車輪の魔法少女の標的
単純にグラウンド十周といえど、一周が千メートルはあるのだ。罰でマラソンを走らされると考えると決して軽くはない。とはいえ、MS細胞で強化された刹那たちにとっては十分許容の範囲内だった。むしろ、眠気という生理現象が最大の強敵である。
一切調子が変わらなかったマシュはさておき、刹那たちはあくびをかみ殺しながらもようやくノルマをこなす。地面に尻をついていると、訓練にやってきた他の隊員の嘲笑の的となった。今更気にしたところで仕方がない。それよりも、せっかく思惑通りに事が進んだのだ。重い腰を上げ、刹那たちは宿舎へととんぼ返りしていく。
眠気が最高潮だったが、早急にやっておきたいことがある。ふらつきながらも、刹那はある場所を目指していた。
「先輩、どこへ行くんスか。眠いッスよ」
「本当、です」
「不夜城よ。純子にターボババアについて探らせといたの。っていうか、詩亜はあの時寝てたわよね」
「だから、寝てないですって。しつこい、です、よ」
「まあ、あんたは一番の功労者だから不問にしとくわ」
「先輩、詩亜っちには甘くないッスか」
「久しぶりに可愛い後輩ができたからよ」
「ああー、なんか妬けるッス」
眠気が臨界点を突破しようとしている詩亜に、不平を訴える六花。そんな一同に負けじとマシュも介入する。
「そういえば、ターボババアは魔法少女か妖怪かはっきりしてないんじゃなかったっけ。あんなこと言って平気だったの」
「ああ、あれはハッタリよ」
さらりととんでもないことを暴露されてマシュたちは絶句する。構わず、刹那は続ける。
「あいつを追うためには、どうしても魔法少女だと認めさせる必要があったわけ。だから、魔法少女で押し切らせてもらったわ」
「相変わらず無茶苦茶ッスね」
「でも、あいつが魔法少女の線は濃厚よ。第一、妖怪変化の類だったらマシュの触手で掴めるわけがないじゃない」
「そういえばそうだね」
「盲点、でした」
あまりにも当たり前の指摘にマシュたちは溜飲が下がる。魔法少女は夢幻の存在ではないため、きちんと攻撃が通じる。ライフル銃が効いていた時点で答えが出ていたようなものだったのだ。
不夜城に入室するためには差し入れを持っていくのが恒例だが、事情が事情だけに純子は不問にしてくれた。死にかけのゾンビのような刹那たちを前に純子は笑いをこらえきれずにいるのだった。
「随分と眠そうだね」
「徹夜した後にマラソンしたら誰でもこうなるわよ。純子こそ、サボってないで情報を集めたんでしょうね」
「ボクを舐めないでくれるかな。ハラダタクミなる新たな手掛かりも増えたんだ。抜かりはないよ」
親指を立ててウィンクをする純子。彼女だけ無事なのが腹立たしいが、きちんと仕事はしてくれたので文句は言えない。
「さて、問題のハラダタクミだが、正直なところ個人名だけでは何者かを特定するのは困難だ。ハラダもタクミも特段珍しい名字や名前じゃないし、同姓同名の人物なんてごまんといるからね」
「五万はいないと思うよ」
「ものの例えよ。あんたは少し黙ってなさい」
マシュはつまらなそうにお行儀悪く足をばたつかせている。まるで疲れていない態度に純子は興味を示したが、咳払いして本題に戻った。
「だから、キーワードと組み合わせてみた。今回は、交通事故が妥当だろうか。車輪の魔法少女ターボババアは車で高速走行している時に現れる。ならば、因縁の相手も車に関係していると考えるのが自然。そして、車で因縁ができるとするならば交通事故というわけさ」
「すごいッス。探偵みたいッスね」
六花から素直に称賛され、純子はどや顔を披露する。刹那も心の中で拍手を送っていた。実際のところ、純子のやっていることは探偵まがいだ。成果を鑑みれば、軽く凌駕するとも言えるが。
