こんにちは異世界
「お待たせだよ! はい、ツノウサギのソテーね!」
「あ、ありがとう……ございます」
「……?」
ウサ耳の少女は不思議そうに首を傾げた。わたしもつられて首を傾げる。しばしの沈黙の後、少女はハッと我に戻ると「ごゆっくりどうぞー」と笑顔を振りまき、跳ねるように他のテーブルへと向かっていった。
店内は食事を楽しむ客で賑わっていた。ホールの人数は二、三人だろうか。奥には団体客もいるようで、わたしなんかに構ってる暇はないのだろう。
「ツノ……ウサギ」
それは見たことも聞いたこともない料理だった。そもそもこの料理がウサギだとするならば、あのウサ耳少女は一体何を考えながらこの料理を運んだのだろうか。
あの子もウサギ、だよね?
耳だけ見るとウサギって感じだけど……。
共食い……いや、同族食い?
そんなことは気にしない世界設定なのかもしれない。
「なんだ姉ちゃん。しけたツラしてんな」
料理を口に運ぶのを躊躇していると、隣のコワモテのおっさんが声をかけてきた。いかにも異世界にいそうなおっさんだった。おっさんはモヒカンで長い髭を三つ編みにしている。顔面は傷だらけで歴戦の猛者といった風貌のおっさんだ。
ていうか初対面のレディにしけたツラとはなんだ。
これだからおっさんは。
さっきからチラチラ見てるのは気付いてたけど、開口一番失礼なおっさんだ。
「ここのツノウサギのソテーは絶品なんだ。冷めないうちに食っちまった方がいい」おっさんは豪快に笑うと料理を大口に放り込んだ。
「かーっ! 美味い!」
この表情を見る限り嘘ではないのだろう。仮にも演技だとするならば、今すぐに芸能関係の道に進むことをおすすめしたい。恍惚の表情だ。頬を染めたおっさんの額にキラリと輝く一筋の汗が流れる。
しかし……確かに美味そうではある。
看板メニューって言ってたしね。
「いい匂い……」
鼻腔をくすぐる甘い香りからは、フルーツソースが使用されていることが分かった。異世界に存在するのかは定かではないが、おそらくイチジクもしくはそれに準ずるものが使用されていると予想できた。
肉質も柔らかそうだし、断面を見ると火の通り加減も絶妙なものだった。添えられた彩り豊かな付け合わせの野菜は、視界からも食欲をかきたてるのに一役買っている。
「美味しそうではあるね」
「だから美味いって言ってるだろ?」
料理とは口にしてこそ初めて完成と言ってもいい。匂いを嗅いで眺めているだけじゃ何も始まらない。
「よし……いただきます!」わたしは意を決した。
大丈夫だ。毒ではないことは確かなのだ。謎の料理とはいえ死ぬことはない。おっさんが同じ料理を食しているのだから、それは火を見るより明らか。不味かったら飲み込んでしまえばいい。変なおっさんとはいえ彼も男性である。吐き出すなんて恥ずかしい行為をお披露目するのはまっぴらごめんなのである。
「……え、うま」思わず声が漏れた。
想像を超えるツノウサギの美味しさに、私の語彙力は空の彼方へと消えいき、それ以上の言葉を紡ぐことは出来なかった。
「馬? ウサギだぞ?」
「ほんとに美味しい。柔らかいし旨みも強い。ジビエみたいな肉々しい感じを想像してたけど全然そんなこともない。豚肉……に近いのかな? 少し淡白だけどそれをソースが上手に補ってる」
「これはウサギ、ツノウサギ。馬じゃねえって」
うるさ。
見た目とは正反対の細かい奴だ。
最初は不安しか無かったが、こんな料理が溢れている世界ならむしろ大歓迎だと思えてくる。だとしても……安請け合いした感は否めないところではあった。
あの子、ここで待ち合わせって言ってたのに、いつまで経っても姿を現す様子はないし。
このまま放置されたら料理の代金払えないんですけど。
「それにしても姉ちゃん変わった格好してるな」
「え? そ、そうなんですよ。ちょっと山の向こうから来たもんで。あははは」
「山の向こう?」
「はい。そうなんですよ」
「ここら辺に山なんてないぞ」
「……わたしからすれば高低差三十センチあればそこはもう立派な山なのです」
「それは坂だな。山ではない」
「この地方では坂と言うんですね。勉強になりました」
「変わったやつだな、あんた」
「ほんとですね。自分でもそう思います」
私はこの世界の住人ではない。ほんの一時間ほど前にこの世界に召喚されたのだ。
そして私を召喚した張本人とここで待ち合わせしているのだが、いまだその姿を現さない。
(夢にしては……現実味を帯びすぎてる、よね)
ご飯を食べて惰眠を貪っていたら、女神を名乗る人物が夢に現れ異世界に連れて来られるなんてあるのだろうか。
まさか死んだ?
いやいやそれはありえないよ。
健康診断の結果は誰よりも良かったし。
人の気配、料理の味、ハッキリとした意識、おっさんの吐息、その全てが現実であると如実に語りかけてくる。
どうやら、嘘くさいが、いまだに半信半疑だが、受け入れ難い光景を受け入れるしかないみたいだ。
「だから現実ですって」
気配もなく、突然に、背後からあの子の声がした。振り返ると、そこにはわたしをこの世界に連れてきた張本人が立っていた。
「び……っくりしたぁ。いつからそこに?」
「しーっ! わたしの姿は誰にも見えてません。独り言みたいになっちゃいますよ。ほら」
女神と名乗った少女はおっさんに目配せをした。おっさんはこちらを心配そうな顔で見つめている。無駄に澄んだ瞳だ。
きっと可哀想な子だと思っているのだろう。
なんだか癪に触るのは言うまでもない。
「じゃ、じゃあ俺は行くよ。ごゆっくり」
可哀想な子ではなく、おかしい子だと思われたようだ。
おっさんは残りの料理をかきこむと、そそくさと店から出て行ってしまった。
「お待たせしてしまってごめんなさい。料理を食べたらわたし達も行きましょう」
「あ、あの」
「わかります。不安ですよね」女神と名乗る少女は遮るように、うんうんと頷いた。
「でも安心して下さい。その為にこうしてわたしが下界に降り、凛さんのサポートを務めさせて頂くのですから」
「いや、そうじゃなくて」
「お気持ちは分かります。確かに私は新米女神。……お米って意味じゃないですよ?」
「は、はあ」
「わたしの未熟さ故、不安を掻き立ててしまっているのは本当に申し訳ないと思っております。しかし! だからこそ! 初心を忘れず、懇切丁寧に凛さんをサポートすることが出来ると自負しております!」
「それは、はい、ありがとうございます」
「もしかして……何か問題でも?」
「まあ、はい」
「言って下さい! 今すぐに解決して見せましょう!」
「あのおっさん伝票置いて行っちゃったけど、これってここのテーブル会計に含まれてます?」
新米女神は店を飛び出した。
再び戻って来たのはそれから三時間後だった。