1-5 いいえ、罪の烙印です。
ヒカリSide
「こんなもの、烙印よ……」
ヒカリは、右手の甲に浮かぶ剣の紋章をじっと見つめる。
そこには、何の誇りもない。ただの呪いのような刻印だった。
ヒカリの育った村は、山と川に囲まれた小さな農村だった。
目立つことも、争いも、なかった。人々は互いに助け合い、作物を育て、慎ましくも幸せに暮らしていた。
「ヒカリ〜、また蝶を追いかけてるのか?」
「だって、きれいだよ?ほら!」
いつものように、みんなの後ろからとことこ歩く。
大人たちは「のんびりしてるなあ」と笑いながら見守ってくれていた。
母は優しく、父は寡黙だが温かい人だった。
年の離れた弟は、よくヒカリの後ろをくっついて歩いていた。
「姉ちゃん、こっちだよ!」
のんびり屋の姉とは違い、弟はしっかり者だった。
村の人々は皆、右手に同じ印を持っていた。
それが何なのかを深く考える者はいなかった。
ただの“村の風習”くらいに、子どもたちは思っていた。
その夜は、夏にしては少し肌寒かった。
弟は先に寝息を立てていたが、ヒカリはこっそり屋根裏に上がっていた。
天窓から見える満天の星。彼女の一番好きな景色だった。
「あっ、流れ星……!」
夢中で目を閉じ、願いを三回。
——白馬の王子様と出会えますように。
そんなことを、本気で願っていた。
……そのときだった。
村の向こう側、森の方から煙が立ちのぼった。
「火事……?」
けれど違和感があった。
火の手は村の一点ではなく、複数箇所で同時に広がっていた。
まるで——村を囲むように。
体が震えた。背筋が冷たくなった。
これは、偶然の火災じゃない。誰かが、《《意図的に》》村を包囲している——。
「逃げなきゃ……!」
気づけば、屋根裏から飛び降りていた。
ヒカリは裏のフェンスを越えて森へ走った。
彼女の頭には、生き残ることしかなかった。
実際に彼女はシビアな生命線を何度も潜り抜けて生き残った。
ただ、自分の命を守ることだけに必死だった。
二日間、森をさまよい続けた。
飢えと疲労と恐怖で何度も倒れそうになった。
けれど、どうしても村に戻らなければならない気がした。
そして——朝露が残る村に足を踏み入れたとき。
そこにあったのは、黒焦げの廃墟と、無数の灰だけだった。
誰もいない。
母も、父も、弟も。
村の笑い声も、花の香りも、どこにもなかった。
数日後。
調査団に保護され、ヒカリは初めて知ることとなる。
自分は勇者の末裔であること
村はその“血”を守るための隠れ里であったこと
育ての親は実の親ではないこと
村を襲ったのは《厄災教》と呼ばれる組織であること
すべてを理解したとき、ヒカリの中に残っていたものは——自己嫌悪だった。
彼女は気づいてしまった。
自分は、あのとき誰かを助けようともしなかった。
弟を抱えて逃げるという発想すら浮かばなかった。
親の部屋の戸を叩くことすらしなかった。
ただ、逃げた。
恐怖に負け、全てを捨てて。
皮肉なものだ。自分勝手ににげおおせた自分が《《勇者》》だなんて。
勇敢なものだなんて。
だから、この右手の印は、勇者の証なんかじゃない。
逃げた人間に刻まれた、罪の印だ。
ヒカリは決めた。
もう、誰とも関わらない。誰も傷つけない。
一人で生きて、厄災を止める。
——それが、せめてもの贖罪だ。