表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

冤罪で捨てられた令嬢ですが、戻る気はありません

作者: おでこ
掲載日:2026/04/09

本作は、全八章で構成された異世界恋愛短編小説です。


一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/


━━━━━━━━━

第一章 捨てられた令嬢

━━━━━━━━━


今日は木曜日だ。


体が、少し重い。夕べ、いつもの様に騎士団の詰め所に寄ったことは覚えている。でも、その後のことが、どうにも靄がかかったように思い出せない。


いつものことだ、と自分に言い聞かせながら、私は夜会の支度をした。


   ◆


婚約指輪を外されたのは、五百人が見ている大舞台だった。


王都で最も格式の高い夜会、クラウゼ侯爵家主催の舞踏会。そこで私は、三年間婚約者だったルードヴィヒ・クラウゼに、はっきりと言われた。


「エリーゼ・ヴァルトール。君との婚約を、ここに破棄する」


ざわり、と会場の空気が波打った。


音楽が止まった。足を止めたドレスの裾たちが、一斉にこちらを向く。


――どうして。


喉まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。違う。今、パニックになってはいけない。まず、話を聞かなければ。


「なぜですか……理由を、お聞かせてください」


「理由だと?」


ルードヴィヒは鼻で笑った。


背が高く、端整な顔立ちで、誰もが「完璧な侯爵嫡男」と評する人だ。三年前、婚約が決まった時から、私はずっと彼を支えようとしてきた。彼の仕事の書類を整理した。彼が風邪を引けば回復薬を届けた。彼が悩む時は夜中まで話を聞いた。


それが、この目で返ってくる。


「君が王太子殿下の財宝を盗もうとした証拠が出た。侯爵家の名を汚すような女を、私の妻にはできない」


「……え?」


(なんのことなの?)


横から甘い声がした。


「本当に驚きましたわ」


セラフィーナ・ロシュフォール。半年前から社交界に現れた伯爵令嬢で、いつの間にかルードヴィヒの隣に収まっていた女だ。


「エリーゼ様が、そのような方だとは思いませんでしたわ。でも……証拠があるなら、仕方ありませんものね」


にこり、と笑う。その目は全く笑っていなかった。


「証拠を見せてください」


私は声を平らに保ちながら言った。


ルードヴィヒが顎をしゃくると、従者が封書を持ってきた。開かれた中身を見て、私は息を呑んだ。


(なにこれ……こんなの偽物よ……)


