Exit way to bus stop scene1
寮に戻り、身支度を整える。ホームルームが長引くとは思えないし、なるべく急いだ方が良いのだが――そういえば、一つわからないことがあるのだった。間違える前に確認をとっておいた方がいいと思い、俺は隣室の戸をノックする。出てこないので呼び鈴を鳴らす。二回。三回目を押す前に、堅城は出てきた。
「どうしたの、秋聞君。何かあったのかな」どうやら、寝起きらしい。いつもまとめられている髪がしっちゃかめっちゃか、散らかっている。ゆるふわってかんじだろうか、寝癖なんだろうが、すごいなこれは。しかし、普段まとめられている髪がぶわっとなってて、こういうのも悪くないと思う。――そうか、寝起きのままジャージで、というと髪を整える間もなかっただろうし、つまり最初にジャージで出た時は、この姿で授業をやったという事かもしれない。ここが女学院で幸いだな、まったく。
「いや、大したことじゃないんですが、一つ確認して無かったことがあるんでね」
「はぁ、大したことじゃないのに起こされてしまったのか」恨めしそうに睨まれた。
「すいません、いつもはすぐ出てくるのでてっきり起きているものかと」
「や、気にしないでくれ。休みの時はままこんな感じなんだよね。うわ、改めて考えたら私は寝起き姿を男の子に晒してしまっているのか、これは、ううんちょっと恥ずかしくなってきたぞ」そう言いながらジャージの襟で口元を隠して、もじもじしている。何とも言えない変な感じだ、女性の寝起きなんて特別珍しいものでもないし、気にしなくてもいいと思うんだが。ちょっと小動物めいていて可愛いと思った。
「まあ、なんだ、聞きたいことだけ手短に。テスト用紙って自宅に持ち帰って採点しても良いんだよな、持ち帰っちゃいけないとか、そんな規則があるとは聞いてないから大丈夫かとは思っていたんだが、そこんとこどうなんだろう」
「んむ。そう言うものは、学外への持ち出しには許可がいるはず、なのだけど――」
「え、そうなのか、その手続きはすぐ済むんだろうか」
「んにゅ、書類にお偉いさんのサインが要るぞ。で、その書類は、……んみゅ」
「あぁ、そいつはめんどくさいな。となるとどうすっかな――って、おい堅城、何してんだこんなとこで寝るんじゃない」戸口に寄りかかってむにゃむにゃ言ってる。軽くほっぺたをつねってやったら起きてくれた。
「あ、書類だよ書類。秋聞君、悪いんだけど三分くらい待っててくれ。中、入っててくれてかまわないからさ」どうやら、すっかり覚醒したらしい。
「ああ、えっと、……お邪魔します」一応戸は閉めたほうがいいよな、冷房しているっぽいし。部屋に入ると、夏だというのにど真ん中に炬燵様が鎮座ましましていた。なるほど、炬燵が年中無休か。
「それより、お前の部屋これ随分寒いなおい。設定温度どうなってんだよ」おそらくジャージで炬燵に入って寝てれば寒くないだろう、というような体感温度だ。不健康極まりない。さすがに炬燵のコンセントは差さってはいないようで。見たところ部屋は整理されていて奇麗なのは、意外と言えば意外だが、彼女はしっかり者だし、驚くほどでもないか。
「いや、冷房じゃなくて除湿なんだ。だから気にするな。――あ、もしもし、教務課につないで。えーっと、生徒の成績に関する書類の学外持ち出しの許可証がほしいんだけど。――そう、それ、四十秒でファックスしてくれるかな、私の部屋に」除湿ってこんなに冷えるのか。さっきまでの寝ぼけてふにゃふにゃした様子とは打って変わって、てきぱきと、電話越しに指示をする堅城。本当に世話になってばっかりで申し訳ない。――ファックスか。実は自宅での仕事の際は俺も結構使ってたりする。今どきファックスは何と言っても、スピードがダンチなので、俺のようにラフだけはアナログで作業する稀有な人間にとっては、とても便利である。すっかりフルデジタル環境が主流だって言うのにな。電話機から、件の書類が出てきた。
「秋聞君、それに必要事項を記入しておいて。ちょっと学年主任に電話しておくからさ」
「了解。ありがとう」書類を書きながら、礼を言う。
「よせよせ、私は世話好きなだけなんだ」そう言って手を左右に振る。
