特別な力
いくら寝ぼけていたといえですよ? アイラのお願いに対し適当に返事をしてしまったとはいえですよ?
なぁんでワタクシは見知らぬ土地で皿洗いをしなくてはならないのでしょうね?
洗えど洗えど目の前に絶え間なく積まれていく大量の皿は、さながらマカルー西壁のような圧迫感で私を今にも覆い尽くす勢い。加えて、どんどんと雑に積み上げられるものだから微妙なバランスを保ちつつもこちら側にオーバーハングしている。
「……もうこれわざとだろ」
いや、分かってる。
分かってるよ。
一歩間違えたら食い逃げの容疑で牢屋にぶち込まれるのを、意外と優しかったシンディーさん(店長)が皿洗いで許すという情けをもらってんだから感謝しなくちゃいけないことくらい分かってる。
でもね……分かって欲しいんだ。
理解してても納得がいかないのが本音だってことを。
全てがあのバカ女神のせいだなんて言わないが、普通は店で待ち合わせならご飯くらい頼むでしょ。
ご飯でも食べながら、この世界の情勢や私が連れてこられた理由とか説明されると思うでしょ。
それでなんか魔法とかスキルとか、不思議な力を授けるのが女神の役目でしょう?
それなのにあいつは皿洗いを手伝うことなく、宿でのんびりと過ごしてるのだから余計に腹が立つ。
てかさ……。
そもそもがなんで私を呼んだのさ。
「おい、バイト! 皿溜まってんぞ!」
がなり声でバイト呼ばわりしてくるこの男はバイトリーダーのヘルナンデスだ。
困ったものだ。どこの職場にもこのタイプの人間はいるものなのだろう。
実際、私が働いていたコンビニでもシフトにまで口を出してくる佐々木(三十二歳・実家暮らし)がバイトリーダーとして君臨していた。
我が物顔でレジを打つ姿は今も記憶に新しい。
どちらも好きにはなれないタイプではあるが、二人に共通していることは、はりきり方が尋常ではないということだ。
混雑すればするほど、仕事が増えるれば増えるほど心に火を灯すタイプだ。
この責任感は一体どこから捻出されているのだろうか。
「おい! 聞いてるのか!?」
「はい!」
「手が動いてねぇぞ!」
「ご、ごめんなさいぃ」
……佐々木の方が若干マシだな、うん。
ツノウサギのソテーを食した時も去ることながら、ここのお店は紛うことなき大繁盛店である。次から次へとお客が舞い込み、店員は休む暇なく働き続けている。
料理は作るのも好きだし、もちろん食べるのも好きだが、飲食店でバイトしたことがない私にとって、大量の皿洗いは正に拷問のようであった。
不幸中の幸いはあまりの忙しさに二日間が過ぎるのがあっという間だったこと。
グッバイ佐々木……じゃなくてヘルナンデス。
お前なら世界一のバイトリーダーになれるよ——そう心で毒付いて、私は異世界での初仕事を終えることとなった。
「あ、おつかれさまです」
くたびれて、フラフラの足取りで宿に戻ると、ベットに寝転んだアイラは素知らぬ顔で私を出迎えてくれた。枕元には飲み物と、あの店の名物であるツノウサギのソテーのお持ち帰り容器が置かれている。
……随分と優雅に過ごしているようでなによりだ。
アイラは相変わらずカラフルで不気味な人形を依代としてこの世界に滞在している。彼女曰く「一度依代に憑依すると、しばらくは元の姿に戻れない」とのことだ。
その時、少し悲しそうな表情で語ったアイラの口角は微かに上がっているように見えた。
こいつ……。
ごもっともな理由つけて下界を楽しんでないか?
「……はあ、憂鬱な二日間だったよ」
「まあまあ。牢屋にぶち込まれなかっただけでも御の字ですよ。そんなことよりも! 薄切り芋のカリカリ揚げ買ってきてくれました?」
「……」
カリカリ揚げを女神の顔面にぶん投げたくなるのは私の性格が悪いからだろうか。
しかし、ここで女神の機嫌を損ね、訳のわからない世界に置き去りされても困る。この世界で生き抜く為の力を授からないと割に合わない。
元の世界に帰る……この選択肢ももちろんアリだ。
でもこの二日間散々な目に遭ったのだ。
少しくらい異世界で無双してみたくなるのが人情なのではなかろうか。
私は強く握った拳を緩め、大きくため息をついた。
「ほら。これでいい?」
「わあ、ありがとうございます! ってこれ、コンソメ味じゃないですか! わたしはのり塩がいいって言いましたよね!?」
「……コンソメは売り切れてたんだよ」
「そんなぁ……。これだから異世界初心者はダメなんですよ、全くもう」
よし。決めた。
こいつの棉全部ほじくり返して中に砂利でも詰めてやろう。
「じょ、冗談ですよ! そんな鬼の形相しなくてもいいじゃないですか」
「ねえ。いい加減教えてくれない? なんで私をここに連れてきたの?」
「……心して聞いて下さいね」アイラは声のトーンを落とすと神妙な面持ちで話し始めた。
「今この世界は滅亡の道を辿っています。澪さんにはそれを阻止して欲しいんです」
「無理」
「即答……」
「そういう仰々しいのは無理。ファンタジーな世界を気楽に旅するくらいなら全然あり」
むしろそれなら大歓迎だ。
剣と魔法の世界を堪能しながら、たまに人助けしたり、美味しいご飯に舌鼓を打ったり……そんな経験なら是非とも味わってみたいものだ。
「魔法って言っても、誰もが簡単に使えるものではないですよ?」
「それこそ女神の仕事じゃないの? 魔法じゃなくても特別な力を授けたりするのが女神でしょ」
「そんなケースも例外的にあります。でもあくまで例外です。それに凛さんには既に特別な力が備わっていますよ」
特別な……力。
ま、まさか!
「……何やってるんですか?」
「いや、ほら、こうやってやれば火が出るかなって」
「出ません。そもそも凛さんに魔力は備わってません」
「じゃあ何が備わってんのさ」
「ふふふふふ。澪さん、帽子を取ってもらってもいいですか?」
なんか自信ありげだ。
……ん?
なんか、帽子の中にフサフサというかモフモフというか——なんだこれ?
「どうぞ。鏡です」
「なにこれ」
「ツノウサギの耳、ですね」
特別な力——それはウサギの耳が生えることだった。
……そんなどうでもいい特別な力があってたまるか。
私はこみあげる悲しみを抑え、ただ項垂れることしかできなかった。