私の筆跡に酷似した手紙。王宮の財宝庫に関する情報を売ると書かれていた。


「……これは、私が書いたものではありません」


「そう言うと思っていた」


ルードヴィヒの声は冷たかった。


「だが筆跡は一致して、渡し先の商人も証言している。君を信じる理由が、今の私にはない」


信じる理由が、ない。


三年間、毎日顔を合わせてきたのに。


「…………」


何か言わなければ。反論しなければ。でも、その手紙に関して、私には決定的なアリバイがなかった。問題の夜、私はどこにいたか。


思い出せない。


それが私の、最大の弱点だった。


月に一度か二度、私は記憶が曖昧になる。

翌朝目覚めると、前夜の数時間がすっぽりと抜け落ちている。三年前から続いていることで、それは私が回復魔法を使った後に必ず起きた。


「完全回復」という、極めて稀な魔法がある。


死の淵にある者でも救える、聖女級の力だ。私はそれを持っていた。そして、使うたびに記憶の一部を失っていた。


それを誰にも言えなかった。言ったところで、証明できなかった。何より、「自分には価値がある」と声に出して言える人間に、私はなれなかった。


「…………あの夜のことは、覚えていません」


言った瞬間、会場がざわめいた。


「覚えていない、ですって?」


セラフィーナが目を丸くする。そして、すぐに哀れみの表情に変えた。


「まあ、記憶がないとおっしゃるのね。それはつまり……否定もできないということかしら」


じわり、と笑みが広がる。


ルードヴィヒが私を見た。


「……エリーゼ」


名前を呼ばれた。三年間、何度聞いた声だろう。


「君には、何もない。才能も、後ろ盾も、証明できる何かも。私が支えてやらなければ、今頃どこにいたかもわからない女だ」


――君には、何もない。


その言葉が、五百人の前で、空気に溶けて広がっていった。


私は何も言えなかった。


反論の言葉が、喉の奥で固まって出てこなかった。自分でも気づいていたから。自分には、表立って誇れるものが何もないと、ずっと思っていたから。


「……わかりました」


それだけ言って、私はその場を離れた。


誰も止めなかった。



━━━━━━━━━

第二章 親友という名の刃

━━━━━━━━━


夜会を抜け出した私は、廊下の隅で壁に背を預けた。


足が震えていた。涙は出なかった。出せなかった。泣いたら、崩れる気がした。


「エリーゼ!」


走ってくる足音。振り向くと、幼馴染のカミラが息を切らしてこちらに来るのが見えた。


ほっとした。カミラなら、話を聞いてくれる。


「カミラ……」


「大変だったわね」


彼女は私の両手を握った。温かかった。


「ねえ、エリーゼ。悩みがあれば、私に話してくれていれば良かったのに」


「……何を?」


「財宝のこと」


握られた手から、体温が消えた気がした。


「カミラ、あれは私がやったことじゃない」


「そ、そうね。そうだと私も思いたいけど……」


彼女は目を伏せた。


「でも、ルードヴィヒ様は賢い方だもの。証拠が出たなら……仕方なかったんじゃないかしら」


「……私の言葉を、信じてくれないの?」


「信じたい気持ちはあるわ。でも、あの手紙の筆跡……あなたのものとしか思えなくて」


静かに、でもはっきりと、彼女は言った。


「証拠があるなら、私にはどうにもできないもの。それに……ルードヴィヒ様との婚約は、あなたにとっても重荷だったんじゃないかって、正直思ってたのよ?」


重荷。


重荷、だった。


三年間、誰よりも傍にいた幼馴染が、そう思っていたのか。


「そう……かもね」


私は一度だけカミラの手を握り直して、離した。


「でも……これが現実だから。ね、エリーゼ。もう少し、自分のことを考えてみたら? あなたって、いつも誰かのことばかりだったじゃない」


そう言って、彼女は廊下を引き返していった。


私は一人になった。


何もない廊下で、壁を背に、立ち尽くした。


カミラは悪い人ではなかった。私を傷つけようとしたわけでもない。でも、それが余計に辛かった。


悪意じゃなかった。ただ、信じてもらえなかった。それだけだった。


――君には、何もない。


ルードヴィヒの声が蘇る。


(違う。違うはずだ。私にだって……)


でも、何があるというのだろう。回復魔法? 記憶を失いながら使い続けた力? 誰も知らない。証明もできない。


(私は、何のために生きてきたんだろう)


廊下の窓の外、夜風が木々を揺らしていた。



━━━━━━━━━

第三章 辺境から来た男

━━━━━━━━━


それから三日間、私はほぼ部屋に籠もった。


ヴァルトール家は侯爵家だが、父はすでに他界しており、母は体が弱い。実権は遠縁の叔父が握っており、私の婚約破棄を知った叔父は、翌日には私を呼び出した。


「侯爵家の恥だ。しばらく王都を離れろ。辺境の別邸に送る」


怒りはなかった。


ただ、多くの後処理で疲れ果てていた。


荷物をまとめながら、私は鏡の前に立った。


青みがかった銀髪と、薄い灰色の目。地味だと、昔から言われてきた。婚約が決まった時も、「侯爵家にしては地味な令嬢だ」と囁かれた。


(私が悪かったの?)


自問する。


(もっと、はっきり言えば良かった? 力のことを、誰かに打ち明けていれば?)


