第一話 蘇らせてくれなどと、誰が言った!
『蘇らせてくれなどと、誰が言った!』
赤ん坊の姿でおむつを替えられながら、その情けなさに涙を浮かべるのは、前世で、泣く子も黙らせた女公爵メトゥス・ノックスである。
又の名を、恐怖公。
ノックス公爵家が歴代担ってきた魔法師団団長の重責を、軽々と背負った初めての女性だ。
腰まで伸びた真紅の髪を無造作に束ね、戦場を返り血に染まった白馬に乗って駆け回り、魔法弾をぶっ放す姿は鬼神が如く。
戦で常に先頭を駆け抜ける彼女を、部下達は、己の身を犠牲にしてでも守ったという。
そして、彼女を有名にしたもう一つの逸話は、由緒正しきノックス公爵家を己の手で潰したことだ。
公爵一族を憎み、御家断絶を目標に据えたメトゥスの出生の経緯は、非常に微妙なものだった。
彼女の母は、数多の貴族と浮名を流した魅惑の未亡人『プルクラ』。
残念ながら、公爵夫人ではない。
夫が残したという巨額の遺産と類まれなる美貌で『社交界の赤い薔薇』と呼ばれたプルクラは、ノックス公爵との間にメトゥスを産むと、さっさと捨てて他国の貴族と旅に出た。
気まぐれで、移り気で、母性の欠片もない。
その後の消息は分からないが、付き合った男達は、『彼女は、女神。きっと、天に還ったのだ』と信じていた。
何故なら、プルクラは、何年経っても若く美しいままの姿で彼らを魅了したからだ。
その時期は、十余年。
もぎたてのレモンのような瑞々しさと、完熟の桃のような妖艶さを併せ持つ彼女は、確かに、人ならざる者だったと言われたほうが納得がいく。
一度でもプルクラと関係を持てば、男は、捨てられるまで離れられなかった。
虐げられることすら喜びであり、全財産投げうってでも、後悔はなかった。
しかし、赤子を押し付けられた元恋人のノックス公爵は、たまらない。
孤児院に捨てようにも、その容姿が特徴的過ぎて、直ぐに誰の子供か分かってしまう。
『社交界の赤い薔薇』と呼ばれる由来となった、真紅の髪。
汚すのが憚られるような白い肌。
見るものを魅了してやまない漆黒の瞳孔。
愛した女をそのまま小さくしたような赤子は、泣きもしなければ、笑いもしない。
薄気味悪さばかりが目立ち、手元に置くなど考えられなかった。
だが、殺すことも出来ず、なんと彼は、王都から遠く離れた辺境の小さな家に、世話役を一人だけ付けて赤子を放置することに決めた。
そこは、彼が褒賞として受け取った国境沿いの名も無い土地なのだが、他の領地とも距離があることから、ずっと放置していた場所だ。
小競り合いの続く隣国と国境を接する場所だが、魔物が生息する森に隔てられており、国境警備の責任もない。
そんな曰く付きの場所に集まる者といえば、魔物狩りで一攫千金を狙う冒険者達や、その治療で暴利を貪る教会
、それらの金を狙った盗賊くらいなものである。
故に、決して治安が良いとは言えない。
自分が手を汚さずに済むのなら、赤子が死んでも良いと思っていたのだろう。
プルクラもプルクラだが、ノックス公爵も、人非人と言って良い。
そんな赤子メトゥスが、以前の記憶を取り戻したのは、2日ほど前。
使用人の不手際で、ベビーベッドから転げ落ちて頭を打った時だ。
ビービー痛みに泣いていると、頭の中で、
【泣くのは弱虫のすることだ】
という言葉が浮かんだ。
生後2カ月の赤ちゃんが考えることではない。
そこから次々に記憶が戻り、今現在、歩いてトイレに行けない我が身を嘆いている。
赤の他人に尻を拭かれ、
「よーくがまんできまちたねー、えらちでちゅねー」
と変な言葉で褒められても嬉しくなどない。
『使用人の分際で、我を馬鹿にするのか、この不届き者め!手打ちにしてくれるわ!』
とメイドの腕をペチペチ叩くが、相手はノーダメージ。
更に、
「まー、メトゥス様が活発にお動きになられるようになって、アモルは、うれしいです!」
と追い打ちをかけるように抱きしめられた。
メトゥスの記憶の中に、彼女の名前はない。
前世では、子供の頃は、ヨボヨボの老婆が最低限の世話をしてくれていたと記憶している。
喋らず、目も合わせず、メトゥスを毛嫌いしているのがヒシヒシと伝わってくるような女だった。
対照的に、アモルの年齢は、良くて十六、七。
下手をしたら、もっと若いかもしれない。
毎日甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるが、どうやら、物心ついた頃には居なくなっていたようだ。
『もし、此奴がずっと世話をしてくれておったら、もっと快適な子供時代を送れたのに。何故居なくなりおった!』
逆恨みともとれる感情だが、その一点が、ずっと心に引っかかった。
別の仕事に就いたのか?