「そういえば、なかなか可愛らしいぞ、その髪型」
「これは寝ぐせだ、ばか」額にチョップを食らった。
そのまま書類を書きあげて、学年主任の部屋を訪ねてサインをもらい、公的にテスト用紙を持って帰れるようになったので俺はさっさと校門へ向かった。思えば、書類だの手続きだのと、面倒事のはずなのにあっという間に片が付いてしまった。大したものだ。
「あ、せんせだ」校門ではすでに出水たちが待っていた。
えっと。なぜか他にも、見覚えのある顔が。二人増えている。
「何か、待たせたみたいだな。ごめん」とりあえずは謝るが。
「いや、今来たところだぜ」「ぜ」「ぜ」
「はぁ……」石動の溜息が切なくすり抜けていった。
「なあ、蜂須賀と妻木は、何でいるんだ」出水と妻木と蜂須賀は、混ぜるな危険三人娘だ。石動、ここは逃げてもよかったんだぞ。むしろそうすべきだったぞ。
「ちえちゃんに誘われたのでついてきちゃいました」
「美術組ばっかりずるいんだもん。たまには私も混ぜてくださいよ」
「――というわけですな。いいじゃん、楽しいじゃん」
「はぁ……」
「あのねえ。一緒に帰るっつったって。俺、バスだぞ。お前らは、(特に考えないようにしていたが)ほら、あれじゃないのか、ご自宅から送迎車とかあるんじゃないのか。リムジンだの、ベンツだの、フェラーリだのさ」会話しながら、仕方なく下校を開始した。
「うーん、確か、うちの車はフォルクスワーゲンだったと思うよ」わあ、うぜえ。
「あの、先生は自動車の免許は持ってらっしゃるんですか」
「……いや、持ってないよ」
すまない石動。その話題では、会話を広げることはできないんだ、せっかく話を振ってくれたってのに不甲斐無くてすまない。本当に。
「せんせって、携帯電話も持ってないんだよね」
「お酒もたばこもやんないって言うし、ギャンブルもしないんだよねぇ」
「俺、そんな話したか、お前らに」まるで覚えがない。自分のことなんて、こいつらに話しただろうか。
――最初の授業の自己紹介かもしれない。確か、授業終りに出水と妻木に、アドレス交換しろだの言われて、携帯電話を持っていないからと断ったんだったか。で、その後何回目かで出水に本を貸した。全く最近の事だというのに、まるで記憶にないのは、一体どういうことだろう。初めての授業の事だぞ、印象とかもっとあるはずだよな普通。俺はどうかしているのだろうか。ちょっと怖くなってきた。
「え、携帯も持ってないの、それはすごいね」
「あ、ほんとは持ってるのに、持ち歩くのが面倒なだけとか」
「それ、携帯電話の意味ないよちえちゃん」
「そっか、あはは」俺の話題で三人だけでどんどん話してる。元気だな、本当に。
「何か趣味はないんですか、先生」
「趣味、か」
「これでせんせに趣味がなかったらどうするよ」
「ある意味超人だよね」
「何が楽しーんだろーね」本人がいるのに何でそういうこと言うかな、デリカシーってものがないのかね。まあ、デリカシーのベクトルというか、ノリが違うんだよな。
「お前ら、成績はどうでもいいんだな」
「ごめんなさい」「何でもします」
「あ、私は音楽だから関係ないです」
「じゃあ黙ってろ」
二名、静かになった。
「あの、それで、先生。ご趣味は」
「――そうだな、さて。趣味、と言えるものかは解らんが、強いてあげるとすれば読書ってことになるんだろうか」
「そっか、いつも何かしら本を持ってるよね。何読んでるの」
「何っても、色々だとしか。古文と漢文じゃなければ何でも読む」
「ラノベとかも読んでるんだぜ」
「黙ってるんじゃなかったのか、出水」
「…………」
「ねえ、せんせーは普段は絵とか描かないの」
「なんでそんなこと聞くんだ、蜂須賀」
「だって、絵、うまいんでしょう」
「……どうだかな。学校行ってたら月並みってところだろうな。そりゃ、基礎位は出来上がってるとは言ってもいいのかもしれないが」
「そっか」たまにこうして、蜂須賀が見せる寂しげな表情は、なんなのだろう。何か悩みでもあるのだろうか。
「あぁ、そう言えば出水、」「……」
「――喋っていいぞ」
「やったー。なあにせんせ」
「お前、同人誌描いてるんだよな」




