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藤花幻夢の御伽鬼譚  作者:
幕間 思い出 弐

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30/48

 槐の腕――生白い肌に小刀の刃を当てる斎郎は苦々しい面持ちのまま固まっていた。覚えた手順通りに線を引くだけ――なのだが、それが出来ない。青褪め怯える槐の姿を目前にして、どうやっても斎郎の手は動かなかった。それを見兼ねたのだろう。斎郎の父と同程度の年齢の(かしら)が「変わろう」とだけ静かに告げて、斎郎から小刀を受け取ると、今度は封じる役目を任せられた。


 (かしら)は十年ぶりとは思えぬ手際で、あっさりと生白い肌に線を加える。まだ何も無い、無垢な腕には赤い線が走って、ぷっくりと膨れた赤が滲み出る。その赤が、ゆっくりと線の上から溢れて斎郎が受け止めた(それ)からは嗅ぎ慣れた甘い香りが漂った。槐が人でない事を示した香りとも言えるだろう。けれども、人と同じ鮮血の色、くすみの無い赤色。到底毒とは思えず、斎郎は封じ手をかけても木栓を閉じながらも疑心暗鬼に陥っていた。だが、顔を上げれば小刀を鞘に納める(かしら)は未だ緊張の面持ちで槐を警戒している。


 ――一体、何を……


 (かしら)の視線の先は間違いなく槐。その槐はと言うと、傷は既に血が止まってはいたが痛むのか、それとも怯えか。身体を縮こめて震えていた。


「槐……」


 斎郎は自然と槐に腕へと手が伸びていた。


「斎郎!」


 (かしら)の声は、斎郎には届いていなかった。そっと、まだ薄らと残る赤色に触れて、斎郎は小鳥の囀りのようにか細く「ごめん」と告げる。弱々しくも、槐の傷を包みこんで少しでも槐を癒そうと。けれども、槐は何の反応も返さなかった。いや、それよりも早く(かしら)の手が斎郎を槐から引き離したのだ。


「何やってる‼︎」


 激昂した声が座敷牢に響き渡り、斎郎は目が覚めたように(かしら)の顔をはたと見た。青褪めて、この世の終わりのように血相を変えた(かしら)の顔。それが、斎郎には不可思議だった。


「手を見せてみろ‼︎」


 槐から引き剥がした斎郎の掌を広げて、狼狽える(かしら)は目を見開いて凝視する。斎郎の掌には、確かに血がついていた。だが、それだけだ。


「痛みは⁉︎」

「何も無いけど……」


 斎郎は、(かしら)が何を慌てているかが理解できなかった。(かしら)もこの場では言い難いのか、説明はしない。ただ一言「……斎郎、出るぞ」とだけ言って、格子の扉へと向かっていた。

 (かしら)はそのまま斎郎にとって変わって指示を始める。斎郎は、言われた通りにするしかなかった。槐に背を向けた、その去り際。斎郎の袖がピンと張る。犯人は考えるまでもない。振り返れば青白い槐の顔は一層薄弱として、今にも泣きそうな瞳が斎郎に一緒に居て欲しいと訴えていた。


 そのまま、斎郎はいつもの調子で槐に手を伸ばそうとした。――が、


「斎郎‼︎」


 (かしら)の腹の底から轟かせた怒号で、斎郎は伸ばしかけた手を引っ込める。「ごめん」と小さく呟いて、槐が摘んでいた袖をそっと引き離すと、座敷牢の扉を潜って――斎郎は格子の鍵を閉じるその時ですらも、槐の顔を見る事が出来なかった。


 ◇


「斎郎、お前本当になんとも無いんだな?」


 (かしら)は酒蔵とは別の小さな蔵。槐の血を保管するそこへと入るなり、くどいほどに何度と同じ質問を斎郎には投げかけた。同じ蔵人としてというよりも、友人の子を預かっているような心持ちなのか。(かしら)の顔は鬼気迫るものだった。


「血に触っただけだし」


 清水で洗い流した斎郎の掌は、擦り傷の一つも無い綺麗なものだった。それを何度と目にしても、(かしら)は信用しないのだから斎郎も少しばかりうんざりとする。斎郎としては何とも無い自身の事よりも、座敷牢に残してきた槐が心配で、今すぐにでも戻りたいのもあった。


(かしら)、俺、戻ってやらないと……」

「お前、自分が何したか判ってないだろ」


 先ほどの怒号の響きではなくなったが、(かしら)、それ以外にももう一人の三役である代師(だいし)が、新たな杜氏(とうじ)を叱責するように斎郎に詰め寄る。


「斎郎。お前、(あれ)の血が毒だとは教わらなかったか?」

「それは親父からも聞いたけど……触っただけだろ?」


 斎郎の言い分を耳にした二人は、ともに額に手を当てて項垂れる。久郎(くろう)(※斎郎の父の名)は言葉が足りないと文句を溢しつつ、顔を上げた代師は口を開いた。


「槐の毒ってのは手では触れられん。だから器を用意するんだ」

「けど、俺……」


 斎郎は説明を聞いても尚、戸惑いは消えなかった。現に斎郎には毒は意味をなしていない。


「……偶に、いるんだよ。俺も実際に見たのは初めてだったが」


 そう溢したのは、(かしら)だった。


「いるって?」

神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)には、伝承と秘術以外に伝わる言葉がある。『神の意に(かな)った者が飲めば薬となり、鬼が飲めば毒となる』だそうだ。この神をどう解釈するかは人それぞれ。大岩と言う者もあったし、神便鬼毒酒の手法を伝えた翁と言う者もある。または酒呑童子の討伐を指示した神だともな。だが、これは『槐』であるとも取れる。つまり――」

「俺が槐に気に入られているから、俺には薬になる」


 斎郎は、何かを得心したように――それこそ独り言のように呟いた。

 (かしら)も代師も、肯定こそしなかったが、否定もしない。何かを一人納得する斎郎へと向ける視線は、哀れみに近いものがあった。


「斎郎、あれは人じゃない。あまり距離を詰めすぎるな。何をするか判らんぞ」


 十年前、先代の槐を相手取っていたからこその言葉だろうか。代師は辛酸を味わったとでも言わんばかりの目を向けて、これからを担う斎郎を嗜めているようでもある。

 

「先代は、気に食わん奴がいるとわざと毒を浴びせるような真似もした。それで、腕を失った奴もいるんだ。気に入られていると言っても一時的やもしれん。気をつけろ」


 槐を憂う斎郎とは違い、(かしら)も代師も、槐を警戒して――それこそ飼いならせない物怪(もののけ)を相手取っているようで、斎郎の心はざわざわと騒ぎ続けて、雑音が止む事はなかった。



 ◇



  斎郎が槐のもとを訪れたのは、日も沈んで開かずの間が暗闇に染まった頃だった。手燭台(てしょくだい)から移した灯りで、ぼんやりと滲む橙色。そよ風で蝋燭の火がゆらりと揺れるたびに二つ重なった影が踊る。


 斎郎の腕の中、大人しく擦り寄るだけの槐。斎郎は何も語らずに背を撫でる。謝罪も、慰めも、意味はない。結局どれだけ言葉を口にしたところで、斎郎が蔵人として生きる事は変わらないのだ。


 斎郎は胸の内で呟き続ける。『弱くて、ごめん』と。

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