サボり魔
まだまだ短い付き合いだが、彼女――饗庭乙歌は、あのクラスの中でもかなり浮いた存在と言える。名前も少々難しいし、というともっとややこしい名前をした連中もこの学校には多いわけだが。それは抜きにしても、出水たちがいる中でも誰とも会話をしないばかりか、一人でふらふらとどこかへ行ってしまうことも多い、厄介な少女だ。
本当にいるものなのだな、こういう生徒。
昼休みにふらふらと出て行ったあとは、そのまま保健室や屋上にいることが多いらしい。そして午後の授業をすっぽかしてし、まったり、ううむ、なんだか考えていてどんどん心配になってきた。
と、そんな具合に先に彼女の問題点を挙げてしまったものだから、ここらで人物像が固まってしまうところだと思うが、誤解の無いように申し添えておくと、別に出水たちが饗庭を虐げていたりとか、そういう問題は一切ない。むしろ関係は良好だ。仲の良いクラスだと思う。会話には混じらなくても、一緒に弁当を食べていたりするからだ。だから逆に彼女の自由奔放な行動を止めようとする者がいないということで、誰かが何とかしてあげてくれないかなと考えている。御厨辺りが言ってくれそうなものだが。
何より、心優しい少女であることは言うまでもない。合羽貸してくれたし。
そして特徴的なのが、何の影響を受けてしまったのか――そうとしか思えないような見た目である、顔の左半分は、長い前髪ですっぽり覆われていて、表情が読みにくいということだ。
顔が隠れるという髪形は、往々にして様々な視覚効果を人間の脳にもたらすもの。
俺の髪も、ストレートにしたら見た目以上に長いものになるだろうが、そんな手間を髪にかけても一銭の得にもならないので、切ればいいんじゃないかと言われるようになれば切る、みたいな適当な扱いだ。ケアしてるわけじゃないので将来禿げるかもしれない。それでも前髪で幾分か顔が隠れるもので、表情に翳ができ曰く、ミステリアスに見えたりする。
しかし、饗庭の場合は何なのだろう、どうしてもそういうルックスをした何らかのキャラクターの影響を受けたりしたのかと、仕事柄勘繰ってしまうのだが、要するに同じく俺も彼女はミステリアスに見えるし、自分が指摘されたことも理解はしている。
とりあえず、黒のセミロングで顔半分隠れている女の子を探して合羽を返す事。
あの髪形は、学内ではなかなか目立ちそうなものだが、どうにも見つからない。後ろ姿では区別がつかないというのもあるが……
午後だから学内のどこかにいるだろうという考えは捨てて、大人しく教室へ向かう事にしよう。
「あれ、秋聞せんせ。珍しいですね」覗いて見るなり、出水がこちらを発見してくれた。いやはや、抜け目がないというか、めざといというか。
「こんにちは出水さん、ちょっと饗庭に用事があるんだが、教室にいるかな」
「最近、せんせからさん付けで呼ばれるのに、違和感があるんですけど。んと、――いっちゃんは今はいないですね」見回してみる限り、確かにいない。二十人足らずの教室だ、のぞいてみれば誰が欠けているかすぐ分かる。出水は饗庭をいっちゃんと呼ぶ。ちゃんと全員顔と名前覚えているんだろうか、俺は。まあ今は饗庭に用があるだけだから、気にしないでおこう。教員として、逃げちゃダメな問題だが。……まだまだ新米ってことで、お見逃しを。
「そうか、邪魔したね」
「せんせ、いっちゃんに何か用事なら、後で会った時伝えときますよ」
そう言うことなら、いっそ合羽を預けておいて饗庭に手渡してもらおうかな。ううん、それならば明日の授業で渡せばいい話だ。それを選択しないで、ここまで来てるんだから、今さら投げやりなことをするわけにはいかない。直接渡して礼を言うべきだ。
「いや、この時間にいないなら確か、保健室あたりでも見てくればいいんだったよな」
