第1章 出逢いの夜、交差した軌道
夕暮れが完全に街を包みこみ、ネオンの光が少しずつ鮮やかさを増していく金曜の夜。
新橋の裏路地にある、木造の趣ある居酒屋「風の詩」は、今日も常連と仕事帰りの客で賑わっていた。煙の混ざる香ばしい匂いと、グラスがぶつかる音、笑い声が心地よく交錯する。
そんな雑踏の一角。
奥まった座敷の一卓に、二人の男が向かい合って座っていた。
「いや〜、今週もお疲れ様でした!今日の俺の仕事っぷり最高だわ!」
そう言って、大きな声で翔がジョッキを高く掲げる。
天然な笑顔と、くしゃくしゃの髪がやけに無防備で、隣のテーブルの女子たちが思わず吹き出していた。
「なんだよそれ。自分で言うなよ。……てか、俺が今日半分手伝ってやったんじゃねぇか」
友也は飽きれた顔をしながらグラスを合わせる。
黒髪短髪、爽やかな横顔には穏やかな品があり、その落ち着いた佇まいは、居酒屋の喧騒にあっても不思議と空気を和らげていた。
翔はそんな友也を肴に、今日もあれこれ話を盛り上げていたが――
ふと、カウンター近くの席に視線を向けて、ピタリと動きを止めた。
「……あれ?」
「ん?」
「果穂じゃね?」
翔の視線の先。
そこには、居酒屋の雰囲気には似合わないワインを片手に話している女性二人がいた。
一人はロングヘアにベージュのニット、口調もきつめだがどこか愛嬌がある。
もう一人は、落ち着いた雰囲気の、黒髪を肩に流す美しい女性。
上品なコートを背もたれにかけ、目元の優しさと線の細さが印象的だった。
「果穂ーっ!ひっさしぶりーっ!!」
翔が勢いよく立ち上がると、店内が少し静まった。果穂は驚いた顔で振り向く。
「……え、翔?マジで!?嘘でしょ。何年ぶりよ?」
「7年ぶりじゃないかな!大学の新歓以来じゃね!?」
「そんな前だったっけ!?変わってないなー、てか、相変わらず声でかい!」
笑いながら立ち上がった果穂の横にいた女性も、やや緊張した様子で軽く会釈をする。
翔がすぐに友也の肩を叩いた。
「ちょうどいい!紹介する!こいつ友也!!それでそちらの美人さんは?」
急に振られた梨沙は照れて恥ずかしそうに答える。
「……あ、梨沙です。こんばんは。」
そう言って微笑んだ女性に、友也の時間が一瞬止まった。
(ああ……綺麗な人だな。)
ただ美しいだけではなく、どこか悲しみを含んだような、柔らかくて深いまなざし。
声が耳に心地よく、春先の風みたいに静かだった。
「……あ、友也です。こいつ、賑やかなやつですみません。」
「え?何これ、飲み直そ!こっち来なよ!」
果穂のノリと翔の勢いで、あっという間に四人は同じテーブルへ。
焼き鳥やおでんを囲んで、グラスがまた鳴った。
「カンパーイ!!!」
「あ〜、女の子と飲むお酒は段違いにうまい!!」
嬉しそうな顔で翔が友也の背中を叩く。
「え〜と、それで2人は仕事帰りなの?」
果穂が間髪入れずに問う。
「おん!そうだよ!仕事帰り2人で飲んでた!」
「2人は何の仕事してるの?」
「IT企業に勤めてるよ!こいつと中学からずっと職場まで一緒なんだ!」
「え!?まじ?翔が?」
「おいおい!どういう意味だよ!」
「あんなにちゃらんぽらんだった翔がIT企業にお勤めだったなんて……」
「待て待てまてーい!!」
翔のツッコミに、3人は一斉に笑い合う
「それで、果穂達も2人一緒の仕事なの?」
「うん!私たち女子校の高校教師やってんのー!」
「え、果穂が教師!?」
「ちょっと!どういう意味よ!」
鋭い目つきで翔を睨む。
「あ、いや……良い意味でです。」
「私は、英語教えてて、梨沙は国語の先生なんだよねー!ねっ?」
と、梨沙の肩に頭を乗せながら梨沙を見る果穂。
「う、うん。」
