると当時のメンバーを集めたほうが、より良いものを作れそうではあるが」――もちろん新人君も素晴らしいスタッフである。合わせて仕事をすれば良い刺激になるだろう。

「ボクも原画描かせて貰えるでしょうか」

「当然だ。いや、むしろお前がメインで行ってほしいな。俺これから、多分だけど忙しくなるし」例の、部活の顧問でもやって、もっと学院に馴染もうかなと思っているのだ。

「ええっ、ボクはマスターと一緒に仕事ができるのが誇りなんですよ。メインなんて無理です、まだその域に達してませんし」俺だってそう言いたいんだが、卑下も良くないというのは承知しているから、言わない。

「何にせよ、俺が決めることじゃない。だろう」

「それはそうですけど。あー、心配だなぁ。もっとマスターと仕事したいよぉ」

「その分同人の方に手を回せるかもしれないだろう」

「あ、そっちも捨てがたいっ。うぅぅぅうん」

「で、シーツの図案なんだが」

「あ、マスター。完全受注生産限定で羅紗たんの抱き枕売ってくださいよ」

「おいやめろ」

「コミケ会場で売るのもいいですね」

「そっちももう埋まってるだろ」

「ボクが欲しいんです」

「自分で描けばいい」

「何を仰いますか、マスターの羅紗こそが至高なんですよ」

「……はぁ」

「えー、こほん。お二人さん、お取り込み中のとこ申し訳ないんだけど、ビジュアルファンブックの作業を進めてくれないかな。お願いだから」

「あ、社長じゃん。おはよ」俺は付き合いが長いので、いつもこんな感じである。これは、職場の雰囲気じゃな以下略。

「おはようございますー」

「挨拶はいいって、この土日で仕上げてくれたら、明日の晩にでも焼肉行こうぜ」

「わぁ、しゃっちょさん太っ腹だね。じゃあ頑張りましょう、マスター」

「いや、こいつまだ奢りとは言ってないだろ。早まるなよ」

「あきちゃん、早く仕事しようか」

「いや、でも仕事しに来たんじゃないんですけど俺。なんでそういう流れになっているんですかね」

「じゃあそうして、いちゃつきに来たのかねぇ。いいねえ若い人たちは」

「なんだって。わざわざボクに会いに来てくれたのか、マスターは」

「いや結構。解った、仕事はするから。なあ、続編の話って進行中なのか」

「いやいや、進行はしてないぞ。ただ、できたら冬辺りに制作決定、って言えたらいいけどなぁ」

「そう、か。それだけ聞いたら充分だ。頑張ってな」

「終わったら、焼き肉、ちゃんと奢るからさ」

「はっは。期待はしないけどな。んじゃ仕事してくるか」

 普段は俺はほとんど来ないというのに、ちゃんと仕事用のデスクを空けておいてくれている。散々職場らしくないと言ったが、これ以上ないってくらい、いい職場だと思う。人間は、俺も含めて変なのが多いが。

「ねえマスター。やっぱり、ファンブックに羅紗たんを書き下ろしで載せたりした方がいいんじゃないですか。せっかくだしせっかくですよ」

「……そうだな。コメントやらの文字書いてページを埋めるより、そっちの方が数段楽でいい。ありがとう、そうするわ」

「いえいえ。ボクも書き下ろしで好きなキャラ描いていいって言われてるので」

「だったらお前が羅紗描けばいいんじゃないのか」

「そうします。でも、他の本社系列での仕事をしてるベテラン原画家さんも描いてくれてるんですよ。羅紗たん超人気」

「そ、そんな話聞いてないぞ。すごいことじゃないのかそれは」

「さっき言いませんでしたっけ、本社の人にお願いしたら一晩で」

「そういう意味でもあったのかよ。どうしよう、皆さん羅紗描いてくれたのか、メインヒロインそっちのけで」

「えっと、マスターはなんで勘違いしてるのか解りませんが、羅紗たん派は全然マイノリティーなんかじゃないですよ」

「なんてこった」――衝撃の事実ってやつか。仕事がはかどるな。

「ですから、ボクらも羅紗たん祭りしちゃいましょう」製作者サイドが遊び過ぎだろう。まあ、これで良いんだろうな。おそらく。

「これで明日本当に、焼肉が奢りだったら、いいのになぁ」――社長のあれは、いつものリップサービスなので、信じる人は誰もいないのである。

『焼き肉、ちゃんと奢るからさ』ああ、そんなに焼肉なんて食べたいわけでもないのに、脳内で社長の言葉がリフレーンされる。

『焼き肉、ちゃんと奢るからさ』いや、普通に横から聞こえて来る。何だこれ。

「おい、何やってんだお前」相方の方を向くと、ICレコーダーを持っていた。

『焼き肉、ちゃんと奢るからさ』

「録音しておきました。てへぺろっ」

 焼き肉はみんなでおいしく頂きました。

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