「その結果、一人有力な人物が浮かび上がってきた。央間市の隣の佐竹町に住む原田巧という大学生だ」
「佐竹なら、ギリギリうちの統轄で動けるわね」
「ターボババアの目撃情報も精査してみたのだが、どうやら央間周辺に集中しているみたいなんだ。もし、この原田巧を狙っているとするなら合点がいく」
もちろん、空振りに終わる可能性もある。だが、車輪の魔法少女が央間市周辺を探索しているとするなら、真っ先に候補に挙がる相手ではある。
思ったよりもあっさりと最有力の目標が見つかり幸先がいい。と、思われたのだが、純子は浮かない顔をしている。お手柄ではあるのだから、もっと歓喜してもいいはずだ。
「なんか気になることでもある」
純子の顔つきに陰りを感じた刹那が尋ねる。嘆息した純子は思わせぶりにキーボードを叩いた。
「この情報は伝えておくべきかどうか迷ったんだ。なにせ、車輪の魔法少女が原田巧を狙う理由と直結するかもしれないからね」
「なら、なおさら言うべきじゃない。どうして渋る必要があるの」
「聞かなければよかったと後悔しないかい」
純子の口ぶりはいつになく深刻だった。船を漕いでいた六花たちも一瞬で現実に引き戻される。
「今更討伐をやめるなんてことはできないわ。理由はどうあれ、危機に晒されている人がいるのですもの。それを助けるのが私たちの役目でしょ」
「そうッスよ。魔法少女の好き勝手にはさせないッス」
刹那に呼応するように六花は拳を握る。詩亜もまた力強く頷いていた。唯一、マシュは無言のまま壁に背を預けている。彼女にしては険しい表情をしていたのだが、己を鼓舞するのに夢中な刹那たちは気づく余地はなかった。
覚悟を承知の上で純子から語られた事実。それは安直に許容できるものではなかった。
「それ、本当なの。仮にターボババアがその少女だとしたら」
「さすがにそこまでの偶然はないと信じたいね。けれども、一つだけ確定的な事実がある。この原田巧という男。本当に助けるに値するかどうかということだ」
狭苦しい一室に重々しい沈黙が流れる。普段だったら、魔法少女であるのだから即座に討伐すべきと判断したところであろう。しかし、純子の話から導かれる仮定が現実だとしたら。
助力を求めようにも、六花たちもまた圧倒されている。誰かが鶴の一声を出すべき状況なのは分かっている。けれども、誰しも発せずにいるのだ。
苦悩の末、刹那は重々しく息を吐く。
「とりあえず、原田巧に実際に接触して真偽を確かめるしかないわね。討伐する、しないにしてもターボババアが彼を狙っているのは揺るぎのない事実。襲撃してくると分かっている相手を放置する選択肢はないわ」
その言葉は誰に向けられたものか。あるいは六花たちは衝撃的な事実に打ちのめされ、聞く耳を持てなかったのかもしれない。誰しもが刹那の言葉をうまく咀嚼できずにいた。
原田巧と接触すること自体はとんとん拍子に進んだ。と、いうよりもターボババアが正式に魔法少女と認定されたことが大きかった。西代長官に「魔法少女に狙われている一般人がいるので護衛したい」と申請したところ、警察経由で会う約束をとりつけてくれたのだ。
約束の場所は佐竹町にあるファミリーレストランだった。あくまで護衛であり、プライバシーに関わるということで原田の自宅は回避された。大学生と高校生たちの集団であり、一同に会しても不自然ではない場所ということでファミレスが選ばれたのだ。
「一体どんな人物なんスかね、原田巧は」
「怖い人じゃないと、いいです」
「心配しすぎだと思うよ。まだ悪い人と決まったわけじゃないし」
軽口を叩く三人に対し、刹那は無言で頬杖をついていた。約束の時間までは十分以上ある。水が入っていたはずのコップの中で氷が新たな水を生み出していた。




