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第一話 第一〇七中隊


薄く濁った白色レンガの国防省の地下に、二人の"職場"があった。

黒のセダンが停車すると、一人の若い警備兵がこちらに敬礼する。


「おいよせ。若造、お前は国防省(ココ)に配属されて間もないのか?」


「…はっ?」


カーキ色の制服を身にまとった警備兵は、少佐の言葉に困惑の表情を浮かべて腕を降ろした。

何も知らないであろう彼に、ポードウィン中尉が降車し、優しく諭す。


「あなたはまだ末端の兵ですね。余り教えると軍機に触れるので言えませんが…。」


「少なくとも国防省に入ってきた背広の軍人には敬礼をしないことですよ。」


少佐と中尉はそのまま警備兵の脇を通り、国防省の正門を歩いて通る。

白いレンガの薄暗い廊下を進むと、湿気と古い紙の匂いが鼻を刺した。

地上の華やかな省庁とは似ても似つかぬ、閉ざされた空気がここにはある。


「しかし、ああいう若い兵を見ると、昔の私たちを思い出しますね。」


中尉が軽く笑うと、前を歩く少佐は肩も揺らさず返す。


「思い出すか?俺たちがあんなに純粋だった覚えはない。」


「そうでしたっけ。」


「そうだとも。俺はもっと小賢しかったし、お前は……そうだな、紙の山とにらめっこしてた。」


「それは今も同じですよ。」


「違いない。」


二人の靴音だけが、漆黒の階段に規則的に響く。


階段を降り切ると、鉄扉に囲まれた廊下の先に、「陸軍情報第三部」と小さな真鍮の表札が掲げられていた。


少佐は不機嫌そうに眉をひそめる。


「毎度思うが、なんで地下なんだ。」


「機密保持ですよ、少佐。上層階では心許ないでしょう。」


「……ああ、心許ないとも。特にあの閣僚どもじゃな。」


「口が悪いですよ。」


「悪くしてんのはアイツらだ。」


少佐は肩で扉を押し開けた。

中に広がるのは、窓もなく、壁一面に地図と電信機が並ぶ作戦室。

十数名の将校たちが机にかがみこみ、誰一人談笑などしない。


空気が違った。

ここだけ、戦争がもう始まっているかのようだった。


「身分証と階級章を。」


入室すると職場の同僚が二人を呼び止め、こちらをにらみつけた。

痩せぎすで神経質そうな男だ。肩には同じ第三部の徽章がある。


シューベイ少佐は葉巻の箱を上着の内ポケットに押し込みながら嘆息した。


「……おいアンダース。毎朝顔合わせてる仲間に、それを言うか?」


「規則ですので。」


アンダースと呼ばれた中尉は、眉一つ動かさず答えた。

ポードウィン中尉が一歩前に出て、落ち着いた声で言う。


「ほら、少佐。出しましょう。彼は真面目なんです。」


「知ってるよ。真面目すぎて嫌味なんだ。」


そう言いながらも、少佐は身分証と階級章を無造作に差し出した。

アンダース中尉はそれを受け取り、手元の端末で照合しながら冷ややかに告げる。


「……規定通り、通行を許可します。遅刻ですよ、少佐。」


「時計が五分進んでんじゃねぇのか?」


「軍規は軍規です。」


「はいはい。」


揶揄するように手を振って通り過ぎる少佐に、

ポードウィン中尉は小さく頭を下げて後に続いた。


廊下の先へ歩きながら、少佐がぼそりと呟く。


「なぁ中尉。あいつ、いつか敵国の尋問官になれると思わないか?」


「有能でしょうね。味方でよかったですよ。」


「……どっちが味方か、たまに分からなくなるがな。」


そう漏らした少佐の声には、

“情報部の中にいる者にしか分からない共通の痛み”が乗っていた。


「入れ。」


二人は扉を押し開け、直立の姿勢で中に入った。


陸軍情報第三部長、カイゼル髭を蓄えたハインリッヒ・ヴァルター少将は、机上の作戦地図から視線を上げた。

無駄のないその動きは、年季よりも緊張感を感じさせた。


「少佐、中尉。状況は刻々と変わっている。座れ。」


二人は「失礼します」とだけ告げて椅子に腰を下ろした。


少将は地図卓の右上を指で叩いた。

国境付近の地帯――王国の北東戦線を示している。


「貴官らも報道で把握しているだろう。国境の機甲部隊が警戒線を敷いた。……だが、単なる待機ではない。」


少佐が視線を細める。


「前進準備、ですか?」


「そうだ。」


少将は隣のファイルをめくり、淡々と読み上げる。


「第一三機甲師団、第二八機械化歩兵旅団……。そして、王都直轄の“独立第四戦車連隊”が、国境沿い三十キロにわたり展開中だ。」


「独立の第四まで、出ましたか。」


中尉が思わず息を呑んだ。

少将はうなずき、今度は二人を正面から見つめた。


「問題はここからだ。」


少将は机を軽く叩き、一枚の命令書を彼らへ差し出した。


「情報第三部第一〇七中隊は、本日より “現地連絡(リエゾン)任務” に就く。現地部隊と連携を取りつつ、敵軍の動向――とくに“先触れとなる兆候”を監視する。」


少佐がそれを受け取りながら言う。


「つまり、開戦前の地ならし……というわけですか。」


「そうだ。正規軍は目に見える敵を見る。だが貴官らは“見えない敵”を相手にする。」


少将の声は静かだが、異様な圧があった。


「この任務、負担が大きいぞ。前線の兵たちは貴官らを歓迎せん。“斥候気取りの情報屋(ネズミ屋)が来た”と陰で言われるやもしれん。」


ポードウィン中尉は姿勢を崩さず答えた。


「承知しております。我々は、現地の部隊のための目と耳になるだけです。」


「良い心構えだ、中尉。」


少将はわずかに視線をやわらげた。


「特に第一三機甲師団は慎重すぎるほど慎重だ…。」


「――師団副長のアーレン・ラシッド中将は、我々情報部を好いていない。」


少佐が鼻で笑う。


「好かれる覚えも、嫌われる覚えもありませんがね。」


「ふん。相変わらずだな。」


少将は一拍置いてから告げた。


「明朝、貴官らは国境へ向かえ。第一〇七中隊の拠点は“第四前進指揮所(Gー4)”。座標は命令書に記した。」


部屋の空気がさらに締まる。


「繰り返すが――()()開戦していない。だが、いつ火がついてもおかしくない。」


少佐と中尉は同時に立ち上がり、敬礼した。

そして、中隊長の少佐が声を張る。


「はっ!第一〇七中隊、直ちに準備に入ります。」


「よし。……下がれ。」


二人は静かに部屋を退出し、重い扉が背後で閉じた。


廊下に戻った瞬間、二人の表情にわずかな“戦場の匂い”が宿った。

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