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届かない気持ち

 ニーナの屋敷を後にしたオズワルドは、騎士団の詰所へ足を向けた。詰所には稽古場もあり、そこでは何人かの部下たちが剣の稽古をしている最中だった。非番であっても婚約者のいない者は暇を持て余しているのか、稽古場に顔を出しては暇人同士で稽古しあっているのが非番の日の光景だった。

 その中には副団長であるロイ・ラナンキュラスの姿もあった。ロイとは同じ公爵家の長男であり歳も近いこともあって旧知の仲だった。ラナンキュラス公爵家は元は騎士の家ではないが、オズワルドが剣を振るう姿を見たのをきっかけにロイも騎士の道を選んだ。彼らは違う師を持つが、幼い頃は稽古が終わればオズワルドの屋敷に集まりその日の成果を見せあったこともある。


「オズワルドも来たんだね?今日はデートじゃなかったの?」


 オズワルドに気付いたロイが声をかけた。その声に反応して他の部下たちが敬礼し一同に「お疲れ様です」と挨拶する。

 


「ああ、今日はデートだったのだが……ニーナの体調が良くなくてな。見舞いに行ってきた」

「また!?」

「?ああ」


 あっけらかんと答えるオズワルドに対し、ロイは頭を抱えた。


「君ってやつは……もっと婚約者を大切にしろとあれほど……」

「しているが?」


 何を当然のことを言っているのだ、とオズワルドは怪訝な表情を浮かべる。それを見たロイは何も分かっていないと再び頭を抱えた。


「あのねえ。婚約者を放っておいて他のご令嬢に会いに行くなんて言語道断だよ?エリノア嬢も良い顔しないでしょ」

「エリノアは我儘言わないからな。特に何も言わないが……」

「『何も言わない』じゃなくて『何も言えない』の間違いじゃないのか?」


 何も言えない?いや、そんなはずがない。確かに彼女はオズワルドに対する要望を言うことはほとんどないが、自分とエリノアに限ってそんなことはあり得ないと反論した。



「君は自分の婚約者が社交界でなんて呼ばれているか知ってる?」

「いや?」


 ロイは一瞬の躊躇いのあと、重たく口を開いた。


「『置いてけぼり令嬢』」

「『置いてけぼり令嬢』?なんだそれは」


 オズワルドは予想していなかったエリノアのあだ名に驚いてオウム返しした。まさか自分の婚約者がそんな侮蔑されるようなあだ名で呼ばれているなど思っていなかった。


「君がエリノア嬢を放っぽいてニーナ嬢のところに足繁く通うからだろう」

「は!?俺は通っているのではない!見舞いに行っているのだ!」

「君にとってはそうかもしれないが、第三者から見たらそう見えてしまうんだよ。僕は君とニーナ嬢の関係を知っているからある程度許容できるが、何も知らない人にとっては本来許されない行為だ」

「バカバカしい……」


 バカバカしい。心底そう思った。しかしロイの神妙な表情からこれは冗談などではなく本当のことでありようやく大事である察した。


「それにこの間、ニーナ嬢のエスコートをつとめただろう?同じ会場にいるエリノア嬢もいるのに……どうしてそんな酷い仕打ちをできるのさ」

「そんなつもりは……俺は師匠に頼まれただけだ」

「だからと言って引き受けていいものではないだろう。だいだいダチュラ伯爵も娘に甘すぎる。社交界の仲間入りをするなら、ニーナ嬢のわがままを受け入れるのではなく社交界のルールを教えてやるべきだ」


 ロイのもっともな意見に返す言葉がなかった。確かにダチュラ伯爵は一人娘のニーナに甘すぎる。特に夫人が他界してからはそれが顕著になったと思う。深く愛した夫人の忘れ形見であるニーナを、伯爵は溺愛していた。本当なら再婚して新しい子を儲け、後継を育てるのが貴族の習わしだ。しかし、ダチュラ伯爵がそうしなかったのは、亡き妻を心の底から愛し彼女のことを忘れることができなかったからだ。


