選択
「そもそも世界の危機ってなんなの」
情報収集——ていうか、この世界にしばらく留まるとしても、まずは目的をハッキリさせないと。なんせ二日間の皿洗いを経て、私が知り得た情報といえば……。
変な力を保有していて、食べるものに気をつけないと厄介な能力が手に入ってしまうこと。そして唯一頼れる相手が、自称女神のアイラのみという事実のみ。
たったそれだけだ。
強いて言えば、幸いにも会話は理解出来たので(理解できた理由は謎)従業員同士の会話からこの世界の情勢はなんとなく把握はできている。それがなにやら物騒な内容だったのは目を瞑るとして。
とにかく、今の私には異世界転生にありがちな使命感なんて皆無だし、叶えたい願いもなにもない。皿洗って疲れてるだけだ。
てかアイラが悪いよやっぱり。スタートから大失敗してるだろこれ。だって普通さ、転生って言ったらさ……。
…………ん?
……転、生?
「端的に申し上げますと世界が滅びます。命あるもの全て生き絶え、大地は枯れ、海は干上がり……。ちょっと聞いてます? 大事な所なのに、そんなバカみたい口開けてアホみたいな顔して」
「私、転生したの?」
「……? 今更?」
「え?」
「え?」
「私、死んだの?」
「厳密に言えば死んでません」
「よ、良かったぁ」
いつの間にか死んでましたなんて告げられたらそれこそ死ぬっての。どうやら最悪な事態は避けているみたいで一安心。
「ほぼ死んでますけどね」
死んでるのかい。
「待て。大事なことだからまずそこを詳しく話せ」
「え、だって世界の危機……」
「世界の危機以前に私の危機なんだわ」
「えっとですね(めんどくせぇなこいつ)この世界は凛さんが存在していた世界が進んでいたかも知れない世界線です。例えば……人間は大小様々な選択をして、未来を決めていきますよね?」
アイラがめんどくさそうな顔をしているのはひとまず置いておいて。
それって、確か……並行世界だっけ?
同じ次元に存在し、選ばなかったあるいは選ばれなかった世界線。あの時、例えば、もしも、仮にこちらを選んでいたら——そんな風に分岐点となり得るタイミングで選択されなかったもう一つの未来。
「意外とすんなり理解してくれてびっくりです」
「ちょっと待って。それにしても明らかに世界感が違いすぎているよ」
いったい誰が、どんな選択をしたら、本物のウサ耳が生えたお姉さんが接客業やる未来が選ばれるんだ。それに魔力とか言ってたし、この感じだと魔法とかもあるんでしょ?
黒船来航から現代まで頑なに鎖国続けてたってこんな世の中にはならんだろ。ちょんまげからウサ耳なんて激変しすぎてペリーも腰抜かすわ。
「えーっと、並行世界がいくつあると思っています?」
「そりゃあ分岐点となる選択の数だけ存在するんだから……かなりの数?」
「分かりやすい分岐点だけでも太古の昔からかなりの数が存在します。それこそ未来に影響しないだろうと軽視されているものを含めたら数え切れるものではありません。人類が想像することや考えつくファンタジーな世界も、こうやって存在するのが事実です」
アイラは体を宙に浮かすと、指先から炎の球体を出現させた。それは赤から青、緑、黄色と様々な変化を見せた。
これは……魔法、だよね。
改めて目の当たりにすると、驚きで声も出ない。
ただ呆気に取られるだけだ。
私は、私の想像していたよりも不思議な世界に導かれてしまったのかもしれない。そして残念ながらこれは夢ではない。それは確信できる。大量の洗い物でただれてしまった指先の痛みがそれを如実に物語っていのだ。
……。
これからどうなってしまうのだろうか。
観たいテレビ番組は?
読みたい本は?
出かけたい場所もあった。
仕事だって無断欠勤だ。
家族は? 友達は?
それに……日向とは、もう会えないの?
突きつけられた現実が私にズシリと乗りかかった。
同時にどこか楽観視していた自分に嫌気が差した。
「なんとなく理解して頂いたでしょうか?」
「なんで私なの? なんで私が選ばれたの? 数えきれない世界線が存在するなら、私じゃなくても——」
「数えきれない世界線の無数の星のように存在する人間から選ばれたのが澪さん……貴女なんです」遮るようにアイラは言った。まるで別人のように、冷静に、淡々と。
「だからなんで選ばれたの!?」
「今は……言えません」
「……どうしたら戻れるの?」
「世界を救って下さい。わたしからは……それしか言えません」
戻れる可能性が無いわけではない、のか?
それこそ楽観的かもしれないが、この女神も信用こそ出来ないが悪い奴ではない。少なくとも、私には嘘を付いているようには見えない。(騙されて連れて来られたようなものだが)
だったら元の世界に帰る為には、アイラに従うのが一番な近道?
「お願いします。貴女しかいなのです。貴女だけが、世界を」
消え入りそうな掠れた声だった。
不気味な人形は小さく項垂れると肩を落とした。
「ちょ、ちょっと」
これじゃあまるで私が悪者だ。
…………ハァ。
人間なかなか変われないものだ。
良い方にも、悪い方にも。
日向が怒るわけだ。
「分かった。やれることはやるけど期待はしないで。やるだけやってダメなら帰らせてほしい。それは約束して」
「り、凛さん!」
「あとあんた手燃えてるよ」
「凛さん!? なんでもっと早く言ってくれないんですか!?」
アイラは口を結んでいる糸を解くと、まるで蛇口のように水を吐き出した。部屋中に煙が充満したので窓を開けると冷たい風が流れ込んできた。
夜空には散りばめられた星々は燦然と輝き、空を覆うように赤い月が静かに浮かぶ。その光景は初めて眺める光景なのに、何故かとても鮮烈で、不思議と幼い頃を思い出した。
なんだか懐かしくて、少し寂しい、そんな記憶。
流れた涙の理由は、ぬいぐるみから発せられる煙の臭いのせいにしておくことにしよう。