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信頼と嘘

 オズワルドが自宅に戻ったのはおよそ一ヶ月ぶりのことだった。王都で起こる連続誘拐事件の捜査が未だに進展がなく、団員たちは順番に一度帰宅ししばし体を休めることにした。オズワルドが帰宅した頃にはもう窓の外には夜が落ち、星々の瞬きが空に広がる頃だった。一ヶ月家を空けていたからか、自分宛の手紙がいくつか届いていたようで、執事長が保管していたものをまとめて部屋に持ってきた。その中にはエリノアから差し出されたものもあった。リリー家の紋章は一目でわかる。この手紙がいつ届いたか執事長に問えば、「ひと月ほど前です」と返答があった。


「ならちょうど緊急体制を敷いたばかりの頃だな。返事を出せなくてエリノアには悪いことをした」


 残念そうに目尻を下げてぽつり呟いた。ペーパーナイフを取り出し、エリノアからの手紙を一番に開封する。いざ中身を読もうとしたタイミングで、間が悪いことに通信用魔法具が点滅した。


「……またニーナか」


 また体調を崩してしまったのだろうか。だが先日、貴族社会のマナーを伝えたはずだったが。それでも連絡を入れるとは何があったのだろう。のっぴきならない事情でなければいいが。無視するわけにもいかず仕方なしに応答する。


「どうした」

『オズワルド助けて!』


 こちらから何か言う前に聞こえた、切羽詰まったようなニーナの悲鳴に近い声。一言で緊急性の高いものだと判断した。


「ニーナ!?どうした何があった!?」

『エリノア様が!エリノア様が連れて行かれるの!』


ーーーぶつん。


「ニーナ!ニーナ!?」


 オズワルドの呼びかけも虚しく、魔法具はなにも喋らない。通信が途切れたことを意味していた。


(何故エリノアの名前が……?)


 今までエリノアとの接点はなかったはずだが、何故ニーナの口から彼女の名前が出てきたのだろうか?何にしろ、今彼女の身に何かが起きていることは明らかだ。理由は分からないが、ふたりは今一緒にいるのだろう。連れて行かれるとはどういうことだ?まさか人攫いがエリノアを……?想像したくないが、どうしても嫌な方向に思考が流れてしまう。

 ここで考えていても仕方がない。とにかく向かって何が起きているのか確かめなければ。体の弱いニーナには外出は不可能だから、おそらくダチュラ邸にいるはずだ。

 

ーーーチカッチカッ


 再び通信用魔法具が誰かからの受信を告げる。この非常事態に今度は誰だと舌打ちをして応答した。


「何だ」

『オズワルド緊急事態だ』


 相手は騎士団副団長のロイからだった。普段は物腰の柔らかい人物だが、今は焦っているのか声に鋭さが含まれていた。


「こっちも緊急事態なんだが」


 少し嫌味が過ぎただろうか。だがこちらはエリノアの安否がかかっているのだ。緊急事態の何者でもない。

 しかしロイはオズワルドの嫌味など気に求めず言葉を続けた。


『エリノア嬢が行方不明だそうだ』

「ーーーは、」


 ロイから告げられた簡素な報告はオズワルドの脳内を真っ白に塗りつぶすには充分だった。それはたった今、ニーナから嫌な連絡を受けていたばかりだったからだ。エリノアが()()()()


『ニーナ嬢に招待されてダチュラ邸でお茶会に行ったが、この時間になっても帰宅せず使用人がダチュラ邸に迎えに行くと門番に『とっくに帰られた』と言われたそうだ』

「帰った?」

『ああ。夕方頃、迎えも呼ばずひとりで帰ると言ったらしい』

「違う、そういうことじゃない」


 オズワルドは大きな食い違いに心臓が嫌に大きく波打った。うるさく暴れる心臓を意味もなく胸の上から押さえつける。

 リリー邸からダチュラ邸まで馬車で30分ほどかかる。どれだけ馬車を飛ばし急いだとしてもリリー家の使用人がダチュラ邸に行き、そのまま邸宅に戻り侯爵夫妻に報告するには一時間以上はかかるはずだ。