……でも、誰に言えばよかった。言っても、信じてもらえたかどうかも分からない。それよりも、誰かが苦しんでいたら、そちらが先だった。いつも、自分のことは後回しにしてきた。


それが欠点だと、気づいていた。でも、止められなかった。


辺境の別邸に向かう馬車の中で、私はずっと膝の上で手を組んでいた。


別邸は王都から三日かけて着く、山のふもとの小さな屋敷だった。管理人の老夫婦が迎えてくれたが、それ以外に人はいなかった。


翌朝、庭に出ると、見知らぬ男が柵の外に立っていた。


「……どなた、でしょうか」


「アシュレイ・テンペスト。この辺境を担当する王領の文官です」


三十に届かないくらいの年齢で、整った顔立ちだが、飾り気がなかった。質素な制服に、少し傷んだ革靴。でも目だけが、静かに鋭かった。


「ヴァルトール家の別邸に人が来られたと聞いて、ご挨拶に参りました」


「……ありがとうございます」


「少し、よろしいですか」


彼は柵越しにこちらを見た。


「あなたの目が、少し欠けているように見えます」


「……え?」


「目、という比喩ですが。記憶が、少し欠けていませんか」


心臓が跳ねた。


「何故、そんなことを」


「この辺境には、七年前に疫病が流行りました」


アシュレイは静かに話した。


「その時、夜ごとに村を回り、死にかけた者たちを次々と癒した人物がいたと言われています。翌朝には姿を消し、名前も残さなかった。救われた者たちは皆、その人物の顔を覚えていない。ただ、銀色の髪だったと言います」


私の指先が、冷えた。


「……その話と、私に何の関係が」


「あなたの目を見ていると、思い出すんです。その頃、一度だけ、夜道で出会った女性……聖女様を」


彼は、まっすぐに私を見た。


「あなたではないかもしれない。でも、もし心当たりがあるなら……話を聞かせてもらえますか」


七年前、私は十三歳だった。


叔父に遠方視察に連れられ、辺境を通った夜。疫病で倒れていた子どもを見た覚えはある。ただ、それしか記憶がない。


(もしかしたら、私が治癒をした……)


