第二話 我の初めてを邪魔しおったな!
「まぁ!メトゥス様、いつの間に!」
プルプルと足を震わせながら仁王立ちするメトゥスに、アモルは、歓喜の声を上げた。
そして、ドタドタと走り寄って、全力でムギューと抱きしめる。
「メトゥス様の初めての『たっち』を見られるなんて、アモルは、幸せ者ですぅ~」
グリグリ頬と頬を擦り付けられ、メトゥスは、
『我の初めてを邪魔しおったな!』
と腹立たしく思っていた。
アモルという娘は、とにかく感激屋で、何でもかんでも感動しては大騒ぎする。
初めての寝返りの時は、『天才メトゥス様』という題名をつけた絵まで描いていた。
と言うか、妙に器用なアモルは、しょっちゅうメトゥスの絵を描いては壁に飾る為、小さな家はメトゥス美術館となっている。
誠に、鬱陶しい。
しかし、この屋敷には、メトゥスとアモルしか居ないため、止める者も居らずやりたい放題だ。
『無償の愛』など、まやかし。
そう信じてきたメトゥスだが、アモルから溢れ出すものの名は、やはりソレのように思えた。
見返りも無いのに、赤子の尻を拭き、食事を取らせ、風呂に入れ、寝付かせてから産着を縫う。
アモルは、毎日、毎日、毎日、毎日、延々と続く愛情を見せ続けた。
メトゥスからすれば、狂気の沙汰だ。
一方的に注がれるだけの関係だが、前世で味わったことのない経験は、グズったり泣いたりするほど不快なものではなかった。
それに、どうせ拒否しても最終的に抱っこされてホッペにチュッチュッとキスされるのだ。
ならば、抵抗せずに早く済ませて貰ったほうが良い。
「はーい、メトゥス様、抱っこいたしますよ~。んー、可愛い!」
アモルは、手が空けば、メトゥスを抱っこしたがる。
手が空いてなくても、抱っこしたがる。
以前、一日中背中にくくりつけられた時は流石に抵抗したが、トクトクと心臓の音が聞こえるのは悪くなかった。
メトゥスは、決して抱っこされるのが、好きなわけでは無い。
ただ、アモルの温かさに包まれると、まぶたが重くなることだけは確かだ。
「すゃすゃすゃすゃ」
お昼寝時間ということで、ベッドに寝かせられたメトゥス。
狸寝入りも、堂に入ったものである。
アモルが他の用事をしに部屋を出たのを良いことに、魔力操作の鍛錬を始めることにした。
メトゥスは、歳が四つ離れた兄が十二歳で病死するまで、居ない子供として扱われていた。
逆を言えば、八歳になれば父親の手により地獄のような後継者教育に落とされるということでもある。
それまでに実力をつけ、アモルもろとも、ここから逃げるつもりだ。
戦闘の出来ないメイドでは、多少足手まといにはなるだろうが、食事などの身の回りを世話して貰わなければならない。
『決してアモルを大切に思っているからではないぞ!』
とメトゥスは、自分に言い聞かせている。
そうしなければ、失った時の喪失感に耐えられそうにないのだろう。
気付かずに自己防衛をしているのだが、こんな風に捻くれたのは、前世での過酷な日々があったからだ。
もし、アモルが過去のメトゥスを知ったなら、オイオイ涙が枯れるまで泣き、二十四時間くっついて離れなかったことだろう。
しかし、九十年生きた前世で初々しさなど磨り潰したメトゥスは、過去より今後起こることへの対策ばかり考えていた。
このままいけば、三歳の時、教会の魔力検査で『魔力なし』認定を受ける。
その一点をとっても、ノックス公爵には、許しがたいことだろう。
何せ、彼の一族は、この国でも一二を争う魔力量の多さで知られている。
己の血を引いた娘が魔力なしなど、彼にとっては、殺しても飽きたらないほどの屈辱だ。
ノックス公爵家は、歴代魔法師団長を務めていることを誇りにし、その為だけに心血を注ぐ一族。
分家筋の末端であろうとも、魔力量は、なかなかなものなのだ。