 ニーナから「エリノアが連れて行かれる」と連絡を受けたのはつい()()()。つまりニーナの通報が真であるなら、エリノアはつい数分前までダチュラ邸にいたことになる。しかし門番は「とっくに帰った」と証言した。この証言はリリー家の使用人がダチュラ邸との往復にかかる時間を考えると一時間ほど前の証言になる。ニーナと門番の言い分には大きな食い違いがあるのは明白だ。


「……ロイ、俺はつい数分前にニーナから『エリノアが連れて行かれる』と連絡を受けたんだ」

『つい数分前に?それは本当かい?』

「ああ。だがこれは門番との証言と辻褄が合わない。何故ならその場にエリノアがいない限り、そのようなことは起き得ないからだ」

『どちらかが嘘を吐いているもしくはーーー』

「どちらも嘘を吐いている、だな」


 しかし何のためにそんな嘘を吐く必要がある?エリノアを陥れるためか?だがダチュラ家とエリノアには何の接点もない。先日開かれたニーナの社交界デビュー(デビュタント)にエリノアが招待されていたようだが、あの時がふたりの初対面ではないだろうか。


『君はこういったことに疎いだろうが、普通のご令嬢はこんな時間までお茶会なんてしないよ』

「ニーナが嘘を吐いていると?」

『確証なはい。けれどオズワルド。まともな良識を持ったご令嬢なら、こんなはしたない真似をしないと思わないかい?』


 窓の外は灯りがなければ足元すら見えないほど、随分と真っ暗になっていた。普通なら陽が落ちる前に帰宅するのが貴族の令嬢だ。このような夜遅くまで相手の家に滞在するなど、非常識にも程がある。また夜遊びは淑女にとって最大のマナー違反。はしたないと後ろ指さされても仕方ない行為だ。良識の備わったエリノアならこんなことをするはずがない。彼女は礼儀正しく常識とマナーのお手本とも言える非の打ちどころのない完璧な令嬢だと、胸を張って自慢できる婚約者だ。


「では何故ニーナはあんな嘘を吐いたんだ……」


 エリノアが非常識な行為をしたことも信じられないが、ニーナが嘘を吐いているということもまた信じがたいことだった。長年幼馴染として接してきたオズワルドだったが、決して嘘など吐いたことがない。友人と呼べる人が少なく今までオズワルド以外の誰かと過ごしたことのないニーナのことだ。ただ少し羽目を外してしまったのだろう。そう、信じたかった。

 だが一度持ってしまった不信感というものはなかなか打ち消せられるものではなく、じわじわと幼い思い出すら黒く塗りつぶしてしまう。冷静になれ。そんな崩れるモノより目の前の現実を見ろ。そう、自分の声によく似た誰かが頭の中で静かに言った。


『君がニーナ嬢を信じる気持ちは分かる。だから第三者視点の僕からひとつ言わせてもらおう。婚約者のいる異性をいついかなる時でも呼び出し、密室でふたりきりで会う行為はとても常識のある令嬢とは思えない。エリノア嬢が誘拐されたと仮定してニーナ嬢が得することがあるとすればそれは……君の婚約解消だろうね』

「俺の婚約解消?それで何故ニーナが得をするんだ」

『分からないのかい?ニーナ嬢にとって歳の近い異性は君だけなんだ。恋心を抱かないとは言い切れない。好いていた相手が自分以外のご令嬢と婚約をしたとなれば、嫉妬するのも当然だろうと思うけどね』

「嫉妬……?」


 ニーナが、エリノアに?


 思い返せばニーナから呼び出されるのはいつだってエリノアと過ごしているときだった。オズワルドは必ず自分の予定をニーナに知らせていた。その方が彼女に何かあったときに連絡しやすいと思っていたからだ。もしニーナが邪魔をするためにわざとデート中や夜会中に呼び出していたのだとすれば……?