喉の奥で、何かが揺れた。



━━━━━━━━━

第四章 記憶と証言

━━━━━━━━━


アシュレイと話したのは、それから何度も続いた。


彼は私を急かさなかった。ただ、こちらが話した分だけ、静かに受け取った。


「回復魔法を使うたびに、記憶が飛ぶ?」


「……はい。何時間か、ごっそりなくなります」


「それを、ずっと一人で抱えてきたんですか」


「誰かに言っても、証明できないので」


「でも、証明している人たちが、います。その時の聖女様は、あなただと確信しています」


彼はそう言った。


「あなたが癒した人たちは、生きています。この辺境に。王都に。あちこちに。名前も言わずに助けた人たちが、あなたが去った後も、ずっとそこに生きている」


   ◆


私は、私のことを信じてくれるアシュレイといろいろな話をした。


「あなたは、婚約者のためにも力を使ってきたはずでは」


「……彼の妹が、三年前に瀕死の病に罹りました。医師たちに見放された時に……私が」


「ルードヴィヒ・フォン・クラウゼの妹、レーナ嬢のことですか」


「知っているんですか」


「彼女は今、王都で社交界に出ています。どこも悪くない、健康な体で」


アシュレイは私を見た。


「彼女は、あなたのことを知っていますか」


「……記憶が飛んでいたので、私は翌朝に何をしたか分からなかった。でも、彼女の部屋から出てくる自分を、誰かが見ていたかもしれない」


「なるほど……」


静かな声だった。


「レーナ嬢やその侍女なら、証言できるかもしれませんね」


血の気が引くような、それでいて、じわじわと何かが戻ってくるような感覚だった。


「なぜ……あなたが、そこまで」


「冤罪事件の疑惑が、私の耳に入っているんです。王領の文官として、事実確認の義務があります」


でも、それだけじゃない気がした。


「……あなたは、どうして私を信じるんですか」


「最初に会った時から、あなたの目を見ていました」


アシュレイは、少し間を置いた。


「誰かのためにしか生きてこなかった人の目は、特徴があります。疲れていて、でも、諦めていない。あなたの目が、そうでした」


私は下を向いた。


泣くまいと思ったのに、目の奥が熱くなった。


「……私は、自分のために、何もしてこなかった」


「そうですね」


否定しないのか、と思ったら、続きがあった。


「でも、今からできます。それで十分じゃないですか」


「そうですね……」


「七年前の恩返しをさせてください。反論する証拠を集めてみましょう」


「はい……お願いします」


その後、アシュレイによって、冤罪の証拠が次々に出てきた。



━━━━━━━━━

第五章 断罪の舞台

━━━━━━━━━


王都に戻ったのは、それから二週間後だった。


冤罪の再審問が、王宮の小広間で開かれた。王族の証人も立ち会う正式な場だ。


アシュレイが働きかけてくれた結果だった。彼が王族の庶子だと知ったのは、前日の夜だった。


「それを、なぜ今まで言わなかったんですか」


「必要になるまで、言うことでもないので」


「……相変わらず、要領を得ない人ね」


思わずそう言ったら、彼は少し笑った。私も、少しだけ笑えた気がした。


審問の会場には、ルードヴィヒとセラフィーナも来ていた。


「再審問だと? 証拠は既に提出済みだ」


「証拠が偽造であるという証拠を、提出します」


会場がざわめいた。セラフィーナは表情を変えなかった。でも、指先が一瞬だけ震えたのを、私は見ていた。


証人たちが次々と立った。


財宝庫の担当者が証言した。問題の夜、私に相当する人物は庫内に立ち入っていないと。


商人が再喚問され、青ざめながら言った。


「……私が見た人物は銀髪ではなかった。脅されて、そう証言するよう言われた」


「脅した人物は?」


「……セラフィーナ・ロシュフォール様の、使用人だと名乗りました」


鑑定士が続いた。手紙のインクはヴァルトール家では使わない種類で、ロシュフォール家の書記官が使うものと一致すると。


セラフィーナの顔が歪んだ。しかし、すぐに持ち直した。


「……でも、エリーゼ様は当時の記憶がないと証言しています。それはどう反論するのかしら?」


「では、その点について」


アシュレイが進み出た。


「エリーゼ嬢が持つ『回復』の魔法には、代償があります。この力を使うたびに、数時間の記憶を失う。意志でも訓練でも防げない、能力そのものに組み込まれた欠損です」


会場がざわめいた。


「エリーゼ嬢はこの三年間、毎週水曜日の夜に騎士団の詰め所を訪れています。消耗した騎士たちを、名も告げずに癒していた。そして翌朝、木曜日には必ず——水曜の記憶が曖昧になっています」


「……」


「問題の夜は、水曜日でした」


静寂が、広間を包んだ。


王太子殿下が、ゆっくりとセラフィーナに視線を向けた。


「ほう……」


セラフィーナの顔から、余裕が消えた。


アシュレイは続けた。


「事件の三週間前、クラウゼ家の夕餐会の席で、ルードヴィヒ卿がエリーゼ嬢の記憶の欠損について言及している。家令の記録に残っています。その席に、あなたはいた」


ルードヴィヒが息を飲んだ。


「エリーゼ嬢が木曜には記憶がないことを知った上で——あなたは水曜日の夜を選んだ」


ルードヴィヒの妹のレーナが立った。


「私も証言します。三年前、瀕死だった私をエリーゼ様が癒してくださいました。侍女も見ています。ですが、その時にエリーゼ様から『内密に』と固く口止めされていたのです。でも——エリーゼ様が冤罪で捨てられたと聞いた時、もう黙っていられなかった……」


ルードヴィヒの顔から、血の気が引いていった。



━━━━━━━━━

第六章 崩壊

━━━━━━━━━


セラフィーナが、真っ白になった。


否定しようとした。口が動いた。でも、言葉が出なかった。


「……違う」


「違わない、ということは証明されています」


アシュレイは一歩も引かなかった。


「あなたは、エリーゼ嬢が毎週水曜日の夜に騎士たちを癒し、翌朝には記憶がないことを知っていた。その情報を、クラウゼ卿から得た。そして水曜日の夜に偽の手紙を用意し、商人に渡したとされる証言を偽造した」


