第十六話 来る者拒まず、去る者追わずじゃ。好きにすれば良い
メトゥス帰省の祝いが一晩続き、主賓そっちのけで大人達が飲み明かした。
次の日の朝は地面に酔っ払いが転がり、状況を知らぬ者が見れば戦場の屍のように見えただろう。
その酒臭い空気の中を、メトゥスは、保護された兄妹を引き連れ何処かに向かって歩いていた。
『ここに住みたければ、起きよ!』
まだ日が明けぬうちから叩き起こされ、兄タキトの目はちゃんと開いていない。
妹カリダに至っては、目を閉じたまま兄に引っ張られるままに足を動かしているだけだ。
昨日の祝宴に、彼らも参加していた。
次々に出てくる見たこともない料理の数々に驚いたが、タキトは、そのほとんどが喉を通らなかった。
妹の方は、嬉しそうに少しずつ食べていたが、彼はフォークを手に持ったまま、ずっと地面を見ていたのだ。
途中、余興と称して住人が剣や弓矢の腕前をメトゥスに披露する一幕があった。
その中には、パン屋の女将や髪結いの亭主等も含まれていたのだが、軍隊さながらの凄まじさにマーテルやレクスも感嘆の声を上げていた。
皆、それぞれに腕を磨き素晴らしい出来栄えであったが、メトゥスの手にかかれば赤子の手をひねる簡単さでいなされる。
『流石、メトゥス様!』
と皆が称賛する様子に、少年は絶望の表情を浮かべていた。
その全てが、メトゥスにとっては気に入らなかった。
己の子供時代と被る暗さが、彼女の癇に障った。
あれは、虐げられている者の目だ。
暗く、濁った沼の様に生気がない。
苛立ちを隠さないメトゥスは、彼らの歩行速度など関係なく、森の方へと入っていった。
不安になったタキトは、つい、
「メトゥス様、僕達は、本当に辺境の地に住んでも良いのですか?」
と声を掛けた。
人間離れした美しい女の子が、まさか、この地の主だとは思っていなかった。
大人相手なら利点となる『幼さ』が、同年代の彼女に通用するとは思えない。
唯一残された『哀れさ』すら、この冷たい対応では期待薄だ。
「来る者拒まず、去る者追わずじゃ。好きにすれば良い」
吐き捨てるように言うメトゥスからは、他の人間達が向けてくれる同情や優しさはない。
ただ、事実を述べているだけで、今日兄妹が生きようが死のうが関係ないのだろう。
では、何故、
『ここに住みたくば、起きるのじゃ!』
などと条件じみたことを言いながら起こしたのか?
意図が分からず、タキトは、怯えた表情を浮かべた。
そして、メトゥスが向かっている場所が自分達の住んでいた村だと気づいたタキトは、思わず足を止めた。
「あ、あの…三人だけで村に行くのですか?」
村に住む大人達は、子供を捨てても何も思わないような輩だ。
もし交渉するにも、大人の手は必要なはず。
メトゥスが単独で攻め込むなど、普通では考えられないことだ。
確かに、昨日見たメトゥスの驚異的強さを考えれば不可能ではないのかもしれない。
しかし、敵の規模が分からない以上、村の調査に乗り出すのであれば、精鋭部隊を組むべきだ。
「何か、問題でもあるのか?」
振り返ったメトゥスの目は、氷のように冷たくタキトを射抜く。
答えられないタキトに、メトゥスは、
「例えば、お前の話が全て作り話で、捨てられたのではなく、間者として我が領地に入り込んだとか?」
と追い打ちをかけるように問うた。
何もかもを見抜かれていると確信させられる言葉と表情に、タキトは、地面に膝をつき地面に頭を擦りつける。
「ごめんなさい!でも、全部嘘じゃないんです!母さんが人質に取られているんです」
タキトの話は、こうだ。
彼の母を人質にしたのは隣国の軍関係。
しかも、村長が、頭の良いタキトが適任だと唆したという。
元々別の村から流れてきたよそ者で、父親も魔物に殺され母と幼い妹を一人で養う少年。
家族を人質に取られれは、逃げることも叶わない。
軍の人間に媚びを売る為に、村長は、タキトの弱みを利用したのだ。
昔から、金さえ積まれれば村の子供を売り飛ばすような極悪人だった。
こうして、タキトは、迷ったふりをして辺境の地へと潜り込み、隙をついて飲料用の井戸に毒を放り込むよう命じられた。
混乱状態となったら、狼煙を上げて合図をする。
拒否すれば人質の命はなく、かと言って言う通りにすれば、自分達を親身になって受け入れてくれた辺境の地が蹂躙される。
毒を懐に入れたまま、結局何もできなかった彼は、まだ十歳だというのに老人のように背中を丸め、地面ばかりを見ていた。
何も知らない妹は、ただキョロキョロと物珍しい食べ物や建物に目を輝かせて微笑んでいる。
兄と妹の落差に、メトゥスは、大体の予想をつけていた。
いくら魔物が減ったからといって、一匹もいないわけではない。
どんなに幸運だったとしても、この森を子供だけで抜けるなど無理なのだ。
そうなると、武装した大人が先導し、辺境の地近くまで連れてきてから解放したと考える方が筋が通っている。
ただ、向こうの想像と違って、この辺境の地は、ありえないほどに栄えていた。
単なる進撃の通り道と考えていた軍にとっては、致命的な判断ミスとなっただろう。
メトゥスは、己が大人から受けた仕打ちのせいで過酷な人生を歩んだことを一日たりとも忘れたことがない。
そして、こんな幼子達が、理不尽な命令で苦しむ姿を放って置くほど腐ってもいない。
「先ずは、お前達の助けたい人間の所へ我を連れて行け。話は、それからじゃ」
やっと微笑んだメトゥスを見て、タキトは、声を殺して泣いた。
震える兄に気づいたカラダが、目を見開いてタキトに抱きつく。
「にぃに、にぃに」
常に気を張りつめ、長男として必死に虚勢を張っていたタキトが泣くのを、カラダは初めて見た。
一緒にポロポロ涙を流し鼻をすする妹に、タキトは慌てて袖口で涙を拭いた。
「ごめんね、カラダ。大丈夫。メトゥス様が、助けてくれるからね」
小さな妹を抱きしめた兄の目に、希望の光が宿った。
その心の中に、メトゥスへの激しいまでの忠誠心が生まれたことは言うまでもない。
「こちらです!」
タキトは、兵士達に連れて行かれながらも、目印になるよう木に印をつけていた。
進む足に迷いはなく、幼いながらに聡明さを感じさせた。
「フム、なかなか使える奴に育ちそうじゃな」
メトゥスは、満足げな笑みを浮かべ、少年の背中を追う。
しかし、暫く歩くと振り返ったカラダが、兄を泣かせたメトゥスに向かって、
「めとぅしゅしゃま、きりゃい!」
と突撃してきた。
「おっと」
軽々と避けるつもりだったメトゥスだが、
グニュッ
魔物のフンを踏んづけた。
「ふふふ、めとぅしゅしゃま、くしゃい」
してやったりと微笑むカラダの前で、
『なんたる屈辱……』
メトゥスは目頭を押さえた。