 点と点が線に、疑いと不信感が確証に。頭の中で繋がっていく感覚が気持ち悪い。尊敬する師の娘だからと盲目的に信じ、何の疑念も抱かなかった過去の自分に吐き気が込み上げてきた。今まで自分の信じていた人に裏切られた衝撃が頭に響く。


「ロイ、諜報部隊をダチュラ邸付近に派遣しろ。周辺で聞き込み調査だ」

『承知した。オズワルドは?』

「俺はニーナのところに単独で向かう。ちょうど呼び出しがあったばかりだからな。油断すれば証拠も押さえやすいだろう。このことは極秘事項だ。団員には『いつもどおりダチュラ邸に行った』とだけ伝えろ」

『それだと君は婚約者の危機より幼馴染を優先する悪い男みたいだね。それでいいのかい?』

「ああ」


 エリノアが無事ならそれでいい。そしてエリノアに手を出したものはひとり残らずーーーそれが例え幼馴染であっても、師の溺愛する娘であっても相応の罪を償ってもらう。オズワルドはいつも通りニーナのもとへ向かう準備をした。うまく笑顔を貼り付け、いつも通りの自分を装って。そして自身の通信用魔法具でニーナへひと言告げる。真っ直ぐ前を見据える双眸には鋭く激昂が落ちていた。


「遅くなって悪い。今から向かうから待ってろ」







 オズワルドがダチュラ邸に到着する頃、隠密部隊からひとつの報告が上がる。彼は門番から見えない位置に隠れ報告の内容に耳を傾ける。


『目撃者は行商人。執事のような格好をした男がエリノア嬢と見られる女性と大量の金貨をごろつき集団に渡していたのを目撃。その後不審に思った行商人が後を着けてみると執事ダチュラ邸に入って行ったそうです』


 願わくば、自分の嫌な仮説は全て杞憂に終わって欲しいと祈っていた。しかしそんな儚い希望はあっさりと打ち砕かれ、エリノアの失踪はダチュラ家が関わっていると裏付けられた。ダチュラ邸の執事がエリノアをごろつき集団に渡し、取引をしていたのか金銭も一緒に手渡した。幼い頃から長年顔を見てきた人たちが犯罪の片棒を担いでいるとは考えたくなかった。だが執事がなにか取引をしていたという証言もあり、彼らが潔白でないことは確かだ。聞いた金貨の量からして一介の執事が個人的に用意できる額ではない。おそらく首謀者はニーナだ。


「よくやった。そのまま数名を残してロイの部隊と合流しエリノアの行方を追ってくれ。俺は証拠を押さえ重要参考人としてニーナ・ダチュラとその使用人全員を捕縛する」

『承知しました。捜索を開始します』


 オズワルドは最低限の人数を彼の合図ひとつで屋敷に突入できるようにダチュラ邸周辺に配置させた。捜査をロイの率いる部隊に任せ、こちらは証拠を掴むことに集中する。

 あまりにも複雑な気分だ。今まで信用していた人たちをこれから捕縛しようとは。深い溜め息を吐いて空を見上げた。満点の星がこちらを嘲笑うように美しく瞬いている。大切な婚約者ひとり守れない人間が騎士団団長とはいいご身分だ、と。

 屋敷の周りに人員の配置が完了したのを確認して、オズワルドは単身で屋敷へ向かった。顔見知りになって随分と経つ門番を通り抜け、慣れ親しんだダチュラ邸の庭園。玄関を入ってすぐの大広間から階段、廊下まで。何度も何度も足を踏み入れた場所。だが今はまるで戦場に赴くかのように足取りが重く感じた。使用人にニーナの居場所を聞けば今は自室にて休んでいると言う。彼女の部屋の場所は把握している。すぐに向かいニーナの部屋の前に着き扉をノックした。ノックの音がひどく静かな廊下に響く。なんとも感じたことのないドアノブが、今日はやけに重くゆっくりと捻った。中にはいつもと変わらずベッドの上で休むニーナの姿。ただ少し違うのは顔を伏せ涙を流していることだ。