「とにかく、今後はいくら伯爵の頼みだからって簡単に受けるのはやめなよ。ニーナ嬢のためにならないんだから」

「そうだな……実はさっき帰る直前に『またエスコートを頼めないか』と聞かれたんだが……」

「は?まさか受けたの?」

「いや。断った。流石にそれ以上は常識の範囲に収まらない」


 断った、と聞いたロイはほっと胸を撫で下ろした。もしそれを承諾していたらなんて言おうかと考えていた。その心配は取り越し苦労に終わったが、可能性はゼロではなかった。


「ま、それでも婚約者を蔑ろにしていると愛想尽かされるぞ。今後はちゃんとエリノアと向き合いなよ?」

「蔑ろにしていない!」

「どうだか。少なくとも僕からみたら君は十分エリノア嬢のことを蔑ろにしている」


 オズワルドにとって心外のセリフを言われて思わず脊髄反射で反論した。オズワルドはエリノアを蔑ろにしているつもりなど毛頭なかった。

 エリノアはあまり我儘を言わない。オズワルドがいくらニーナのもとへ行こうとも、今まで文句ひとつなくそれを受け入れていたのだから。だからオズワルドは慢心していたのだ。エリノアは不満ひとつ抱いておらず、オズワルドとニーナの関係性を黙認していると。それはあくまで彼女の我慢と忍耐、多くの罵声の上で成り立っているのだと、オズワルドは知らなかった。


ーーー行かないで、ください。


 劇場を去るとき、エリノアは震える指先で袖を掴みオズワルドを引き留めた。その時の彼女はどんな表情をしていたかなど、もはや思い出せなかった。思えばあれが初めて彼女の見せた本心なのかもしれない。


(次に会ったときにでも謝っておこう)


 オズワルドは軽く考えていた。何故なら彼は婚約した時点でエリノアの心が離れることは無いと、本気で思っていたからだ。

 彼は女心を、否、他人の心を全く理解していない。それに彼の鈍感さが手伝ってエリノアの気持ちに一切気付いていない。

 剣の道一筋で育った彼は鈍感だが自身の婚約者があまりにも愛おしく、直視できないほど愛していた。それをエリノア本人に伝えれば良いのだが、不器用で感情が表に出にくい彼は他人に誤解されやすいと自覚が無いためそれもしなかった。だから今すぐ行動せず、「次」で良いと楽観的に考えているのだ。


 その「次」が当たり前のように来ると信じていたオズワルドは、「次」が来ることなどないと予想していなかった。後悔しても、その「後悔」を感じた時にはもう遅いのだと、彼は知らなかった。







「エリノア〜!遊びに来ましてよ〜!」


 数日後、エリノアの元に明るい弾けるような明るさの声が訪れた。声の主はエイダ・アルメニア。アルメニア侯爵令嬢の次女で、エリノアの一番の親友である。オズワルドのせいでエリノアが社交界で酷いあだ名で呼ばれていることもよく知っている。同じ夜会に出席する時は会場でひとりになったエリノアのそばにいて寄り添ったり、話し相手になったりと彼女を気遣ってくれる優しい令嬢だ。エリノアが心の底から気を許している数少ない人物でもある。

 そして彼女は騎士団副団長のロイ・ラナンキュラスの婚約者でもあった。


「エイダ!来てくれたのねありがとうございます」

「当たり前でしてよ!親友のためならどこへでも駆けつけますわ!」


 エイダはお茶会の席に通されるなりエリノアの両手をそっと包む。手のひらから伝わるエイダの体温が、じんわりとエリノアを溶かすように温めた。


「先日はニーナ様のデビュタントに出席できなくて申し訳ございません…わたくしがいればエリノアをひとりにしませんでしたのに」

「エイダが気に病むことはないですよ。どうか気にしないでください」

「ですが……」

「良いのです。もうこんなことには慣れっこですから」


 小さくため息を吐き出す。そうだ、もうあのような扱いには慣れてしまったのだ。彼がエリノア(婚約者)を置いてニーナを優先するのも、それが例え久方ぶりのデートの途中だとしても、慣れたいたはずだった。けれど先日の観劇の日はどうも違っていた。浮かれて、服装や髪型に気合を入れて、少しでもオズワルドの目に留まるように、可愛いと思ってもらえるように準備して。結果それはから回ってオズワルドの関心など自分にないのだと、再度思い知らされただけだった。楽しみにしていた分残念に思ったし、虚しく、惨めにも感じた。