「あ、屋上かもしれないよ、風が気持ちいい、みたいな」
「やや、風が吹けば、彼女の封印された左目が拝めるのかな」
「せんせも案外、俗っぽいこと言うんですね」
「だがそう言われるのは初めてじゃないからな」
「え、何か言いましたっけ」
「千枝の字が、爪楊枝みたいだなっていう――、あ……」
「ああ、へええ、……やっぱりそう思ってたんですね。やれやれです」
「いや、思ってないよ。出水さんが自分でそう言っていたのを思い出しただけで、俗っぽい奴がどうのこうのと」
「まいっか。そう言えばあのブックカバー使ってくれてますよね、どうもです~」
「そうだな、重宝している」
「いやあ、なんだか照れますなぁ。お近づきのしるしにというやつだったんですが」
「役に立つものなら使うさ、当然だ」
「ですか。それじゃ、また明日ですね」そう言ってぺこりと軽く会釈する出水、なかなかサマになっているから侮れない。
「うん、また明日な」
そうして教室を出た。保健室がはずれだったので、屋上まで足を運んでみた。パッと出た所一目では見つけられなかったので、辺りを探ってみる。
「お、いた」
屋上備え付けの、貯水タンクだったかの陰で寝ていた。しかし屋上で昼寝か、自由人だなまったく、ヤンキーですか、あなたは。
この光景、すごくいろいろ言いたいことがあるものだ。本当に毎日これだったら、俺だって注意しなきゃならない気になってくる。本当は見過ごそうかとも思っていたのだが、これはさすがに目に余る。
「んぅ……」とりあえず、右ほほをつついてみる。
「あーあー、こんなところで横になって、制服汚れっちまうだろうに」
「んむ……」
「こら、起きなさい。饗庭さん」
「あ、れ。秋聞先生……」やっと目が開いたが、まだまどろみの淵に寄りかかっているようだ。
「あのね、饗庭さん、昨日は合羽ありがとう。助かったよ。それで、ちゃんと乾いたから返しに来たんだけど」
「返却するの」もう眼は覚めたらしく、ちゃんと目を見て話を聞いている、が、なんでか残念そうに見える。起こされてご機嫌斜めなのだろうか。
「そのつもりで探してた。――こほん、いいかい饗庭さん、いつまでもこんな事していては、駄目だろう、解っているか」
「うん、解ってる。でも午後は、なんか憂鬱」
「だったら授業中に寝ていなさいよ、その方が幾らかマシというものだよ、いやそれを奨励するわけじゃないぜ、ここだけの話な。ただ饗庭、さんはもう少し授業に出たほうがいいと思ってる。確かに僕は担任でもないし、美術教師なんかにゃ関わりのないことかもしれないが、注意くらいはさせてもらわにゃあな。今後は、気をつけられそうか」
「ちゃんと授業でたら、先生は褒めてくれる、のかな」
「どうかなあ、今までサボりがちだったのが、急に出てくるようになっても――いや、そう言う考えは無しだ。まず、出ないで良いことなんか無い、それだけ肝に命ずること」
「わかった、出るようにする……」膝の上で、きゅっとこぶしを握り締める饗庭。ううん、そんな固く決心しなければ出来ないような事なのだろうか、しかし全ては心がけ次第か。
「嫌いな先生の授業だから出ない、とかじゃないんだよな、いちおう聞いとくけどさ」
「そう言うことじゃないから、大丈夫。ほんとに、午後はやる気が出ないだけ」そんなにか。この学校に、嫌われそうな先生というのもいないと、信用して思っているが、実際どうだろうか。そんなに深刻に考えてもまずいか、とりあえず饗庭が今後、頑張ってくれれば俺は言うことは無い。
「わかった、それじゃあ、また明日。合羽ほんとありがとうな」
「うん、また明日」
俺は屋上の扉のガラス越しに、饗庭が笑って手を振ってくれているのを眺めながら、すっかり忘れていたスポーツドリンクの最後の一口を飲み干した。
「……苦い」