「私たち担任もしていて色々大変なのよ。だからこうやって気晴らしに飲みに来てるって訳。」
「そっか、高校教師って大変そうだもんなぁ」
「えっとそれで、友也君は彼女さんとか居るんですか?」
マイペースに話題を変える果穂。
突然振られた友也は飲んでる途中のビールに咳き込む。
「え、彼女ですか?彼女は居ないですね。」
「え!めちゃ良いじゃん!こんな爽やかイケメンなのに〜!ねっ!梨沙」
「え、? うん、そうだね。」
「友也は、学生の時からずっとモテモテだったよな!なっ?」
翔がからかうように友也の腕をつつく。
「いや、そんな事ないって…」
「こいつ、高校の時サッカーやっててキャプテンでプロからの誘いもあったんだよ!」
「おい…やめろよ…」
少し恥ずかしそうに友也が言う。
「え、すごーい!!イケメンで運動神経も良くて最高じゃん!!」
「それに、仕事でも成績トップで俺たち部署の期待のエースなんて呼ばれてるんだよ。このこの〜」
「まじ?イケメンで運動神経も良くて仕事もできる男ときた!めちゃくちゃ良い条件揃いまくり!!」
梨沙の肩をポンポンと叩きながら興奮している果穂。
「いや、そんな全然大したことないですよ。」
「はいー。お得意の謙遜なんかしちゃって!お前はもっとドンッと構えちゃって良いんだよ!」
翔と果穂のリードした会話に席も盛り上がる。
梨沙は最初こそ静かだったが、話題が趣味の“天体観測”に及ぶと、目の色がふっと変わった。
果穂が続けて友也に質問する
「友也さん、趣味とかあるんですか?」
「はい。一応…みんなには珍しいって言われるんですけどね……」
軽く笑いながら友也は言う。
「そうなんですか?なんですか?知りたいです!」
「えっと…天体観測です。星見るのが好きで」
照れくさそうに頭をかく。
そう言うと、果穂が驚いた表情を見せ梨沙と目が合う。
「え!梨沙も!梨沙も趣味、天体観測なんです!凄いびっくり!ね!梨沙!」
果穂は嬉しそうに目をキラキラさせた。
「う、うん。」
梨沙も驚いた表情を浮かべ頷く。
「私、あまり知識はないですけど、星見るの好きです。」
「おいおい!まさかの趣味、天体観測がシンクロとか、これもう出会うべくして出会ったんじゃ?」
翔も嬉しそうに間に入る。
「ほんとそれ!あたし梨沙のキューピッドやろうかな?」
「え、じゃあ俺友也のキューピッド役ー!」
「やめろって…」
「果穂もからかわないでよ…」
笑いながら顔を赤らめる友也と梨沙
その2人を見て嬉しく楽しんでいる翔と果穂
「友也さんは、流星群観に行ったことありますか?」
梨沙が問いかける。
「あります。毎年冬に行ってるかな。山の上で、寒さに凍えながらだけど」
友也の口調に、梨沙がふわりと笑った。
「私も去年の冬行きました。私も静かで星が綺麗な場所が好きで……」
「そうなんですか!とても綺麗でしたよね。特に冬の流星群はなぜか特別幻想的で好きなんです!」
「はい。とても綺麗でした。私も冬の流星群とても好きです。けど誰かと一緒なら、もっと綺麗に見えるんだろうなって…」
その言葉に、友也は思わず視線を合わせた。
「来月、ふたご座流星群がありますよ。都心から少し離れるけど、良いスポット、知ってます」
「……え?」
「よかったら、一緒に行きませんか?」
言葉がこぼれたのは、気取ったわけでも、計算でもなかった。
ただ、本能的に、この瞬間を逃してはいけないと思った。
梨沙は少し驚いた顔をしたあと、ほんの少しだけ頷いた。
「……はい。お願いします」
翔と果穂はニヤニヤしながら2人の会話を聞いては軽くグラスを合わせた。
こうして、静かに交差した二人の軌道。
それは、星空よりも静かに、しかし確かに始まりを告げた。