July from June scene7
「二学期こそ、成績を伸ばす、いや、自信の成長に最も不可欠な進歩の時期であると言えると思う。これは何度も言っておきたいことだったので、こうして伝えているわけだけど、俺自身は塾の講師のバイトをやっていた事があって、そこでは日本史・世界史・現代文などをざっくりと担当してた。古文と漢文、あと数学は苦手だ。英語は適当にどうぞ」ここまで言ったところで、生徒はみんなくすくすと笑った。とてもお上品である。
――俺は昔から、女性が笑う時に口もとを手で隠す動作が嫌いだったが、ここの生徒ときたら全く自然にそれをやってくる。いわゆるぶりっ子的な作為性が全く微塵も感ぜられない。これにも俺自身驚いてしまった。嫌いだ、と言ったが苦手意識と言うもののほうが大きい。功罪ともにしてこのような仕草をする女が、そもそも苦手だった。浮世離れなどと言うところの当てはまる――浮世の人々の繕いとは違う――持って生まれた、具備された典雅、優雅さというものがこいつらにはある。約一名、下品にニヤニヤしてる者もいるわけだが。
「物理と化学は、忘れた。俺が働いてたその塾は、いわゆる進学塾みたいなものではなかったから、そんなことが可能だったんだな。で、そのときにほかの講師連中に色々聞いた話もあるから、そうした話はこれからまた雑談でゆっくりと、そこんとこも話せるかと思う。俺自身、この学校で教えているのは今は美術で、これがある日以外は、ほとんど校内に居ることがない。寮で会うってことも殆どないよな」
「だーから、ここはいっちゃんしか住んでないんだってせんせ」
「あぁ、そう言えばそうだったな。でも全然すれ違いもしないな、饗庭とは」
「基本、部屋で寝てるだけだから……」珍しく饗庭が会話に加わってきた。
「そうか。だったら朝にでも談話室にでもいらっしゃい、コーヒー淹れてやるからして」
「おー、ナンパだナンパ」「あれが先生の常套手段よ」
「屈託なく誘いますのね」「朝チュン朝チュン」頭の中には品が無いのがいるようだな。
「そうやってからかうんじゃない。そう言うお前らだって、遊びに来ればいいじゃないか。そう言う話をしようとしていた所なんだぜ。俺は夏休みはこっちで過そうかと思っていてな」こうして、授業時間残り十分をもらってまたいつも通り座談会を開いていた俺。やっている事はほぼHRに近いものと言っていいかもしれない。生徒に慣れてからはこういう機会も増えた。以前から夏休みの予定を考えあぐねていた俺は、ついに予定を決めたのだった。
「テストの打ち上げは海の日でしたわよね」実行委員(仮)の一人である石動が確認をとる。
「そうだな、成績貰った後に全部忘れて騒ごうって言う企画になったわけだし」テスト最終日では俺の予定に影響が出るかも知れないからという気遣いで海の日に変わったわけで、俺はちょっと照れ隠しにけれんみのある事を言ってみた。
「まったく先生は。あの、その後はどうするんですか」
「それは打ち上げの後の俺の予定を聞いてんのか」
「ええ、そうですわ……」
「あれが逆ナンだよ」「積極的ですね」
「初めて見ました」「朝チュン狙いだ」
「出水、静かーに廊下に立ってろ」
「うわ昭和だよせんせー昭和ー」
「出水、お前はイエローカードを相当ため込んでいるようだが、こうなると好きな時に外に出れて便利だよなぁ」
「いやー、私の事はほっておいてください、いいからいいから、続きをどうぞ」
俗受けを狙った下世話なガヤを聞いて、石動はまた真っ赤になって固まってしまっているので、俺は出水を捕まえて軽い押し問答をすることでやり過ごしてみたのだが。続きをどうぞと言われても――本人がこれではいたしかたあるまい。
「あー、割りとヒマしてると思うぞ、石動。テスト終わった時にでもまた聞いてくれな」
「……はい」ほんと、難儀な娘である。
「せんせ、今日はこいつよくしゃべるな、黙っててほしいなー、とか思わないで、私の話を聞いてくれませんか」
「いいから要件を言え」
「あのね、生徒会の先輩から聞いたんですけど、テスト終わりに部活が一つなくなることになっているそうなんですよ」生徒会、そういうのもあるのか、当然あるんだろうな。しかしこれだけの学校では生徒会が果して機能するのか疑問だが、寮の方で生活指導とかしてる風紀委員みたいなのがそれなんだろうか。それはいいとして出水にそんな知り合いがいるとは意外だ。
「うん、何かの部活がなくなるんだな、それで誰か困るとか言う話か」すでに決定事項なのだから覆したりはできそうにないし、力になれそうとは言い難い。
「いやそういう直接的な話じゃないんですけどー、えっと、まず簡単に結果的に部活が一つなくなるとどうなるかって言うと、部室棟の部屋が一つ空くってことなんです」部室棟なんてのもあるのか。まだまだこの学校、知らないことも多いな。ほとんど本校舎と寮しか利用していないからなんだろうが、きっと今後何年ここで働くことになろうが俺が絶対行くことないだろうという部屋だってたくさんあるんだろう。普段なら全く気にも留めない些細な事だが、そう思うと何とも言えない気分になる。一生かかってもいけないところ、みたいな遠いものと、語感が重なるからだろうか。遠地の世界遺産と、たかが学園の施設にそんな接点を結びつけられるなど、迷惑な話かもしれない。なんだか空しい。
「せんせ、それで――ノックしてもしもーし、聞いてますかー」
「聞いてるっての」
「あやしーなー。それでですね、今回は文化部棟の部屋が空くんですよ、で、これってばまだ公式発表じゃないんで、せっかくだから先手を打ちたいんです」
「どの方面で先手を打つんだ」
「だからー、ほかの連中が聞きつけて部の新設を申請する前に、私たちが部を作ってその部屋をぶんどるんですよ」
「お前さ、もしやとは思うが、友達作ったりお菓子持ち寄って食っちゃべったりみたいな、生産性のない部を作ろうってんじゃあないだろうな」
「いえ、生産性ある部活ですよー。えっとね、同人誌作りたいです」
「今日の授業はこれで終わり、各自お昼休みに入って良し」