「待たせたな、ニーナ」

「ごめんなさい……エリノア様が……」

「ゆっくりでいい。何があったか話してくれ」


 宥めるように優しい声で言う。あくまでいつも通り。騎士団団長のオズワルドではなく、幼馴染のオズワルドとして彼女に接する。


「今日、エリノア様を招いてお茶をしたの。オズワルドの婚約者だもの。お近づきになりたかったのよ。楽しくって気付いたら夜も遅い時間になってたわ。そしたら……」


 ニーナの両目から大粒の涙が次々と流れる。堪えるつもりもないそれは布団にしみを無遠慮に広げていった。


「いきなり知らない男がエリノア様を連れて行ったの!私怖くて……何もできなかった!」

「……茶会はどこでしてたんだ?」

「一階の客間よ。オズワルドもよく知っているでしょう?王都で悪さしている誘拐犯よ」


 その一言で嫌な仮説が現実のものになった。乾いた笑いが込み上げてくる。


「そうか、ところでニーナ。どうしてそいつらが俺たちの追っている誘拐犯だと分かったんだ?」

「ーーーえ?」


 ニーナはこの返しを予想していなかったのか、素っ頓狂な声を上げる。オズワルドはあくまで優しい幼馴染を演じて構わず言葉を続ける。


「俺たち騎士団ですら犯人像が分かっていなかったんだ。なのにニーナはひと目見ただけで分かったんだな」

「だ、だってオズワルドが気をつけてって……」

「そうだな。確かに俺は誘拐事件が起きているから気を付けろと言った。だがそれは外出するときの話だ。ましてや誘拐犯がリスクを冒してまで邸宅に押し入り犯行に及ぶとは聞いたことがない。今までの事件は全て野外だ。関連性もないな」

「た、たまたまよ!エリノア様が攫われたからそう思っただけよ!」


 ニーナの視線が泳ぐ。嘘がばれてしまったからなのか焦っているのが目に見えて分かった。少しカマをかけてみたが、案外簡単にかかってくれた。

 本当は犯人像は判明している。多少の目撃証言から浮かび上がったのもだ。だが誘拐後どこに連れて行かれ、連れ去られた少女たちはどこに行くかが全く分かっていないなかった。


「話を変えようニーナ。何故、門番は帰りの遅いエリノアを迎えに来たリリー家の使いに『エリノアは既に帰宅した』と答えたんだ?」

「門番……?今はそんなの関係ないでしょう!」

「いいや。関係ある。俺はリリー家の通報を受けてここに来たんだ」

「…………は?」


 呆然と口を開けるニーナをよそに、更に言葉を続ける。


「門番は『夕方頃に迎えを呼ばずにひとりで帰った』と言ったそうだ。おかしいな?ニーナ、お前の言っていることと門番の言っていることは違うぞ」

「そんなはずないわ!私は確かにさっきまで客間でエリノア様とお茶をしていたのよ!門番が嘘を吐いているのよ!」


 ニーナは声を荒げてオズワルドの主張を否定する。だがオズワルドは冷静にもうひとつ気になっていた事を言った。


「他にも不可解な点があるな。どうして侯爵家の令嬢が自身の仕える邸宅で攫われたと言うのに、ここの使用人は皆落ち着いているんだ?」


 あまりにも静かな屋敷。普通なら他人の家の令嬢が敷地の中で誘拐されたのだ。相応の騒ぎになっているはず。門番だってオズワルドが騎士団の団長を務めており、いなくなったエリノアの婚約者だと把握しているはずだ。数日経ったのならまだいい。ニーナから連絡を受けてからまだ一時間程度しか経っていないのだ。なのにこの落ち着きようは何だ。まるでこのことが起きることが分かっているかのようではないか。

 問い詰められたニーナは俯いてその表情の全てを読めない。いつの間にかあれほど流していた涙は引っ込んだようだ。


「あーあ、バレたわね」


 重たい沈黙の中、諦めたようなため息が嫌に響く。かろうじて覗くニーナの口元がかすかに笑った気がした。

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