「……私は、ただ……」


「ただ、何ですか」


「ルードヴィヒ様が……あの方が、エリーゼ様に依存していたから! このまま婚約が続けば、私には何も残らないから……!」


声が裏返った。


「私がしたことは……愛のためよ。あの人のために!」


「愛のため」


アシュレイが繰り返した。


静かだった。怒ってもいなかった。それが、かえって冷たかった。


「その言葉で、国家への背信行為と、無実の令嬢への計画的な冤罪工作が正当化されると?」


「だって……ルードヴィヒ様は……! あの方が、エリーゼを排除したいと言ったんです! あの夜の会食で……そんな婚約者はもう要らないって!」


「黙れ」


ルードヴィヒが叫んだ。


「黙りません!」


セラフィーナが叫び返した。


「あなたが言ったんです! 私が勝手にやったんじゃない! あなたが、あなたが……!」


静寂。


ルードヴィヒの顔が、真っ白になった。


(ああ)


私は思った。


(この人は今、崩れている)


「正しい選択をする人間」という、三年間積み上げてきた自己像が、音を立てて崩れていく音が、聞こえる気がした。


証拠があったから仕方なかった。自分は正しかった。


そう言い続けることで保っていた何かが、セラフィーナの叫びによって、この広間の全員の前で、粉々になった。


王太子殿下が立ち上がった。


「クラウゼ卿」


低い、静かな声だった。


「会食でロシュフォール令嬢に対し、婚約者に関して何らかの発言をしたか。この場で答えよ」


ルードヴィヒは、俯いたまま動かなかった。


答えられなかった。


「クラウゼ卿」


もう一度。


「……」


答えは、出なかった。


その沈黙が、何よりも雄弁だった。


私は、初めて彼の目を正面から見た。


「聞いていいですか、ルードヴィヒ」


私は言った。


「あなたが捨てたのは、私ではありません」


会場が静かになった。


「あなた自身の、三年間です」


ルードヴィヒの口が動いた。


「……エリーゼ」


「あなたに恨み言を言うつもりはない。ただ、一つだけ」


私は続けた。


「あなたは毎週木曜日に、私の様子がおかしいと気づいていた。三年間、毎週。それを、心配するでもなく、問いただすでもなく、ただ食卓で人に漏らした。そしてその言葉が、私を陥れるために使われた」


声は、震えていなかった。


「私が黙っていたのは、怖かったから。でも、あなたが気づいていたのに何も聞かなかったのは……私への関心が、その程度だったから」


「……それは」


「違いますか」


ルードヴィヒは、黙った。


「……違わない」


搾り出すような声だった。


「君のことを、見ていなかった。俺は……ずっと、見ていなかった」


「そうですね」


私は、それだけ言った。


怒ってもいなかった。悲しくも、もうなかった。


ただ、静かだった。


「言い訳は、もうけっこうです」


私は視線を外した。


セラフィーナはすでに近衛の衛士に囲まれていた。もう逃げ場がないとわかった顔で、ただ蒼白に立ち尽くしていた。


あれだけ計算していた目が、今は空洞だった。


(奪えると思っていたのだろう)


私の記憶の欠損を、完璧な武器だと思っていたのだろう。


でも。


誰かのために使い続けた力は、消えていなかった。


名前も残さず助けた人たちは、生きていた。


記憶がなくても、事実は残っていた。


それが、ここで全部、返ってきた。


王太子殿下が静かに言った。


「ロシュフォール令嬢を連行せよ。クラウゼ卿については、別室で喚問を行う」


広間が、動き出した。


私は、その場に立ったまま、ただ静かに、それを見ていた。



━━━━━━━━━

第七章 戻りません

━━━━━━━━━


審問が終わったのは、夕方近くだった。


セラフィーナは王宮の取調べに連行された。ルードヴィヒは、王太子殿下に別室で喚問された。後で聞いた話では、二人の関係について詳細な証言が取られ、クラウゼ家への処分が検討されているとのことだった。