しかし、跡取り息子が十二歳で亡くなり、自分の血を公爵家に残すために、仕方なく八歳のメトゥスを後継者に据えた。
養子を入れては、家を乗っ取られる。
魔力なしであろうとも、娘に婿を取らせ、産まれた子供を自分の手で育て上げる。
その為にも、メトゥスを何処に出しても恥ずかしくない令嬢に仕立て上げる必要があった。
『魔力なしなのだから、礼儀作法法くらい出来なければ侮られるぞ!』
毎日同じ言葉を繰り返しては、子供相手に全力で拳を振る。
そんな親が、この世にいる恐ろしさにメトゥスは、毎晩泣いた。
ノックス公爵は、後々逆らわないよう暴力で支配しようとしていたのだ。
血を分けた親が、コレなのだ。
そこに夫を愛人に取られた公爵夫人の恨みも加わり、誰も救ってくれない地獄が出来上がった。
しかし、幸か不幸か、メトゥスは魔力に目覚めた。
過去において、彼女が魔力を発現させたのは、十四歳の時、刺客に襲われ瀕死の重傷を負った時だった。
己の命を守るべく、本能的に自分にヒールを掛けたのだ。
そのお陰でなんとか一命をとりとめたが、長く寝込むことになった。
やっと手に入れた魔法も、体内にある『何か』のせいで、常に枯渇状態。
怒られたくなくて、必死に頑張っても成果が出ない。
そんなメトゥスに向かって、
「何故、魔法を使えないんだ!もう一度、死にかけたら使えるようになるのか?」
高々と腕を振り上げるノックス公爵は、魔物より魔物じみた表情をしていた。
気を失うまで殴られた痛みが引かず、何日も泣きながら過ごした日々は、メトゥスを今でも苦々しい思いにさせる。
だが、今のメトゥスには、九十歳まで生きた記憶がある。
十四歳まで待たずとも、魔力を手に入れることなど、欠伸をするよりも簡単だ。
先ずは、ヘソの上に手を置き、深く息を吸う。
こうして、空気中に漂う魔素を取り込むのだ。
メトゥスは、目に見えない魔力の粒子を一つ一つ集め、腹の中に溜め込んでいく。
『チッ、またか』
メトゥスは、体の中にある『何か』が魔力の大半を吸い取ってしまうのを感じた。
集めても、集めても、殆どが消えていく。
前世も、この『何か』のせいで、最初の頃は魔力集めに苦労した。
しかし、メトゥスの思考回路は単純明快だ。
『消えるなら、吸い込む量を増やせばいい』
もし、魔力を可視化出来たら、部屋中の魔素がメトゥスに向かって降り注いでいるように見えただろう。
部屋の中だけでは飽き足らず、窓やドアの隙間からもヒュンヒュンと飛び込んでくる。
この魔力操作を手に入れるのに、前世の彼女は、血の滲むような努力をした。
ただ、そんな芸当が出来るのは、半神である自分だけなのだということを今も知らない。
この世は、魔力量がものを言う世界。
前世のメトゥスは、二十歳を超える頃には、その魔力量の多さに『モンスター』と陰口を叩かれるまでに成長した。
だが、それは偏に周辺の魔素を根こそぎ吸い取るという荒業がなせる結果だった。
小さな体に見合うだけの魔力を限界まで集めた事で、体温が上昇し、メトゥスは、強烈な眠気を感じ始めた。
新陳代謝も上がっているのだろう。
狸寝入りが、本格的な睡眠に移行するのにも時間はかからない。
その心地よさに、体の緊張もほぐれ、
ジョーーーー
悲しいかな、オネショをしてしまった。
おむつの中が暖かくなり、そして冷えていく。
その不快感をどうにかして欲しいが、居て欲しい時に居ないアモルは、庭で洗濯物を干している。
「ふぇっふぇっふぇっ、びぇーーーーーーーーーー」
アモルを呼び付けるのに、泣くしか無いメトゥス。
「メトゥス様、今、アモルが参ります~」
慌てて戻ってきたアモルは、慣れた手つきでテキパキとおむつを外してお尻をフキフキした。
お尻を持ち上げられ、無抵抗を貫くしかないメトゥスは、心の中で、
『なんたる、屈辱!』
と叫んでいた。