それとも、結婚して辞めたのか?
『今世は、我が養ってやる。おぉ!なんと、良き考えだ!』
勝手にアモルの人生を決めたメトゥスだが、彼女自身、結婚もせず、子供も産まず、ノックス公爵を自分の代で終わらせた。
理由は、簡単だ。
見たことすらない兄が病死した為に突然跡継ぎに据えられ、常軌を逸する『教育』という名の虐待を受けた。
そこには本妻の『愛人に対する恨み』も含まれていたのだろうが、その苛烈さは度を越しており、『家族』としての情が芽生えるわけもない。
殴られ、蹴られ、痛めつけられ。
メトゥスは、毎日、
『こんな家、潰してやる!』
と呪詛を唱えていた。
それほど、ノックス公爵とその一族は、根っこから枝葉まで、全てが腐りきっていた。
メトゥスが婚期を迎えると、
愛している
結婚してくれ
口先の愛を囁く男達が群がってきた。
しかし、彼らが欲するのは、彼女の美貌と爵位のみ。
苛烈な気性と膨大な魔力量を恐れ、目すらまともに合わせられない時点で伴侶にする気など起きなかった。
言葉遣いをわざと尊大で横柄なものにしたのも、男どもに侮られない為だった。
ただ、長年使い続けると、これは内面の問題なのだと本人も思うようになっていた。
それほど、彼女の性格はひねくれている。
部下は大事にするが、敵は無慈悲に殲滅した。
『社交界の赤い薔薇』などと呼ばれた母の愛称を、『恐怖公を産み落とした稀代の悪女』という通り名に塗り替えたことをとっても、メトゥスの強烈さは分かるだろう。
しかし、風邪で呆気なく亡くなった際は、家臣が何重にも取り囲み、オッサン達の嗚咽に送られ死への旅路に出た。
彼らにとっては、メトゥスは最高の上司だった。
戦争の際は、先頭に立って爆撃魔法を連発し、突破口を開いてくれた。
怪我をした兵士には、治癒魔法を掛けて生還させてくれた。
結婚し、子供が生まれれば、褒賞として家まで建ててくれた。
彼女に心酔し、集まった彼らの中には、元盗賊達も多く含まれていたが、分け隔てなく接してくれた。
メトゥスは、過酷な人生であったが、彼らのおかげで悔いはなかった。
己にヒールを掛ければ、もう何十年かは生きられただろうが、それすらどうでも良いと思えるほどに満足していた。
それが、どう間違ったのか九十年の時を遡り、再び赤子として産まれた絶望たるや筆舌に尽くしがたい。
『あの、苦悩に満ちた人生を二度も送るなど、死んでも嫌だ。誰だ、こんなお節介をした奴は!』
時間を戻す魔法など聞いたこともなかったが、誰かが意図的に彼女の時間を巻き戻したとしか思えない。
「アブアブアブ!」
怒りに任せて大声で叫ぶと、ブリッと大きなオナラが出た。
『なんたる屈辱!』
顔を真っ赤にして怒ったが、恐怖公メトゥスの『屈辱』まみれの人生は、今、始まったばかりだった。