 期待などしなければこんな思いをしなくて済んだのに。期待をするからーーー幾度となく期待を裏切られ、その度に傷ついていやでも学んできたことなのに。それでも彼に期待を寄せてしまうのは何故だろう。


「エリノアはもっと我儘を言って良いと思いますの。あなたは我慢しすぎですわ」

「我儘を……?でれどそんなものしたところであの人が聞いてくれると思いません」

「お手紙はいかが?通信用魔道具が発達して文を書く習慣がだいぶ薄れてしまっていますが……むしろそれが意外性があって印象に残るかもしれませんわよ。わたくしもたまにお手紙を受け取りますが、音声だけの魔道具と違って形に残りますし、何度でも読み返したくなるものです」

「それは……そうかもしれませんが。けれど、オズワルド様が私からのお手紙など読んでくれるのでしょうか……」


 自信なさげに目を伏せる。悲しそうに伏せられた長いまつ毛はエリノアのアメジストの瞳に陰が落ちた。


「やってみないことには分かりませんわ。それでももしオズワルド様がお変わりなかったら……そうですわねえ。ロイ様にお願いしてオズワルド様をぶん殴って差し上げますわ」

「エイダ物騒ですね……」

「冗談ではなくってよ」


 拳を握り令嬢らしからぬポーズを見せるエイダに、エリノアは小さく吹き出した。その様子を見てエイダはほっと安心したように笑みを零す。


「ようやく笑ってくれましたわ。エリノアったらずーっと暗いお顔でしたわよ」

「心配かけてしまいましたね。ごめんなさいエイダ。けれどエイダのおかげで少し元気になりました」

「エリノアが元気ならそれで良いのです」


 エイダは柔らかく微笑んだ。親友の幸せを心の底から願っている、優しく温かい笑みだった。オズワルドの行動は許しがたく心底腹立たしく、本当なら早く婚約を解消してエリノアを大切にしてくれる人と結婚して欲しいのが本音だ。けれど当のエリノアがオズワルドに好意を寄せているためそれはできないし、提案もできない。あんな男のどこが良いのか分からないが、エリノアにはエリノアの理由があるのだろう。健気に一途に想っているエリノアを見ていると苦しくなる。

 騎士団副団長であり婚約者でもあるロイから、それとなくオズワルドの情報を聞き出したりもしているが、聞けば聞くほど彼がエリノアを蔑ろにし軽く扱っていることしか伺えない。ロイ曰く「本当はエリノア嬢のことを想っている」と諌められても、信じることができないくらいにはオズワルドの素行を許せていない。

 オズワルドもだがニーナの方もいかがなものかと疑ってしまう。いくら顔見知りがいないからといって婚約者のいる男性をエスコートに選ぶなど、非常識甚だしい。先日開かれたニーナのデビュタントも、ニーナのあまりの図々しさに気分が悪くなり欠席した。エリノアが出席すると知っていれば自分も出席したのだが……。これは噂好きの令嬢から聞いた話だが、ニーナのデビュタントに出席したほとんどの人が、「人の婚約者を誑かす非常識な女」を見るために参加したそうだ。決して主役の社交界デビューを祝うためではない。野次馬と下世話な話がしたくて出席したのだ。当のニーナは気にもしていないようだったが。

 デビュタント前に社交界で悪評が付いた令嬢など、恥ずかしくはないのだろうか。自分なら恥ずかしさのあまり消えてしまいたくなるが。恥を知らず面の皮が厚いとは幸せなものだ。


「そうと決まれば早速お手紙を書こうかしら。エイダ、もし良かったら一緒に考えてくださいませんか?」

「ええ、もちろんですわ!」

「ありがとうございます」


 エリノアは近くに控えていた侍女に便箋とペンを持ってくるように頼んだ。優秀な彼女の侍女はすぐに持って戻ってきて、それを受け取ったエリノアは早速書く内容を考えている。真剣な眼差しで好いている相手を想い筆を走らせる……。オズワルドにも見せてやりたい気分だ。


———どうしてこんなにも想ってくれている相手を平気な顔で蔑ろにできるのか、と。 

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