私は広間の外の廊下で、壁に寄りかかっていた。


「お疲れでしょう」


アシュレイが隣に来た。


「……少し」


「よくやりました」


「そんな、私は大したことは」


「大したことですよ」


彼はそこで止まった。


「あなたが、あの場で自分の口から言った。それが、一番大事なことです」


私は天井を見上げた。


「……私、ずっと怖かったんです。力があることを言えなくて。記憶が飛ぶことを言えなくて。何かを言えば、嫌われると思っていた。変だと思われると思っていた」


「怖かったのは当然です」


「でも、隠し続けたのは私の選択だった。その結果、自分を守る言葉が、あの場でひとつもなかった」


「そうですね」


「……あなたは、慰めてくれないんですね」


「慰めても、あなたの役に立たないと思って」


私は少し笑った。


沈黙があった。


廊下の窓から、夕陽が差し込んでいた。


「アシュレイさん」


「なんでしょう?」


「辺境に、帰りたいです」


「……いいんですか。王都に居場所を取り戻すこともできますが」


「戻る気はありません」


きっぱりと、私は言った。


「ルードヴィヒのもとには、戻りません。あの社交界にも。誰かのために生きることしか知らなかった私の場所には、戻りません。戻る必要がない」


アシュレイが私を見た。


「あなたの力を必要としている場所も、たくさんある……」


「でも、今度は」


私は彼を見た。


「自分で決めて、行きます。誰かに言われたからじゃなくて。私が、そこに行きたいから」


アシュレイは少し間を置いてから、うなずいた。


「それでは、一緒に行きましょう」


それだけだった。


長い言葉はなかった。


でも、それで十分だった。



━━━━━━━━━

終章 春の辺境で

━━━━━━━━━


王都を去る前の夜、ルードヴィヒが一人で会いに来た。


廊下で待っていた彼は、初めて見るほど憔悴していた。


「……エリーゼ」


「何ですか」


「俺は……」


言葉が続かなかった。


「謝りたかったが、何を言えばいいか」


「謝らなくていいです」


「え?」


「謝られても、何も変わらないので。あなたのことは、もう気にしていません。ただ」


私は彼をまっすぐに見た。


「次に誰かを選ぶ時は、証拠の前に、その人の目を見てください。三年間、毎日顔を合わせていたなら、それくらいはできるはずです」


ルードヴィヒは何も言えなかった。


私はそのまま部屋に戻った。


背後で、彼が壁に手をつく音がした。


振り返らなかった。


   ◆


辺境の春は、王都より少し遅い。


でも、その分だけ、花の色が濃かった。


私は毎朝、村を歩くようになった。力を使っても、使わなくても。誰かが倒れていたら助けるし、そうでなければ、ただ歩いて、風を受けた。


記憶が飛ぶ夜は、まだある。


でも、翌朝目覚めると、アシュレイが必ず傍にいた。


「昨夜もどこかに行っていたようですが」


「……どこかに行った記憶が、ないんです」


「東の村で、熱を出していた老人が今朝から元気になっています」


「……そうですか」


「あなたがやったんでしょう」


「……たぶん」


アシュレイは、ただそれを記録した。誰が助けられたか。どこで。いつ。


「なんで、記録するんですか」


「いつか、全部あなたに返せるように」


「……返す?」


「あなたが失った記憶の分。あなたが助けた人たちの話。あなたが忘れてしまった、あなた自身のことを」


私はしばらく黙っていた。


「……それは、ずいぶん長い仕事ですね」


「構いません。私は辺境に根を張るつもりですから」


「じゃあ、私も」


気がついたら、そう言っていた。


「一緒に、根を張ります。ここに」


アシュレイは、小さく笑った。


私も、笑った。


王都のことは、もう思い出さなかった。


そこに置いてきたものは、確かにあった。三年間の時間も。幼馴染の友情も。信じていた人の言葉も。


でも、持ってきたものもある。


記憶が飛ぶたびに使い続けた力と。誰かのために動くことを止められない性分と。


そして初めて、自分のために選んだという事実が。


それで、十分だと思った。



ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!


「冤罪で捨てられた令嬢ですが、戻る気はありません」、いかがでしたか?


スカッとした!と少しでも思っていただけたなら、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで応援いただけると、本当に飛び上がって喜びます!


また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>月に一度か二度、私は記憶が曖昧になる。 >毎週水曜日の夜に騎士たちを癒し、翌朝には記憶がないことを 月に一〜二度じゃなくて毎週が正しいんですよね? あと記憶無くなるのに何で毎週、しかも夜に騎士団の…
回復の代償が記憶と言う設定は面白いですね。 冤罪晴れた後の父親との関係が気になりますね。
ただ冤罪の嘘が暴かれただけでざまぁではありませんね。 キーワードからざまぁ外したほうがいいとおもいます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