July from June scene3
――どうやらコーヒーの人は、漫画家のような仕事をしているらしい。もっとも停電が直撃してはいけない人に直撃してしまったというわけか。これは他人事ではない。
俺たちのような仕事の人間が常に警戒すべき事態と言うのは、そう言う事だ。香芝とはあの後なあなあで別れたので、詳しい話は聞かなかった。もちろん、俺が何をしているかも、伝えていない。田辺章太郎は彼とも会った事が有るのだろうか。
しかし、自販機さんがあんな怒り方をするとは思わなかった。いくら画面の向こうで吠えようと、こっち物理的な影響は何も無いとして、怒らせたまま放置してみるのも面白いかなとは思わないでも無いが、精神衛生上よくないし、なんだかとても恐かったので俺はちゃんとスポーツドリンクを買ってやった。もちろん機嫌は直ったんだろうが、どこかまだ、すねているような雰囲気は残っていた。
さて、テスト一週間前ともなると、どこも浮き足立っている。うちの生徒だけではなく、ノートを開いている学生はあちらこちらにいるのだ。まさかこんな時期から、受験勉強と言うのでもあるまい、まさかな。
いや、解らないじゃないか、本当に必死で勉強をしているヤツは、こんなときだって遊んではいられない。はっきりいって成績を上げるための学校のテストなんて、余計な邪魔でしかないと言う物もいるだろう。逆に、そんな物にかまけて受験と言う本分がおろそかになるようなヤツは論外だ、と容赦のない言葉を浴びせる者もいるだろう。満点が前提。実際、いるのだ、そう言う人間も。自分が本命に失敗して、少しランクの低い学校に仕方なく入ったようなヤツがそういう風になるんじゃないかと思う。私は、こんなところに居るべき人間じゃ、ない――と本気で信じているヤツだ。そして誰よりも、自分の行いを恥じている。とはいえ、周りの人間を見下しているから誰にも理解されない。果たして、何を背負っていると言うのか。國の未来か、それとも――
通学時間だって貴重なのだ。遊んでいるヤツには解らない。学校のテストなど、――今の時代、ほんとにいるのかね、そう言うヤツ。今後、美術の時間なんてくだらないとか言う生徒も出て来る、かもしれないな。そういうやつは音楽のほうに行くだろうから俺の知った事ではない、が何かの間違いでそう言う生徒を相手にしなければならない時は、俺はどうやって説き伏せれば良いのだろう。納得してもらえるだろうか。理解してもらえるだろうか。俺は。初めての生徒には恵まれていて良かった、本当に。
堅城や出水のいうとおり、生徒と親身になる事に、抵抗を持っている大きな意味は無かった。妙な進歩をする情報化社会の弊害で、しばらくは難しい時期もあったものだが、ちゃんと生徒が教師を尊敬するという図式は回帰をみた、ということで教育論だかの学者さんたちが言っていますよ云々カンヌンと教わった。その偉い人の権威を信じてみるとすれば、俺の場合は、半ば不健全な仕事を持つ者が、女子学園で教鞭を振るうという事に対するうしろめたさというものが大きかったのだ。
そして元から思えば、半端な覚悟で教師を目指そうとする者には、同じ志を持っている生徒から教育実習の現場で叱責を受けるという洗礼が待っている。いわば相互監視みたいなものだが、重く考える必要は無い。俺の考えが甘かったのだ。
自分の仕事には、誇りを持たなければならない。これは、自信とはまた別の話である。
やっぱり、学力は大事な財産になる。確かに應仙だって曲がりなりにも進学校という属性だったはずだ。章太郎もきっと、大変な努力をした事だろう。しかし今は一頃のような、勢いは感じられない学校となった。
それにしても、これだけ懊悩せねばならないように、教師は人の人生を左右する仕事であるって事だ。
いつもより遅く寮につくと、誰とも会わずに自室へと辿り着いた。だれかに挨拶でもされれば気持ちも落ち着くかと思っていたが。なぜ、俺はこんなに煩悶としているのか。
「いろいろ考えて気を紛らわそうとしても、緊張している状況は全然変わらないな」
人生を左右する。全然重みが違う。教師を自覚すると言う事は、その責務を真剣に見つめ直す事だった。楽しみだったはずの、あいつらに成績を付けると言う作業が、とても重々しいモノに変わっていた。
テストで大穴を開けるヤツが、いたらどうすればいい。あいつらの中に、もしそういう結果の者が一人でも出てしまったら。俺はフラフラと部屋から下がり、誰もいない談話室のソファーに沈み込んだ。
「なんとなく不安が憑いて回るもんだな。堅城のアホ面でも拝めば少しはリラックス出来るかもしれないが」
「誰がアホ面だ、失礼だな先輩に向かって」やっぱりいやがったか。給湯スペースという死角に潜んでいた。今日は紅茶をいれているようだ。コーヒーとはまた違う格調高い香り。
「いや、昔のように何でもかんでも軽ーく考えられたら楽なんだがなーって思ってな」
「ちょっと前に聞いたような気もするけど、昔の君はどんな男だったのかな」当然のようにカップを二つ、テーブルに置き紅茶を注ぐ堅城。俺はソファに仰向けで寝そべっている状態で、その動作に見入っていた。この角度からだと、ジャージでなかったならば、なかなか絵になる構図だ。こいつもスマートだからな。
「砂糖は」
「いや、ストレートで良い。ありがとう」
「いえいえ」
「なあ堅城先生、成績ってどうやって付けてる」
「マニュアル通りに」
「そう言うのってアリか」
「良いんだよ、結果なんて本人が受け止めるべきものなんだから」こいつは、大人だな。割り切っているとも言えるかもしれない。
「俺だって生徒を信用してはいるが」
「そうだな。君は、自らの結果が望まないものだったとして、それで先生に恨み言を言った事、あるのかな」
「俺が言っているのはそう言う事じゃない。その前に、成績を付けるという作業が無味乾燥なものであって良いものかって事だ」
「君はそうならないための予防線を張っているんじゃなかったのか」
「予防線、――そうだ、確かに今回のテスト問題には、俺の」
「全く君というやつは。この前、自分で面白そうに話してくれたじゃないか。実際楽しみなんだろ、テストの採点。こういう時はね、素直で良いんだ、難しく考える必要は無い、君は立派に職務をこなしているのだから」
先輩って、ありがたいな。




